kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

もう一つの「てくてく」。

2014-06-16 23:35:03 | 本州縦断

 「kaeruのおくのほそ道」は順調に歩き、その記録を不定期ですが、適時

報告してきました。持っているスマホには二種類の「歩数計アプリ」がありま

して、「kaeruのおくのほそ道」で集計さて旅の行程に表れるものです。もう

ひとつが「本州縦断」コースに表示されます。

 この「本州縦断」も「kaeruのおくのほそ道」も第一回をまわりきって各々

第二回目をまわっているのですが、扱いに偏向があり、「本州」の方は昨年

12月に一度報告しただけでした( 2013-12-24 )。

 この歩数等がどのアプリに表示されたのかも忘れていて、気にはなってい

たのです。今日 SmartTrainingというアプリに「ラリー」があってそこでした。

 ちなみに今日の表示は、

全行程1778.7km中995.6km、53%です。場所は

静岡県磐田市で、市内のどこを歩いているかと、

さて、ここは静岡県磐田市の何処でしょう。分かりますがすこし時間が必要です。

同じスマホに記録されるのですが、歩数が違ってきます。

「kaeruのおくのほそ道」に表示された今日の歩数は19913歩で、「本州縦断」

では24125歩となっています。

 距離は同じだろうと思うのですが、よく分かりません。「kaeru」の方はスマホ

に電源が入っていれば計数されますが、「縦断」はアプリをセットしておかなけ

れば計上されません。


本州縦断の出発地・大間町に立って。

2013-12-24 20:59:43 | 本州縦断

 第1回目の「本州縦断」は単に面白そうなアプリだと、漠然とはじめてこと

でした。当然本当の旅としては不可能なことですが、日常1万歩/日を目標

にしていましたので、その目安になれがいいと単純に思ったのです。

 今度2目ですから、1回目よりすこし進歩させたいと思います。

 そこで、出発地の青森県大間町について見てみます。

 この左側の写真の緑色の風船様の印が大間町です。因みに写真の左・

津軽半島の突端が石川ゆかりの「津軽海峡 ・冬景色」の竜飛岬です。

  

 同時にこの半島が「下北(核)半島」ともいわれる状況が右の図です。

 この図はhttp://www.magazine9.jp/genpatsu/120808/ から転用させ

てもらいました。この図は「マガジン9」に2012年8月8日UPされたものですが、

図の前の全体のリード部分を移しておきます。是非時間をとって全体に目を通し

て下さい。

≪下北半島の先端、本州の最北端に位置する大間町。豊かな自然に恵まれたこの町はまた、1980年代から大間原発の建設計画が進められてきた、下北「核」半島の一角をなす場所でもあります。計画はどのように持ち上がり、地元の人たちはどうそれと向き合ってきたのか、そして建設工事が中断された3・11以降、大間原発を取り巻く状況や人々の思いはどう変化しているのか--。少年時代を大間町で過ごし、東京に暮らす今も頻繁に故郷を訪れているという山田勝仁さんがレポートしてくれました。≫


本州縦断(距離分)踏破!

2013-12-23 21:16:41 | 本州縦断

 「踏破!」とは大げさですが、3月25日、青森県大間港を出て12月23日

山口県下関駅に到着、1778.7kmを歩いた計算になります。274日間で

すから6,492km/日、1歩を0.75mとすると8,656歩/日になりました。歩い

た日だけでいえば確実に一日1万歩の目標は越えたといえます。

  

 これが本当の歩きでしたら、九州・門司に渡ってみたいのですが、机上から

「82歳からの旅」さんに、「下関に着きました、そちらへは廻れません。何時の

日か伺いたいと思います、その時にはよろしくお願いします」とつぶやきでなく

叫んでみます。

 

 さて、もう一度青森へ戻って第2回目に臨んでみましょう。極寒の東北をその

気になって歩くのも意義あることでしょう。


豆腐三題。

2013-12-17 21:12:10 | 本州縦断

 偶々立ち止った先に墓があったことから大村益次郎のことに触れて三日

目になってしまいました。

 このことではあと二件ばかり触れておきたいのですが、今日はそのひとつ

豆腐のこと、あと一つは蔵六とイネさんのことです。イネさんとはオランダ人

シーボルトの娘で日本で初の女性産科医です。だた彼女とのことは 『花神』

をよく読んでからにしたいと思います。ですから今日は豆腐のことだけです。

 

 NHK大河ドラマ「花神」はかなり熱心に観たものです。蔵六を演じた中村梅

之助は前進座の俳優だということもあり、私が名前と顔が一致する数少ない

歌舞伎役者でした。

 蔵六は豆腐と晩酌の二本があればなにもいらない、という日常生活で、その

様を演じる梅之助の姿が思い浮かびます。あわせて妻お琴の怒りに触れそう

になると庭から飛び出し、近くの草むらに身を隠す姿も目に残っています。明治

維新の十傑とか日本陸軍の創立者とかいわれる人の姿として大変面白く観た

ものです。

 

