先住民族関連ニュース

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アイヌ民族の歴史的経緯認否せず サケ漁訴訟、長期化も

2020-12-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/18 05:00
 アイヌ民族団体ラポロアイヌネイション(十勝管内浦幌町)がサケ捕獲権の確認を求めた訴訟の17日の口頭弁論で、国、道側は、原告側が主張するアイヌ民族の歴史的経緯などについて「認否の限りでない」と繰り返し、認識を明らかにしなかった。「現行法上の根拠がない」とする国や道と、「それは元々持っていた権利を明治政府が違法に侵害した結果だ」と訴える原告側。双方の主張は食い違い、訴訟は早くも長期化の様相を呈している。
 「国と道は歴史的な経緯に触れず、論点をすり替えようとしている」。弁論後に札幌市内で開いた報告集会で、原告弁護団長の市川守弘弁護士は批判した。
 国側はこの日の弁論で、河川でのサケ漁を禁じる現行の法規制の内容を説明。文化伝承のための漁が例外的に認められる以外は、アイヌ民族も規制されるとした。その上で、漁業権を主張する原告側に対し、法的根拠を明確にするよう求めた。
 一方、原告側はそうした法律でアイヌ民族が規制されるようになった経緯そのものが違法だと主張。集会で市川弁護士は「明治政府がアイヌ民族から権利を奪ったことが正当だというなら、国側がそれを立証すべきだ。まずは歴史的な経緯に関する認識を、逃げずに明らかにするよう求めていきたい」と話した。
 原告の差間正樹名誉会長は「国がなんと言おうが、私たちにはサケを取る権利がある」と語気を強めた。
 アイヌ民族の権利回復に詳しい北大アイヌ・先住民研究センターの加藤博文教授は、昨年施行されたアイヌ施策推進法でアイヌ民族が先住民族だと明示されたことに触れ「先住民族と認めた以上は先住権が伴うが、国側は準備ができていないのだろう。訴訟と並行して、法改正を含めた対応を考えるべきだ」と話している。(田鍋里奈、角田悠馬)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/492892

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国連の先住権宣言「法的根拠ない」 アイヌ民族サケ漁訴訟で国と道 札幌地裁

2020-12-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/17 21:25
 アイヌ民族には地元の川でサケ漁を行う先住権があるのに不当に漁を禁止されているとして、十勝管内浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)が国と道を相手取り、同町の浦幌十勝川でサケ漁を行う権利の確認を求めた訴訟の第2回口頭弁論が17日、札幌地裁(高木勝己裁判長)であった。国と道は「原告の主張には、法制度上の根拠がない」と反論した。
 国、道側は弁論で、川でのサケ捕獲は水産資源保護法で原則禁止されていると説明。漁業法上の免許を持たない原告が漁をするには伝統儀式の継承などの目的に限って出されている道知事の許可が必要とし「原告が漁業権を持っていないことは明らか」と主張した。
 国連の先住民族権利宣言が、土地や資源に対する先住民族の権利を明記しているとの指摘には「宣言に法的拘束力はない」と反論。原告側の《1》アイヌ民族は江戸時代、集団(コタン)ごとに独占的にサケ漁をしていた《2》明治政府の北海道開発で、正当な理由なく規制された―といった主張については「争点との関連性が明らかでない」などとして認否をしなかった。
 弁論で意見陳述した原告の差間(さしま)正樹名誉会長(70)は「アイヌが自立して生活するため、川でのサケ漁を取り戻したい」と訴えた。
 訴状によると、浦幌十勝川流域のアイヌ民族が持っていた河口から4キロまでの漁業権は、各集団の子孫でつくる原告が引き継いだとしている。(角田悠馬)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/492849

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重要文化財を守る煙 旧下ヨイチ運上家で薫蒸作業 余市

2020-12-18 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/17 21:35
防虫のためいろりでまきを燃やし、建物内部をいぶす薫蒸作業=旧下ヨイチ運上家
防虫のためいろりでまきを燃やし、建物内部をいぶす薫蒸作業=旧下ヨイチ運上家
 【余市】国指定史跡で重要文化財の「旧下ヨイチ運上家」で、木に巣くう虫の害から建材を保護するための薫蒸作業が15日から行われている。3日間にわたって建物内部でまきを燃やし、煙でいぶす年末の恒例行事だ。
 「旧下ヨイチ運上家」は江戸時代、松前藩に運上金(上納金)を納める代わりにアイヌ民族との交易を請け負った商人が拠点とした建物。1853年(嘉永6年)に建てられた当時の図面を基に1980年に復元された。道内に残る数少ない近世建築で、梁(はり)や柱などの部材は当時のものを使っている。
 薫蒸作業は町教委の臨時職員が5人がかりで実施。いろりでまきを燃やし、炎が大きくなると延焼防止のため水をかける。534平方メートルの建物内部は煙がもうもうと立ちこめ、目とのどが痛くなる。このため2人ずつ約30分交代で行った。
 余市町教委の小川康和学芸員は「大変な作業だが、隅々まで煙が行き渡るので効果的」と話す。薫蒸作業を終えると内部のすすを拭き清め、新年を迎える。(川村史子)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/492855

