家の作りやうは、夏をむねとすべし。
この一文はよく知られるように、『徒然草』の中の一節です。
つまり、家を作るのはまず夏に住むことを考えて作りなさい、ということですね。
この後に、「冬はいかなる所にも住まる。」と続くのですが、それはどうなんでしょうか。
寒いのは寒いので、まあ、大変ですけど。
この後に、「暑き頃わろき住居は、堪へがたき事なり。」と続くのは、その通り、と納得。
現代ではクーラーがあるので、実感も薄いのかもしれないですが。
クーラーを使わないと決めてみると、実感が増すわけです。
特に京都の暑さは厳しいことで有名です。
当たり前ですが、それは今も昔も変わりないでしょう。
『徒然草』の著者は、兼好法師こと吉田兼好。
銀閣寺の少し西に、吉田山というのがあって、そこに吉田神社があります。
兼好の父はこの吉田神社の神官でした。
でも当人は坊さん。
それはともかく、つまりは、吉田兼好は京都の人、ということなわけです。
京都は昔も暑かったからこそ、こういう文章を書いたんだろうなあ、と、感慨も深いわけです。
この「夏をむねと」した家の代表が、いわゆる京町家ではないでしょうか。
京町家というのは、鰻の寝床、とよく言われます。
つまり、間口が狭くて奥行きが長い、というやつです。
どうしてこういう形態に行き着いたのか、諸説はいろいろあるようです。
一つの説に、風の通りをよくするため、というのがあります。
縦に一本廊下を通し、坪庭を造り、風の抜ける道を作るというわけです。
一理あるとはいえます。
京町家の中には、常時あるいは臨時に公開しているところも多いです。
この夏にも特別公開でいくつかの町家が公開されていました。
こういった町家を一度訪れてみてはいかがでしょうか。
昔の京都の人たちが、クーラーのない夏を少しでも快適に過ごすためにどのように工夫していたのか。
それを体験してみるのも一興かと思います。
”あいらんど”