
ハース ・ マハル と呼ばれる神殿 と、そこに併設された中庭です。
回廊部分は、ぐるっと回る事ができます。
その途中に、先ほど見た 白大理石のチャトリ がありました。
入口には、履物を管理ているとおぼしき女性が、 チップ を要求してきます。
これから後は、こういった光景を、たくさん見かけることになっていきます。
回廊部分 を、一廻りしてきました。
アーチと柱の連続した空間は、欧州らしくもあります。
但し、彫り込まれたものが、イスラムと融合されたもののように感じられます。
この辺りを見ていると、インド = 仏教やヒンドゥー教 とは考えにくい気がします。
仏教発祥の国 ではありますが、中世にイスラム教徒によって弾圧をされました。
一時期、インド国内では、仏教は壊滅的だったそうです。
1950年代に、インド仏教の復興運動がおこり、現代では人口の約1%弱まで、
仏教徒が増えたそうです。
それでも、1%に満たないのが不思議な気がします。
寝殿前のアングリー庭園を抜けてくると、公謁殿へと出てきます。
三廊式のこの建物も、シャー ・ ジャハーン によって木造から大理石の建物に建て替えられました。
この公謁殿の後ろの部分が、先ほど一部見ることができたチャトリーから、
つながる 内謁殿 になっているようです。
建物の大きさのせいなのか、市民に見せる場所のせいなのか、
ここの方が柱の大きさや、アーチ部分の装飾等は、かなり豪華に見えます。
9つのアーチが並んでいます。
遠くに写る人の大きさと比べると、この建物の高さがわかります。
ホールの中央部奥に、こんな場所がありました。
奥に白い扉が、見えています。
ここが、皇帝と市民が謁見する場所だったのでしょう。
ホール部分からは、一段高い場所になっています。
公謁殿前にも、大きな広場が造られています。
廻りは赤い城壁で囲まれ、大きな門も見えます。
門の奥に見ええる建物は、真珠モスクと呼ばれる建物です。
大きな門と門をつなぐ様に、広場の中央には通路が造られています。
広場の中央には、こんな オブジェ が置かれていました。
民族衣装を着ている女性が、記念撮影をしているようでした。
公謁殿の全景 です。
一段上がった部分に造られた建物は、かなりの大きさです。
雨が少ないせいか、屋根部分に関する認識は、少し日本とは違うようです。
一段高い部分に上がれる人は、まだいいのかもしれません。
ここからですと、何が行われているのかは、まったくわからないような感じです。
皇帝とは、そんな遠い存在だった様な気がします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます