スターアライアンスNote

世界を旅するために働く、Architectによる旅日記

’11 冬 ジャマイカ ・ フロリダ 32

2011年02月06日 | ’11 ジャマイカ・フロリダ

 

 

反政府デモが続くエジプトで4日、「 追放の金曜日 」と題したデモが呼びかけられ、

数十万人がカイロ中心部に集まりました。

 

事態の収拾に向けた動きも始まっていますが、先行きはなお不透明のようです。

 


一昨日、トルコ ・ エジプト のツアーに行っていた知人から連絡がありました。

混乱の始まる直前に、帰国してたそうです。

滞在時から、混乱の前兆が見られたようです。

 

チュニジアから始まった混乱は各地に飛び火しそうです。

この夏予定しているトルコは大丈夫なのでしょうか?

 

昨日の朝刊には、トルコ ・ ツアー の全面広告が出ていましたので大丈夫なのでしょう。

 

 

サム シャープ スクエア

 

1831年に、奴隷の解放と自由を求めた 「 クリスマスの反乱 」が起こります。

 

この時期は、フランスで革命が起こったり、隣国 ハイチ において奴隷解放がなされたり、

またイギリス国内でも奴隷制反対運動が、盛り上がっていた時期でもありました。

ジャマイカの奴隷解放が1834年に早まったのは、この反乱も一因だと言われてます。

サム ・ シャープ は奴隷でありながら、その知性とカリスマによって奴隷達のリーダーとなります。

その後、平和的な奴隷解放を目指していた サム ・ シャープの思惑を外れ、

ジャマイカで一番激しい奴隷蜂起が起こりました。

 

最初は勢いのある奴隷達が、白人地主達を苦しめます。

英国軍将軍の 「 降伏した者には恩赦を与える 」 という言葉を信じた奴隷達が、

解放されると思い込み、投降したところを虐殺されていきました。

また、山に逃げ込んだ多くの奴隷達は、マルーンによって狩り出され、

奴隷達の多くの命が奪われ反乱は失敗に終わります。

 

その結果反乱の首謀者として、サム ・ シャープ は1832年5月に処刑されました。

 

彼は多くの者を死においやったことに関して、若干の後悔はあったものの、

自由の権利を主張しようとしたことに関しては、決して間違ってはいなかったと、

最後まで己の考えの正しさを、信じていたそうです。

そして、サミュエル ・ シャープ はジャマイカの英雄 として今でも語り継がれているそうです。

彼が処刑された広場は今、” サム ・ シャープ ・ スクエア ” という名称がつけられています。

 

その場所にある複数のブロンズ像です。

 

 

 

 

 

 

横には、古い建物が残っています。

 

現在は、ショップとして利用されているようです。

このあたりまでは、あまり観光客が訪れる感じではありませんでした。

 

ホテルの中でほとんどのことがすんでしまいますので、外へ出る人も少なそうです。

 

 

 

 

 

 

こんな建物も廻りにはありました。

 

建物は統治時代の名残なのでしょうか?

現在は、奇麗に塗り替えられています。

 

歩いている人々が来ている服装は、かなりカラフルです。

ジャマイカの暖かい陽気と、マッチしています。

 

 

 

 

 

 

 

少し裏に入った部分です。

 

日陰で物売りの人たちが、涼んでいました。

カラフルな外壁が、青い空に奇麗に写り込んでいます。

 

以前訪れた、 ブラーノ島 のようです。

 

 

 

 

 

 

右手に見えているのが、 モンテゴベイの庁舎 です。

 

広場側には、背の高いクリスマスツリーが見えます。

道路の石畳は歴史を感じさせます。

 

この後は、植民地時代の名残 ” グレート ・ ハウス ” を案内してくれるそうです。



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