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日高連合会が意見書「理解欠く」 道見道議のアイヌ民族発言

2020-12-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/23 05:00
 自民党・道民会議の道見泰憲道議(札幌市北区)がアイヌ民族を「甘やかしている」と発言したことに対し、日高管内のアイヌ協会でつくる日高地区アイヌ協会連合会が「歴史に理解を欠く」などとする意見書を道見氏に提出した。同管内平取町のアイヌ民族の男性も鈴木直道知事に正確な情報発信を求める文書を送付。北海道アイヌ協会(札幌)も対応を協議している。
 同連合会によると、意見書は13日付で道見氏の事務所に郵送。「国や道の政策によって多くのものを失わされてきた歴史」があると指摘し、現在のアイヌ民族政策の目的は「歴史的な経緯で生まれた格差をなくすこと」と説明している。連合会の菊地修二会長は「発言は残念。道議には歴史を知ってもらい、良き理解者となってほしい」と話す。
 鈴木知事に12日付の文書を送ったのは「平取アイヌ遺骨を考える会」共同代表の木村二三夫さん(71)。明治時代以降の国の政策で「アイヌは人為的に貧困にさせられた」とし、その経緯について「国民(道民)に明らかに」と訴えた。
 北海道アイヌ協会は、道議会などに歴史を正しく理解するよう申し入れることを検討しているという。
 道見氏は11月24日の道議会環境生活委員会でアイヌ民族政策に関し「アイヌの人々を甘やかしているのは、国であり、道であり、アイヌの人々自身ではないか」と発言。その後、「甘やかしている」の文言を「過保護にしている」と訂正した。(田鍋里奈)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/494681

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白蛇姫舞保存会に特別賞 道地域文化選奨 鹿追で活動半世紀

2020-12-23 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/22 21:09
 【鹿追】町の郷土芸能「白蛇姫舞(はくじゃひめまい)」の伝承活動に取り組む鹿追町白蛇姫舞保存会(野村和夫会長)が、本年度の北海道地域文化選奨特別賞を受賞した。半世紀近く地域に根ざした活動が評価され、関係者を喜ばせている。
 白蛇姫舞は、1972年に町商工会青年部が手製のヘビ人形で「白蛇姫祭り」を開いたのが始まり。73年に保存会が設立され、町内の20~50代の35人が中心となり伝承に努めている。
 恒例の白蛇姫まつりや、しかおい秋まつりで、「白蛇と女神のお告げで人々が湖のオショロコマで飢えをしのいだ」とのアイヌ民族の伝説を神秘的に演じ、町内外から多くの人が見学に訪れる。
 同賞は道が93年度に創設。地域に根ざした文化活動や文化支援活動を行っている個人や団体に贈られる。鹿追の団体が選ばれるのは初めて。「白蛇を手作りし、文化・観光資源として活動しているほか、町内の小中学生などの担い手育成にも積極的」と評価された。
 保存会の岡本紘一事務局長は「地域に貢献していると評価され、身に余る光栄。新型コロナウイルスの影響で今年は両まつりが中止となり活動ができなかったが、来年以降の励みにしたい」と喜んだ。(伊藤圭三)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/494638

