十方世界共生山一法寺

自己の世界を建設しよう
 日本のことも世界のことも自分自身のこともみな自己の内のこと。

内山興正老師の年賀状(4)

2009年01月15日 | 人生

S63年


            あるとき


       亀の子のようにじっとして
       そのじっとしていることが楽しくて
       おれも年老ったんだなあと
       それが又嬉しくて


       有難うございます


S64年


            十方仏土中


       無くてもよかったこの一生
       とにかく生きた七十七年
       知り得てよかったこの一事
       無くてもよかったこの一生


            誓 願


       老いたれど病んではおれど
       なおのこと
       このキャリヤーを土台として
       いのちの深さを掘下げゆかん
       あと一鍬なりと半鍬なりと

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内山興正老師の年賀状(3)

2009年01月14日 | 人生

S61年


いのちを拝む


      まだ欲望の制御も知らず
      言葉もつうじないこどもを育てるのに
      物を与えればいいのではない
      言葉でいってすむものではない
      こどものほんとうの芯を育てるものは
      ただ愛の祈りの雰囲気であり
      いのちを拝む環境でなければならない
      謙虚に祈り拝む心はなく
      すべて物と言葉ですませようという今の時代
      いよいよこどもたちの心は荒び暴れ--
      来るべき時代 一体どうなってゆくのか
      どうしようもない憂いをもってただ祈り


S62年 


わが子


                  今此三界  皆是我有
                  其中衆生  悉是吾子
      思うところは      わが子も他人
      いのちとしては      たしかにつづき
      御いのちこそ     大事にしつつ
      育てるなかに     育ってゆこう
      つづくいのちの    深さの世界  


(注)今此三界  皆是我有  其中衆生  悉是吾子
   法華経方便品 (今この世界は皆我が所有するところ。その中の            衆生はことごとく我が子である)
  

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内山興正老師の年賀状(2)

2009年01月13日 | 人生

S59年


ある日 夕暮れ


           それは全天を画面に
           全天の雲を深紅に彩って描き出した
           壮大な日没
           荘厳な宇宙の夕暮れであった
           まるで
           一切分の一切である「一なる自己」が
           イクオール「零}となる瞬間--
           ある日 死がやってきたような


(注)一切分の一切である「一なる自己」 とは 老師の自己生命の方程式
   自己=1=1/1=2/2=・・・・・・・=一切/一切
   自己は一切のものを自己の内容とするということ。

S60年


寒時寒殺熱時熱殺


           寒時わたしは風邪をひき
           熱時わたしは血を喀く
           無寒暑のところは
             わがことならず
           どっちへどうころんでも
             御いのち

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内山興正老師の年賀状(1)

2009年01月12日 | 人生

内山興正老師は生前、年賀状に人生詩を書いておられました。
私も昭和57年以後、その年賀状をいただいておりました。死に向かい合い老境を深められる老師の心境の変化が年毎に読み取れます。
私も私自身のこととして受け止めざるを得ない年にもなってきたし、若い人にも老境とはいかなるものか知っていただく縁になるかと思い紹介します。

S57年


              きずついてもそれに耐え
              光に向かう草木のように
              自己純粋の
              生命力を拝みつつ
              ただここ今を生きぬこう

S58年


             なにものかいんもにきたる

              刻刻に色も姿も変化して
              二度同じことなく
              二つ同じものなし
              いずこともなくあらわれ
              いずこともなく消えゆき
              雲 さながらに
              虚空に浮ぶ


 (注) いんも:恁麼 このように、そのように。禅門では悟りを表す。

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自己曼画

2009年01月11日 | 生命

私が昭和45年秋、内山興正老師のところへ行った時、老師の本で初めに読んだ本「進みと安らい(自己の世界)」の中にある「自己の構造」を図示されたものです。
本には解説があるのですが、ここでは図だけでお示しします。それとなくお解かりになるところもあろうかと思います。







自己にとって生命体験がなければ世界はない。植物人間には認識できる世界はないから世界はない、目覚めたところで世界が現れてくるのである。

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<生命>は爆発だ!

