北海道周遊券 表紙 ~その2

前回エントリーで北海道周遊券の表紙を御紹介いたしました。今回は表紙の仔細について御紹介致しましょう。


   

前回エントリーでご紹介いたしました北海道周遊券の表紙です。

ヒグマでしょうか?熊が鮭を銜えている定番のイラストが目を引きます。周遊券の表紙は、利用者の旅への夢が膨らむよう、その地方のイメージを重視したイラストが採用されていたようです。熊の他にはアイヌ文化で定番の紋様や船のイラストがあります。


   

    ⇒ クリックすると大きく見えるかも。


裏面の「観光案内略図」です。いまでは鉄道路線が無いので無理ですが、当時の鉄道路線を基準として記載されています。観光案内といっても、特別な観光案内があるわけでもなく、単なる路線図に毛が生えただけのような代物です。左上には北海道とは関係のない十和田湖周辺の路線図が記載されていますが、当時、鉄道を利用する北海道旅行には、距離があってなかなかそれだけでは旅行することが難しかった十和田湖観光を、往きか帰りのどちらかに組み込む需要が多かったようで、その関係でスペースに収納されていたようです。


   

表紙を開けたところの裏面です。周遊券使用上の注意事項が記載されています。
「ご乗降の際は、お手数ながら必要なきっぷをおひらきのうえ、改札係員にお示しください。」という文言がいかにも当時の国鉄っぽさがあり、「お客様に頭を下げる」という習慣のない組織が慣れない言葉を駆使して作成した感があります。当時の改札係員に「お手数ながら」という感覚は恐らく無かったでしょう。


   

裏表紙の裏側です。払い戻しの案内が記載されています。

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北海道周遊券 表紙 ~その1

前回のエントリーで国鉄時代の北海道周遊券を御紹介いたしました。そのなかで、
> A片とB片は発売前は横に繋がった1枚のシートになっており、
> 駅によっては長いまま渡されるところもありましたし、
> A片とB片を切り離して渡されるところもありました。
と申し上げましたが、昭和50年代ごろは、それぞれの券種にあわせた表紙が用意されており、綴じられて渡されるのが一般的でした。


   

北海道周遊券用の表紙になります。このような見開き状の表紙が各種取り揃えられていました。


   

裏表紙には「観光案内略図」という路線図があり、周遊券には記載しきれない情報が印刷されています。


   

表紙は周遊券本体より一回り大きいサイズになっており、見開くとこのような感じになります。


   

見開いた状態の裏面になります。表紙の裏面にあたる左側にはご案内文があり、裏表紙の裏面にあたる右側には払い戻しの案内の他、バージョンによっていろいろなものがあったようです。


   

周遊券本体と表紙の大きさはこのような感じで、周遊券の左側にあります「耳」の部分をホッチキスで綴じる方法が採られていました。周遊券に「耳」があるのは、この時に綴じるためについていた名残りと思われます。


   

綴じた状態です。

このように綴じられておりましたので、改札係員の現場ではA片を回収する際にかなり手間がかかったようです。
旅客は必要な券を改札係員に見せるのですが、自由周遊区間に入った最初の駅でA片が回収されるということを承知していなければそのまま開いて係員に呈示することになります。そうなると、忙しい改札口では、A片をむしり取るようにもぎって回収することが多かったようです。しかし、軟券の耳に付けられた切り取り点線は必ずしも切り取りやすいものではありませんでしたから、これを切り取るのがかなり難儀であったようです。そのため、A片を切り取って回収する際、券そのものを破いてしまうことが度々あったようです。


         

使用済の表紙を見ていますと、このように破れてしまったA片の残骸が残されたままのものが結構見受けられます。


では次回、表紙の仔細を御紹介致しましょう。

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日本交通公社 吉祥寺営業所発行 北海道周遊券

連日「GO TO トラベル」で話題になる国内旅行ですが、かつて国鉄が全国に網目状に路線を持っていた時代であれば「旅行は鉄道で」ということになりますが、国鉄が「民間会社」のJRとなって合理化されると、「利用が無いから廃止」という理由で次々と赤字路線が廃止され、特に北海道については鉄道旅行がかなり困難な地域があります。


以前御紹介したと思いますが、改めて国鉄時代に発行された北海道周遊券を御紹介致しましょう。


   

1986(昭和61)年8月に日本交通公社(現・JTB)吉祥寺営業所で発行された北海道周遊券のA片(ゆき券)になります。青色こくてつ地紋の常備軟券で、俗に「周遊券サイズ」と言われる券になります。
正式には「北海道均一周遊乗車券」というようですが、国鉄部内では「道均」と呼ばれていたようです。

