先住民族関連ニュース

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大先輩・宇梶剛士のサプライズ登場に震え上がるTEAM NACS…ゴールデンの裏側を大公開<ハナタレナックス>

2020-12-10 | アイヌ民族関連
ザ・テレビジョン 12/10(木) 0:05
12月9日に放送した、番組2度目となるゴールデン「ハナタレナックスSP ウポポイに隠された美しき宝を探せ!」。TEAM NACSがオフィシャルサポーターを務める、アイヌ文化の復興と発展の拠点として今年7月に北海道白老町に誕生した民族共生象徴空間「ウポポイ」を舞台に、施設内を駆け回りながら謎解きゲームに挑んだ。
12月10日(木)のレギュラー放送では、スペシャルの裏側や、惜しくもこぼれてしまった未公開シーンを放送。注目は、スペシャルに「謎の声」として登場したゲスト・宇梶剛士とナックス5人とのやり取りの舞台裏。
番組後半まで「謎の声」の正体をナックスには秘密にしていたため、まさか相手が俳優の大先輩とはつゆ知らず…「お前誰だ!!」と言いたい放題。その結果、宇梶がサプライズで登場したシーンでは、全員がおののいた表情を浮かべる事に。
ほか、番組中では紹介しきれなかった5人それぞれのアイヌ文化体験の様子も紹介する。
https://news.yahoo.co.jp/articles/be2b21afb26946936798c9e6cce58ba12f4d3a95

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恵庭の映像作家、山田さん アイヌ語を継承する父と娘の葛藤を描く 新作短編ドキュメンタリーを制作

2020-12-10 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/09 22:21 更新
 【恵庭】恵庭市在住の映像作家山田裕一郎さん(40)が、短編ドキュメンタリー動画「Happy Ainu」をネットで公開している。日高管内平取町二風谷出身のアイヌ民族で関東で暮らす女子大生と、和人で二風谷に住むアイヌ語講師の父の日常や親子の葛藤をカメラで追い、消滅の危機にあるアイヌ語への2人の思いや、親子のつながりを伝える。
 親子は慶応義塾大に通う関根摩耶さんと父の健司さん。健司さんは20年ほど前、旅行で訪れた二風谷でアイヌ民族の真紀さんと出会い結婚。摩耶さんが生まれた。健司さんはアイヌ語を習得し、地域の子どもたちにアイヌ語を教えている。摩耶さんは大学で文化人類学を学ぶ一方、アイヌ語やアイヌ文化の普及のため、日常会話や歌を動画撮影し、動画投稿サイト「YouTube」で紹介する活動をしている。
 アイヌ文化に関心があった山田さんは約5年前に二風谷で健司さんと出会い、今年の夏から秋にかけて二風谷と関東で2人を撮影。摩耶さんの帰省にも同行し、約10分間の作品にまとめた。
 作品には、こんな場面も登場する。帰省した摩耶さんを健司さんがしかる。「中途半端に真剣にやっているフリが一番腹立つ」。摩耶さんが、新しい動画を毎週投稿するという周囲への約束を守っていなかったためだ。反発した摩耶さんは父親と激しく言葉を応酬し合う。真紀さんは、そんな父娘について「似ている2人だからぶつかるの」と見守る―。
 山田さんは「アイヌ民族は、和人に虐げられてきた歴史の面から描かれることが多いが、自分なりの視点で描くことを意識した」と振り返る。
 恵庭出身の山田さんは、米国でドキュメンタリー制作を学んだ。2019年には、健司さんのアイヌ語伝承の活動を記録した「ラメトッコロヤン」(アイヌ語で「勇気を出して」)を制作し、日米の短編映画祭で上映された。山田さんは「北海道で生まれ育ったからこそ、今後もアイヌ民族や文化をテーマにした作品を作っていきたい」と話す。
 2作品の視聴は、Yahoo!JAPANクリエイターズプログラムhttps://yahoo.jp/1PmxzDiから。(大谷佳奈)
※「ラメトッコロヤン」の「ロ」は小さい字。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/490015

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【青森「地名」ケンミン性】「青々とした松に覆われた丘」が由来。弘前藩と盛岡藩の長年の対立の結果・・・《47都道府県「地名の謎」》

