kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

巴御前とジェンダー

2022-10-31 20:45:16 | 三浦半島

今夜のタイトルは昨夜の続きで、巴御前を演じた秋元才加さんのこの言葉を受けています、

是非この「特集  ムービー」を見て下さい。

 

特集 ムービー | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

第41回より 巴御前役・秋元才加さん

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

 

 

さて、その巴御前の関係している場所が横須賀市内に2ヶ所あるのです。

その一つ、市内岩戸の石塔。

連載 第9回「義盛と巴御前」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介 | 三浦 | タウンニュース

連載 第9回「義盛と巴御前」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介 | 三浦 | タウンニュース

『三浦古尋録』の中に次のような一文があります。「源平合戦ノ後ハ関東ノ諸大名下々ノ郎等ニ至ルマデ日夜(にちや)酒宴遊興ノミフケリケル(中略)」とあって、「田代冠者...

タウンニュース

 

このニュースの終わりの一節。 

 『横須賀雑考』(昭和四十三年八月、横須賀文化協会発行)の中に「ともえ御前の遺跡」と題した文があり、次のようにあります。

 「(前略)晩年になり、ともえは侍女の山吹とともに尼になって諸国を巡り歩いて後、三浦氏にゆかりの大矢部の里にたどりつき深谷の円通寺のほとりに草庵を結んで亡父をはじめ木曽や和田一門の冥福を祈って朝な夕な勤行をはげんでいた。時々は近郷近在に托鉢して浄財を集め、それで和田氏九十三騎の墓を建てたということである。(中略)ともえの墓と伝える五輪塔が二ヵ所にある。一つは市内岩戸の満願寺の東の方の小高い所にあり、傍らに侍女の墓と伝えるものと二基がある。他は森崎団地の森崎から登り口の左側にあり、里人たちは、これを『大仏』と呼んで、巴御前の塚だと伝えている。」とあります。

巴御前が和田義盛の妻だったのですから、和田の郷に関係した跡があって不思議ではないのですが、場所が飛んで我が故郷・長野県上田市に石塔ではなく「お歯黒池」が残っていました。

 

木曽義仲公ゆかりの地を訪ねて⑤~巴御前編~

地域政策課のOです。 木曽義仲公ゆかりの地を訪ねて、今回は義仲公の寵妃「巴御前」にまつわる場所をご紹介します。 それは「お歯黒池」といいます。 平家打倒の旗上げをし...

じょうしょう気流

 

木曽義仲と共に各地で奮戦していた巴御前ですから、信州上田にその跡があって当たり前なのでしょう、でもこれ、初めて知りました。三浦半島にも上田市にも跡があるとなると、巴御前は歴史上の女傑にとどまらず、僅か800年前に過ぎないそれで現在のあの人この人と思えるご婦人に繋がるように思えてきました。


鎌倉最大の激戦・和田合戦 / 美郷春草著 『鎌倉炎上』 

2022-10-30 22:48:17 | 算数+数学

「鎌倉殿の13人」今夜は、

あらすじ | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

あらすじ | NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

第41回「義盛、お前に罪はない」 あらすじや解説、フォトギャラリーなどを紹介しています。

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」

 

そして、ここに紹介しますは、葉山町在住の美郷春草さんの書き上げた

『鎌倉炎上』です。

鎌倉炎上: 源頼朝と共に鎌倉幕府を創った男 侍別当和田義盛 | 美郷 春草 | 歴史学 | Kindleストア | Amazon

 


「つぶやき」 を 「声」 に世論に、 常識に❗️

2022-10-29 17:02:11 | 三浦半島

10年前の「つぶやき」です。昨日の「つぶやき」へのワイコマさんからのコメントへの返信コメントに代えて……。

 

女人入眼(にょにんじゅげん)の日本国。 - kaeruのつぶやき

あるご婦人のブログにこんな趣旨のことが載っていました。「以前は話題にもならなかった政治の話が、主婦の集まりでも賑やかに語られるようになりましたが、日々目にするこ...