 豆腐の話二題目。

 これはBSの朝ドラでやっている「ちりとてんちん」です。この題名の意味すると

ころが豆腐の変質変形で、ドラマでも落語「ちりとんちん」としても知ったいる方に

は余計な話ですが、腐った豆腐のことをいいます(念の為に、この名称は落語で

のはなしです)。

 ドラマの案内は http://www.nhk.or.jp/drama/chiritotechin/ で。

 

 三題目は、豆腐屋の話、といっても「赤旗」の紙面の「ニュース問答」です。

 まず、2012年度の豆腐業界の売り上げが21億円減になったということ。

 豆腐業者の52%が売上1億円未満の中小零細企業、21億円は大きい。

 全国豆腐連合会の話では、1年で500件が廃業しているとのこと。

 12月初めにユネスコの無形文化遺産に和食が登録されたが、和食の中

心の豆腐を担う豆腐店がなくなってしまう危険があると全国豆腐連合会は

危機感を強めています。

 消費税増税の強行がこの危険性をいっそう深刻なものにする、ということ

です。


大村益次郎の天才。

2013-12-16 21:35:41 | 本州縦断

 昨日につづく「大村益次郎・花神」の話です。

 この小説をNHK大河ドラマになってから読んだのか、観る前に読んでい

たのか、忘れてしまいましたがこのこの人の名が記憶に残ったのはあ

るシーンでした。彰義隊との戦いの最終盤です。

 

 司馬さん書くところを要約すれば、旧幕臣を中心とした徳川政権の再興を

ねらう彰義隊は三千の力を擁し官軍は千人以上をひねり出すことは困難で

した。

 それに勝・西郷会談のあと、京都の新政府は江戸のことは西郷任せ、西郷

は江戸の治安は勝に任せるという状態でした。その中で彰義隊の存在が危険

なものであることが明らかになってきます。

 ついに江戸鎮圧、彰義隊討伐の方針へ新政府は一変します。

 そこで、蔵六こと大村益次郎に軍政上の最高職を与え江戸へ向かわせます。

≪蔵六が、大村益次郎として歴史の本舞台に登場するのはこのときからである。≫

 

≪参謀会議の席には、新政府最大の巨人である西郷もいた。西郷は一言も発せ

ず、蔵六もまた西郷を無視した。≫

≪かれ(蔵六)は戦況ニュースとでもいうべき戦陣新聞を発行しはじめたのである。

「いま天下は非常事態である。風説が湧き、風説が流れ、風説によってときに一軍が

潰乱し、ときに勝利軍でさえ投降する。味方に正確な事実を知らしめねばならない」

として、(略)「江城日記」と、名づけた。毎日、発行した。

 かれのおどろくべきことは、いよいよ彰義隊討伐をやるという二日前からひそかに

新聞をつくっておいたことである。原稿は予定稿である。しかし予定稿どおり戦況が

すすみ、一字の訂正も必要としなかった。≫

 

 彰義隊討伐の戦いがはじまって、

≪前線からくる報告はすべて苦戦であった。

 ついに代表者数人が蔵六のもとに押しかけた。蔵六はこのとき富士見櫓にのぼって

いた。代表のひとりが、「いったいどうなさるおつもりです」といったが、

 蔵六はなにも答えず、不意に気づいたように袴のひものあたりから時計を引きづり出

して、文字盤を見たのである。

 「ああもう第二時(午後三時)になるのか」

 と、時計から顔をあげ、

 「それほどご心配なさるにはおよびません。もう片づきます」

 といって(略)

 そのうち騎馬伝令が上野からもどってきて、

 「官軍の勝利」

 と触れこみながら城内に入った。≫


「花神」の墓。

2013-12-15 21:10:08 | 本州縦断

 本州縦断もあとわずかとなりました。

 1778.7km中残り61.8km 歩数にすると約9万歩で着、となります。

 到着は早くて今週中でしょうか。

ところで、この立っている前方に「大村益次郎墓」とあるのに気付きました。

 司馬遼太郎さんの小説 『花神』の主人公・村田蔵六こと大村益次郎。

文庫本で三冊、総ページ数1500ページを越えます。

 折角「墓」に近づいたので、文中「墓」に触れたところを抜き書きして

みます。

≪ 墓は故郷にある。

  鋳銭司(すせんじ)村の山中にあり、まわりには人家もない。妻琴の墓と

ならんでいる。墓前に供花をそなえる者もまれで、そういう意味ではおそろ

しいばかりにさばさばしている。≫

≪ 執筆中、山口の旧鋳銭司村に住んでおられる内田伸氏のご案内で、蔵

六の墓に詣でることがあった。内田伸氏は蔵六の未亡人であるお琴の向い

に住んでおられたという。

(略)