2020-12-10 | アイヌ民族関連
ベストタイムス 12/9(水) 12:00
日本の地名は世界でも稀に見るほどバリエーションが豊富。
 地名の由来を探ると、多様な地形、自然を愛でる表現性、ふるさとを思う民俗性など、この国の原点が見えてくる。
 読者のみなさんの故郷はどちらですか? 地名は・・・?
 日本人ならなぜか初対面でも話が弾む出身地・県民性・そして地名雑学‼️
 ようこそ! 地名の奥深い世界へ‼️
■「弘前」と「盛岡」の中庸
《青森県の由来》 青々とした松に覆われた丘
 かつて沿岸部には松に覆われた小高い丘があり、そこが古くから「青森」と呼ばれていたことに由来する。湊町としての「青森」が誕生したのは寛永2(1625)年のことで、弘前藩第2代藩主・津軽信枚(つがる・のぶひら)が整備したことに始まる。県名が成立した背景には、現在の青森県に領地をもっていた弘前藩と盛岡藩の長年の対立があり、この関係を少しでも緩和するため、あえて弘前ではなく盛岡に近い「青森」に県庁所在地を置いたとされる。
《地名の由来》
◉浅虫(あさむし):「麻蒸」が「浅虫」に
 かつてこの地で「麻を蒸した」ことに由来。伝承によると、里中に煮え返る温泉があり、ここで麻を蒸すことを「麻蒸」といったが、「蒸」という字が火災を連想させることから、近世になって「浅虫」に改称したとされる。
◉五所川原(ごしょがわら):新たにできた5つの村
 『平山日記』によれば、寛文年間(1661~73)、岩木川が屈折したことで5つの村ができたことに由来。また、南朝の長慶天皇ゆかりの社の御神体が流れ着いたことから、古くは「御所川原」だったともいわれる。
◉八甲田(はっこうだ):山々の姿から連想
 8つの山々の間に湿地が点在していることに由来。また、その姿が8本の指を立てているように見えたことから「八甲田」とも。『津軽一統志』によれば、古くは「糠壇(こうだん)の岳」と称され「八耕田山」とも書いた。
◉弘前(ひろさき):天海僧正が命名か
 『三才図絵』によると、古くは「広崎」と呼ばれた。その後、一帯は「高岡」と呼ばれるようになったが、2代藩主・津軽信枚が「弘前」と改名した。また、命名したのは、信枚が帰依していた天海僧正といわれている。
■恐山もアイヌ語だった?
北海道以外にも残るアイヌ語由来の地名
 日本三大霊場のひとつに数えられる「恐山」の地名は、「 宇う曾そ利り山やま」という別名が転訛したものだが、そもそも「うそり」とはアイヌ語の「ウソ・ル(入り江の内)」に由来する。 ほかにも「竜飛崎」は「タム・パ(刀の上端)」、「野辺地」は「ヌップペッ(野を流れる川)」など、アイヌ語からきた地名が残る。
(2020年一個人5月号から)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a3e81802be9c2816f4aa1bbd92685a79c8b8deca

