「あの人変わったね」などという変身はスタイルとか風貌など表面的なもの、あるいは性格とか趣向なども含まれるでしょう。しかし本質的な変身はその人が依存している生計の在りように基を置いていると思います。
新宿四谷でデザイン関係の会社の社長としての三浦さんと民商を通じて知り合いました。会社といってもささやかなもので、マンションの一室で何人かの仲間と一緒に働いていました。その頃の三浦さんしか知りませんので、現在劇作家としての生活は想像も出来ません。小なりといっても会社でしたから中小業者の一人だったのが、自由業というのでしょうか、脚本料という形での収入でしょう。
デザイン関係の仕事を通じて自分の能力と経験を事業に活かす、それを生計の元にする、そこから自ずから中小業者としての生活のありようが出来てくるでしょう。劇作家の生活像は分かりませんが、生計の基を演劇活動に置いている事業者です。私が三浦さんの変身に刺激を受けるのは、中小業者から自由業へ飛躍したことです。そこには自分の才能と経験への愛着と自信があったことでしょうし、何よりも息子さんの存在があっての飛躍だったと思います。
さて、このブログで「つぶやき」たいことは「がんがなぜできるか」ということです。正常な細胞がなぜがん細胞に「変身」するのか、細胞のなかの遺伝子になぜ変異という「変身」が起きるのか、三浦さんの変身に刺激された頭で、我が娘に起きた細胞段階の「変身」について考えていかねばならないようです。
次の本の文字だけを見ているといかに細胞のこと遺伝子のことを知らずにいるか、いやはやとても「がん」には太刀打ちできない、と思ってしまいます、しかしそこが「変身」の出番です。「知らない」から「知りはじめた」に、「知りはじめた」から「ここは分かった人」に変身していけばいいのです。あとは「分かりかけた此処」を手掛かりに此処から其処へ、其処から此処へとがん語で言えば「浸潤」で広げ、知識の浸潤は理解の「転移」となるでしょう。
まず第2章の1ページ目です、
内容に入る前にひと言、この本を読みだす前と比べると「がん」がかなり身近になり読み続けることができている、と思います、変身がはじまっているのかも……。