 ところで鋳銭司村の山中のそれも頂上にある蔵六とお琴の墓二基は、墓

という、陰鬱ななかにも変に生命感を感じられるような、そういう通念からよ

ほど遠いものであった。立派な石造物でありながらしらじらしく、風に晒され

て立っており、その前にただずむと、はたして蔵六という男がこの世に実在

したのかどうか、疑わしくなるといったふうに奇妙は感動におそわれた。蔵

六はいかにも蔵六らしく本物の無に帰してしまっているという感じであった。≫

 

 この作家の一文を理解していただく参考に、

大村益次郎については   http://ja.wikipedia.org/wiki/大村益次郎

小説 花神 は          http://ja.wikipedia.org/wiki/花神_(小説)

 


阪神大震災の地に戻って。

2013-11-18 19:52:05 | 本州縦断

阪神大震災:犠牲者名刻む銘板 新たに13人追加

2013年11月18日(月)07:21  ≪毎日新聞≫

 阪神大震災(1995年1月17日)の犠牲者名を刻んだ神戸市中央区の「慰霊と復興のモニュメント」の銘板に17日、新たに13人の名前が追加された。その一人、井村喜一(よしかず)さん(当時59歳)は、震災死した妻道代さん(同55歳)を守れなかった自責の念から初盆の後、命を絶った。娘姉妹が「2人を一緒に」と銘板掲示を申請した。

 喜一さんは、倒壊した同市須磨区の自宅から救出されたが、隣室の妻は亡くなった。勤務先も被災して失業した喜一さんは、「100円ショップ」を始めようと店舗付き2階建て住宅を借りて移り住み、開店を1週間後に控えた95年8月下旬に自ら命を絶った。

 「ぽっかり開いた穴は、お前たちでは埋められへん」。喜一さんは生前、次女の設楽(しだら)久美さん(44)=同市垂水区=に漏らしたことがあった。喜一さんはがれきの中で、段ボールの切れ端に「道代を助けられなくて、ごめんなさい」と書いていた。久美さんは「自分だけが助かり、責め続けていたんでしょう」と話す。

 娘たちも父を救えず、自分を責め続け、長い間、申請用紙に父の亡くなった状況を書けずにいた。今年1月、モニュメント前での追悼行事に初めて参列して母の銘板を見た久美さんが、「父の生きた証しを残したい」と申請した。姉の井村清美さん(49)=垂水区=と父の銘板を掲げた後、少し離れた母の銘板を見上げ「私たちも少しだけ前に進めた」と話した。【田中将隆、桜井由紀治、岡奈津希】


 「本州縦断・架空の旅」で神戸市長田区に着いたら、大震災のことに触れる予定でしたが、それをぬかして歩いて来てしまいました。今日gooニュースに上記の新聞記事が紹介されてきました。

 あと二ヶ月で19年になろうとしています。当地の人々が様々な物心ともどもの傷を抱えながら生きて来られたこと、その一つとして読むことが出来ます。それは国民的惨事として忘れてはならないこと、まして一時でも支援活動に従事した者にそのことが要求されることでした。

 振りかえってみると、日々の新聞の死亡者名簿を見ていて、その高齢者の多いことに驚いていました。60代70、80代の方々が大半以上を占めています。 そのわけを知りたいと思っていたところ、私の勤めていた業者団体が現地の団体からの支援要請に応えることになり、それならば是非と、向かうことになりました。

 2月上旬の五日ほどの短期間でしたが、ひと言でいうと 「聞くと見るとは大違い」の言葉で言い表す実地体験、五感で感じ取ることの大切さです。テレビで見新聞で読み「大変なことが起きている」 の思いは当然ですが、感覚的には日常のままです。しかし、崩壊した街のなかにいるうちに、偶にまっすぐに建っているビルなどあると、「おかしいな」と感じていることに気付きます。傾いたり、崩れたりしているのがビルというもので、まっすぐ建っている方が「異常」に見えてくる、感覚の変化です。 これは報道に接しているだけでは至らない感覚の変化だと思いました。

 正しい判断のためには、問題発生の現地を知らなければならない、あわせて現地にとらわれていてはならない、というような事を知り、知るとは知識としてだけでなく感覚としても理解することだ、と思いました。

 高齢者に犠牲が多かったのは、家のなかでの寝起きを一階で主としていたこと、それは何かあった場合、直ぐに外へ出られることを考えての配慮からでした。 その何かに地震が入っていなかったわけです。 地震といえば関東の問題で関西には地震はない、という理解が浸透していたのでした。 