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むしろ遅すぎた?インディアンス名称変更の判断

2020-12-23 | 先住民族関連
J SPORTS 2020/12/22 17:00
MLBクリーブランド球団が、1915年から使用しているそのニックネーム「インディアンス」を捨て去るという。これを「時代の流れ、仕方ない」と取るか「遅かった、なぜ今までできなかったのか」と捉えるべきか。
12月14日、ポール・ドーラン球団オーナーが発表した。「この名称はもう受け入れられるものではない」。
ニックネームの変更はもちろん前例がある。ニューヨーク・ヤンキースは1912年まではハイランダーズ(さらにその前は、ボルティモアに本拠地を置きオリオールズと名乗っていた)だったし、ヒューストン・アストロズは1962年に誕生した当初はコルト45s(コルトフォーティファイブス)だった。タンパベイ・レイズは1998年の創立以降2007年までデビルレイズだったことは比較的記憶に新しい。
クリーブランドの新ニックネームとしては、ファンの間からは以前の名称である「ナップス」(同球団のスーパースターであるナポレオン・ラジョイに因んでいた)や、19世紀にクリーブランドに存在した「スパイダーズ」(1899年に20勝134敗、勝率.130という凄まじい記録を残して解散している)を推す声も挙がっているが、球団側は「性急な判断は避けたい」とのことで、2021年シーズンは現状のまま戦うようだ。確かにニックネーム変更は、球場その他施設のサイネージュやユニフォームだけなく、販売グッズやソフトウエアに至るまでに大規模な変更作業を伴う。
もともとこの球団名には議論があり、一般的な白人層の先住民族への固定観念を誇張して描いたペットマークの「ワフー酋長」も昨年から使用されていない。
もちろん、この段階での変更発表の背景にはBlack Lives Matter(黒人の命を軽視するな)運動がある。今年5月のミネソタ州での白人警察官による黒人のジョージ・フロイド氏殺害をきっかけに、全米に蓄積する黒人差別への反感が一気に爆発したのだ。それにより、黒人だけでなく先住民族を含むマイノリティへの差別と彼らの人権が、一層大きな社会問題となった。
7月には、NFLのワシントン・レッドスキンズが球団名を変更することを発表。MLBクリーブランド球団とは異なり、新しいニックネームが正式に決まるまで「ワシントン・フットボールチーム」として戦っている。ちなみにレッドスキン(赤い肌)とは白人から見た先住民族の生物学的特徴だ。それこそ1953年のディズニーアニメ映画「ピーターパン」も、先住民族を赤い肌で羽飾りをまとい独特の踊りをする民族としてステレオタイプに描いている(その後、ディズニーはこれを不適切として謝罪している)。
インディアンスというニックネームは、前述のスパイダーズに在籍した先住民族選手に由来すると言われているが、前提として先住民族を勇猛果敢の象徴として捉える意識があり、ある意味戦う集団である野球チームにマッチするとして採用された側面は否定できないだろう。
しかし、先住民族をそう解釈すること自体が偏見であり、勇猛果敢の背後に「野蛮」のニュアンスも見て取れる。
前回の東京五輪の前年に生まれたぼくの場合、少年時代のアメリカ映画の代表的なカテゴリーのひとつが西部劇だった。しかし、それらはとうに映画ビジネスの表舞台からは消え去った。その主要な理由のひとつが、先住民族を派手な羽飾りと振り回す斧、「アワワワ」という意味不明な鬨の声に象徴される好戦的な悪役として描き出していたことだ。
そう考えると、西部劇がこの40〜50年前に一気に衰退したというのに、2020年までインディアンスという名称がナショナルパスタイム(国民的娯楽)であるMLBで平然と使用されていたことはある種の驚きでもある。
ESPNのジェフ・パッサン記者の記事によると、1970年代には全米の大学の運動部には少なくとも15の「インディアンス」が存在したようだ。アメリカでは日本とは異なり、大学の運動部は野球部であれフットボール部であれ同じニックネームを有する。USC(南カリフォルニア大学)はトロージャンズで、UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)はブルーインズといった按配だ。
そして、スタンフォード大学やダートマス大学などの超名門校も運動部のニックネームとしてはインディアンスを採用していた。しかし、彼らは半世紀近くも前にそれを捨て去っている。アカデミックであるべき大学が、そもそも人種的偏見に満ちたニックネームを採用していること自体が彼らの理念と相反するからだ。
それらの事実を踏まえると、今回のMLBインディアンスの決断はむしろ遅すぎたというべきだろう。
人はだれしも、親しんだものが変わっていくことに抵抗を示すものだ。おそらく、クリーブランドの多くのファンがこの決断に大反対だろう。しかし、これで同球団が消滅するわけでも、その歴史が否定されるわけでもない。「火の玉投手」ボブ・フェラー(1962年殿堂入り)を輩出したことも、1990年代にジム・トーミやマニー・ラミレスらを擁し黄金時代を迎え、455試合連続でチケット完売となったことも語り継がれていくのだ。
今回のインディアンスの決断を踏まえた上で、同じく先住民族を念頭に置いたニックネームのアトランタ・ブレーブスは「名称変更はしない」とコメントしている。しかし、同球団への応援で定番の「トマホークチョップ」(ブレーブスのチャンスで、場内に流れる「インディアン」の襲来を思わせる音楽に乗って、観客が斧を振りかざすような連続アクションを取ること)は、来季予定通り観客を入れての開催が可能になるなら、その正当性が議論の対象になるだろうし、そうあるべきだ。文:豊浦彰太郎
https://news.goo.ne.jp/article/jsports/sports/jsports-2019031021966001.html

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20歳で中学に…アイヌ解放に尽力の宇梶静江さん語る学生時代

