午後9時。仕事帰りに駅で電車を待つ間の出来事。
次の電車が来るまで少々時間があったのでベンチに座って本を読んでいると、
左手のほうから一人の老人がこちらに歩み寄ってくるのです。
その老人は年のころにして70代半ば。足取りも若干おぼつかず、
杖をついているのですが、その杖が古代中国の仙人が持っているような立派な杖で、
なんとなく風格を感じさせるようなものでした。
その老人、私の横の空席に目をつけて隣に座ります。
このとき私がちょっと腰を浮かせて席を詰めたのですが、
これに対してご丁寧にお返事を頂きました。以降会話形式で。
老「いやぁ、悪いね、どうも足が弱っちゃってかなわんよ」
私『いえいえ、どうってことないです。それにしても立派な杖ですよね』
(話しかけなきゃいいのに、なんとなく話しかけてしまう私。)
「あぁ、そうなんだよ。俺よりも杖のほうがしっかりしちゃってるな(笑)」
(自虐的になって足がおぼつかない自分を悲しむ老人)
『いやいや、そんなことないですって。しっかりしてるじゃないですか』
「んなこたぁないよ。最近になって周りの奴らがみんな死んじまってな、今度ぁ俺の番だ」
(悲哀に満ちた声で滔滔と語るご老人)
『なに言ってるんですか。そういっていられるうちはまだまだ元気ですよ。
もう一頑張り出来るんですから、そんな弱気なこと言っちゃいけませんよ!』
・
・
・
とまぁ、こんな感じでわずか数分間の会話ではあったのですが、
気分の落ち込む老人とそれを励ます私、という構図が出来上がっていました。
おそらく周りにいた人からは異様な光景に見えたことでしょう。
結局、最後には「兄ちゃんありがとな、なんだか嬉しくなっちまったよ」
と、感慨深げな表情になっており、繰り返し私に礼を述べてくるのでした。
別にこれといって私が何を言ったわけでもないのですが、
話を聞くということによってご老人の胸中には感ずるところがあったのでしょう。
何をしたわけでもないのですが、なんとなく心温まる一幕でした。
恐懼謹言。
次の電車が来るまで少々時間があったのでベンチに座って本を読んでいると、
左手のほうから一人の老人がこちらに歩み寄ってくるのです。
その老人は年のころにして70代半ば。足取りも若干おぼつかず、
杖をついているのですが、その杖が古代中国の仙人が持っているような立派な杖で、
なんとなく風格を感じさせるようなものでした。
その老人、私の横の空席に目をつけて隣に座ります。
このとき私がちょっと腰を浮かせて席を詰めたのですが、
これに対してご丁寧にお返事を頂きました。以降会話形式で。
老「いやぁ、悪いね、どうも足が弱っちゃってかなわんよ」
私『いえいえ、どうってことないです。それにしても立派な杖ですよね』
(話しかけなきゃいいのに、なんとなく話しかけてしまう私。)
「あぁ、そうなんだよ。俺よりも杖のほうがしっかりしちゃってるな(笑)」
(自虐的になって足がおぼつかない自分を悲しむ老人)
『いやいや、そんなことないですって。しっかりしてるじゃないですか』
「んなこたぁないよ。最近になって周りの奴らがみんな死んじまってな、今度ぁ俺の番だ」
(悲哀に満ちた声で滔滔と語るご老人)
『なに言ってるんですか。そういっていられるうちはまだまだ元気ですよ。
もう一頑張り出来るんですから、そんな弱気なこと言っちゃいけませんよ!』
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とまぁ、こんな感じでわずか数分間の会話ではあったのですが、
気分の落ち込む老人とそれを励ます私、という構図が出来上がっていました。
おそらく周りにいた人からは異様な光景に見えたことでしょう。
結局、最後には「兄ちゃんありがとな、なんだか嬉しくなっちまったよ」
と、感慨深げな表情になっており、繰り返し私に礼を述べてくるのでした。
別にこれといって私が何を言ったわけでもないのですが、
話を聞くということによってご老人の胸中には感ずるところがあったのでしょう。
何をしたわけでもないのですが、なんとなく心温まる一幕でした。
恐懼謹言。