葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

葉山を離れて……から「元気」回復まで

2025-04-03 18:16:54 | 葉山そして人

「葉山を離れて」などと意味ありげなタイトルを書き込んだ時、「葉山から何処そこへ行って、何をして、如何だったか」の報告のつもりでした。

それが異常事態などという言葉が入り込む事態になるなんて……、でも人生こういう事は決して少なくはないでしょう。気をつけましょう、と言っても起こり得ることが予想される場合は気をつけ方もあるでしょうが、それ以外は、その場その場の判断に頼りしかないでしょう。

さて、葉山を離れて向かったのは東京青山、そこにある国立新美術館、

これです。

私と音楽の縁の無さについては述べていますが、絵もダメ。

それなのに何故出掛けたのか、それも体調不調の身体で……、一応言い訳を述べておきます。

ここに弟が毎年出品しているからです、それを前提にこの招待を貰ったのは尿道カテーテルなど無縁の頃で、かなり時間的に余裕があった頃です。是非行こうと大事にしまったのです、その場所が分からなくなり、かなり探したのですが、不明。今年はやめようと弟に、妻から話してもらって一件落着となったのですが……、先日弟がまた送って来てくれました。

よほど自信作を出品したのか……、これは見に行かねばならないと。

この展示会は素人の「絵描🧑‍🎨さん」などが、出品しあっているので特に審査とか入選などの仕組みはありません。

かなりの規模の展示会です、印象に残った何枚かありますが、今回は弟の2枚だけ見てきた証として、

この場では「緊急事態」に繋がるような事はなかった、と思います、ので以上で〆……。

さて、 そうだ、妻と一緒に行っているのでした,補足します。帰り主導してくれたのが妻ですから。

東京港区青山は彼女が保母として働いていた地域です、青山以外にも赤坂の保育園などで、保母、主任保母、園長など勤めた地域ですから。懐かしさみあったのでしょう、その変わり振りに驚きも含めて……、葉山に戻る入口探しを兼ねながら。

これが「緊急事態」に繋がったと私は素人判断をしてます。

まったく慣れない尿道カテーテルなるものを股間にぶら下げながら、かなりの時間歩き続けていたわけで、本来ならば適時にトイレにより排出しておくべきことだったのです。

結果として、京急逗子葉山駅まで辿り着くことが出来ました、やっとトイレにと駆けつけると何人もが待っている状況、これはダメだ、改札を出て先の公衆トイレへ、すでにお漏らしの感じが……感じから現実に。

以上までのことでしたら我が身のみの「異常事態」ですんだのですが、本番は帰宅して、着替えてどっこいしょと座り直し体温を測って、39度こえて、え! もう一度測っても39°7。

40度近い体温は少なくとも2回は経験してます、その都度、身体全体を維持できなくなる状態でした。ところが今回は「そんなに高いの」という感じで買い物をして来た妻と、夜食は普通にとれたのです。

その夜の記憶はないのですが、翌朝一日の39℃こえ、午前も午後も38°こえ、夜7時半近くで40.7°になっていました。その日は一日高熱患者として床のなか、でも汗が出てこない、これは未だ未だ40°ラインが続くのだろうと思いつつ寝込んでいました。

そして、日付が変わったのは気付かず寝入っていたのですが、汗に起こされました。これは今でも手の感覚に残っていますが、上下合わせ6枚の寢衣(汗をかくからと妻が着せてくれたのかしれません、覚えていないのです、枚数は間違いありません)にほぼ同量に汗が染み込んでいるという感じでした。

あゝ、何度になったのか? と…なんと! 36.1℃ (0時20分

39°の時は2回測ったのですが、今回は「これで治った」。その日朝の5時台 6時台 7時台 9時台、各々38.3 37.2 36.336.8 と推移し、基本的に平熱状況に戻りました。ただ体力的に回復が遅い、無理せず早めの回復を、です。

iPadの方が「バッテリー残量少」です、ここまで……。

 