2020-12-22 | アイヌ民族関連
女性自身 2020/12/21 11:00

20歳で中学に…アイヌ解放に尽力の宇梶静江さん語る学生時代(女性自身)
「最近はね、体悪くしたこともあって、刺繍はぜんぜんやれてなかった。早くまた毎日、刺繍ができるまでに、体調を戻したいなと、そう思ってるところなの」
彼女はこう言って苦笑いを浮かべた。「最近はやってないから」と言いながら、それでもじつに手際よく、次々と布に針を刺し糸を通していく。そのスピードと、美しさに記者が見とれていると、彼女はもう一度、にっこりとほほ笑んでみせた。
彼女は宇梶静江さん(87)。明治期の北海道が舞台の人気アニメ『ゴールデンカムイ』。ヒロインのアイヌの少女「アシリパ」(リは小文字)が、さまざまなアイヌ文化を紹介するのがヒットの一因だ。そして、北海道生まれの静江さんも、アシリパと同じように民族の文化や伝統を大切にしてきた、アイヌである。
静江さんは古い布の上に、民族に伝わる叙事詩『ユーカラ』のいくつものシーンを、伝統的な刺繍の技法で描く「古布絵」の作家として、また詩人として、国内外に名をはせている。一方で長年、アイヌの解放運動にもたずさわってきた。
長年、不当な差別に苦しめられてきたアイヌの人々。静江さんも子供時代を振り返りながら、苦々しい表情を浮かべた。
「あのころ、差別という言葉がない時代の差別ほど、恐ろしいものはなかった」
それが昨年、「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律(アイヌ新法)」が施行され、日本政府はようやく正式に、アイヌをこの国の先住民族として認めた。今年の夏には北海道白老町に、博物館や慰霊施設などからなる「ウポポイ(民族共生象徴空間)」も開業。先述のアニメの人気も含め、多くの人がアイヌに注目し、彼女らを取り巻く環境も変化してきているようにも思えるのだが。
ウポポイについて記者が尋ねると、静江さんは刺繍の手を止め、大きなため息を一つついた。
「中身はなにもないです。あれは、アイヌのための空間ではない。和人の理想の、和人が作った和人のための施設だと思います」
政府やアイヌ以外の人を「和人」と呼んだ。そこに長年、差別や偏見と闘ってきた彼女の怒りと悲しみが、にじみ出ているようだった。
「(子供の頃、)犬を飼ってる家の前を通ったら、そこの子が犬を私にけしかける。ほえる犬が足元まで来て、私がおびえると、その子の親は止めることもなく笑って見てる……そんないじめは日常茶飯事でしたよ。小学校では、先生からアイヌの子には目をかけなくてもよろしい、というおふれがあったようですね。だから、どんなにいじめられていても、放っておかれました。先生に認められるなんてことは、夢にも思えなかった」
父は昆布漁、木材の伐採などで家族を養っていたが、戦争が長引き食糧難になって「子供にひもじい思いをさせまい」と農業に転向。6人きょうだいの上から3番目、次女の静江さんが10歳のときだ。しかし、当初は凶作が続き、家はますます貧しくなった。そうした貧しいアイヌの子は、農作業や奉公に出て働くのが当たり前、学業は二の次だった。
だから、静江さんの10代は、ひたすら父を手伝い必死に田畑を耕し続ける日々だった。魚の行商で成功したこともあったが、心の片隅にはいつも「勉強したい」という思いがくすぶっていた。
19歳の秋。親戚が集まったいろり端でのこと。「静江も来年は二十歳、嫁に行かなきゃな」と不意に言われ、とっさに彼女は「嫁には行かない!」と宣言する。
母は泣き出したが、父が助け舟を出してくれた。
「将来、子育てする女が学校に行くのも、決して悪いことじゃない」
家長の発言に、兄が続いた。
「静江、行くなら札幌にしろ。それで学校の先生になってくれ」
札幌の中学校では、いじめや差別は一切なかったというが、アイヌということがネックになって就職は困難だった。こうなったらもう、東京に行くしかない。そう決心し両親を説得。頑固な父も最後は根負けした。それどころか、どこからか工面してきた2万円という大金を、餞別として汽車に乗る娘にもたせてくれた。こうして静江さんは56年3月、大都会・東京に。23歳だった。
その後結婚し、詩人として、そしてアイヌの誇りを持った古布絵作家として活動を続けていく静江さん。87歳になった今も、夢がある。それは、アイヌらしい暮らしぶりを知る最後の世代として、次の世代の同胞たちに民族の誇りを持ってもらうこと。そのため、いまもコロナ禍のなか、精力的に全国を回っているーー。
「女性自身」2020年12月29日号 掲載
https://news.goo.ne.jp/article/jisin/nation/jisin-https_jisin.jp_p_1928509.html

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“アイヌ”告白は生死かけた決意…宇梶静江語る解放運動の覚悟

