20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
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両親への鎮魂の夏

2022年08月01日 | Weblog
            

今日から8月。

今朝は、気になっている、伸びてしまったパーマ。
朝一番の時間に予約を、美容院に入れてあります。
近頃は2ヶ月持たずに、髪も伸び、パーマも伸びてしまいます。

早朝の、窓ガラス磨きを、そろそろ始めなくてはです。
枚数が多いから、近頃は、自分の年齢も考えて、二日か、三日にわけて磨いています(笑)。

こういうことを始めると、秩父の母を思い出します。
私たちが行くと、いつも冷蔵庫には、何も入っていなくて、真っ白に磨いてあります。
きっと、母は、時間をかけて、冷蔵庫をきれいにしてくれたのでしょう。

母が83歳。父が85歳の時、父は肺気腫でなくなりました。
それから、一人暮らしでした。
お買い物に、スーパーに行ったり、お料理を作ったり・・・。

父が生きていた時も、父は、私たち姉弟の一家が、勢揃いの楽しい盆暮れを、いつも待ち望んでくれていました。

一人になった母は、みんながくるからと、明日は、どこの掃除をしようと、秩父にやってくる私たちの顔を、嬉しそうに思い浮かべながら、一生懸命やっていたに違いありません。
「うんこらしょ」と、気合を入れながら、やっていた姿を想像しては、母を思い出しています。

90歳を過ぎて、重い神経痛もち。内臓は丈夫でしたが。
夏でも暑い靴下を履いて、エアコンは苦手で、扇風機も、遠くでつけていました。

そんな体で、無理をしながら、動いていたのを思い出すと、「何もしなくて、汚いままでもいいんだから」と、今なら思います。
自分もまだまだ母の年齢には追いつけませんが、この年になると分かります。

でも、それが、認知症にもならず、しっかり者の「自分」という人間を、最後まで貫けた母の生き方だったのかもしれないと、少しだけ分かります。

私は、今年のお正月に「無理をすることをやめたい」と、子どもたちに言いました。骨折以来、痛みは全くありませんが、動きすぎると、ふくらはぎがパンパンになります。
子どもたちはそれを受け止めてくれ、総動員で、断捨離を初めてくれました。
私が言った無理は、お布団の用意とか、それくらいのことなのですが(笑)。

子どもたちが帰った後、押し入れの中を見たら、すっかりお布団が収まっています。
あっちのクローゼット、こっちのクローゼットと、収まりきれないお布団や毛布などを分散して収納していたものが、一ヶ所にきれいに収まっています。

おまけに、私たちは手も出さず、全部、息子夫婦と娘夫婦。孫たちも参加して、大きなゴミ袋をいくつも作って、総動員で、6つか7つのゴミ袋を抱え、いくつかのエレベーターに乗って、ゴミ出しに行ってくれました。

私は、母にそこまで、断捨離のお手伝いをしただろうか。
ふと、そう思いました。
何もやっていません。

母が、一人でうろうろしながら、半年がかりでいろいろやって、私たちを迎え入れ、今度は送ってからは、また自分で半年かけて、のろのろ片付けて・・・。
91歳を過ぎて顔に帯状疱疹ができて、入院して、弟が、毎日毎日、夕暮れになると車で病院にいき、母が亡くなるまで、ずっと寄り添ってくれました。
3年後、老衰で還らぬ人になるまで、ずっと。

最期の数時間まで、母は母であり続け、私たちを励まし続けてくれました。
「空の上から応援しているから」と。

お正月にそんなことを考え、また夏に同じようなことを、母を思い出しながら考えています。

夏は、父と母の亡くなった、鎮魂の季節です。
たまには、娘らしく、両親を偲ぶ日があってもいいかなと思いながら。
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