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反政府デモが続くエジプトで4日、「 追放の金曜日 」と題したデモが呼びかけられ、
数十万人がカイロ中心部に集まりました。
事態の収拾に向けた動きも始まっていますが、先行きはなお不透明のようです。
一昨日、トルコ ・ エジプト のツアーに行っていた知人から連絡がありました。
混乱の始まる直前に、帰国してたそうです。
滞在時から、混乱の前兆が見られたようです。
チュニジアから始まった混乱は各地に飛び火しそうです。
この夏予定しているトルコは大丈夫なのでしょうか?
昨日の朝刊には、トルコ ・ ツアー の全面広告が出ていましたので大丈夫なのでしょう。
サム シャープ スクエア
1831年に、奴隷の解放と自由を求めた 「 クリスマスの反乱 」が起こります。
この時期は、フランスで革命が起こったり、隣国 ハイチ において奴隷解放がなされたり、
またイギリス国内でも奴隷制反対運動が、盛り上がっていた時期でもありました。
ジャマイカの奴隷解放が1834年に早まったのは、この反乱も一因だと言われてます。
サム ・ シャープ は奴隷でありながら、その知性とカリスマによって奴隷達のリーダーとなります。
その後、平和的な奴隷解放を目指していた サム ・ シャープの思惑を外れ、
ジャマイカで一番激しい奴隷蜂起が起こりました。
最初は勢いのある奴隷達が、白人地主達を苦しめます。
英国軍将軍の 「 降伏した者には恩赦を与える 」 という言葉を信じた奴隷達が、
解放されると思い込み、投降したところを虐殺されていきました。
また、山に逃げ込んだ多くの奴隷達は、マルーンによって狩り出され、
奴隷達の多くの命が奪われ反乱は失敗に終わります。
その結果反乱の首謀者として、サム ・ シャープ は1832年5月に処刑されました。
彼は多くの者を死においやったことに関して、若干の後悔はあったものの、
自由の権利を主張しようとしたことに関しては、決して間違ってはいなかったと、
最後まで己の考えの正しさを、信じていたそうです。
そして、サミュエル ・ シャープ はジャマイカの英雄 として今でも語り継がれているそうです。
彼が処刑された広場は今、” サム ・ シャープ ・ スクエア ” という名称がつけられています。
その場所にある複数のブロンズ像です。
横には、古い建物が残っています。
現在は、ショップとして利用されているようです。
このあたりまでは、あまり観光客が訪れる感じではありませんでした。
ホテルの中でほとんどのことがすんでしまいますので、外へ出る人も少なそうです。
こんな建物も廻りにはありました。
建物は統治時代の名残なのでしょうか?
現在は、奇麗に塗り替えられています。
歩いている人々が来ている服装は、かなりカラフルです。
ジャマイカの暖かい陽気と、マッチしています。
少し裏に入った部分です。
日陰で物売りの人たちが、涼んでいました。
カラフルな外壁が、青い空に奇麗に写り込んでいます。
以前訪れた、 ブラーノ島 のようです。
右手に見えているのが、 モンテゴベイの庁舎 です。
広場側には、背の高いクリスマスツリーが見えます。
道路の石畳は歴史を感じさせます。
この後は、植民地時代の名残 ” グレート ・ ハウス ” を案内してくれるそうです。
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