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アイヌ民族の権利回復

2020-12-10 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/09 10:41
 アイヌ民族が先住民族としての権利を取り戻そうとする動きを強めている。昨秋は紋別市の紋別アイヌ協会の会長が道への許可申請をあえて出さずに儀式用サケを捕獲。今夏には十勝管内浦幌町のアイヌ民族団体「ラポロアイヌネイション」(旧浦幌アイヌ協会)が国と道を相手にサケ捕獲権の確認訴訟を起こした。国は昨年5月、法律で初めてアイヌを「先住民族」と明記したアイヌ施策推進法を施行し、今年7月にはアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」(胆振管内白老町)を開業させた。だが、アイヌの権利回復にはいまだ前向きとは言えない。アイヌ民族自身と先住民族政策に詳しい和人の専門家に現状や課題について聞いた。(報道センター 田鍋里奈)
■政策の背景、根拠説明を 北大アイヌ先住民研究センター長・加藤博文さん
 先住民族の権利回復に関する取り組みは、2007年に国連が先住民族権利宣言を採択して以降、世界各地で本格化しています。日本政府もこの宣言に賛成票を投じましたが、アイヌ民族は法律で初めて「先住民族」と位置付けられたばかりで、国内で権利回復が進むかは今後の取り組み次第です。
 国際的に共有されている認識では、先住民族は近代国家が形成される過程で多数者に一方的に取り込まれ、言語や文化を次の世代に受け継ぐことを阻害された「植民地経験」を有する少数者を指します。先住民族の権利回復とは、こうした過程で失ったものを取り戻す動きです。
 アイヌ民族は明治政府の同化政策で文化伝承を妨げられ大きな打撃を受けました。アイヌ民族が失ったのはまず言葉です。日常生活で使っていたアイヌ語が奪われました。文化伝統を学ぶ機会も失いました。アイヌ民族の子供がアイヌ語で学ぶ機会を確保することが大切です。
 さらにシカ猟やサケ漁が禁止されました。山や川、海などの資源を文化伝承や生業で自由に利用する権利も重要です。浦幌町のラポロアイヌネイションが起こしたサケ捕獲権の確認訴訟は生業面での権利回復を求めたものです。ロシアや米国は既に生業での漁業権を認めています。先住民族は生業でサケを捕獲でき、資源の持続的な管理にも携わっているので、漁獲量を決める交渉にも参加できます。日本も資源管理まで見据えた議論が必要になるでしょう。
 権利回復に向けた課題の一つは、国民の理解が進んでいないことです。政府はアイヌ施策推進法に基づき、アイヌ文化伝承や地域振興に資する事業を計画した市町村向けに交付金制度を創設しました。ただ、ネット上では交付金に対して「利権だ」という誤った批判が出ています。国はアイヌ政策の歴史的背景と根拠を説明すべきです。
 オーストラリアやカナダは政府が先住民族に謝罪しました。国の政策で言葉や文化を奪われた世代があり、文化伝承に断絶を生んだと認めました。日本は政府が過去の政策の誤りを明確に発信しないため、国民の理解が進まないのです。
 学校現場での取り組みも十分ではありません。教員にアイヌ民族についての知識を知ってもらい、子供たちに伝えてもらう必要があります。
 研究目的で収集された遺骨の返還もアイヌ民族が求める権利回復の一つです。多くの遺骨はウポポイの慰霊施設に集約され、一部は地域に返還されました。一方、樺太アイヌの遺骨など、まだ大学が保管しているものもあります。国と大学は丁寧に意向を聞き、望む形で返還すべきです。
 私が所属する北大も研究者が収集した遺骨を保管しています。北大はまだ謝罪していませんが、遺骨を収集した大学は過去の経緯を反省して謝罪し、主体的に返還に取り組む義務があります。謝罪が実現するよう他の教員と一緒に働きかけを続けていきます。
 北大キャンパスがある場所はかつて、アイヌ民族の生活の場がありました。こうした歴史は学内であまり知られていません。まずは授業などを通じ、学生や教職員にこの歴史を伝える取り組みを始めています。
■差別の歴史に理解必要 アイヌの権利をめざす会共同代表・貝澤耕一さん
 国はアイヌ施策推進法を制定し、文化伝承などを目的とした自治体向けの交付金もつくり、アイヌ施策が積極的に行われているように見えます。だが、法律はアイヌ民族の権利について何も触れていません。施策も表面的でまだまだ不十分です。
 回復が必要な権利は多岐にわたります。今、活発なのはサケ捕獲の権利回復の活動です。アイヌ民族は元々サケを自由に捕ってきたのに、入植してきた和人が一方的に禁じたのは、おかしいということが原点です。
 紋別アイヌ協会の畠山敏会長は昨秋、自由に捕獲する権利を求め、道への許可申請をあえて出さずに儀式用サケを捕獲し、書類送検されました(今年6月に不起訴)。浦幌町のラポロアイヌネイションは今夏、「自分たちは江戸時代からサケ漁をしてきた集落の子孫」として捕獲権の確認訴訟を起こしました。私も同様の思いで、アイヌや和人の有志と今年3月、「アイヌ(ひと)の権利をめざす会」をつくり、署名を集めています。
 研究者が収集したアイヌ民族の遺骨の返還も権利回復の一つです。大学が保管していた遺骨の大半はウポポイの慰霊施設に集約され、希望した地域への返還も進んでいます。懸念しているのは、この問題がある程度決着したかのようになっていることです。大学から謝罪はなく、経緯の説明もありません。いつまで責任を逃れるつもりでしょうか。国は各大学が謝罪するよう働きかけるべきです。
 ウポポイの国立アイヌ民族博物館には3回行きました。アイヌ民族を主語にして歴史や文化を紹介していますが、和人に一方的に多くのルールを押しつけられ、抑圧や差別で苦しんだ歴史の表記は不十分だと感じます。アイヌの権利を考える際、和人と交流する中で生じてきた歴史的な流れを知ることが必要です。国民に理解してもらうため、歴史的事実をもっとわかりやすく記載してほしいです。
 私は故萱野茂さん(アイヌ民族初の国会議員)と1993年、日高管内平取町の二風谷ダム建設は民族の聖地を奪うとして土地収用裁決の取り消しを求めて札幌地裁に提訴しました。97年の判決は土地収用裁決取り消しはダムが完成しているとして棄却しましたが、司法の場で初めてアイヌを先住民族と認め国と道がアイヌ民族の文化享有権を軽視していると指摘しました。
 この判決を受け、アイヌ民族の権利回復運動が加速すると期待しましたが、大きなうねりにはなりませんでした。難しさの一つに、取り組む人の経済基盤がしっかりしていないと継続できないことがあります。日々の生活が苦しくては、長い時間がかかる権利回復の取り組みには目が向きません。個々人の生活に無理のない範囲で息長く続けられる運動を見いだしていくことが大切だと感じています。
 平取町と平取アイヌ協会は2012年、「21世紀・アイヌ文化伝承の森プロジェクト」を設立し、植樹や森林保全を行っています。アイヌ民族が伝統の森づくりの権利を回復し、将来は自由に資源を利用ができるようになればと思っています。権利回復はアイヌ民族だけが取り組むべき問題ではありません。和人も歴史的事実を知って一緒に考え、こうした取り組みが各地で広がることを願っています。
<ことば>先住民族の権利に関する国連宣言 前文と本文46条で構成される。2007年9月の国連総会で日本を含む144カ国の賛成多数で採択された。
■前文(抜粋)
・先住民族は植民地化され、土地、領土、資源を収奪された結果、歴史的な不正義に苦しみ、自ら発展する権利を妨げられてきた。
・この宣言によって先住民族の権利を承認することは、正義と民主主義、人権尊重、非差別、信義誠実の原則に基づく国家と先住民族の調和的、協調的な関係を向上させると確信する。
■本文でうたう先住民族の主な権利
▽民族自決権・自治権▽国政参加権▽同化を強制されない権利▽文化的伝統と慣習を実践する権利▽宗教的伝統を実践し、祭具や遺骨の返還してもらう権利▽歴史、言語、口承伝承を未来の世代に伝達する権利▽独自の言語で教育を提供する権利▽立法、行政との協議権▽経済的、社会的条件を改善してもらう権利▽収奪された土地、領域、資源の回復と補償を受ける権利
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/489830