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 あるご婦人のブログにこんな趣旨のことが載っていました。

 「以前は話題にもならなかった政治の話が、主婦の集まりでも賑やかに語られるようになりましたが、日々目にすることは国民とかけ離れたことばかりなのはなぜ?」と。そして、「混迷する現実に自分自身の考えも定かではありません、学習しないといけませんね」。

この方は鎌倉在の人ですので、ふと「尼将軍=北条政子」のことに思いが飛びました。何時も蛙の如く思いが跳ぶのですが、今度は今回の選挙の行方は女性の意向が大きくかかわってくる、と思うからです。

 ご存知政子は、承久の乱(1221年)に際して武家政権の堅持を訴え、その訴えは鎌倉武士を奮い立たせ天皇政権の軍を打ち破る力になりました。これは政子個人の力量を示すだけでなく、当時の社会における女性の役割を示しています。例えば、将軍の継承問題に関して政子が交渉した朝廷側の相手は藤原兼子であり、それ以前に政子が娘の大姫の入内計画での相手は丹波局(高階栄子)でした。

 そのことを僧慈円が『愚管抄』のなかで「女人入眼の日本国」(日本という国は、まさに女性によって大事な問題が決まる国なのだ)と述べています。

 【北条政子などのことは『源頼朝と鎌倉幕府』(上杉和彦・新日本出版社)を一夜漬けで読みました。また不破哲三さんの「社会進歩と女性」も少しめくりました。鎌倉婦人の「学習しないといけませんね」に応えて】

 男女平等もジェンダー平等も、何度もつぶやき、つぶやきから声に発展させ世論となり、日常の常識になっていくよう、つぶやき続けましょう。


日本では女性は簡単には敗北しなかった

2022-10-29 16:52:14 | 算数+数学

昨日のページを読んでください、

日本では女性は簡単には敗北しなかった

 個人的異性愛についてのヨーロッパのこうした歴史を読むと、日本とは少し事情は違うな、という感じを多くの方がもつのではないでしょうか。
 今年(二〇〇八年)は「源氏物語」から千年目の年だということが話題になっています。 つまり、この小説の最初の草稿が書かれたのが、いまから千年前、 11世紀の始めごろだと見られています。 プロヴァンスの吟遊詩人たちが、「恋歌」をうたって歩いたごく初期のころに、日本では、恋愛小説の大長篇が、 しかも女性の作家(紫式部)の手によって生みだされ、その作品がいまでも日本と世界で広く読みつがれているのです。
 日本には、もっと古い恋愛文学があります。『万葉集』です。 これは、八世紀に編集された歌集です。 エンゲルスが世界最古と評価した、ゲルマンの恋歌の始まりより、さらに百数十年さかのぼった時代に生まれた歌集ですが、 「万葉恋歌」という言葉があるように、そこには、男女の恋愛感情を歌った多数の和歌がおさめられています。 そこには、貴族階級の恋愛も登場しますが、農民の夫婦愛を歌ったものもたくさんあります。 当時、関東の多くの農民が、「防人」とし九州の防衛のために兵士として動員されることが多くありましたが『万葉集』のなかには、夫を送り出した妻と送りだされた農民兵士とのあいだでの恋愛感情を歌った、多くの感動的な歌があります。
 これを読むと、日本では、封建社会になるずっと以前に、大和国家の時代に、農民のあいだに、熱い異性愛で結ばれた一夫一婦の家族があり、 その夫婦愛を歌った文学が早くも成立していたことが分かります。 そこには、ヨーロッパでの「世界史的敗北」のあとの「一夫一婦婚」 家族の男性による女性支配とは、ずいぶん違う姿があります。
 その背景には、日本独特の家族形態の歴史がありました。「妻問婚(つまどいこん)」といって、女性が嫁として夫の家に入るのではなく、夫が女性の家に通い、 女性の生活はその家族の側でささえる、こういう結婚形態が、 貴族社会でも、庶民の社会でも広まっていました。日本の女性は、そう簡単には 「敗北」 しなかったのです。
 日本の女性ががんばっていたことの一つの象徴は、鎌倉政権の初期に活躍した北条政子です。この幕府初代将軍・源頼朝の妻ですが、 夫の頼朝が死んだあとも、政権の中心にたって活躍するのです。
 だいたい、当時は、女性は経済的にも、それだけの基盤をもっていました。 たとえば、 政子は北条家の人間で、頼朝と結婚しても、姓を変えずに 「北条」のままでしょう。 そして、女性であっても、北条家の財産を相続し、領地をもっていました。
 私は、以前、夫婦で鎌倉を訪ね、この夫婦の墓を探したことがあるのですが、 二人の墓は全然別のところにありました。 政子の墓は、お寺に立派な形で残っているのですが、頼朝の墓は、こ