2020-12-22 | アイヌ民族関連
女性自身 2020/12/21 11:00

“アイヌ”告白は生死かけた決意…宇梶静江語る解放運動の覚悟
(女性自身)
宇梶静江さん(87)は、詩人で、アイヌの解放運動の先駆者であり、俳優・宇梶剛士さん(58)の母でもある。
生まれ育った北海道浦河郡では、道を歩けばはやしたてられ犬をけしかけられ、まともに学校にも行けなかった。23歳で東京に出て、アイヌ開放活動を始めてから四半世紀の間、手ごたえを得られずに苦悩していたとき、目の前に現れた「古布絵」。それは天啓だったーー。
上京後は、喫茶店のウエートレスをしながら、定時制高校に通った宇梶さん。青春を謳歌しながら、どこかでこんなふうに考えていた。
「もう、アイヌのことなんて忘れてしまおう」
一目で同胞とわかる人とすれ違うことが何度もあった。でも、互いに目をそらすのが常だった。そして、差別のなかった夫と結婚。子宝にも恵まれる。
平穏に暮らしながら、でも、静江さんのなかで「何かが違う」という違和感が募っていた。その後、「浦川恵麻」のペンネームで詩を書き始めた。
「でも、内心では忸怩たる思いもあって結局ね、アイヌの詩を書けないわけ。アイヌを表現したいのに、『アイヌだ!』と言われてしまうのが怖くて書けない。そんな自分が許せなかった」
35歳になったある日、静江さんは激しい頭痛とめまいに襲われる。病院へ駆け込むと、脳炎の一種「眠り病」と診断された。働きすぎや過度のストレスが原因とされる大病だ。検査を受けながら、生まれて初めて、死を意識していた。
「やっぱり死んだら、先に逝ってしまった母ちゃんや姉ちゃんのもとにいきたかった。そのためにはアイヌらしい自然な形で死を迎えたい、そう思ったんだ」
東京で暮らしながら、ずっと抱え込んできた違和感が、いよいよ臨界点に達しようとしていた。
〈ウタリたちよ、手をつなごう〉
72年2月8日、朝日新聞の家庭欄には、こんなタイトルの投稿が掲載された。「ウタリ」とはアイヌの言葉で、同胞、仲間の意味だ。その内容は、まず自らがアイヌだという告白に始まり、アイヌがさまざまな差別に苦しんできたこと、さらに首都圏に暮らす同胞に向けて、ともに語り合う場を持とうと呼びかけるものだった。そう、静江さんはついに「私はアイヌです!」と声を上げたのだ。
「生きるか死ぬかという思い、それぐらいつらい公表だったよ」
反響は大きかった。「私もいわれなき差別を受けてきました」「勇気ある発言に驚きました」と、多くの便りが寄せられた。しかしほとんど、和人からのもの。同胞の反応は冷ややかだった。
「せっかくアイヌであることを隠し平穏に暮らしてきたのに、なぜ寝た子を起こすようなまねを!」。なかには「自分だけいい格好して、いったい何さまのつもりだ!」と怒鳴られることも。
それでも、静江さんは諦めなかった。「このままではアイヌは前に進めない」と、果敢に動き続けた。 73年には「東京ウタリ会」を設立し、アイヌの権利獲得のための活動を始めた。連日、都議会に出向くなどした結果、75年、東京都で初のアイヌ実態調査が行われた。さらに都に掛け合い、職業安定所にアイヌのための職業相談員を置くことを認めてもらった。自らが相談員になって、あちこちの会社に求人の有無を聞いて歩いた。
新聞へ投稿した38歳から還暦を過ぎるまでのおよそ四半世紀。成果は乏しく、彼女は悩み続けていた。95年の暮れ。静江さんは「もっとアイヌの文化を深く知らなくては」と、つてを頼って札幌へ。
「あれは4月、札幌のデパートで催されたボロ布、古布の展示会を見に行って。幼いころ、よくボロ布を繕って着たりしてたから懐かしくてね。でもそこで、雷に打たれるような衝撃を受けたんです。『え、布で絵が描けるの!?』って。描きたくても紙も鉛筆もなくて地面に棒で描いていた子供時代を思い出してね。瞬間的に、幼いころから探し求めていたものが見つかったとわかったんです」
すぐに作品制作に没頭した。真っ先に描いたのは、アイヌの村の守り神、見開いた真っ赤な目が特徴的なシマフクロウ。赤い目に「アイヌはここにいるよ、見えますか?」という思いを込めたのだった。
以降、作品の展示と併せて「アイヌに生まれて」と題した講演活動も行ってきた。
「63歳にしてカムイが古布絵に導いてくれた。本当に感謝です」
「女性自身」2020年12月29日号 掲載
https://news.goo.ne.jp/article/jisin/nation/jisin-https_jisin.jp_p_1928542.html

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アイヌ文化 次世代へ 北海道白老町の田村さん ルーツ受け入れ継承活動

2020-12-22 | アイヌ民族関連
沖縄タイムス 2020年12月22日 05:00有料
 古くからアイヌ民族が住む北海道白老町でコミュニティーカフェ「ミナパ チセ」を営む田村直美さん(49)は、一度は距離を置いた民族のルーツを受け入れ、店を拠点にアイヌ文化を広めて次世代につなぐ活動をしている。学校でいじめを受けた経験から、障害者など全ての人に優しさあふれる居場所を提供する。
この記事は有料会員限定です。
有料プランに登録すると、続きをお読み頂けます。
https://www.okinawatimes.co.jp/articles/-/682131

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「ゴールデンカムイ」樺太編クライマックス!かつての仲間が激突するときアシリパは…最終話先行カット

