当館から河原町通を南へ下ると、やがて京都市役所の横に出る。
市役所が面する河原町御池の交差点の、南西角に立つビルの1階には、ドラッグストアがあって、その入口の脇に、石碑が建っている。
石碑には、この辺りにかつて、山本覚馬と八重の邸宅があった旨が記されている。
こんなものがあっただろうかと、石碑の裏をみると、去年の11月の建立と書かれていて、なるほど、と納得する。
多分、3年前まで、新島八重なんて、ほとんどの人間が知らなかった。
京都は石碑の町である。
大袈裟ではなく、これは本当に確かなことだ。
これほど多くの石碑の建つ町は、日本に、いや、世界に二つとあるまい。
曰く、誰それの邸宅跡、曰く、何某の殉難地、あるいは、歌碑句碑、そして、船入は一から九を数える。
そのうち、都はるみも、ザ・タイガースも石碑になるに違いない。
要するに、石碑というのは、ソーシャルネットワークでいうところの、タグ付けである。
多分、間違いない。
不特定多数の人間と空間情報を共有するわけである。
何でも記録したがるのは、現代人の病である。
多分、間違いない。
忘れ去られるものに対し、昔の人はもう少し鷹揚であった。
とは、いうものの、実際、石碑を見て回るのは、面白い。
ああ、なるほど、ここが、と、つい思ってしまう。
歴史の一里塚、文化の道しるべである。
件の八重の石碑には、両側面にも文字が刻まれている。
右側には、幕末、新選組を一躍有名にした池田屋事件において、長州藩士、吉田稔麿がここで命を落としたことを記している。
左側には、豊臣秀吉が洛中を囲った土塁=御土居が、かつてこの辺りにあったことを記している。
そう、歴史は日々塗り重ねられている。
京都という町は、特に濃厚な歴史の下地の上に存在する。
丁寧に幾重も塗り重ねられた漆は、深みのある光沢を見せるという。
京都の魅力というのは、そういう奥深さではないだろうか。
今日の次の日は明日だが、明日が来ると、それは今日である。
そういう実感を、石碑を見て覚える。
”あいらんど”