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「緊急事態」からを言い出すと長くなりそうなので……。

2025-04-02 21:39:55 | 葉山そして人

緊急事態がそもそもの始まりなのですが、そこから始めると長くなりそうなので、とりあえずの現状報告として、LINEでの孫娘と婆ちゃんのやりとりを貼っておきます。この間LINEと電話で2回ほど孫娘から連絡があったのですが当方は「緊急事態」状況で、返信していませんでした。

なお、このLINE面は今日のものです。

「葉山を離れて」と「緊急事態」の関係などは明日にします、まだ疲れやすい体調です。

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葉山を離れて……。

2025-03-30 22:57:07 | 葉山そして人

今日は疲れきっているので、内容は明日にでも……。

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「ガザから目をそらさない」

2025-03-29 23:41:04 | kaeruの近現代史

今日3月29日の「しんぶん赤旗」です、

 

ガザから目そらさないで   

 イスラエル軍によるジャーナリストを標的とした殺害が相次いでいます。24日にガザ北部ベイトラヒヤで空爆によって殺された中東テレビ局アルジャーラ所属のホッサン・シャバトさん(23)の遺言が、地元のジャーナリスト仲間を通じて、「しんぶん赤旗」カイロ支局に届けられました。これは、彼自身が万が一、殺害された場合に備えて書き残し、死後、メディアで公表されることを望んでいたものです。以下、遺言の全文を紹介します。 (米沢博史)

殺された記者ホッサン・シャバトさん本紙に遺言

 あなたがこの文章を読んでいるということは、私がイスラエル占領軍に、おそらくは狙われて、命を奪われたということです。
 始まりは、私がまだ21歳の頃、他の人と同じように夢を抱く大学生の時でした。ここ18カ月間、私は人生のあらゆる瞬間を同胞のためにささげてきました。ガザ北部の惨状を記録し、占領軍が葬り去ろうとする真実を世界に伝えることを決意したのです。歩道でも、学校でも、テントでも、眠れる場所があればどこででも寝ました。毎日が生き延びるための戦いでした。何力月も飢えに耐えながらも、私は決して仲間のもとを離れませんでした。
 神に誓って、私はジャーナリストとしての義務を果たしました。真実を報道するために、この身を危険にさらし、そして今、ようやく安らぎを得ています。私はパレスチナの大義を信じ、この土地を守るために生き、そして死ぬことを誇りに思います。
 今、私はあなたにお願いします。どうか、ガザについて語ることをやめないでください。世界がガザから目をそらすのを許してはなりません。パレスチナが自由を手にするその日までがんばり続けて、私たちの物語を語り続けてください。

                 ホッサン・シャバト、ガザ北部より

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人生の春❗️

2025-03-29 12:26:37 | 葉山そして人

人生で初めて立って歩いた赤ちゃんとそれを目撃する母親

https://www.threads.net/%40yuto_rennai/post/DHuhKAIvJ2Q?xmt=AQGz6TAZtJmiQdiFhCJhdqaBxf03EHd7m1oCypb_FciFjQ

レンズを向けていたのは……、父親でしょう。

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がんー67ー 「癌患者だった」という事。

2025-03-28 17:32:50 | 「がん」を読む

今日は8のつく日で「がん」について触れます。

はじめに「がんと癌」、その違い。確か自分が患者であった時期に、ネットで知り「そういう違いがあったのか」と知ったのですが、忘れていました。こちらで再学習して、私のがんは正式には「膀胱癌」でした。

〝上皮組織がガン化したものを漢字の「癌」と表記します〟とあります。

意外と知らないガンの基礎知識「がん・癌・ガン」 ~使い分け方を知ろう~

ひらがなの「がん」、カタカナの「ガン」、漢字の「癌」。漢字だけでなくひらがな、カタカナで表記する病気って珍しいですよね。「がん」「ガン」「癌」の表記の使い分け方...

