「(前略)京都へ来て叡山が見えなくなっちゃ大変だ」
夏目漱石『虞美人草』の冒頭に近いところで、このような主人公のセリフがあります。
「叡山」というのは、いうまでもなく、比叡山のことです。
この小説は明治時代後期のもので、漱石自身、執筆に先立って京都を訪れています。
この作品も同時代を舞台としており、つまり、ここでいう京都、というのは、明治後期の京都というわけです。
さて、その心積もりで現代の京都を歩いてみると、こいつは大変だ、となってしまいます。
現代の京都では、街中で比叡山が見える場所はかなり限られてしまいます。
それは西の愛宕山にしても、あるいは東山三十六峰にしてお、事情は似たようなもの。
まるで見えないわけではないですが、見渡せるような場所もほとんどありません。
さて、本日は五山送り火。
五山の送り火も、やはり同じような事情。
年配の方の話によく出てくるのは、
「昔はうちから五山全ての送り火が見えたんだけど……」
といったような言葉。
全てではなくても、鳥居形以外は全部見えた、といったような具合です。
今では望むことのできない光景。
その時代に生きていなかった者としては、知っているだけでも羨ましい話。
しかし、知っているからこその寂しさ、というのもあるのでしょう。
かく言う当館も、低い建物ではないんです。
そのお詫び、というわけではないですが、この日、宿泊のお客様に屋上を解放させていただいております。
五山全部、というのはちょっと無理ですが。
大文字に関しては、かなり間近に見ていただけます。
自慢にしてしまっては、近隣の方に申し訳ないですが。
なかなか贅沢な時間をすごすことができます。
今年間に合わなかった方は、是非来年にでもお越しください。
”あいらんど”