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【アイヌと神々の謡】故郷の村が恋しくてひきこもる妻に、夫が贈ったものとは?

2020-12-18 | アイヌ民族関連
アイヌと神々の物語、アイヌと神々の謡
山と渓谷 2020年12月18日

※アイヌ語本文の次の行に、日本語訳を置いています(ただしアイヌ語本文と訳文とはその位置が必ずしも一致していません。訳すにあたって、日本語の言葉の流れをよくするため、3行から5行くらい先取り、あるいは後の行へ移した場合があります)。
アイヌ語研究の第一人者、故・萱野茂氏が、祖母や村のフチから聞き集めたアイヌと神々の13の謡(うた)を収録した『アイヌと神々の謡』。ヤマケイ文庫『アイヌと神々の物語』の対となる名著です。北海道の白老町に「ウポポイ(民族共生象徴空間)」もオープンし、アイヌについて関心が高まる今、本書からおすすめの話をご紹介していきます。第12回は村を恋しがる妻に夫が贈ったあるモノの謡です。
※最後に謡に関連したアニメーションを紹介しています(動画出典:公益財団法人アイヌ民族文化財団)。
大空に描いたコタン
アンナホーレホレホレ ア・コロ・コタン・ポ
 私のコタン(村)が
アンナホーレホレホレ アネシカルン
 見たくなり
アンナホーレホレホレ タンペ・クース
 そのために
アンナホーレホレホレ トゥ・イペ・ソモ・アーキ
 食事を取らず
アンナホーレホレホレ トゥスイ・チェ・クーニ・プ
 二回食う分
アンナホーレホレホレ レスイ・チェ・クーニ・プ
 三回食う分
アンナホーレホレホレ トゥカリ・ケーヘ
 その近くへ
アンナホーレホレホレ ア・ノテチューワ
 顎(あご)もやらない
アンナホーレホレホレ アナ・ナイネ
 そのうちに
アンナホーレホレホレ タネ・アナクネ
 今はもう
アンナホーレホレホレ ライ・クーニ・プ
 死んだ者と
アンナホーレホレホレ ア・ネ・キ・フーミ
 同じだと
アンナホーレホレホレ ウネクーナッ
 自分のことを
アンナホーレホレホレ ア・ラム・キーコロ
 思っていた
アンナホーレホレホレ アナナイネ
 そのような
アンナホーレホレホレ ア・コロ・ユーピ
 ある日のこと
アンナホーレホレホレ ソイェンパー・ワ
 私の兄が
アンナホーレホレホレ アフプ ・クーニ
 外へ出たが
アンナホーレホレホレ カスノ・イーサム
 帰る時を
アンナホーレホレホレ カスノ・イーサム
 過ぎても
アンナホーレホレホレ キ・ルウェ・ネ・アイネ
 帰らず
アンナホーレホレホレ アフプ ・アークス
 ようやくのこと帰ってきて
アンナホーレホレホレ エネ・イータキ
 いうことには
アンナホーレホレホレ ア・コロ・トゥレーシ
 妹よ
アンナホーレホレホレ ア・コロ・コタンーポ
 わたしたちのコタンを
アンナホーレホレホレ エ・エシカールン
 慕(した)うあまり
アンナホーレホレホレ タンペ・クース
 食べ物を
アンナホーレホレホレ トゥ・スイ・チェ・クーニプ
 食べもしないで
アンナホーレホレホレ レ・スイ・チェ・クーニプ
 いるうちに
アンナホーレホレホレ ソモ・エエーノ
 今はもう
アンナホーレホレホレ エ・アン・アイーネ
 死を待つばかり
アンナホーレホレホレ エ・ライ・ワ・ネーワ
 お前がこのまま
アンナホーレホレホレ ネワ・ネーヤッ
 死んだならば
アンナホーレホレホレ モシリ・エ・ウェンー・ペ
 国土のために
アンナホーレホレホレ コタン・エ・ウェンー・ペ
 コタンのために
アンナホーレホレホレ ネ・ルウー・ネ
 ならないことだ
アンナホーレホレホレ キ・ワ・クース
 それでわたしは
アンナホーレホレホレ ソイェネ・アーン・ワ
 外へ出て
アンナホーレホレホレ ア・コロ・コターン・ポ
 その昔に住んだコタン
アンナホーレホレホレ トゥ・ノカ・オローケ
 二つの情景