北海道周遊券は「北海道ワイド周遊券」とも呼ばれ、自由周遊区間と呼ばれる北海道全域内の国鉄線と国鉄バスが乗り放題となるきっぷで、出発地から自由周遊区間までのA片と、乗り放題兼帰り用のきっぷであるB片の2枚セットで発売されていました。
JRとなってから周遊券制度が廃止される直前の1998(平成10)年時点では、北海道周遊券の他、道南・東北・南東北・信州・南近畿・北近畿・山陰・四国・九州・北九州の11種類(方面)の周遊券が発売されていましたが、自由周遊区間を乗り降りできる「ゾーン券」と自由周遊区間へのゆき券とかえり券である「アプローチ券」の3枚から成る「周遊きっぷ」に制度が変更になったものの、利益が少なかったのでしょうか、今では発売されておりません。

ワイド周遊券は自由周遊区間の広さと汎用性の高さが人気で、全線乗車した人を国鉄が認定する「いい旅チャレンジ20,000km」というキャンペーンに参加するため、全線完乗を目指す「乗りつぶし派」の殆どが利用していました。北海道全線、九州全線など広い範囲をいくらでも乗り降りできるワイド周遊券は、行き帰りの経路では急行列車が利用でき、自由周遊区間内では特急・急行の普通車自由席に乗り放題で最大20日間という長い有効期間が魅力でした。
自由周遊区間内ではほぼすべての列車に乗車できる「最強」のワイド周遊券でしたが、価格はかなり低く抑えられていました。例えば、東京都区内発の「北海道ワイド周遊券」は、当時で大人が36,800円、学割は29,500円くらいでしたので、東京都区内~稚内間の往復割引運賃は大人25,000円、学割は20,000円くらいでしたから、約3週間北海道のすべての列車に自由に乗車できることを考えれば、極めてコストパフォーマンスの高いきっぷでした。

   

    ⇒ クリックすると大きくハッキリ見られるかも知れません!

こちらがB片になります。なぜか周遊券は下車の際に途中下車印の捺印を受けることになっており、長期間様々な駅で降りる毎に「年季」が入ってきました。いろいろな駅で捺印を受けた途中下車印があり、いまではもうとっくに無くなってしまった駅や、無人化されてしまっている駅もたくさんあります。小さくて見づらい方は、下のサムネイルをクリックすると大きく見えるかも知れませんのでやってみてください。

これらA片とB片は発売前は横に繋がった1枚のシートになっており、駅によっては長いまま渡されるところもありましたし、A片とB片を切り離して渡されるところもありました。


   

イメージとしてこのような感じです。

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東京2020 開会式 東京駅発行 オリンピック特殊往復乗車券

2020年7月24日20時(午後8時)は、本来であれば東京オリンピック「東京2020」の開会式が開催日であったわけで、世界中から東京にたくさんのお客様が来日され、新装となった国立競技場では華やかな開会式が行われているはずでしたが、新型コロナウイルスにより、開催が1年延期となり、東京オリンピック「東京2020」の開会式は、1年後の2021年7月23日(金)に延期となりました。

新型コロナウイルスはまだ収束から程遠いですが、少しでも早い収束を願うところです。


   

以前御紹介したと思いますが、東京2020の開会式であった本日に因み、前回の東京オリンピックの開会式であった1964(昭和39)年10月10日に東京駅で発行された、オリンピック特殊往復乗車券を御紹介致しましょう。

青色こくてつ地紋のA型大人・小児用往復券で、東京印刷場で調製されたものです。
券面には赤い影文字でオリンピックの五輪が描かれているもので、往路用と復路用を切り離さない特殊往復券様式になっています。

発行駅である東京駅で乗車し、下車駅は会場付近の駅である信濃町・千駄ヶ谷・代々木の各駅となります。


   

裏面です。
ゆき(往路)は下車駅である信濃町・千駄ヶ谷・代々木の各駅でのみ下車することができ、その他の駅では下車禁止となっています。
また、帰り(復路)は信濃町駅・千駄ヶ谷駅・代々木駅のいづれかの駅から乗車可能ですが、発駅である東京駅以外で下車した際は前途無効になります。

往路の着駅では混雑した駅での改札業務の煩雑さを避けるためと思われますが、往路片の回収はしないで呈示するのみの方式が採られており、往路片と復路片を切り離す様式になっていません。

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東京駅発行 オリンピック特殊往復乗車券

拙ブログ2008年8月24日エントリーの「オリンピック特殊往復乗車券」で一度御紹介致しておりますが、来年2020年には東京オリンピックが開催されるということで、前回の東京オリンピックの際に発行された乗車券を御紹介致しましょう。


