西の空が暮れていきます。
冷たい北風がピューピューふいていて、暮れかけた空を見事なくらいクリアにしてくれています。
クリスマスも近い冬の夕暮れ。
一年をふりかえり,モーツアルトの『レイクエムニ短調』を聴いています。
聴きながら思い出したのが、もうかれこれ8年前、拙ホームページのエッセイに書いた文章です。ノンフィクション作家だった佐藤一美さんがお亡くなりになって、もう8年も経つのですね。
今年は友人の、大切なお嬢さんを亡くしてしまいました。
8年前のエッセイを、そうした鎮魂の気持ちから、↓に貼り付けておきます。
年暮るる
2004 年もあとわずかで暮れていく。
北風の強い晴れた日は、遠くの景色までよく見える。雪をかぶった富士山、丹沢の山々、秩父連山、群馬の山々、超高層ビル群、レインボーブリッジ、東京タワー、空高くのびる遠くの超高層マンションの数々。それらに、きーんと澄みきった冷たい風が吹きつけ、冬の落日があたっている。
この景色をみると、冬だと実感する。今年は年の暮れになってやっとそんな思いを噛みしめた。
ある詩人が12月にはひとり静かにバッハを聴くと著書に書いていた。ベートーベンではなくてバッハ。
「ひとをけっして孤独にしない、それがバッハ」と彼は書いている。
風の冷たい、陽のかたむきかけた夕暮れ。窓の外のそんな景色を見ながら、私はバッハを聴いている。
バッハの「マタイ受難曲」を聴いていると、年の暮れを忘れ、心が静かになるような気がする。音楽がこんなにも豊かであたたかなものであったかということを、しみじみと思わせてくれる。
その詩人、長田弘はこうも書いている。
「音楽を聴くのは、胸中に、三本の小さなローソクをともすためです。一本は、じぶんに話しかけるために。一本は、他の人に話しかけるために。そして残る一本は、死者のために」
暮れゆく年に、亡き義父と父、そして今年急逝された我が友、佐藤一美さんに感謝をささげながら、私はこうしてバッハを聴いている。