京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

3月は秘める如く

2014-03-16 | インポート

 

 当館から河原町通を南へ下ると、やがて京都市役所の横に出る。

 市役所が面する河原町御池の交差点の、南西角に立つビルの1階には、ドラッグストアがあって、その入口の脇に、石碑が建っている。

 石碑には、この辺りにかつて、山本覚馬と八重の邸宅があった旨が記されている。

 こんなものがあっただろうかと、石碑の裏をみると、去年の11月の建立と書かれていて、なるほど、と納得する。

 多分、3年前まで、新島八重なんて、ほとんどの人間が知らなかった。

 

 京都は石碑の町である。

 大袈裟ではなく、これは本当に確かなことだ。

 これほど多くの石碑の建つ町は、日本に、いや、世界に二つとあるまい。

 曰く、誰それの邸宅跡、曰く、何某の殉難地、あるいは、歌碑句碑、そして、船入は一から九を数える。

 そのうち、都はるみも、ザ・タイガースも石碑になるに違いない。

 

 要するに、石碑というのは、ソーシャルネットワークでいうところの、タグ付けである。

 多分、間違いない。 

 不特定多数の人間と空間情報を共有するわけである。

 何でも記録したがるのは、現代人の病である。

 多分、間違いない。

 忘れ去られるものに対し、昔の人はもう少し鷹揚であった。

 

 とは、いうものの、実際、石碑を見て回るのは、面白い。

 ああ、なるほど、ここが、と、つい思ってしまう。

 歴史の一里塚、文化の道しるべである。

 

 件の八重の石碑には、両側面にも文字が刻まれている。

 右側には、幕末、新選組を一躍有名にした池田屋事件において、長州藩士、吉田稔麿がここで命を落としたことを記している。

 左側には、豊臣秀吉が洛中を囲った土塁=御土居が、かつてこの辺りにあったことを記している。

 そう、歴史は日々塗り重ねられている。

 京都という町は、特に濃厚な歴史の下地の上に存在する。

 丁寧に幾重も塗り重ねられた漆は、深みのある光沢を見せるという。 

 京都の魅力というのは、そういう奥深さではないだろうか。

 今日の次の日は明日だが、明日が来ると、それは今日である。

 そういう実感を、石碑を見て覚える。

”あいらんど”

 


運河ろ

2014-03-16 | パブリック
仕事を終えてブラブラと歩いておりますと、御池通りを越えたあたりからなにやら重機の音が聞こえてきます。
高瀬川再生プロジェクトという事業計画が、現在おしすすめられております。
老朽化した護岸では漏水が発生しているらしく、修復が図られているとの事。



美しい高瀬川の景観を未来に伝えていこうという試みです。
                                  烏龍茶
高瀬舟 高瀬舟