こがそうではないか、というそれらしいものが、山裾にあるくらいで(ざわめき、笑い)、はっきりは分からないのです。
 ともかく、当時の女性は、封建社会でも、独立した人格と権利をもっていました。だから、これは歴史に残る有名な話ですが、頼朝が死んだあとに、鎌倉幕府がけしからんというので、京都の天皇政権が〝鎌倉追討〟の命令を全国の武士に発し、内戦を起こしたことがあったのです(承久の乱1221年)。そのとき、鎌倉武士の男たちが、天皇政権が相手だということに恐れおののいたようですが、そこへ政子が出ていって大号令をかけた、というのです。天皇政権の追討命令は〝非義の綸旨〟
だ、「綸旨りんじ」というのは天皇の命令のことですが、天皇の命令であっても大義のないものだ、と断じ、あなたがたはせっかくつくった武家政治をそんな命令をおそれてつぶす気かと訴えたのです。 それでみんなが奮い立って、天皇政権の軍を打ち破るのですが、戦争のさなかでも、政子は、中心指導者の一人として、重要な決定には全部くわわっています。政子個人の力ももちろんありますが、大きくいえば、当時の日本における女性の地位もそこに反映していたと思います。
 見方はほかにもあるでしょうが、日本で女性が「日本史的」に敗北したのはいつごろかというと、封建社会でも室町時代の始まりごろだとする有力な説があります。 一四世紀です。そのころ、結婚した女性が夫の家に入る嫁取式の結婚が支配的になり、女性は、それまでもっていた独立の権利をしだいに失ってゆきました。 ヨーロッパでは、ギリシア、ローマでいえば、「女性の世界史的敗北」の年代は紀元前を大きくさかのぼりますから、日本での「敗北」は、少なくとも千数百年、あるいはもっとおくれて起こっていることになります。
 その日本で、女性参政権を獲得したのが1945年、両性の平等をうたった憲法ができたのが1946年、つまり20世紀の半ばですから、日本での女性の「敗北」の時代は、せいぜい600年ほどの歴史しかもっていないのです。「敗北」の時代がどれだけ長かったか、あるいは短かったか、ということは、日本の女性に刻まれたDNAの問題として、これからの女性の地位を考えるときに大事になることですから、ぜひ頭にいれておいて欲しいと思います。

この北条政子の「訴え場面」が、

 