   


今から55年前の1964(昭和39)年10月10日に、東京駅で発行されたオリンピック特殊往復乗車券です。青色こくてつ地紋のA型矢印式大人・小児用券で、オリンピックシンボルマークの影文字が入れられています。


   (オリンピックシンボルマーク)


このシンボルマークは単色または五色(左から青・黄・黒・緑・赤)の輪を重ねて連結した形で、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・南北アメリカ・オセアニアの5大陸の団結が世界中の国々が仲良くするということの象徴で、このシンボルをかかげるオリンピック競技大会は、世界中から選手が集まって技を競いあい、友好を深める大会であることを表現しているのだそうです。

この券が発売された39.10.10.という日は東京オリンピックの開会式が行われた日で、これを記念し、1966(昭和41)年からは10月10日は「体育の日」という国民の祝日に制定されましたが、2000(平成12)年より、10月の第2日曜日に変更されています。


そろそろきっぷの話に戻しましょう。

御紹介の券は、オリンピック期間中である1964(昭和39)年10月10日から10月24日までの間に都区内各駅で発売されたもので、会場最寄駅である信濃町・千駄ヶ谷・代々木の各駅ゆきの往復割引乗車券として発売されています。


   


裏面です。往路の着駅(信濃町・千駄ヶ谷・代々木)で下車の際にはこの券を改札掛員に提示するだけで出場できるものとし、往路用の半券を集札しない方法が採られています。
これは、恐らく着駅での改札業務の混乱を避けるため、着札を回収しないことで出場客をスムースに捌くことを目的としたものと思われます。


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石狩当別から大学前ゆき片道乗車券

1984(昭和59)年12月に、札沼線石狩当別駅で発行された、大学前(現・北海道医療大学前)駅ゆきの片道乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のD型一般式大人専用券で、「縁起きっぷ」として発行された企画きっぷのような扱いであったと思われます。
発行駅である石狩当別駅だけではなく札幌近郊の主要駅でも発売されており、この券は札幌駅であったと記憶しています。当時の国鉄は累積した赤字対策のための増収策が行われており、特に北海道総局は「愛国から幸福ゆき」の乗車券および縁起きっぷで成功した実績があったからでしょうか、縁起きっぷが乱発されていたように思います。



   


裏面です。
のように固い決意で人が獲物をねらうように、りをつけた志望校をめざし、受験生活にれを告げて、大学合格の花を咲かせてください。」という、何とも都合の良い、読んでいて恥ずかしくなってしまうような語呂合わせの文章が記載されています。


着駅である大学前駅は、1974(昭和49)年に開学した東日本大学の最寄駅として1981(昭和56)年に開業した駅で、開業当初は「大学前仮乗降場」として開設されています。その後、昭和50年代後半に一般駅旅客駅に昇格して「大学前駅」になります。
そして、1994(平成6)年に大学名が北海道医療大学に名称変更されたため、その翌年の1995(平成7)年に「北海道医療大学駅」に駅名も改称されています。

 

あつ様から、
>  貨物を扱ったことはないので、一般駅ではなく、常設駅が正しいと思います。
というコメントを戴きました。確かに貨物取扱駅ではないので一般駅ではなかったです。ただし、一般的に「駅」は旅客を扱う旅客駅あるいは一般駅を指すものとされており、「常設駅」という言葉は臨時駅に対して設置された後に原則として通年営業を行う駅を指す言葉になりますので、ここでは一般駅に対しての表現として「旅客駅」という表現に訂正させていただきました。

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北海道ワイド周遊券 ~その2

昭和618月に日本交通公社吉祥寺営業所で発行された、北海道ワイド周遊券のB片です。


   


青色こくてつ地紋の軟券式周遊券で、民間印刷による印版印刷券となっています。


この券はほぼ10年前の2008113日、拙ブログエントリーの「北海道ワイド周遊券」で御紹介いたしたものですが、このエントリーがNHKさんの目に留まったようで、明日、116日(火曜日)午後308分から午後400時にNHK総合テレビで放送される「ごごナマ」という番組の「いつの時代にも登場!?〇〇族」というテーマで、戦後の享楽的で意気盛んな若者たちを表した「太陽族」から、昨今の健康志向のビジネスマンを表す「一駅族」まで、世相と日本人を映し出す鏡であり続けてきた「〇〇族」の歴史をたどる内容の資料として紹介される予定です。