総合東京病院

 

私の膀胱手術のあと担当医が説明に書かれたものに、「尿路上皮癌」「癌なし」「癌あり」と書かれていました。医療現場ではガンの表記は使い分けている、ということです。

さて、今日のタイトルには理由があります、この「癌患者」とは私のことです。今朝知人からのメールで、「兄が再度の手術を受けた」とありました。3、4年前お兄さんが膀胱癌で手術をすることになり、手術を経験していた私から話を聞きたいということで、自分の経験範囲でのことを伝えたことがありました。

お兄さんの手術は成功したと聞いていたのですが……、詳しいことは分かりませんが、このことからあらためて自分のことを振り返りました。

私の場合は一度の手術、抗癌剤を薬局で購入したのも一度きり、当初3ヶ月毎だった検診が半年毎になり、去年から1年おきになりました。

これが私の「癌患者」としての体験です。もちろん膀胱内の癌細胞部分を焼き切ったことがその後の膀胱機能などに影響するのは当然で、腎盂炎とか膀胱炎、頻尿症や現在の膀胱留置カテーテルなどです。

でも一番肝心なことは「元気に生きている」ということです、そのことが当たり前のように「元気(元の気分)」なのです。しかし、あり得ることとして再発の可能性や、転移ではなくても他部分での「がん・癌」があり得るのです。

自分のことだけではありません。

この本は、末期がんの娘を自宅に迎えていた時期、通常の医療を拒否していた娘が持っていたものか、娘の気持ちを理解したいと私が買ったものか、いずれにしたも「がん治療」ということを考えねば、と思い手にしたものです。

娘がなぜ「通常医療を拒否」したのか? 親として知らねばならないし、癌患者体験者として分かりたいことです。近藤誠医師の見解も批判も知らねばならないことです。

「課題は大きく、深い」〝「癌患者だった」という事は,その課題の向き合え〟ということなのでしょうか。

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葉山町とガザ

2025-03-27 18:28:06 | 葉山そして人

このチラシが送信されてきました。

多分今日のタイトル「葉山町とガザ」にはピンと来ない、という気持ちではないでしょうか。私は主催される「暮らしでつながるパレスチナ逗子葉山」の「暮らし」が「いいな」思ったのです。

Gooブログで言えば👍(パチパチ)を連打したでしょう。

葉山町とガザを地球上で見ると、

同じ画像に二つ以上の地名を表示出来るか? 出来ませんでしたので……。

まず地理的に、そして

暮らし」の前提になる「時間」、二つの国となると時差です、7時間の時差、いま昼どきのガザです。

そういう日常生活の根底に国と地域の歴史がある、暮らしのなかに歴史を知り、その先を考える場にしたいと「4月27日」を受けとめています。

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糸車から ♫ もずが枯れ木で 🎶 に

2025-03-26 17:50:01 | 葉山そして人

昨日朝の床の中で,歌がわいてきました、

♫ 糸引き車は お母さん  コットン水車も まわってる

この部分しか記憶に出てこないのです。起き出して調べてみようと,思いつつ寝入ってしまいました。

そして昨日は、前日いただいたコメント(下の「縦糸と横糸」)の「中島みゆき 糸」に惹かれ、その歌をめぐってのブログになりました。

でも、コメントをお読みいただければ分かってもらえると思いますが、昨日の朝の私の「歌」は、糸車さんのお母さんの「和歌集」の一首のイメージだったのです。

縦糸と横糸
HN(ハンドルネーム)糸車
今は亡き、母から譲り受けた一冊の「和歌・色紙集」の中に

「五十年を 共にたぐりし 糸車 織りなす綾の 美しくあれ」

という歌が詠まれていました。
母は知り合いから頂戴したようでしたが、大切に手元に置いていました。

糸車は実家の蔵にありましたので見たことはあります。
中島みゆきさんの「糸」という歌をご存じでしょうか?という素敵な歌があります。
yu-tyubuで聞けますので♪

そして思い出しました、「もずが枯れ木で」の一節で、正しくは

「綿ひき車は お婆さん」でした。

これが全体の歌詞です、

ところが、この歌が歌われた当時、サトウハチロウの原詩は、

この違いについて、大変多くを学ばせてもらいましたのが、こちらのブログです。

もずが枯木で(その1) - 二木紘三のうた物語

もずが枯木で(その1) - 二木紘三のうた物語

(C) Arranged by FUTATSUGI Kozo作詞:サトウハ...