 自分のために鎌倉を戦場にはできない。 義時は泰時たちに鎌倉の今後を託したのち、 政子に会いに行き、執権として最後の役目を果たす決意を表す。
 義時の招集により、御所に御家人たちが勢ぞろいした。 義時が皆の前に立ち、後鳥羽上皇との経緯を話そうとしたとき、 政子が毅然と現れた。 義時を下がらせると、政子は紙を出して読み始める。
 「源頼朝様が朝敵を討ち果たし、関東を治めてこのかた、その恩は山よりも高く、海よりも…..…..」
 広元に書かせた文章だ。 朝廷が仕掛けた戦により鎌倉に危険が迫っていると、御家人の心に響くように訴えかけている。だが政子は途中で紙をしまった。後鳥羽上皇が狙っているのは、鎌倉ではなく、ここにいる義時の首だと真実を語り始める。
 「鎌倉が守られるのならば、命を捨てようとこの人は言った。あなたたちのために、犠牲になろうと決めた」
 義時が皆から憎まれてもしかたのない厳しい態度をとってきたのは、鎌倉を守るためだと強調する。
 「ここで上皇様に従って、未来永劫、西の言いなりになるか。 戦って坂東武者の世をつくるか・・・・・・ 頼朝様の恩に今こそ応えるのです」
 政子が鼓舞すると、御家人たちが雄たけびを上げる。


鎌倉幕府とジェンダー平等

2022-10-28 23:57:57 | 三浦半島

 このタイトルは気を衒ったものと思われるでしょうが、かなり意味付けがあるのです。昨日は立憲民主党の女性議員について「つぶやき」、その前日は葉山町議会で女性議員の占める率が50%で、全国一位になった事があったと「つぶやき」ました。

 そうやってつぶやいてくると、「ジェンダー平等」の目でこの本のこのページを紹介しなければ、と思いました。本は、

このページとは、

ここの見出し「日本では女性は簡単に敗北しなかった」、ということは「女性の世界史的な敗北」があったということです。

思い出して頂きましょう、『原始、女性は太陽であった』(平塚らいてう自伝)のです。その太陽的輝きは鎌倉時代、このように武士社会を照らしたのです。これは「鎌倉殿の13人」最終回に向けた北条政子が並み居る男どもを叱咤激励する場面、12月11日に見られる場面です。

文字移しは明日にします。 


読んで下さい、 「新聞・紙面」 を……。

2022-10-27 22:41:55 | 算数+数学

(朝日 10月14日)

女性議員 政治の常識問う
ハラスメント訴え 24時間戦わない

「出産直前に街頭宣伝やビラ配りを割り振られた」。女性議員が3割を超えた立憲民主党神奈川県連でマタニティーハラスメントやパワーハラスメントに遭ったとの訴えが相次いでいる。政治の世界でも少しずつ女性が増え、これまでの「常識」が問い直される場面も出てきた。識者は子育て中の女性への配慮や、組織上部への研修が必要だと指摘する。

 横浜市の大野知意(ともい)氏は9月7日に記者会見を開き、同党衆院議員らからマタハラを受けたと訴えた。大野氏によると、昨年8月下旬に第1子を出産予定で、7月半ばから活動を休むと総支部長の衆院議員に伝えていた。だが、 横浜市長選や衆院選を控え、「1日200枚のピラまき」や「1日計3時間の街頭宣伝」が割り振られたという。その後、県連の総支部から「党員としての活動量が足りない」と指摘され、来春の市議選の第1次公認を見送られた。こうした決定は不当だと訴えている。

 総支部長の衆院議員は「議事録を確認したが『活動量が足りない』と指摘した者はいなかった」と反論している。

 逗子市議の加藤秀子氏は9月10日に記者会見し、昨年11月の党代表選で
幹部の男性県議から「パワハラを受けた」と訴えた。加藤氏によると、県議から自ら推す候補を応援するように依頼され、断ると「(市議選の)公認とれなくても知らないぞ」と言われたという。

 この男性県議は今夏の参院選で神奈川選挙区に立候補した水野素子氏を応援する女性国会議員らを名指し、「共通するのはポンコツばかり」 「女性だとかジェンダーだとか、ほざいている連中」などと県連所属議員の多くが加わるLINEグループに投稿していたという。男性県議は取材に「「会見を見たわけではないのでコメントできない」と話した。

