NATIONAL GEOGRAPHIC 2020.12.04

先住民マスタナワ族のシュリと妻のジャネット。2017年5月、マロカと呼ばれるシュロ葺き屋根の小屋の前で撮影された。2020年11月11日、この場所でシュリ、もうひとりの妻エレナ、義母マリアの遺体が、矢を射られた状態で発見された。ジャネットは見つかっていないが、おそらくは死亡していると見られる。(PHOTOGRAPH BY CHARLIE HAMILTON JAMES, NATIONAL GEOGRAPHIC)
南米ペルーのアマゾン地域に暮らす先住民マスタナワ族の一家が惨殺された。地元の部族の間には緊張が走り、当局は事件の真相を探っている。
シュリ、妻エレナ、義母マリアの遺体は、2020年11月11日、矢を何本も射られた状態で発見された。現場は、彼らが暮らしていたシュロ葺き小屋の焼け跡のそば。近くにはクランハ川が流れている。シュリのもうひとりの妻であるジャネットは見つかっていないが、おそらくは死亡しているものと見られる。(参考記事:「アマゾンの孤立部族の矢で保護団体職員が死亡」)
シュリというのはマスタナワ族としての名前であり、彼は別名エパとも呼ばれていた。女性たちの名前は、キリスト教の宣教師から与えられたものだ。マスタナワは外界と切り離された森の奥深くに暮らす「孤立部族」だ。
シュリの家族は、孤立部族のために設けられたマシコ・ピロ先住民保護区の境界付近に暮らしていた。国内最大の公園であるアルト・プルス国立公園と敷地が重なり合う保護区内では、アマゾン盆地の中でもとくに手つかずの生態系が保たれている。
一帯は、世界中のどこよりも孤立部族が密集した地域であり、中でも特に数が多いのは、推定700人からなるペルー最大の孤立部族マシコ・ピロ族だ。
ペルーの文化省、警察、先住民のリーダーなどから組織される捜査チームは現在、クランハ川周辺で事件の調べを進めている。遺体を発見した、フニ・クイン族の非公式の証言によると、現場では襲撃者50人の裸足の足跡と、マシコ・ピロ族が使うものと同種の矢が見つかっているという。
マスタナワ族とマシコ・ピロ族は、何世代にもわたって対立を続けてきた。シュリ自身が、前回のマシコ・ピロ族による襲撃の生存者であり、肋骨にはそのときに負った大きな傷があった。
犯人がもしマシコ・ピロ族であれば、この事件は宿敵による襲撃の一環なのかもしれないし、あるいは残り少なくなった自分たちのテリトリーや食料を守るための行動だったのかもしれない。(参考記事:「「非接触部族」マシコ・ピロ族、頻繁に出没の謎」)
しかし、考えられる筋書きはほかにもある。シュリとその家族を襲ったのは、上流で活動する麻薬の密売人ではないだろうか。さもなければ、親交のある孤立部族や親戚に襲われた可能性もある。この一家が狙われたのは、シュリが以前のように、なたなどの便利な製品を、親戚たちのために融通することができなくなったせいなのかもしれない。
過去20年間、私(著者のクリス・フェイガン、保護活動家)はクランハ川でフニ・クイン族と一緒に活動してきた。これまで行ってきた支援としては、森への侵入者から土地を守るためのスキル(GPS技術の活用など)を教えること、カメや魚といった豊富な資源を持続可能で採算のとれる形で管理できるよう手助けすることなどが挙げられる。
資源を巡って競合する先住民グループ同士のつながりが非常に希薄である様子を、私は間近に目撃してきた。そうしたグループの中には、数十年前から定住を続けてきたフニ・クイン族、孤立部族のマシコ・ピロ族、そして現代社会との接触の初期段階にある、シュリ一家のような部族が存在する。
私はシュリとその家族が暮らす家を、時々訪問させてもらっていた。彼らが孤立した狩猟採集民としての暮らしから、現代社会と接触する定住生活へと移っていくその過程は、驚きに満ちていると同時に、非常に厳しいものでもあった。
初めてシュリとその家族に会ったのは、2003年に彼らが米国の宣教師たちに誘われて森から出てきてまもなくのことだ。シュリはほとんど何も身に着けておらず、ただ腰に木の皮のベルトをつけ、上腕と膝下にビーズを巻き、スプーンで作った金属製の丸い飾りを鼻から下げていた。持ち物は弓と長さ約1.8メートルの矢2本だけだった。