2009年01月07日 | 生命

今日は何の日。
20年前、昭和天皇が崩御された日で、陵墓で行われた行事に天皇を始めとする皇族や麻生首相などが参加したそうである。しばらく公式行事に参加していなかった雅子皇太子妃が久しぶりに参加されたとか、少しはよくなられたのだろうか。


1996年に亡くなった岡本太郎画伯の命日でもある。
岡本太郎は大阪万博会場の太陽の塔の作者で有名だが、TVなどでの変った言動が面白い人だった。
「芸術は爆発だ」が有名。


さて、岡本太郎は芸術が爆発だが、私は「生命は爆発だ」といいたい。自分を核にして瞬間瞬間連鎖反応が起こる、その波動は地球を覆い宇宙の彼方まで広がっていく。

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拝の文化ー日本精神の源流

2009年01月06日 | 共生

昨日、天満宮へ参拝して、「拝」に関して思い出したことがある。
「拝」にはすばらしい意味があるのである。「拝」という字は手偏に手と書き、手を合わせる合掌の動作、二つが一つになる対象との一体を表現する。

  一燈園同人 石川  洋さんの「拝の文化」という文章があるので紹介する。「拝」は日本の文化として今も日常生活の中で実践されているが、本文によりより深いものにして後世に伝えて行きたいものである。


拝の文化-日本精神の根流をなすもの
                                                              一燈園同人 石川  洋


  日本文化の基礎をなした平安朝時代についての分析が十分になされていないという。それは 「日本後記」にいくつかの欠本があるからだという。  平安朝以前、国を守る「防人」制度があった 。多くは東国から徴発され、九州の守備に当っていた。平安朝に入り、この防人制度が廃止され 「 健児(こんでい)」という制度に変わった。以後三百年近くこの制度が続いた。健児制度が生まれたのは、防人が地方豪族に私物化されたことと、韓国と日本との間が安定してきたので、戦争をする兵隊ではなく、国内の自治を高めるための、今の警察官のような制度が必要となってきたのである。

  従って人選もきびしく、地方有力者の子弟から選抜された。文献によると、治安のためだけでなく、地域青少年の育成に至るまで、幅広い自治の精神の高揚に努めたのである。
  この健児に対する研究は極めて少なく、その精神と業績ついて知る人は少ない。むしろ皮肉なことには、欧米人によって研究が進められ、関心がよせられているのである。

  ボ-イ・スカウトの創立者ベ-デン・バウエルは、この少年団を組織するに当り、薩摩健児の精神を参考にしたと言われている。また、戦後GHQの宗教顧問として来日した、エール大学教授のハ-ル・S・ピース博士は、健児の精神と業績を高く評価し、三つの点
をあげている。

  第一は、健児が約三百年間にわたって、非武装平和時代を創りあげたこと。第二は、健児の活躍した時代、前後三四十余年の長きにわたり、日本では国家制度としての死刑が全廃されて行われなかったことである。第三は、健児が「敵をも拝む」という高い「拝」の精神を、その指導精神としていたということである。この三つの指摘は、そのまま健児とその時代の特徴をもっともよく把握するものとして驚きさえ感じさせられる。

  第一に取り上げられている非武装の平和時代であるが、健児は特別の場合をのぞき、身に兵仗を帯びなかったといわれている。日本文化の基礎が、こうした「和」の精神をもとにしていたことを私達は忘れてはならないのではなかろうか。
  第三の「敵を拝せよ」という健児の精神は、健児の精神的深さを意味するものと言わなければならない。「健児のことば」の「第三章 拝」に関する教えの中に、次のような言葉がある。
    心に花を拝すれば  花心吾に生じ
    心に天を拝すれば  天心吾に生じ
    心に地を拝すれば  地心吾に生ず。
    また己をそしる人を拝せよ。
    己をもっとも憎む人を拝せよ
    己の敵をも拝せよ
    拝に敵なければなり。
この「拝」の精神こそ、日本文化の中心をなすものではなかろうか。