 一連の訴えは、党本部ハラスメント対策委員会や県連で調査するという。

 女性議員を増やすことをめざす「候補者男女均等法」が4年前に施行され、県連は積極的に女性候補を擁立してきた。所属する105人中36人(34%)が女性議員だ。県連所属の衆院議員からは「男性議員の意識が、変化に追いついていない」との声も漏れる。

 女性議員のサポート団体「Stand by Women」の浜田真里代表は、立憲神奈川県連だけの問題ではない、とみる。全国の女性議員からヒアリングをすると、被害を訴えること自体を否定された事例もあり、「『昭和の話かな』と思うようなハラスメントが横行している」と話す。

 2020年に内閣府が実施した地方議員へのアンケートでは、ハラスメントを受けたと答えた議員は42%  女性58%  男性33% だった。浜田さんは男性が多くを占める議会や党の「トップ層」への研修も必要だと訴える。

 とりわけ課題だと考えるのは、子育てをしている女性の政治活動だという。

 「子育て中は政治との点も多いのに、出馬自体が難しい面もある。24時間
活動しなくても当選できるという事例を増やしていくことが重要だ」

 今夏の参院選では、愛知選挙区で、2児を育てる国民民主党の伊藤孝恵さん(47)が2度目の当選を果たした。

 最初の選挙は2016年。当時長女は3歳、次女は1歳だった。選挙カーで授乳をしながら、深夜まで街頭にも立った。だが今回は、選挙期間中でも午後8時以降は「ママに戻る」ことを貫いた。「24時間戦えないから、あなたと同じだから代弁者になれる」と訴えた。

 厳しい選挙情勢が伝えられ、同僚議員からは「もっと街頭に立て」と言われた。それでも「『こういう勝ち方があります』と未来のママに贈る選挙をやる」とスタイルを崩さなかった。

 伊藤さんは1期目から「永田町の常識」に直面してきた。議員会館の事務所にキッズスペースを作り、子どもを遊ばせていると「うるさい」と怒鳴り込まれた。会合に子どもを連れ行くと「子どもがかわいそう」と言われた。

 最近は子どもと一緒に会合に参加しやすくなり、 キッズスペースに他党の家族が遊びに来ることもある。
 ルールを変えるにはどうすればいいのか。伊藤さんは「共感でしか仲間は増えない。 わずかな共通点から共感を得て、じわじわ変えていくしかない」と考えている。(足立優心、小林直子)


35年の年輪のうえに重なる課題。

2022-10-26 23:49:40 | 葉山そして人

かなり慌しい準備でしたが「のぞみ会35周年のつどい」をやって良かった、思いました。

まず天気に恵まれたこと、このお店・

 

海辺のレストラン ラ・プラージュ

葉山エリアの絶景フレンチレストラン、海辺のレストラン ラ・プラージュのオフィシャルページです。お店の基本情報やメニュー情報などをご紹介しています。

海辺のレストラン ラ・プラージュ

 

は「のぞみ会」では馴染みのお店で、なんと言ってもこの光景です、

富士山と江の島が目の前、宴の〆は初代会長と二代目会長のお二人に花束贈呈。

と、ひと仕事終えて明日の……、と思ってたらこんなことが、

 明日夜には「4区市民連合」の集まりがあり出かけるつもりでした、これを読むと昼間「のぞみ会」で述べたことが明日の集まりにでも話さねばと思います。

 この新聞記事によると、立憲民主党の神奈川県で女性議員の何人かがハラスメントにあったと、訴えているということです。

 昼間、私が述べたのは2019年に葉山町町議会議員を引退した2人・畑中由喜子さんと横山純子さんのことです。畑中さんからは葉書で「つどい」へのメッセージを頂いていましたので読み上げました。そして、このお二人が経てきた議員生活のほぼ30年と「のぞみ会35年」は重なると。あわせて、2015年の町議会選挙で女性議員が半数50%を占め、女性議員比全国でトップ(他に2議会、全国で1,718議会中)になっていることも「のぞみ会35年」と重なるのは決して偶然ではない、と述べました。

 偶然ではないとは、「のぞみ会」が特定の候補者・議員を支持しているとか選挙の時応援するとかではないが、ということです。35年前に会が結成される過程に、地域で婦人を中心にした小学校の教育環境を守る運動があった、と伺っていました。そのなかで知り合った婦人同士が他の要件もあって日常的に付き合いをしましょう、が「のぞみ会」の元にあったと考えます。それは運動としてはささやかなものでも、生活のなかから地域での付き合いが話し合いを生み、意識を広げていったのではないでしょうか。その結果の一つとして女性議員の誕生にも反映していたと言っても間違いはないと思います。

 前述した「ハラスメント訴え」のなかの逗子市議会議員の加藤さんは、逗子で「歴史を学ぶ会」の仲間です。活動の一端を知っている者としても「市民連合」がこの地域で関心を深め、運動の方向を示していくよう述べようと思います。


「のぞみ会」の良さ、 居心地の良さ。

2022-10-25 22:30:35 | 葉山そして人

明日の天気が懸念されていたが、今夕「のぞみ会ライン」に送った写真とひと言、

天気が懸念されるのは、杖を持って出なければならない人がいるから、それも初代会長91歳は両手に、現会長84歳は一本と言うわけだからです。それも心配する必要がなくなったようで、幸先の良いことです。

これは葉山町の地域活動をしている諸団体を紹介した冊子からですが、

会員数16名とあり男1となっています、その1が私で、それで明日の「希望会35周年のつどい」の乾杯の音頭をとることになっています。それでさっきまで見ていた「のぞみ会だより」のなかにこんな記事が載っていました。

のぞみ会の皆様へ

 ○の次男でございます。
 このたびは会報をお送りいただきましてありがとうございます。 驚きと感銘を受け読ませて頂きました。
 母幸はひじょうに子供想いの強い人でありましたが父亡き後、「寂しさ」と「煩わしさ」を計りにかけて、 自分は「寂しさ」 を選ぶと申しまして、 葉山での一人住まいを20年続けてまいりました。
 しかし一人住まいの20年は母にとってあまりにも過酷でありました。 一人で摂る食事の味気なさは、 息子として想像に耐えません。
 週に一二度の私とのデートが寂しさをまぎらす唯一の方法と思っておりました。
会報を読ませていただきますと、その中に生きる母の姿は、私からは垣間見ることの出来なかった 母の生き甲斐です。
 出不精、他人嫌いの人で、 子供との逢瀬のみが母の幸せとばかりと思い込み、 十分にその
時間を与えられなかった自分への悔悟も残した母との別れです。
 しかし母の死後、 のぞみ会の皆様に暖かく迎えていただいており、 それが母の大きな喜びであったことを知りました。
 息子としてそれはそれは大きな安堵であり、喜びです。
 皆様への感謝の気持ちでいっぱいになりました。
 会報の御礼と生前の母へのご好意に心から御礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。

                       平成16年8月27日

ここで母と呼ばれている御婦人については、以前の「つぶやき」から、

印象に残るエピソード
    会の初期の段階から参加していたある高齢の女性がいた。 自分の言いたいことをはっきり言う人
で、他のメンバーも最初の頃はびっくりするよう
なことも多かったという。
    ひとり暮らしで、 2人の孝行息子が一緒に住もうと言ってくれていたが、息子や嫁と一緒に暮らすのを嫌がって、あえてひとり暮らしをしていた。
「煩わしさよりも寂しさを取った。 強い人だった」と
渡辺さんは言う。
 その人が会に参加して、心地よくなっていった
からなのか、 人当たりがよくなり、 どんどん性格が変わっていった。そして90歳まで元気に過ごし、最後は「ピンピンコロリ」と亡くなった。 会の心地よさが人を変えた、忘れられないエピソードだと渡辺さんは話す。

 この人の家へ私は庭の草取りや暮れの障子張替えなどに伺ったことがあり、大変喜ばれたものでした。渡辺さん(「のぞみ会」初代会長)の言われている「心地の良さ」とは自分が変わる喜び成長する喜び、と言うものかと教えられました。


ダイレクトって「直接」ではなかった?