アンナホーレホレホレ レ・ノカ・オローケ
 三つの様子を
アンナホーレホレホレ ア・ヌイェー・ワ
 大空の表へ
アンナホーレホレホレ アフンナン・キーナ
 描いてきた
アンナホーレホレホレ ヘタッ・ソイェーンパ
 さあ早く外へ出て
アンナホーレホレホレ インカラ・キー・ヤン
 描いたものを
アンナホーレホレホレ セコロカイーペ
 見るがよい
アンナホーレホレホレ ア・コロ・ユーピ
 そのように
アンナホーレホレホレ エタイェ・カーネ
 私の兄が
アンナホーレホレホレ キワ・クース
 いったので
アンナホーレホレホレ ソイェンパー・アン
 外へ出るのも
アンナホーレホレホレ イキ・ヤナーイネ
 やっとの思いで
アンナホーレホレホレ レイェレイェーアン
 はうように
アンナホーレホレホレ シヌシヌー・アン
 膝をするように
アンナホーレホレホレ ソイェンパ・アーン・ワ
 外へ出て
アンナホーレホレホレ インカラ・アン・ワ
 いわれたとおり
アンナホーレホレホレ ネ・ワ・ネチーキ
 大空を見上げると
アンナホーレホレホレ ニシ・コトーッタ
 空の表へ
アンナホーレホレホレ ソンノ・ポーカ
 本当にも
アンナホーレホレホレ ア・コロ・コターヌ
 私たちのコタン
アンナホーレホレホレ ア・コロ・モーシリ
 私たちの国土
アンナホーレホレホレ トゥ・ノカ・オーロケ
 二つの姿
アンナホーレホレホレ レ・ノカ・オローケ
 三つの形
アンナホーレホレホレ ア・ヌイェ・キーワ
 描かれている
アンナホーレホレホレ シラーン・カートゥ
 その様子と
アンナホーレホレホレ エネ・オカー・ヒ
 いうものは
アンナホーレホレホレ シシリムーカ
 沙流(さる)川の流れ
アンナホーレホレホレ アラパ・ルーコ
 清らかに
アンナホーレホレホレ マッナターラ
 光りかがやき
アンナホーレホレホレ ケナシ・ソ・カータ
 川辺の平地に
アンナホーレホレホレ ノカン・ユッ・トーパ
 子ジカの群れと
アンナホーレホレホレ ルプネ・ユッ・トーパ
 親ジカの群れが
アンナホーレホレホレ チ・テッテレケー・レ
 群れ別に走り
アンナホーレホレホレ シシリムーカ
 沙流川の流れ
アンナホーレホレホレ ペトッナイー・タ
 流れの中は
アンナホーレホレホレ ノカン・チェープ・ルプ
 小形のサケや
アンナホーレホレホレ ルプネ・チェープ・ルプ
 大形のサケ
アンナホーレホレホレ チホユプ ・パーレ
 競ってさかのぼる
アンナホーレホレホレ カンナ・チェープ・ルプ
 水面のサケは
アンナホーレホレホレ スクシ・チーレ
 天日で背が焦げ
アンナホーレホレホレ ポクナ・チェープ ・ルプ
 川底を泳ぐサケ
アンナホーレホレホレ スマ・シール
 腹を擦(す)りむき
アンナホーレホレホレ チェプ ・コイキ・クーニプ
 サケを捕る者
アンナホーレホレホレ マレプ ・ウ・コ・エタイーパ
 鉤(かぎ)奪い合い
アンナホーレホレホレ ペッ・ケナシ・カータ
 川原の原野に
アンナホーレホレホレ ルプネ・ユッ・トーパ
 大ジカの群れ
アンナホーレホレホレ ノカン・ユッ・トーパ
 小ジカの群れ
アンナホーレホレホレ チ・テッテレケー・レ
 競い走り
アンナホーレホレホレ ユク・コイキ・クーニ・プ
 シカ捕る者
アンナホーレホレホレ オロ・チパスース
 後を追う
アンナホーレホレホレ トゥレプ ・タ・クーニプ
 ウバユリ掘る者
アンナホーレホレホレ ノカン・サラーニプ
 小さい袋を
アンナホーレホレホレ ウ・コ・エマーッパ
 嫌いやがって
アンナホーレホレホレ ルプネ・サラーニプ
 大きい袋を
アンナホーレホレホレ ウ・コ・エタイーパ
 奪い合い
アンナホーレホレホレ スス・ニ・ターイェ
 ヤナギ原は
アンナホーレホレホレ ホサ・ホチューパ
 川岸に生え
アンナホーレホレホレ ケネ・ニ・ターイェ
 ハンノキ原は
アンナホーレホレホレ ホ・マコチューパ
