ナショナルジオグラフィック 2025年1月28日
米国は冷戦時代をピークに100年以上にわたり繰り返しグリーンランドに食指を動かしてきた。狙いは豊富な地下資源と、その戦略的な位置だ。しかし、グリーンランドの指導者たちはこうした野心を常に拒んできた。なぜこれほどまでにグリーンランドは狙われるのか、領土購入の試みや軍事基地を巡る交渉の歴史からひも解いていこう。
米国がグリーンランドに初めて関心を持ったのはいつ?
米国が世界最大の島であるグリーンランドに関心を持ち始めたのは19世紀の後半。1867年に720万ドルでロシアからアラスカを購入した当時の国務長官ウィリアム・H・スワードが、領土拡大のための次の候補として関心を寄せたのがグリーンランドとアイスランドだった。
スワードが1868年に作らせた報告書はグリーンランドの購入目的として、広大な漁場、野生動物、そして豊富な鉱山資源を挙げている。報告書はまた、グリーンランドを購入すればアラスカとグリーンランドの間に位置するカナダも米国の一部にならざるを得なくなるだろうと指摘している。スワードはカナダの獲得も視野に入れていたからだ。
しかし、グリーンランドは単なる無人の氷山などではない。れっきとしたデンマークの自治領であり、何世紀もの間、イヌイットをはじめとする先住民族が暮らしてきた島だ。先住民たちは北極圏の厳しい自然環境を生き抜き、漁業や狩猟、土地への結びつきを中心とした伝統を育んできた。
こうした事実に米国はほぼ目を向けることなく、もっぱらグリーンランドの戦略的な重要性と天然資源に注目していた。こうした米国の姿勢はその後何十年も続く。
「要するに米国の関心事は戦略的な位置と鉱山資源の2点に尽きるのです。それは今も変わっていません」と、デンマークの首都コペンハーゲンを拠点に活動するジャーナリストで、『Fury and Ice: Greenland, the United States and Germany in World War II(激情と氷:第二次世界大戦におけるグリーンランドと米国とドイツ)』の著者であるピーター・ハルムセン氏は言う。
スワードのグリーンランド購入の試みは失敗に終わったが、米国の野心が消えることはなかった。1910年、当時の駐デンマーク米国大使だったモーリス・イーガンは、複雑な領土交換を提案する。
それは、米国が植民地支配していたフィリピンのミンダナオ島やパラワン島などを、デンマークの植民地だったグリーンランドおよびデンマーク領西インド諸島と交換し、デンマークはそれらのフィリピンの土地を、当時ドイツに割譲されていた北シュレースビヒ地方と交換すればいいというものだった。しかし、この案も実現には至らなかった。
戦時にグリーンランドが果たした役割
第二次世界大戦中、グリーンランドの重要性に注目が集まった。1940年にドイツがデンマークを占領すると、米国は南北米大陸を含む西半球にヨーロッパ諸国が勢力を拡大しないようけん制するモンロー主義に基づき、グリーンランドの確保に動いた。
1941年4月、米国は駐米デンマーク大使と「グリーンランドの防衛に関する合意」に署名する。この合意によって米国はグリーンランドに軍事基地を置き、利用する権利を得た。グリーンランドのクリオライト鉱床は、航空機の製造に欠かせない重要な資源となった。グリーンランドの気象観測所も、連合国にとってヨーロッパの天候を予測する上で必要不可欠となった。
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1945年5月にナチス・ドイツが無条件降伏すると、デンマークは米軍がグリーンランドを去ることを期待したが、米軍は基地の維持を望んだ。
「米国の安全保障上、グリーンランドに留まることが必要だと考えたのです」と、米国の元外交官で、今は米シンクタンク、ジャーマン・マーシャル財団のシニア・フェローであるブレント・ハート氏は言う。
戦後もグリーンランド購入を試みる
第二次世界大戦が終わると、米国の関心はソ連という新たな潜在的な脅威に向かう。そして、冷戦が激化する中、軍上層部は米国とソ連の中間点に位置するグリーンランドの重要性を理解した。
米国メイン州選出の上院議員だったオーエン・ブルースターは、グリーランドの購入は「軍事上の必要事項」だと述べた。軍事目的以外にもグリーンランドは探検や研究の機会にあふれていた。
1946年、国務省の官僚だったジョン・ヒッカーソンは、軍首脳部がグリーランドを「米国の安全保障上、必要不可欠であると見ている」と報告した。
その年、米国は秘密裏にデンマークに対し、グリーンランドを1億ドル相当の金(きん)で購入することを提案したと、のちにAP通信が報道している。またアラスカ州のバロー岬の石油資源が豊富な土地と、グリーンランドの一部を交換することも提案している。
「米国は西ヨーロッパ諸国に対し、自分たちが卓越した価値観を支え、独立と自治を重んじる建設的な民主主義国だというイメージを作り上げようともしていたのだと思います」と、米フロリダ州立大学の准教授で『Exploring Greenland: Cold War Science and Technology on Ice(グリーンランド探究:冷戦の科学と氷上の技術)』の編者の1人である歴史家のロナルド・ドエル氏は言う。
しかし米国の提案にデンマーク政府は衝撃を受けたと、ハート氏は言う。「米国には大きな借りがあるが、グリーンランドを譲らなければならないほどだとは思わない」と、デンマークの時の外務大臣グスタフ・ラスムセンは言っている。
今も続くグリーンランドへの関心
1951年、米国とデンマークが新たな合意を結んだことで、米国は1949年に設立された北大西洋条約機構(NATO)が適当と判断した基地を開設、運営し続けることが可能になった。この取り決めによって、冷戦下にはグリーンランドの大西洋防衛における戦略的な役割が強化された。
米国が第二次世界大戦後にグリーランドの購入を試みていたことが記された公文書は、1970年代に機密が解除された。しかし1991年にデンマークの新聞社が報道するまで、グリーンランドの主権と米国の野望を巡る論争に再び火がつくことはなかった。
今日、北極圏の温暖化が進むなか、新たな海上輸送ルートが浮上し、新たな資源開発が可能になったことで、グリーンランドの重要性はますます増している。しかし「グリーランドは売り物ではない」というデンマークとグリーンランドの意思は固い。
「グリーンランドはグリーンランドの人々のものです」と、グリーンランドのムテ・エーエデ自治政府首相はSNSに投稿した。「グリーンランドの未来と独立は自分たちで守ります」