2022-10-24 23:27:12 | 非詩的なつぶやき

この2、3日頭と手を悩ましているのが、この問答で諦めがつきました、

要はiPadの文や写真をCanonのプリンターで印刷したいので、まずWifiを設置してその直後Wifiを介してiPadとプリンターを接続させようと試みたのですが、出来ずにいたのです。

その時、iPadとプリンターを「ダイレクトに接続」という説明があり、イメージとしてケーブル一本でつながるのだ、と思い込んだのでした。実は明後日の集まりに出したい文章があり、その印刷をしておきたいと、昨日はWifiルーター情報をiPadとプリンターに入れることに成功し、これなら「ダイレクト」でなくとも接続できる、とここでも思い込んで奮闘努力の甲斐のなく非接続。

そこでやはり有線でダイレクトに、とケーブルを求めて午後からヤマダ電機へ行きましたら、数十種いや百種はあったでしょう。これだけあればと思ったのですが、店員さんはここにあるのは無線が前提という話。私が説明書に直接接続出来るとありましたよ、と……、それでしたら専門の店に、とかいう話になってiPadの専門店に、大船から横須賀中央へ。ここでもプリンターの接続口がどうなっているか、キャノンに、とのこと。

ヤマダ電機でもiPad屋でも「それは出来無いです」、とは聞きませんでしたので有線への幻想をそのまま抱きつつ帰宅、食事後「iPad  キャノンプリンター ダイレクト接続」で検索したなかに上の「問答」がありました。ダイレクトという意味はiPadなどをプリンターに近づけるという意味だったので、有線とかには関係ないことでした。


藤井聡太の 「節目」 に、 戻って……。

2022-10-23 21:39:48 | 非詩的なつぶやき

こんなタイトルにしたのは、

 

将棋「竜王戦」タイトル防衛目指す藤井五冠勝ち1勝1敗に | NHK

【NHK】将棋の八大タイトルの最高峰「竜王戦」の第2局が京都市で行われ、タイトル防衛を目指す藤井聡太五冠が勝って1勝1敗とし、勝敗…

NHKニュース

 

というようなニュースを見た所為でしょう。

「戻って」とは3月のこの「つぶやき」です、

 

五年ほど前、藤井聡太さんの驚きの語彙 - kaeruのつぶやき

この話は藤井五冠がプロ入り後1年1ヶ月余りで50勝目をあげた時の話です。2017年11月21日のことです、まずこの言葉を読んで下さい、この言葉のなかに国語教師が知らなかっ...

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この「つぶやき」では「節目」を「せつもく」と読んでいる藤井少年の語彙に驚いたことをつぶやいたのです。この後、驚きの大きさに驚き、ブログをかなり休み、その間将棋アプリで遊んでいました。アプリですから相手はAIとか人工知能とかいわれるものの一種なのでしょうか、と言ってもアプリそのものが「入門編」となっていて、いかにも子供に関心をもたせて順次引き上げていきましょう、という感じで十分遊ばせて貰いました。

そこで、こんな本を借りてきて読みだしたところです、

東京大学で将棋部に属しアマチュア五段、学生の関東大会で準優勝などしている将棋強者の著書・山本一成さんの将棋AI「ボナンザ」の話です。このボナンザが2013年3月30日、現役プロ棋士の精鋭・佐藤慎一四段(当時)をやぶったのです。この日は、「現役プロ棋士がコンピュータに敗れるという、将棋の世界、そして日本のコンピュータ科学において重要な日となったのです」(p072)。