今回御紹介の券は「カニ族」を説明するときに使用される予定です。カニ族とは大型リュックサックを負った旅行者を指した俗称で、大きなリュックを背負って列車の通路や出入り口をカニのような横歩きを後ろ姿がカニの後ろ姿に似ていることが語源のようです。
今では聞かなくなってしまった言葉ですが、現在でもバックパッカーという言葉に替わって生きています。カニ族は北海道や四国・九州などへ往復でき、広範囲に亘って自由乗降が可能であり、しかも学生割引(2割引)と往復割引(1割引)の対象にもなっており、3割引で利用できるだけでなく、往復の経路や周遊エリアにおいて急行列車の普通車自由席を追加料金不要で無制限に利用できるという利点があった「ワイド周遊券」をよく利用していたことから、番組では周遊券の画像を探していたのだそうです。


ごごナマという番組名の通りの生放送ということもあり、国会中継や突発的なニュース、時間上の理由などで放送が延期や中止されてしまうこともあるかもしれませんが、もしお時間が許される方は是非ご覧になって頂きたいと思います。

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茅ヶ崎駅発行 〇企 西寒川ゆき往復乗車券

昭和59年3月に茅ヶ崎駅で発行された、相模線西寒川駅(廃駅)ゆきの往復乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のD型大人・小児用往復券で、東京印刷場で調製されたものです。


この券は相模線の寒川~西寒川間の通称西寒川支線が廃止される際に発行された廃止記念の往復乗車券で、往復乗車券であっても発売当日限り有効となる企画乗車券として発行されています。左上に企画乗車券であることを示す「〇企」符号が表記されています。


   


裏面です。
単に「記念往復乗車券」とのみ書かれ、廃止日および廃止区間が記載されています。

同区間は営業最終列車が3月31日に運転されて営業が終了したため、廃止日は翌4月1日となります。

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〇日 吉祥寺駅旅セ発行 東京山手線内から富士五合目まで 往復割引乗車券

廃札券ですが、「〇日」吉祥寺駅旅行センター発行の富士五合目までの往復割引乗車券です。


   


青色こくてつ地紋のD型券で、東京印刷場で調製されたものです。

経由は東京山手線内各駅から中央本線を経て大月駅で富士急行線に接続し、河口湖駅から再び富士急行バスに乗り換えて富士五合目まで行くようになっています。


   


裏面です。
東京山手線内での途中下車および、区間変更ができない旨が記載されています。


発行箇所である「〇日」吉祥寺駅旅行センターはかつて吉祥寺駅構内にあった旅行センターで、頭の符号が示すように日本旅行の営業所となっていました。しかし、国鉄が民営化によって同駅を引き継いだJR東日本は独自の旅行部門である「びゆう」を立ち上げると管内の旅行センターを自社で運営する「びゆうプラザ」に切替えて行ったため、同旅行センターは現在「びゅうプラザ吉祥寺旅行センター」となっています。

日本旅行は「赤い風船」のブランドで知られた旅行会社ですが、国鉄民営化以後の平成13年に、JR西日本から旅行業部門である「TiS)」譲受し、TiSの旅行ブランドであったWENSも引き継ぎ、翌14年にはJR西日本に対して第三者割当増資を実施して連結子会社となっています。

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東青梅駅発行 特殊往復乗車券

昭和57年2月に東青梅駅で発行された、特殊往復乗車券です。


   


桃色こくてつ地紋のB型券で、東京印刷場で調製されたものです。


この券は青梅マラソンの応援用として企画された往復乗車券で、河辺および東青梅駅と川井駅間の往復乗車券となっています。運賃は同区間の往復運賃分ですので、普通の往復乗車券と特に変わりはしないように見えますが、裏面を見ると、かなり特殊な往復乗車券であることが分かります。


   


裏面です。

ご案内文がぎっしりと詰め込まれて印刷されておりますが、その文面からは普通の往復乗車券とは異なることが読み取れます。

区間内での途中下車ができ、途中下車後、再度乗車する際の方向についての定めがありません。つまり、券面区間については終日フリーということであり、小さな「一日乗車券」となっているのです。


そのためでしょうか、この券は往路用と復路用に分けられていません。
これは、同区間は集改札業務が手薄な無人駅が殆どであり、無用なトラブルを避けるためのマラソンイベントにおける繁忙期対策用としての措置であると思われます。


再度表面を確認しますと、左上に「〇複」と表記されています。

「〇複」と表記されていることから、往路用を省略し、発行された時から復路用であるという意味合いになり、復路券が自由乗降区間において使用する券片となる、フリーきっぷの考え方からこうなったものと推測されます。

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