 1955年1月17日と2011年3月11日、この二つを現代の私たちは経験しています。そして、確実に次の「大地震」は地中で準備されているのです。私たちの世代が生きているうちにやってくるでしょう。 ならば阪神大震災でも東日本大震災に対しても支援者でしたが、当事者としての構いになっているか問われてきます。その前提は二つの大地震での経験を忘れず、適時に想起して言い表していくべきかと考えます。


倉敷に着いていました。

2013-11-17 21:23:51 | 本州縦断

 本州縦断の「kaeruの旅」は気が付いてみたら倉敷市中でした。

 一度は行ってみたいところですが、アプリの旅で一足先に歩いてみたこと

になります。 それに倉敷は「gooブログはじめました! (雲)」さんの居られ

る所で、円通寺という良寛さんが修行されたお寺と伺っています。

そのことは 11/6日にコメントで触れておられます。

http://blog.goo.ne.jp/kumonokumotarou/e/d0533717e467b513c5a1735e120b0e45#comment-list

円通寺については http://www.kurashiki.co.jp/entsuji/ で。

 

  

 kaeruのいる所は倉敷市笹沖1301-1 「kaeru23」の名札の陰になって

いる「オートバック笹沖店」の前あたりです。

 このアプリの旅ではじめて「ブログ知人」の居られる街を歩くことが出来ました。

なにやら今までの街とは違う感じで、kaeruのいる場所と円通寺は直線にして

約11km位ですから本当に歩いているのでしたら御寄りしてお話を伺うところで

す、架空の旅ゆえ先を急ぎます。

 

本州縦断の82%強を歩き終わりあと320kmばかりとなりました。

 


kaeru23、神戸市長田区「到着」を前にして……。

2013-10-25 20:44:50 | 本州縦断

21日に報告しました「kaeru23」の本州縦断の旅(アプリ上での旅)では

大阪市内でしたが、昨日兵庫県に入りました。

 

例によって立ち止った場所近くの神社はと、見ますと画面(右側)下方に

二つの神社がありました。 かなり下の方に貴布禰神社、その上に天龍

神社と読めます。 相変わらず何処でも神社という感じで、八百万の神々

という「数」が実感できます。

二つの神社の住所を記しておきましょう。

貴布禰神社=兵庫県尼崎市西本町6丁目245

天龍神社=兵庫県尼崎市玄番北之町

二つの神社をGoogleマップのストリートビューで見ますと貴布禰神社

は鳥居も拝殿も見られますが、天龍神社はGmで見れるのは商店街の

通りだけです。

八百万の神々の棲家である神社も八百万の様相を呈しているのです。

神社もこの社会のものである以上、この社会の様相をそのまま表わし

て、ピンからキリまであるので、今年は20年に一度の式年遷宮の年で

ありTVなどでも取り上げられている伊勢神宮などがピン中のピンでしょう。

 

さて、尼崎市から先へすすめば神戸市、そして長田区に入るコースを進ん

でいます。1995年の阪神大震災で2月のはじめ頃長田区に支援に入った

のでしたが、本当にその場を歩いているのでしたら幾つか寄ってみたい所

があります。そのことは神戸市に着いた時につぶやきたいと思います。

今は、あるブログの紹介です。

2013-06-19 に紹介しました「もて木みち子 オレンジニュースブログ版」

が ウィメンズネットこうべホットほっとな日々

に衣替えをしていました。6月に紹介したままになっていましたので、kaeu23

の神戸到着を前に紹介させてもらいます、何かの折に訪問してみて下さい。


「人生、下り坂最高!」

2013-10-21 20:20:45 | 本州縦断

 昨日付けですが、週刊紙ですので 「しんぶん 赤旗 日曜版」 の扱いでよろし

く。

 我が家の奥さんがファンの火野さんを岩手で取材した紙面です。見出しにあ

りますように 「手紙が主役で俺が脇役」、視聴者の「こころの風景」が手紙に記さ

れて来ます。 それを訪ねて2011年春から300回をこえる放送を重ね、残り1都

3県をまわれば全都道府県を自転車(のみではないが)で廻った旅。

 64歳、「人生、下り坂最高!」。 旅の初日に口走った言葉、だそうです。

 10代で悟ったこと。中学1年で児童劇団に、大坂の子ども番組の出ていた17、

18歳の頃は、高校の校門に女の子が列をなしていた。それが番組が終わった

途端、「あっというまにいなくなった。こういうもんなんだな」。

 

 kaeruの本州縦断は、全国図でご覧のとおり大阪市内に入っていまして、

全行程のほぼ70%を越えたところで先が見えてきたといえます。

 

大阪市内はどこか? 福島区から西淀川区へ向かい新淀川の中です。

kaeruですから溺れてはいないでしょうが、10月のこの時期こんな所にいるの

ですかね?

例によって、後方ですが八坂神社が見えます。 この神社についてはWikiで、関

心があれば見て下さい。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/八坂神社_(大阪市福島区)