  私たちが今日日常生活の中で使っている「拝」の言葉と精神が、この時代から始められているのである。たとえば、手紙を書くとき、冒頭に書く「拝」という言葉は日本独自のもので中国からの外来語ではない。「拝啓」とは、まず心を啓いて、相手を拝むという意味である。なんという謙虚な姿勢であろうか
  そう思ってみると、「拝見」「拝借」「拝読」「拝受」・・・・。数限りないが、私たちの人と人との関係は、すべて他を拝むことを中心にしてなされていたのである。人によると、「拝」は上下の従属関係にあるとうけとめられているが、「拝に敵なし」の健児の精神は、上下をこえた、高度な平等精神によるものといわなければならない。

  頭を下げて相手を無条件に受け入れる「おじぎ」も、この時代に生まれたものである。平安朝時代は、まさに、日本の古来の精神と、外来の仏教精神とが見事に調和された歴史的意味をもつものである。
  私たちが今日も使っている「はい」という相手に答える美しい言葉は、実は、この「拝」の精神によるものなのである。繰り返すことになるが「はい(拝)」は、まず相手を受け入れ、相手を謙虚な姿勢で理解する意味が含まれている。また、「はい」には反対語がないのが大切な特徴である。「はい、そうです」「はい、そうではありません」というのが、正しい日本の言葉の使い方である。したがって「YES」「NO」の欧米思想の訳語としての「はい」「いいえ」は、本来の日本的精神に適応しないのである。

  文化や思想が進むにつれて、人間はいよいよ対立関係の泥沼の中に落ち込み、窮地に立たされている今日であるが、「拝すれば敵なし」の精神と実践の歴史を、私たちは、謙虚に受け止めなしていく必要があるのではなかろうか。

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初詣サイクリング

2009年01月05日 | 道楽

本日、転輪号に乗って初詣に大阪の天満宮に行ってきた。
いつも東向いて走るところを西に向いて同じくらいの距離を走れば着く。3時ごろに着いたら境内の中は何か黒っぽい。今日から仕事が始まって近所の会社からか、会社員が揃って参拝に来ているようだ。


仏教徒が何故神社へと変に思われるかもしれないが、正月にはなんとなく神社へ足が向く。拍手を打って拝んでくる、正月らしい気分を味わう、それだけ。


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人間、太陽がある限り生きていける

2009年01月04日 | 共生

今日の朝日新聞の耕論 <うろたえるな> に俳優・仲代達也さんの談話が載っていた。仲代達也さんは好きな俳優の一人です。その生き方にも共感するところがある。


・ 子供の頃は極貧で、米一粒が食えなかった。
・ 役者は不安定な職業で芝居の1本1本が就職。終われば失業。万年失業状態の日雇い労働者。ほとんど食えない役者がいっぱいいる。
・ 無名塾もいよいよ苦しくなったら、出演料を自分も俳優も裏方もみんな同じにする。
・ 企業家に何か言うとしたら「これまでずいぶんもうけてきたでしょう。ためたお金を彼らに与えたらどうですか」「自分たちの月給を下げて、下の人たちを上げたらいいじゃないですか」と。
・ 食うために闘ったらいい。リストラされていない人も一緒に闘うべき、いつか自分がそういう運命にあうかもしれないから。
・ 大変な時こそ、うろたえたらいけない、浮足だったらまともなことも考えられない。
・ 不安定な時こそ、新しい何かを生むということもある。
・ いつも思うのは「人間、太陽がある限り生きていける」ということです。うろたえちゃあ、いけません。

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謹賀新年

2009年01月01日 | 共生


本年もよろしくお願いします



    十牛図  牧牛

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