2020-12-22 | アイヌ民族関連
アニメ!アニメ!2020/12/21 18:15

「ゴールデンカムイ」樺太編クライマックス!かつての仲間が激突するときアシリパは…最終話先行カット(アニメ!アニメ!)
TVアニメ『ゴールデンカムイ』(第3期)より、2020年12月21日(月)放送の第36話(最終回)「生きる」のあらすじと先行カットが公開された。
『ゴールデンカムイ』の原作は、「マンガ大賞2016」「第22回手塚治虫文化賞 マンガ大賞」などをこれまでに受賞した、野田サトルによる“冒険・歴史・文化・狩猟グルメ・GAG&LOVE、和風闇鍋ウエスタン”コミック。シリーズ累計発行部数は1,500万部を突破している。
TVアニメ第3期では、網走監獄で繰り広げられた激しい攻防戦の末に、離れ離れになってしまった“不死身の杉元”こと杉元佐一とアイヌの少女・アシ(リ)パ、そして両名と旅を共にする谷垣源次郎、鯉登少尉、白石由竹、尾形百之助、キロランケらが、北海道よりさらに北に位置する極寒の地・樺太で繰り広げる新たな生存競争サバイバル「樺太編」が展開される。
第36話(最終回)では、月島と鯉登が負傷した谷垣に変わってキロランケを追うが、キロランケの仕掛けた爆弾によって月島が重傷を負ってしまう。戦いは鯉登とキロランケによる一騎打ちの様相を呈し、キロランケは致命傷を負わされながらも鯉登を追い詰めていく。
だが、谷垣と月島の援護で鯉登は窮地を脱し、キロランケの自爆攻撃も間一髪で阻止することに成功。谷垣が一気にとどめを刺そうとしたとき、杉元たちと共に駆けつけたアシリパがそれを止めに入る……。
TVアニメ『ゴールデンカムイ』(第3期)第36話「生きる」は、2020年12月21日(月)23時よりTOKYO MX、読売テレビ、札幌テレビ、BS11ほかにて放送。
●第3期 放送・配信
・TOKYO MX:10月5日より毎週月曜23:00〜
・読売テレビ:10月5日より毎週月曜25:59〜
・札幌テレビ:10月5日より毎週月曜25:44〜
・BS11:10月5日より毎週月曜23:00〜
・時代劇専門チャンネル:10月10日より毎週土曜25:00〜
・FOD:10月5日より毎週月曜23:00配信
・TVer:毎週月曜23:30〜1週間見逃し配信
●スタッフ
原作:野田サトル(集英社「週刊ヤングジャンプ」連載)
監督:難波日登志
シリーズ構成:高木登
キャラクターデザイン:大貫健一
プロップ設定:渡辺浩二
動物設定:廣江啓輔
美術監督:森川篤
美術設定:大久保知江
色彩設計:茂木孝浩
撮影監督:長田雄一郎
CGディレクター:宍戸光太郎
編集:定松剛
音響監督:明田川仁
音響制作:マジックカプセル
アイヌ語監修:中川裕
ロシア語監修:Eugenio Uzhinin
音楽:末廣健一郎
第三期オープニングテーマ:FOMARE「Grey」
第三期エンディングテーマ:THE SIXTH LIE「融雪」
アニメーション制作:ジェノスタジオ
製作:ゴールデンカムイ製作委員会
●キャスト
杉元佐一:小林親弘
アシ(リ)パ:白石晴香
白石由竹:伊藤健太郎
鶴見中尉:大塚芳忠
土方歳三:中田譲治
尾形百之助:津田健次郎
谷垣源次郎:細谷佳正
牛山辰馬:乃村健次
永倉新八:菅生隆之
家永カノ:大原さやか
キロランケ:てらそままさき
インカ(ラ)マッ:能登麻美子
二階堂浩平:杉田智和
月島軍曹:竹本英史
鯉登少尉:小西克幸
●白い恋人×TVアニメ『ゴールデンカムイ』コラボ缶 商品情報
商品名:白い恋人36枚入『ゴールデンカムイ』コラボ缶
内容:白い恋人36枚入(ホワイト27枚入、ブラック9枚入)
料金:3,780円(税込)
絵柄:アシㇼパとレタㇻ
【販売期間】
2020年12月21日(月)〜2021年1月31日(日)
※販売時間は店舗営業時間に準じます。
【オンライン販売】
ISHIYAオンラインショップ(24時間受付可能)
※ISHIYAオンラインショップは2020年12月21日(月)10:00より販売開始。
※オンライン注文は数量に達し次第完売いたします。
【販売店舗】
白い恋人パーク ショップ・ピカデリー
札幌大通西4ビルISHIYAショップ
ISHIYA CAFÉ 新千歳空港店
(C)野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会
https://news.goo.ne.jp/article/animeanime/entertainment/animeanime-58399.html

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21年度道開発予算5718億円 10.5%減 北海道シェア9.3%

