標題の件、島本駅西側農地区に、現在、奈良の学校法人・西大和学園が立地を希望されているのは大学ではなく、中高一貫進学校という情報があります。都市計画マスタープラン(素案)についてのパブリックコメントの募集締切が14日(月)に迫っていますので、今後の流れと、駅西側農地について、ざっと記します。
都市計画マスタープラン(素案)に寄せられた意見、提案は、可能な限り反映させて、年が明けて2012年(平成24年)の1月、または2月頃に、島本町都市計画審議会に諮問される予定です。「まちづくりの流れは動いている」ので「具体的に書ける部分は、随時、現実を反映していく」という考え方により、前回、審議会に提案された(素案)に加筆された新たな(素案)が、パブリックコメント用に提示されています。
う~ん、こんなことが許されていいのか?!「まちづくりの流れが動いている」ので「現実を反映していく」として具体に追記された箇所(一例)が、29ページの「なお、JR島本駅西地区においては、学術・研究・医療・健康など公共公益的機能の導入について検討します。」です。大学立地を含む島本駅西側の将来像の「未確定な部分」について、さらに一歩踏み込んだ表現になっていますが、8月23日の町都市計画審議会で示された(素案)には、なかった記載なのです。なぜ、こんなことが起こってしまうのか?!順序がすべて逆ではないのか!
大阪府との「協議」(つまり正式な文書によるものではない)のなかで、西側農地をめぐる現在の状況は、改訂中の「都市計画マスタープラン」に位置付けておくことが望ましいという判断があったというのです。なぜ、審議会を開く前に、このプロセスを踏んでいないの。なにより、まず、都市計画マスタープランがあって、それに従って駅周辺のあり方を、その枠組みのなかで構築していくのが「筋」であって、大学か、進学校か、病院か・・・と打診のあったものを計画に盛り込んでいく手法は間違っています。ここに不安と不信がある。
もっとさかのぼれば、実際には、具体的な計画がない時点で保留区域の設定申請を行い(平成21年12月)、あくまでも「素案」だから決まったわけではない!と煙に巻き、今回、島本町都市計画マスタープラン(素案)に寄せられた府の指摘(保留区域に設定されにもかかわず「具体的な計画が示されていない」)を受けて、「学術・研究・医療・健康など公共公益的機能の導入について検討」と追記したのです。本末転倒です。
保育所の民営化のときと同じだ・・・という声、呟きを複数耳にしました。民営化に反対かどうか、それ以前の問題として反対の立場に立ったと、当時をふりかえる声を聴きました。
実は、冒頭に述べたとおり、学校法人・西大和学園側のご意向で大学立地の件は流れました。複数の情報を得て、担当課に問合せ、確認しました。正確に言うと、法人側が中高一貫校の立地へと方針変更をされ、正式には決まっていないとしたうえで、町にその旨報告されたということです。
第1回目の「まちづくり協議会」(6月18日)において「大学立地」実現への合意に向かって検討するという方向性が示されていました。それにより、地権者のご意向を調査する個別ヒアリング(夏季)では、該当する地権者には大学立地を前提の調査がされていたと思われますが、今後はどうなるのでしょう。協議会はその後一度も開かれていません(理事会のみ)。予定されていたアンケートを中止してまで、個別のヒアリングを重視した意味は?地権者、個々のご意向、すなわち、売却か、営農か、資産活用かの土地活用の意志は、尊重されなければばりません。なのに、なぜアンケート中止を理事会で決定されたのか。その意図は?
それにしても、「街づくり」(街区)の計画から一歩進んで、町の政策に及ぶ「まちづくり」の判断を、逐一地権者に委ねていくとしたら・・・納得できません。大学立地の件は流れました。では、中高一貫進学校か、あるいは病院か、あるいは・・・毎回、地権者へのヒアリングを一からやり直すというのでしょうか。地権者の売却の意向の有無と、大学か進学校か、農空間保全かの判断は、実は本来、別の次元の話です。まちづくり・街づくりの基準は「総合計画マスタープラン」「都市計画マスタープラン」が上位に位置します。
住民の意向を広く反映させるプロセスをバッサリ切り捨て(意向調査アンケート・住民説明会など)、外部の意思を接ぎ木のように盛り込んでいく「島本町都市計画マスタープラン」。通常、その策定・改訂には、多くの自治体が2年~3年の年月をかけ、意向調査、住民説明会、別途ワークショップ、パブリックコメントなどで住民参画を実現。それをベースに審議会が開かれています。
先進的ではなく、今やそれが主流なのだそうです。島本町は、住民意識調査なし、地区懇談会なし、住民説明会もなし、です。大阪・京都間の私鉄沿線の自治体で、20年前から時間が止まったような計画策定手法を取り入れているところがあったなんて・・・とびっくりされてしまいました。明治の合併以来、村ののままの町といわれる所以です。辛いです。
高槻市 素案の4ページにある策定の流れ
京丹後市 都市計画マスタープランの進め方について
長岡京市 参考資料の86ページ 改訂の経過
京田辺市 まちづくりの推進方策
画像は、水無瀬川と北摂山系の山並み(11月8日朝に撮影)