 山すそに生え
アンナホーレホレホレ スプ キ・サーリ
 野ガヤの原は
アンナホーレホレホレ ホサ・ホチュー・パ
 川原に広がり
アンナホーレホレホレ シ・キ・サーリ
 オニガヤの原は
アンナホーレホレホレ ホマコ・チューパ
 後の方に
アンナホーレホレホレ アンラマース
 その様子を見た私
アンナホーレホレホレ アウェ・スーイェ
 気分がすっかり
アンナホーレホレホレ キ・ルウェ・ネアイーネ
 さわやかになった
ア・シケトコ・ウシコサヌ
 そのとたんに目の先の絵が消えてしまった
オロワノ・ピリカノ・アナン・セコロ
 空の表の絵を見てから私は
 もとのように健康になりました
オキクルミ・マタキ・ハウェアン
 とオキクルミの妻が語りました
語り手 平取町荷負本村 木村うしもんか
(昭和36年10月29日採録)
解説
このカムイユカラ(神謡)を聞かせてくれた、木村うしもんかフチ(おばあさん)自身が解説してくれた言葉そのままを、ここへ記します。
「シケレペの向かいにオキクルミカムイが妹と二人で暮らしていたが、シケレペのコタン(村)が飢饉(ききん)になって、コタンの者が食う物がなくなった。オキクルミカムイは海へ行って魚を捕ったり、クジラを捕ったりして、それを煮て大きなお椀にいっぱい入れては妹に持たせ、一軒一軒に運ばせた。
戸から入らずに、窓から手だけ家の中へ伸ばし魚などを配り歩いているうちに、貧乏でばかな男が女の手を見て、どんな顔の人だろうと、お椀を取らずに手をつかまえた。それをオキクルミカムイが怒って、妹と一緒に神の国へ帰ってしまった。
二人は神の国へ帰ったが、オキクルミカムイの妹は暮らしていたアイヌのコタンが恋しくなり、病気になってしまった。困ったオキクルミカムイは、大空の表へ沙流川の様子を描き、妹に見せてもとのように元気になったということです」
シケレペという地名は、平取町荷負市街から一キロほど上流の所にあるコタンの名前です。
ユカラ(英雄叙事詩)とかカムイユカラに出てくる妻の表現は、マタキ(妹)という語を使うことがあります。したがって、アイヌ語をよく知らない人が、アイヌ社会では近親結婚の風習ありといい、物議をかもした例を聞いたことがあります。
ユカラやカムイユカラには、妻のことを妹と呼ぶことが多く、また夫を兄と呼ぶことをあらかじめ知っておいた方がよいでしょう。
万一にも兄妹で結婚するようなことがあったとしたら、ウコセタネ(互いに犬になった)といって大変に軽蔑されるので、絶対といってもいいほどそんな結婚話は聞いたことがありません。
本文に出てくる描写の、ヤナギは川の岸辺に、ハンノキは山のふもとになど、木の生え具合やカヤ原は他の作品にもよく出ています。
※本記事は『アイヌと神々の謡~カムイユカラと子守歌~』(山と溪谷社)からの抜粋です
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=1298

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アイヌ語学び役作り 舞台女優の堀さん25日から札幌で公演

2020-12-18 | アイヌ民族関連
苫小牧民報 2020/12/17配信
 札幌市の演劇集団カムイプロジェクト2020の主席女優、堀きよ美さん(50)=札幌市在住=が、白老町緑丘のアイヌ語講師、大須賀るえ子さん(80)の自宅を訪ね、アイヌ語を学んだ。25日に札幌市で開幕するアイヌ語演劇の舞台に出演するため、役作り…
この続き:709文字
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https://www.tomamin.co.jp/article/news/main/36668/

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