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関が原の戦いの後、長州藩へ改易された毛利輝元。
その後この萩の街に築城します。
1604年から5年かけて、1608年に完成しています。
完成前の1609年に、輝元は入城したそうです。
参道に萩焼のお店が並んでいます。
このお店には大型の作品が見えます。
この辺りは、まだお堀の外のようです。
萩城は、三方を海に囲まれた要塞です。
城の南側に掘られた堀が見えてきました。
ここへ来るまでの道は、何回も曲げられていました。
やはり行き着きにくくしてあるようです。
海に突き出した場所に造られたのも、防御のためのようです。
橋の袂の左右に、石碑が建てられています。
左側には萩城跡、右側には支都岐神社と彫られています。
この橋を渡ると、城内へつながっていきます。
橋の正面に入場券売り場がありました。
時節柄、名前と連絡先の記入を求められました。
橋を渡ってすぐに一度、しばらく歩いてもう一度曲がって、
城内へと入ってくるように造られています。
鳥居がありました。
左手の石碑には、縣社と彫られています。
元々は藩社だったものが、廃藩置県で縣社となったのでしょう。
その格付けも、1946年に廃止されています。
城内に造られた神社です。
天守のあった場所の東側に造られています。
指月山の麓に建てられています。
このお城の後ろに山があり、海から上がっても、
すぐには攻められない構造になっています。
毛利家の城塞は、よく考えられた計画なようです。
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