2020-12-22 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/21 23:32 更新
 政府が21日閣議決定した2021年度予算案で、北海道開発予算は20年度当初比10・5%減の5718億円となった。ただ、20年度当初は臨時・特別措置が上乗せされており、同措置分を除いた比較では横ばい。防災・減災対策や食と観光の振興、アイヌ文化への理解促進を重点に位置付けた。
 一般公共事業費に当たる北海道開発事業費は5601億円。20年度当初(臨時・特別措置除く)とほぼ同額となった。全国の一般公共事業費に占める割合「北海道シェア」は9・3%。20年度当初(同)の9・4%から0・1ポイント下がった。
 事業別では、道路整備が2186億円と全体の4割を占める。函館・江差自動車道の北斗茂辺地IC(インターチェンジ、北斗市)―木古内IC(渡島管内木古内町)の16キロの区間は21年度に開通する計画。災害時の交通確保も担う道横断自動車道の尾幌―糸魚沢間(釧路管内厚岸町)は工事を継続する。
 農林水産基盤整備は1183億円、治山治水は1024億円といずれも横ばい。農業分野では、台風や集中豪雨など激甚化する災害対策として排水施設の整備を進める。ダム事業では平取ダム(日高管内平取町)を21年度中に完成させる。
 アイヌ民族関連は20年度当初(同)と同額の16億円を計上。胆振管内白老町のアイヌ文化復興拠点「民族共生象徴空間(ウポポイ)」は年間来館者数100万人を目指し、新型コロナウイルス感染対策を講じた体験プログラムを拡充する。
 国土強靱(きょう じん)化計画に伴う臨時・特別措置は20年度で終了した。政府は21年度に開始する新しい5カ年計画の初年度分を含む2039億円を20年度第3次補正予算案に計上。21年度当初と同補正を合わせた総額は7757億円となり、20年度の当初と19年度補正の合計7711億円を上回る。(加藤千茜、酒井聡平)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/493938

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アイヌ文化はヨーロッパにどう伝えられたか 『アイヌ文化へのまなざし』展 

2020-12-22 | アイヌ民族関連
太田出版ケトルニュース 2020年12月21日 16:00
12月22日(火)より、千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館にて、『アイヌ文化へのまなざし-N.G.マンローの写真コレクションを中心に-』が開催される。
この展覧会は、アイヌ文化を研究したスコットランド出身の医師・ニール・ゴードン・マンロー(1863~1942)が、アイヌ文化をヨーロッパにどのように伝えたのかを検証するものだ。インド航路の船医だったマンローは、1891年に日本に到着し、長らく医師として働きながら、1905年に三ツ沢貝塚(横浜市神奈川区)を発見。その後も医師を続けながら考古学研究に勤しんだが、アイヌ文化に深い興味を持ち、1930年に北海道の二風谷に移り住んで、アイヌ文化研究に晩年を捧げた。
会場では、マンローがアイヌ研究の過程で作成した写真資料や、クマの魂を神の国に送る儀式(イヨマンテ)の映画フィルムを、マンロー自身が残したテキストとあわせて展示。踊り、織り物、ござ編み、熊獲りの仕掛け、彫刻などアイヌ風俗の写真、自然の物を使って作られた生活道具、漁や猟に使う道具などを紹介するほか、マンローが編集した映画「The KAMUI IOMANDE」の短編が上映される。
『アイヌ文化へのまなざし-N.G.マンローの写真コレクションを中心に-』は、2020年12月22日(火)~2021年5月9(日)まで、国立歴史民俗博物館(千葉県佐倉市城内町117 「京成佐倉駅」徒歩15分)にて開催。開館時間は、2月まで9:30~16:30、3月からは9:30~17:00。休館日は月曜日(休日の場合は開館し、翌日休館)、12月27日~1月4日。料金は一般600円。
※このページの画像はサイトのスクリーンショットです
https://www.excite.co.jp/news/article/OhtaBooks_015501/

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もういくつ寝ると♪ 全国の凧ずらり、京都・福知山で展示

2020-12-22 | アイヌ民族関連
京都新聞 2020/12/21 11:00

色彩豊かな日本各地のたこが並ぶ会場(京都府福知山市猪崎・市児童科学館)(京都新聞)
 日本各地の伝統的なたこを集めた展示が、京都府福知山市猪崎の市児童科学館で開かれている。色彩豊かで個性的なデザインのたこが会場を彩り、新春のムードを高めている。
 2011年に全国のたこを収集していた市民から寄贈を受け、正月の時期に合わせて毎年開催。今年は21都道府県の42種類113点を紹介している。
 会場には、「あっかんべー」の顔などを表現した静岡県の「横須賀凧(たこ)」やアイヌをテーマにした北海道の「蝦夷凧」が並ぶ。立体的にチョウやハチをかたどった愛知県のたこ、干支(えと)を描いた高知県のたこ、カッパやひな人形を描写した福岡県のたこなども展示され、来館者が見入っている。
 1月24日まで。午前9時〜午後5時。入館料が必要。12月28日〜1月1日と水曜は休館。
https://news.goo.ne.jp/article/kyoto_np/region/kyoto_np-20201221091631.html

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アイヌ語話者数把握せず 紙議員への答弁書で政府

2020-12-21 | アイヌ民族関連
赤旗 2020年12月20日(日)
 日本共産党の紙智子参院議員が提出した「アイヌ語の話者を育てる支援策」に関する質問主意書について、政府は15日、答弁書を決定しました。
 アイヌ語はユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が公表している「消滅の危機にある言語」に含まれます。
 質問主意書は「アイヌ語は文字がないことからアイヌ語の話者を育てることが緊急の課題になっている」とし、▽話者が極めて少ないと認識しているか▽アイヌ語を母語として語れる話者は何人いるか▽アイヌ語の授業を取り入れている学校数を把握しているか▽アイヌ語の話者を育てる国の政策、計画―を明らかにするよう要求。答弁書はアイヌ語が「存続の危機にある」と認めたものの、「話者の人数は把握していない」「授業に取り入れている学校数は把握していない」などと回答。話者を育てる施策も「アイヌ民族文化団体を通じたアイヌ語の指導者や話者の育成に取り組んでいる」と述べるにとどまりました。
 答弁書を受け取った紙氏は、「アイヌ施策推進法ができたのに、国の政策は極めてお粗末だ。アイヌ語で日常生活できる人は、高齢者で10人を切っていると聞く。アイヌの伝統習俗を禁止し、民族固有の言語を奪った同化政策への謝罪がないことが対策の遅れにつながっている。具体化を求めたい」と語りました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik20/2020-12-20/2020122002_02_1.html