二木紘三のうた物語

 
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中島みゆき 糸 

2025-03-25 18:29:50 | 葉山そして人

私と音楽の関係は敵対関係ではないにしても、殆ど無関係です。ただ中学校時代の担任の先生が音楽担当だったので、教科としてでなければ良き縁に繋がっているのだが、という感じです。

その私が中島みゆきという歌手の名前だけでなく、糸という曲名さえ知っているのはなぜだろう? 

昨日のブログへ糸車さんから、

中島みゆきさんの「糸」という歌をご存じでしょうか? という素敵な歌があります。

とのコメントを頂き、え!  私のヒミツを見透かされたか、と思いました。youtubeというもので音楽を聴けるようになったのはいつ頃か、そうなってかなり経ってからでしょうが、何か気の迷い的に歌を聴きたくなったのです。それが中島みゆきだったのは、とくに訳は無かったと思います。そんなことから「糸」に繋がったのでした。

それで今日、聴いた「糸」で,是非皆さんに聴いて欲しくなったのが、この高校生の合唱です、特に指揮者の動き……。

 

[【600万再生突破記念】+指揮者MK+「糸」+幻の舞台横バージョン+合唱コンクール最優秀指揮者賞+受]の検索結果 - goo検索(ウェブ)

gooで[【600万再生突破記念】+指揮者MK+「糸」+幻の舞台横バージョン+合唱コンクール最優秀指揮者賞+受]について知りたいことを検索してみましょう。

 

老いて知る、音楽の魅力という心境になりつつあります。

「糸」の歌詞です、

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糸車 たぶん80年ほど前のこと。

2025-03-24 18:34:55 | 葉山そして人

 一昨日のブログに糸車というお名前でコメントを頂きました、初めての方ではないかと思いつつ、懐かしいという気持ちも浮かんできたのです。

このブログに糸車という言葉に触れたことがあったか? ありました、

でもこれは、「懐かしい」に繋がる糸車ではないでしょう。

折角出所の本の頁まで書かれていますので、未読の本でしたが該当の頁を開いてみました、

この頁では、「懐かしい」思いが出てるわけがありませんので、

頁をめくってみると、

この頁の前の頁に、

「この地方では、ワタはあまり多量に栽培されてはいないようだが、ここかしこにワタ畑が見うけられ、そしてときどき村々では、婦人たちが、つぎのさし絵のように、つむぎ車や糸巻き棒にかけるためにワタを巻いているのを見かけた。」

と書かれています。この本は、

の中巻です。

この頁は、書き手のオールコック(イギリスの初代駐日公使)が1861年6月(文久元年四月)に、「長崎から九州を経て江戸にいたる陸の旅」を記したもので、さし絵もオールコックの手によります。

「この地方」とありますが文中の「神崎、田代」を手掛かりにWikiでみると佐賀県内にようです。長崎を出て「やっと六日目」と書かれています。江戸まで三十日間を予定される旅で、その通り着いたのか読んでいないので分かりません。

160年ほど前の佐賀県のある地域の「糸をつむぐ村の主婦」をスケッチしたものです。

それで私の「懐かしさ」が分かりました。ヒトのことではなく、糸車そのものに対する思い・印象でした。タイトルに「80年」と記したのは、戦後80年とも関係しますが、81年前空襲前の東京神田を離れ,母親の実家がある長野県上田に疎開しました。

母親に連れられて「実家」に行ったとき,あるいはそれを機にかなり頻繁に行ってますから、その家にあった糸車なのです、母親の母・祖母の姿と共に覚えています。

その家ではじめて蚕とか繭とか、部屋に広く桑の葉とともに見た記憶も浮かんできました。 

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