京のおさんぽ

京の宿、石長松菊園・お宿いしちょうに働く個性豊かなスタッフが、四季おりおりに京の街を歩いて綴る徒然草。

思い出は琥珀色の中

2016-12-12 | 宿日記

 先日、使っておりましたコーヒーカップが割れてしまいました。

 

 買ったのはずいぶんと前のことなのでございますが、常用するようになったのはここ数年のこと。

 十数年前に、京都へ引っ越してくるときに、実家から持ってきた物でございます。

 もともとは父にプレゼントした物だったのでございますが、その時には既に父も亡くなっておりました。

 形見というつもりはなく、ただ手頃な物だったというのが、荷物に入れた理由でございます。

 そもそも、生前父は一度もそのカップを使用しなかったのでございます。

 

 しかし、割れたカップを前にした時、改めて、これは父の形見だったのだと、感慨を深く致しました。

 そして、このカップは生まれた地の土に還るのだと、縁の不思議を思ったのでございます。

 そのカップは、私が中学生の時の修学旅行で京都へ来た際に父へのお土産として買った物で、清水焼の品でございます。

 もう三十年近くも前の話でございます。

 

 父が死ぬまでそれを使わなかったのは、こうして割ったりせぬようにと、大切に思ってくれていたからなのかもしれません。

 昔は、何故せっかく買ってきたのに使ってくれないのだろうと、不満に思ったものでございます。

 亡くなった後に、しかも割れてしまってから気がつくのですから、何とも親不孝なことでございます。

 そんなことを考え、淋しい思いが致しました。

 

 それで思い出したことがもう一つございます。

 少し前に実家へ帰った時、出された湯呑茶碗が、奇妙なデザインの物でございました。

 形はいたって普通の湯呑茶碗でございます。

 ですが、表面に描かれた、山の稜線と思しきうねった線と、その下に書かれた「京都」という文字が、何とも稚拙なものでございました。

 母に尋ねますと、それは弟が修学旅行で京都へ行った時に絵入れした物だ、との答えが返ってまいりました。

 それとて、もう二十五年ほども前にことになってしまいます。

 意外と物は残るのでございますね。

 

 当館にも、毎年、多くの修学旅行生にお越し頂いております。

 お土産には食べる物を買うことが多いようでございます。

 しかし、後に残る物を買うのも、また良いものだと、今になって思った次第でございます。

 思い出は時が経つにつれ薄らいでいくものですが、その物が手元にある限り、消えてしまうことはございません。

 写真で振り返るだけでは取り戻せない、それに触れた肌だけが知っている感情を、きっと思い出させてくれることでございましょう。

  

 作者不肖