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アイヌ文化の魅力紹介 道、バンコクでトークショー開催

2020-12-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/20 23:42 更新
【バンコク森奈津子】アイヌ民族の文化を紹介するトークショーが18、19の両日、タイ・バンコクの北海道料理店で開かれた。
 北海道への旅行者が多いタイ人にアイヌ民族への関心を持ってもらおうと、道が開催。2日間で計100人が参加した。
 「ほっかいどう応援団会議」の応援大使を務める歌手ジャンチャンさんが、胆振管内白老町の「民族共生象徴空間(ウポポイ)」などを紹介。昨秋に白老町を訪れた際に体験したアイヌ刺しゅうについて「自然と共生する民族の世界観が表現されたすてきなデザインだった」などと語った。
 会場の「北海道レストラン原始焼と釜飯エカマイ店」はアイヌ民族料理も提供しており、参加者にオハウ(汁物)などが振る舞われた。19日に参加したケイさん(35)は「アイヌ民族に興味を持ったので、新型コロナウイルス感染が落ち着いたらウポポイへ行きたい」と話していた。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/493790

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<Cool!しりべし>「新雪谷ってどこですか?」 梅冠男

2020-12-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/20 15:19
 ニセコ町の英語表記は「NISEKO」。それでは中国語は?
 「ニセコ」はもともとアイヌ語で、全国でも珍しいカタカナ表記の地名です。1964年に狩太町からニセコ町へと改名して以来、中国語表記は長い間ありませんでした。2000年代に入り中華圏の旅行客が増え、旅行業者は「二世古」「二世谷」などと名付け始めました。中でも最も広まったのが「二世古(アールシーグー)」です。
 ただ「二」や「古」という漢字は、中国人に良い印象を与えません。「一番ではない」「新しくない」というニュアンスがあるからです。そこで町は、将来の外国人客増加を見越して04年、正式な中国語表記を「新雪谷(シンシュエグー)」と定めました。
 「新雪」はニセコの雪質の良さを表し、「谷」は「渓谷」「村落」という意味。実に絶妙で、スキーリゾートを宣伝するのにこれ以上の名前はないと思います。
 町は現在、さまざまな方法で「新雪谷」を売り出し中です。行政や観光関連の文書で使うのはもちろん、民間企業にも使用を働きかけています。例えばスキーリゾート「ニセコビレッジ」は、パンフレットなどの中国語表記を「新雪谷」に改めてくださいました。
 私も国際交流員としてSNSへ投稿したり、国際会議でアピールしたりと、「新雪谷」が浸透するよう努力しています。でもスキー客などに「二世古」が定着し、継続使用する企業も多いのが実情です。
 ニセコを訪れた中国人客が「新雪谷」と聞けば、けげんそうにこう尋ねることでしょう。「新雪谷ってどこですか。初めて聞きました」。町を挙げて頑張らなければいけませんね。(ニセコ町国際交流員=中国河北省出身=)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/493742

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「グルメがうなる小麦」PR ルルロッソ消費拡大へ留萌振興局

2020-12-21 | アイヌ民族関連
北海道新聞 12/20 13:00
 【留萌】留萌振興局は留萌、小平の2市町で生産されている超強力粉用の小麦、ルルロッソの知名度アップと消費拡大を図るため、誕生秘話や商品を提供している店の紹介を記したチラシとポスター、ミニのぼりを制作した。中でもルルロッソを扱う店を紹介したチラシはこれまでなかったといい、振興局農務課は「チラシに載っている店を巡っていろいろな商品が開発されていることを知ってほしい」と期待している。
 チラシに書かれた誕生秘話などによると、パスタに適した小麦を作ろうと2009年に生産が始まったルルロッソは「小麦本来の強い香りと鮮やかな夕日色の穂を持つ」ことから、アイヌ語で留萌を意味する「ルルモッペ」と、赤のイタリア語「ロッソ」をかけあわせて名付けられた。翌年、生産者や製麺業者などで「留萌・麦で地域をチェンジする会」が発足し、今では8人が約30ヘクタールを栽培している。
 A2判のポスターと高さ約30センチのミニのぼりには大きく「RuRu Rosso」と書かれ、赤い穂が立ち並ぶ小麦畑の写真や、ルルロッソを使った各種商品が紹介され、「グルメをうならせる極上の小麦」とPRしている。10月、それぞれ100枚制作し、商品を扱っている店などに配った。
 4千部作ったチラシには、誕生秘話のほか、ルルロッソを使った料理が食べられる店やパスタなどの製品を買える商店を留萌管内、札幌市、東京都などの地域別に紹介している。また、つけ麺、ドーナツ、ラーメンサラダ、バターケーキなどの写真も載せた。農務課は「パスタ類だけではないことをアピールしたかった」と話す。事業費は約25万円。
 問い合わせは振興局農務課(電)0164・42・8480へ。(高橋浩志)
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/493718