シュリの二人の妻のうち若い方のジャネットが、後ろに従っていた。大きなカメが一匹と、それよりもさらに大きなキャッサバイモが入った籠が背中にぶらさがっており、その籠は彼女の額に巻かれた一本のツタで支えられていた。後から知ったところによると、シュリはいつでも矢を放てるように両手をあけておかなければならなかったため、ジャネットが重たい荷物を背負う役目を引き受けていたとのことだった。
現代社会とつながることの難しさ
シュリは二つの異なる世界の間に暮らしていた。彼はカメやペッカリーなどの密林にすむ動物の肉を近隣のフニ・クイン族に渡し、引き換えに服やなたなどの貴重な品を受け取っていた。シュリはまた、何日も歩いて森の奥に入り、今も孤立した生活を続けるマスタナワ族の残りのメンバーを訪ねていた。おそらくは数十人いると思われる彼らにとって、シュリは現代社会とのつながりだった。
2017年、ナショナル ジオグラフィックのカメラマンであるチャーリー・ハミルトン・ジェームズが、クランハ川まで私を訪ねてきた。2018年10月号に掲載する、アマゾンの孤立部族に関する特集記事の写真を撮影するためだ。彼はペルーでの仕事の経験が豊富で、森での孤立生活を離れる先住民の苦労について、独特の視点をもっていた。(参考記事:「アマゾンの孤立部族、外界との接触が増える」)
「シュリとジャネットと会って感じたことは、彼らは接触の複雑さを完璧に表した存在であるということです」と、ハミルトン・ジェームズは言う。「彼らが恐怖に怯える森の暮らしを逃れて足を踏み入れた世界は、自分たちにほとんど何も与えてくれず、また彼らを保護しようとする試みも、的外れで実を伴わないものでした」。現代生活の恩恵を受けたいと望んではいても、シュリの家族にはそのために必要な準備を整えることはできず、十分な支援も得られなかった。
「二人との面会は陰鬱なものでした。彼らは空腹について不平を言い、持病の薬を欲しがっていました。飼っていた犬もすべて死んでしまい、孤独で惨めな日々を送っていたのです」
二人のような例は、孤立した生活を離れる先住民の典型だと、ハミルトン・ジェームズは言う。(参考記事:「チャーリー・ハミルトン・ジェームズ氏撮影:アマゾン、森の先住民の知られざる日常 写真20点」)
以前、シュリは私に、一家で森を離れて宣教師について行こうと決めた主な理由は、マシコ・ピロ族への恐れだと話してくれた。
孤立は、マシコ・ピロ族にとっての生き延びるための戦略だった。彼らが孤立した生活を送るようになったのはおそらく100年以上前のことで、ゴムの木の樹液を目当てにやってくる侵入者が持ち込む暴力と病気によって、部族が全滅しかけたことがきっかけだった。
現在、彼らのテリトリーは再び危機にさらされている。衛星画像を見ると、移住してきた農民が開拓したコカイン畑や無許可の滑走路が、ほぼ一夜にしてこの地域全体に出現しているのがわかる。このままでは、マシコ・ピロ族はクランハ川沿いなど、人口の比較的多い場所へと追いやられる可能性が高い。そうなれば必然的に、食料をめぐる暴力的な衝突が起こるだろう。(参考記事:「宣教師を殺害したインド孤立部族、侵入者拒む歴史」)
別の時代の化身
シュリ、エレナ、マリア、そしてジャネットを襲った悲劇は、この地域の先住民の脆弱性を痛烈に表している。
アマゾンを交通や資源開発により広く開放していくというブラジルとペルーの政策は、ここで暮らす孤立部族たちを直接的な脅威にさらす。
私にとってシュリは、別の時、別の時代の、生きた化身のような存在だった。
密林の中をシュリの後を追って歩いたことは、この先もずっと、私の人生における輝かしい経験として心に残るだろう。シュリがその大きな幅広の足を森の地面に慎重におろしながら、同時に木の上に目を走らせて、動物がいないかと空気のにおいをかぐ様子を、私はじっと見つめていた。
シュリは、先住民が何世代にもわたって培ってきた自然との親密なつながりの象徴だった。それは、私たちのような大半の人間が失ってしまったものだ。(参考記事:「世界はアマゾンを救えるか、はびこる闇と負の連鎖」)
シュリと一緒にいることで、私は希望を与えられた。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/120300709/