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ウポポイだより 荒田このみさん

2020-12-10 | アイヌ民族関連
NHK 12月08日 19時57分
ことし7月、白老町にオープンした民族共生象徴空間「ウポポイ」。新たにスタートするコーナー「ウポポイだより」では、アイヌ文化の発信に携わる人たちの思いを伝えます。1回目は、アイヌ語を子どもたちに身近に感じてもらおうと奮闘する荒田このみさんです。
荒田さんが担当するのは、アイヌ語プログラムです。
週末にはウポポイを訪れた子どもたちに、ビンゴを通じてアイヌ語で数字や動物の名前を教えています。
「小さな子どもたちが楽しく、どれくらい集中して受けてもらえるか。自分たちが楽しめば、子どもも大人も楽しんでもらえるのでは」とねらいを明かしてくれました。
アイヌにルーツがある荒田さんは、3人の子どもに家庭でアイヌ語の単語を話してみると、みるみるうちに覚えていったといいます。
「すごいなと思う。3歳の娘は文字も書けないし、文字を見ても分からないんですけど耳で聴いて覚えられた。毎日繰り返すことで、子どもたちは当たり前になってしまうんですね」と話しています。
長男の幸太郎くんはアイヌ語教室にも通い始め、歌にも挑戦していて、「パプリカ」のアイヌ語バージョンも堂々と披露していました。
荒田さんは家庭での経験をウポポイの取り組みに生かしています。
うさぎのイラストを見せながら「アイヌ語で“イセポ”といいます」と参加者に教えるのも、その1つです。
ことばを音で覚えてもらうため、なるべく文字は使いません。
参加した子どもたちは「アイヌ語が好きになりました。もっと調べて、もう一回来たいと思いました」と笑顔で話してくれました。
アイヌ語を次の世代にも残したいとウポポイから発信を続ける荒田さんは、「自分のルーツでもある言葉ですが、私は知らないで育った。やはりアイヌ自身がアイヌ語を伝えていかないといけない。ウポポイに来たら、アイヌ語が学べるんだということを少しでも知ってもらって、訪れた人たちにアイヌ語に触れてほしい」と話していました。
https://www3.nhk.or.jp/sapporo-news/20201208/7000027831.html?fbclid=IwAR2cJdgw8YoP3siSrF0rqqBrPuitn51Xo7yPUeJon6o24ogYRx836CPcF6w

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