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異民族の共生は可能 東北のアイヌ語地名を取材し本に 筒井功さん(民俗研究者)

2020-12-21 | アイヌ民族関連
東京新聞 2020年12月19日 14時46分
 千葉県野田市の江戸川の土手を歩いた。冬の厚い雲が空を覆っていたが、上流のさらに遠くに筑波山が望めた。
 「『ノダ』という地名は、低湿地という意味の『ニタ』『ヌタ』から来ています。川沿いのこの辺りは昔から、雨が降るとすぐに水浸しになったのでしょう」。民俗研究者の筒井功さん(76)は地元の地理にも詳しい。
 定住農耕社会からはみ出した漂泊民の暮らしを知ろうと、土地の名前や人々の記憶の中に手掛かりを求めて各地を訪ね歩く「旅する研究者」だ。昨秋までの二年間のフィールドワークは、東北地方でのアイヌ語地名を巡る取材だった。
 東北の地名のいくつかが、アイヌ語に由来するらしいことは知られている。筒井さんは今回、アイヌ語と確実に言える地名を拾い、分布域をはっきりさせることに挑んだ。まず地図や地名辞典を見て、アイヌ語由来の「モヤ」「タッコ」「オサナイ」と読める語を含む地名を調べた。例えば「モヤ」は、アイヌ語で「聖なる山」を意味する「モイワ」がなまった言い方だ。
 地形や地物の特徴が、アイヌ語の意味に合致していることが一番重要。こじつけだと疑われないために、必ず訪れて確かめ、写真に撮った。車を運転して一日三百キロ、東北の海辺から山奥をめぐった。宿には泊まらず毎晩車中泊。カーナビに表示された「らしい地名」に気づき、現地に急行することもあった。
 秋田県八峰町の母谷(もや)山は、アイヌが信仰の対象とするにふさわしい小高い独立峰だ。岩手県岩泉町の長内(おさない)沢の下流は、「オサナイ」=「オサッナイ」(川尻が乾いた川)の語意の通り、伏流水となって水がなかった。同県一関市の旧大字「達古袋(たっこだい)」のある地点からは、宮城県境の栗駒山(一、六二六メートル)が遠望できた。「タッコ」=「タプコプ」(聖山の遥拝(ようはい)所)の意味と一致した。
 「フィールドワークは、こちらの見立て通りにいかないことが多いですが、今回ばかりはしてやったりの気分でした」と誇らしげ。こうして筒井さんは東北の三十七カ所の地名をアイヌ語由来と断定。奥羽山脈の西側は秋田・山形県境、同東側は宮城県北部をアイヌ語地名の南限と結論づけ、最新著『アイヌ語地名の南限を探る』(河出書房新社)で成果を発表した。
 高知市出身。実家の近くに「百笑(どめき)」という変わった名のバス停があり、子供心に興味がわいた。のちに、民俗学者・柳田国男の『地名の研究』を読むと、各地にあるその地名は、川の流れが“どよめく”音を形容したものとあり、「なるほど」とひざを打った。柳田らの影響で民俗学研究を志し、共同通信の記者を経て文筆の道に。箕(み)と呼ばれる農具の細工や川漁をなりわいとした「サンカ」と呼ばれる非定住民の研究で、二〇一三年度の「旅の文化賞」を受賞した。
 なぜ東北各地にアイヌ語地名が残ったのだろうか。北海道の地名はアイヌ語に由来している。北海道への和人の進出は明治維新後に大規模で組織的になった。「武力と経済力を背景にした、強圧的なものだった」。統治上の必要から、アイヌの呼び方を記録して地名を名付けた。
 「本土のアイヌは、北上する和人に追い立てられて北へ北へと退いた。その際にアイヌ語地名が和人に受け継がれた」とする説明が一般的だが、筒井さんの考えは違う。「逃げる際に、自分たちが付けた地名を教えるだろうか。和人の進出後も、両者が共存した時代が長く続いたのではないか」。アイヌは狩猟・採集民族であり、農耕が主体の和人とは生活圏を住み分けることができた。交易で和人との交流が深まると婚姻も増え、次第に同化していったが、アイヌが付けた地名は使い続けられ、そのまま残ったのではないか。
 アイヌ文化の発信を担う国の新施設「民族共生象徴空間」(ウポポイ)が北海道にオープンしたばかり。アイヌの文化や歴史への理解が深まると期待されている。「かつて異民族同士がうまくやっていた時代があったことを知ってもらえれば」。東北のアイヌ語地名は“共生”が可能だということを後世に伝えているのかもしれない。 (栗原淳)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/75376

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