日本の棚田

日本の棚田・長野県の棚田の写真を載せてあります。
見てください

岐阜県の棚田と観光(岐阜県・白川村・荻町「白川郷」)

2017年09月10日 07時25分50秒 | 愛知県・岐阜県の棚田
今年の夏は異常であった。
雨が降り各地で洪水があり、ミサイルが日本上空を無断で飛んだ。
鬼婆の声「どこへ行くの!」の声を背中に受けて岐阜県・富山県へ
 
 
ここは岐阜県・白川村・萩町です。世界遺産の「白川郷」です。
白川郷が一望できる見晴台
「城山展望台」
からの風景です。
 
世界遺産にも登録されている白川郷の荻町合掌造り集落を一望できます。
合掌造りの家屋や周辺の山や田んぼなど、集落全体を見渡すことができる。
合掌家屋内では、今も人々の日々の生活が営まれている。
ゆっくりと流れる時間の中で守り続けてきた風景を堪能しました。
 
 
合掌造り集落を背景にかん町集落の棚田が見えます。
流れる川は庄川です。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県の棚田と観光(岐阜県・白川村・荻町「白川郷」)

2017年09月08日 07時22分35秒 | 愛知県・岐阜県の棚田
今年の夏は異常であった。
雨が降り各地で洪水があり、ミサイルが日本上空を無断で飛んだ。
鬼婆の声「どこへ行くの!」の声を背中に受けて岐阜県・富山県へ
 
 
ここは岐阜県・白川村・萩町です。世界遺産の「白川郷」です。
「国指定重要文化財 和田家」です。
江戸時代中期に建てられ、300年以上の歴史を誇る白川郷最大規模の 合掌造りの民家です。
現在も住居として活用しつつ、1階と2階部分を公開しています。
 
 
明善寺の
鐘楼門(しょうろうもん)です。鐘をつき時を告げます。
山門と鐘楼を組み合わせた鐘楼門の屋根は茅葺です。
寄棟造り(よせむねづくり)の2階建で、1階に板庇(いたびさし)を付けた珍しい建物です。
寄棟造は、建築物の屋根形式のひとつで、4方向に傾斜する屋根面を もつものを言います。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県の棚田と観光(岐阜県・白川村・荻町「白川郷」

2017年09月06日 07時24分57秒 | 愛知県・岐阜県の棚田
今年の夏は異常であった。
雨が降り各地で洪水があり、ミサイルが日本上空を無断で飛んだ。
鬼婆の声「どこへ行くの!」の声を背中に受けて岐阜県・富山県へ
 
 
ここは岐阜県・白川村・萩町です。世界遺産の「白川郷」です。
棚田の名前は「白川郷の棚田」です。
白川八幡神社の前の路を十数分ほど歩くと、棚田のある上町地区に棚田がありました。
小規模ながらも風に波打つ緑の棚田、処々に残る手積みの石積の棚田です。
世界遺産の中の棚田です。
 
 
かん町地区にある棚田は、戦後の新田開発によるもので 元は桑畑だったという事です。
日本にある数少ない、ありのままの農村の原風景の景観の裏側には
食糧を自給できなかったという大きな問題を克服した白川郷の努力があります。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岐阜県の棚田と観光(岐阜県・白川村・荻町「白川郷」)

2017年09月04日 07時24分08秒 | 愛知県・岐阜県の棚田
今年の夏は異常であった。
雨が降り各地で洪水があり、ミサイルが日本上空を無断で飛んだ。
鬼婆の声「どこへ行くの!」の声を背中に受けて岐阜県・富山県へ
 
 
ここは岐阜県・白川村・荻町です。
「世界遺産・白川郷」です。
 
 
 
耕地面積が少なく、積雪の多い地域のため、
農業以外の重要な養蚕、カイコの飼育は江戸時代から盛んに行われた。
合掌造りの屋根裏の広い空間は、養蚕の作業場として最大限利用されていた。
高い屋根裏を2階、3階と区切って、お蚕さんと暮らしていました。
 
 
 
 
 
 
 
蚕さんと暮らしていました。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県・大北地域の棚田を巡り(小川村・稲丘・稲丘)

2017年09月03日 07時25分29秒 | 長野県の棚田
7月下旬、猛暑の東京を脱出し、涼しさを求めて長野県北西部の大北地区へ。
大北(だいほく)とは、「大」=大町市、「北」=北安曇 郡(池田町・松川村・白馬村・小谷村)を合わせた地域をいいます。
西側に雄大な北アルプスを見上げる美しい地域です。
 
 
ここは長野県・小川村・稲丘・稲丘です。
「稲丘の棚田」です。
小川村と言えば「おやき」です。
長野県は、山々に囲まれているため傾斜面が多く、
平らな土地でないと米作りが難しかった為、
昔は米を作ることができませんでした。
そこで小川村等では、小麦を練った皮に、
家の畑にできてる野菜や山菜を巻き、焼きあげました。それが「おやき」です。
今、小川村ではおばあちゃんたちの手で、
一つひとつ丸められたおやきを「村おこし」として活用しています。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県・大北地域の棚田を巡り(旧鬼無里村・.日影)

2017年09月02日 07時21分25秒 | 長野県の棚田
7月下旬、猛暑の東京を脱出し、涼しさを求めて長野県北西部の大北地区へ。
大北(だいほく)とは、「大」=大町市、「北」=北安曇 郡(池田町・松川村・白馬村・小谷村)を合わせた地域をいいます。
西側に雄大な北アルプスを見上げる美しい地域です。
 
 
長野市鬼無里.日影.樽
です。旧鬼無里村です。
日影
の棚田」です。
戸隠連山が見えます。
 
 
木曽義仲は近江国粟津の戦い(現滋賀県大津市)で討ち死にした後、
二男の義重が鬼無里へ逃れたとする伝承も残る。
また、義仲の家臣には鬼無里へ土着した者もいるとされる。
山角地区には義仲と最期を共にした今井四朗兼平の城跡があり、
観音堂には兼平の守護仏とされる菩薩像が祀られている。
鬼無里は歴史の宝庫です。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

長野県・大北地域の棚田を巡り(旧鬼無里・.四角面)

2017年09月01日 07時28分10秒 | 長野県の棚田
7月下旬、猛暑の東京を脱出し、涼しさを求めて長野県北西部の大北地区へ。
大北(だいほく)とは、「大」=大町市、「北」=北安曇 郡(池田町・松川村・白馬村・小谷村)を合わせた地域をいいます。
西側に雄大な北アルプスを見上げる美しい地域です。
 
 
長野市鬼無里.四角面
.東町です。旧鬼無里村です。
「四角面
(しかくめん)
の棚田」です。
 
 
「あずき」の天日干しです。
あずきは郷土料理「おやき」の材料になります。
「おやき」は、小麦粉の生地を使って季節の野菜あんやあずきあんをくるみ、
蒸したり、焼いたりしてこしらえる信州の郷土食。
かつてそれは野良仕事の休憩時のご馳走でもありました。
各家であんや味付けが違う「伝統の味・おふくろの味」です。
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする