葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

季語「冬の水」その5

2015-12-31 16:43:41 | kaeruの五七五

3  木々の枝こまごまとある冬の水

4  冬の水平らかに木影うつしをり

この二つの俳句について《 これらの句になると理屈はない。冬の水に木影がうつっているという自然の事実を描いているだけで、つまり見る眼がもとになっている。こういう句を写生の句という。》と述べます。そして真の写生という立場からみてどうかと論をすすめます。

《 真の写生とは、まず則天去私に立って事実を尊ぶということから始まる。尊ぶということは対象をいかに深く、鋭く見るか、ということである。深く鋭くみるということは、そのものの内部にはいることである。内部にはいるには、そのものの生命に、自分の心の真実がふれなければだめだ。》

《 だから、写生の眼はカメラのレンズとは違う。ただ状態を写すのではない。実体をつかむのだ。それが人間の眼である。人間の眼は対象を尊重すればするほど、対象のなかにはいらなければならぬ。はいるには心のはたらきが自然に生じなければならない。ただ、ものをありのままにスケッチする、そいいうのではない。それは軽い技術の練習であ》ると述べています。

その上に立って《 これらの句をみると、観察している眼が皮相なのにきがつくのである。~要するに、かかる冬木水映の、自然のもつ透徹した静けさの重み、つまり生命がこの句ではとらえられていないのだ。それは作者の心が対象のなかに、じっとはいりこんで実相をつかもうとしていないからである。そこにこの句のものたらさがある。ひとことでいえば心がないのだ。》

《 スケッチの写生で終ってしまっては、詩に昇華されず、一種の報告になる。観察して深くて感動するところがあって、それがおのずからことばの表現を産むのが詩だからである。感動のない観察は、よし対象の真は描けても、作者の心象とか風懐とか、大きくいって、自己の人間的要請というものは示せない。》

このあと5、6、7について語る部分が続くのですが、これから小父さんの所で年越し蕎麦、そして森山神社へ、初詣参拝者をむかえますので、この後は来年に!

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季語「冬の水」その4

2015-12-30 20:54:08 | kaeruの五七五

続   秋元不死男「歳晩秀句」

    年を以て巨人としたり歩み去る    虚子

  一年の歳月を “巨人” であると比喩した。年が暮れるとは、その巨人が歩み去ることだといった。地上の生きとし生けるものの小さな葛藤、生存の喜怒哀楽などは、年という巨人からみれば些細なこと、年はただ赴くままに、のっし、のっしと行くだけ、年のうしろすがたに非情を見よ、そういった俳句で、私の最も好きな句である。

    行く年の山へ道あり枯茨    水巴

  渡辺水巴のこの句も好きである。いままで見てきた主観のつよい歳晩俳句とくらべると、この俳句は極めて淡如、歳末の山道風景をさりげなく詠んでいる。しかし、縷々たる小径と枯茨の人気のない場所が、何か逝く年の情緒に纏綿してくる。こういう淋しい情景を歳晩の折に口ずさむと、人ごみでごったがえしている街の歳晩を忘れさせてくれる。

偶々歳晩という折に、秋元不死男の俳句に関する数句と鑑賞文を読むことができました。水巴の句の鑑賞文以外は鑑賞文全体の何分の一かの抜粋です、あらためて記しておきます。関心のある方が全文に読まれる機会があればと思います。


さて、本題の「冬の水」の例句の件へ。

1,冬の水木影うつして偽らず

2,ありのまま木影をうつす冬の水

《このふたつの句は、木影をうつした水は、いつわりがない、ありのままだ、ということを詠ったものである。つまり、水というものは何でもありのままにうつすもので、~いつわりもない正直なものであるーー、そういう、いわば理屈をもとにしてできた句と解される。それは、この句に「冬の水」ということばはあっても、じつは冬の澄みきった水の実体をつかもうとしている気合のないことでわかる。いわば冬の水は借りものにすぎない、作者の関心はべつのところにある。それがいまいった理屈なのである。》

このあと秋元不死男は、

  我ものと思へば軽(かろ)し傘の雪   其角

  朝顔に釣瓶取られて貰い水            千代女

を例に、《 これらの句には感傷が打ちだされている。しかしそれは、きわめて浅く俗にでている。だからつまらないのだ。浅く、俗にでているわけは、感傷が人情の浅い底からでていて、その人情が理屈でいわれているからだ。》と述べ《 理屈や人情は避けたほうがいい。詩のこころとは裏腹になりやすい。初歩のうちに理屈を俳句にしょうとして興味をもつと、とりかえしのつかないことになる。》と大変こわいことを述べています。

3以降について明日に。

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季語「冬の水」その3

2015-12-29 17:59:46 | kaeruの五七五

昨日に続き回り道をします。

秋元不死男が自分が書く俳句入門書について「甘やかす入門書は書きたくない」といった意味と、いい俳句とつまらぬ俳句を見分ける力を説明するうえで「冬の水」の例句を使った意味とが重なるように思えてきたのです。

その辺のところを知ってもらうのには、例句をあげる前の部分についても触れておきます。まず、俳句は「やさしい」ということ、子どもも簡単に詠みます、目と直感によって詠みます。「ものを見て、はっと感じる、それを十七字であらわせば俳句ができるーー」と秋元さんが書いています。

ところがその「直感」とは「推理とか分析を排して、対象をいきなり直接に知り、素手でつかむこと」「もののいのち、ものの根源へ直感で迫ろうということ」こうなると並たいていのわざではできない、要するに俳句はむずかしい、ということになり、俳句はやさしくてむずかしい、ということです。

体験がないことには「直感」は働かない、「直感は体験がほとばしりでる作用だ」とは秋元さんの書かれていることです。ですからいいものとつまらないものを見分ける力も「味わいわける体験の深さがものをいう」わけです。そこで「俳句の修業は、直接俳句にぶつかって、それを知ることよりない」「ぶつかるならば、いい作品にぶつかることだ」。そこでいい俳句を見分ける力についての理解のために先の七句のなかから一句を選ぶことになったのです。

そのはじまりに(1)と(2)の例句をとりあげ、「理屈ではない」という話からはじまります。そのことは明日にして『秋元不死男俳文集』から「歳晩秀句」を。

《 歳晩になるといつも頭にうかんでくる俳句がいくつかある。あと数日で今年も終わりになるという感慨のなかで、好きな俳句を口ずさむ気分も悪くない。

   年暮れぬ笠きて草鞋はきながら    芭蕉

   この俳句を口ずさんでいると、歳月を旅にすごした芭蕉のことが思われてくる。歳末に際し、特にこの句を味わっていると、あわただしい歳末情感をやさしく撫でてくれる詩人の手にふれる思いがするのである。

    芭蕉去ってそののちいまだ年暮れず    蕪村

     前掲の「年暮れぬ」の芭蕉句に和して詠んだ蕪村の句。~この俳句を口ずさんでいると、びしりと鳴る鞭の音がきこえてくる私である。“高く悟りて俗に帰る” は芭蕉の詩精神であるが、“俗に帰る” ばかりで、“高く悟る” 方は一向にできない私など、こういう俳句を口ずさむのも、歳暮るる思いのなかに浮かぶ戒めとなる。

    ともかくもあなた任せの年の暮        一茶

    小林一茶五十七歳、文政二年の作。「あなた」とは仏様のことである。この「あなた任せ」は~これからのことは知らず、今の折は一応「あなた任せ」にするということになろうか。あくせくしたって仕方がない、とひらき直った心境として味わえば、今の私にはピンとくる。~こういう俳句を歳晩の折に口ずさむと、いささか腹に力がはいるようである。》

不死男の鑑賞文は何分の一かの抜粋です、あと二句ありますが、今夜はここまで。

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季語「冬の水」その2

2015-12-28 20:30:52 | kaeruの五七五

 タイトルに、その1とか2とかつけたのは著者は七句について各々評価を下し、これが「よい句です」と示すため16ページにわたって判断内容を述べているからです。それもこの入門書を読む人を「甘やかす入門書を書きたくない」という姿勢で書かれているのでその紹介にもかなりな量を必要とすると思ったからです。

本当はkaeruの紹介などで知ってもらうより著書そのものを読んでもらえればよいのですから、先に本と俳人を紹介しておきます。ある意味では逃げ道をつくっておこうというわけです。

著者は俳人・秋元不死男、書名は『俳句入門』角川選書。この本に対する角川書店の紹介文を紹介しておきます。「俳句の作りかたと味わいかたを豊富な実例を引いて懇切にとく。俳句入門書の古典的名著。」

秋元不死男を知ったのは西東三鬼の文章を読んでいて、こんな俳句「死が近し端より端へ枯野汽車」にまつわる話が書かれていました。

それは、

《 死が近し端より端へ枯野汽車

   という句が出来た。それから数日後、私は用事のため上京して、横浜で秋元不死男を訪ねた。私達は昔から、お互い俳句を見せ合う習慣があったから、この時も、手帖に書いたこの句を見せた。

 不死男はしばらく私の句をみていたが、おもむろに、彼の句帖をひらいた。それは息子の小学生が使う雑記帖で、表紙に「具象を重んずべし」とか「凝視」とか、不死男一流の金言が書いてある、不思議な句帖である。

その句帖の、不死男がだまって指さした一句は

  死が近し枯野をわたる一列車

というのであった。

私達は、しばらく顔を見合った後、同時に笑い出した。笑は仲々とまらなかった。

類句とか類想というけれど、これはあまりにひどすぎる。第一「死が近し」という言葉は、不死男も私も、独自の言葉として、はじめて俳句に取入れたのだ。観念的には類似のものだが、言葉の実感は個人的なものだーー等々と、私達はまじめに語りあった。

年齢は一つちがい、共に新興俳句運動に没頭し、所こそちがえ、仲よく臭いめしを食い、戦後はおなじ「天狼」に属し、俳句観も共通していると、横浜と兵庫県に離れていても、こういうことになるのか、これは大いに危険であるぞーーと私は考えたことだ。》

ここが頭に残っていて、秋元不死男という俳人の名を追うようになりました。

長くなりました、次へ。

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季語「冬の水」その1

2015-12-27 17:54:41 | kaeruの五七五

冬の虫冬の草と季語についてつぶやいてきて「冬の水」に関する例句を思い出しました。ある俳人の俳句入門書に「いい俳句とは」とあり、① 単一化のよさ ② 簡素のうつくしさ ③ 象徴のふかさ ④ リズム などをあげています。

そして、「冬の水」を詠んだ7句を例にその判断の内容を示しているのです。

⒈ 冬の水木影うつして偽らず

⒉ ありのまま木影をうつす冬の水

⒊ 木々の影こまごまとある冬の水

⒋ 冬の水平らかに木影うつりをり

⒌ 木々の枝うつりて冬の水しづか

⒍ 冬の水枝影うつしなほ澄めり

⒎ 冬の水一枝の影も欺かず

この中から「よいと思う俳句を一句選び、その理由を書け」というようなことですが、それについての俳人の解説は明日にして、少し検討してみて下さい。

参考に季語「冬の水」についての歳時記での「本意」を記しておきます。平井照敏著『新歳時記 冬』(河出文庫)からです。

《 つめたい水だが、ふかぶかとしたかげをもっているようである。それでうつる影などは精密な感じであり、きびしい美しい硬質の水という印象である。》

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冬の草

2015-12-26 23:08:41 | kaeruの五七五

季語としての「冬の虫」について昨日歳時記の解説を紹介しました。あくまでも鳴く虫に拘っているということでした。それならば「冬の草」はどうなんだろうというのが今日のつぶやきです。

歳時記は『角川大歳時記  冬』からです。解説に触れる前にこの写真を、

前日刈った草をビニール袋に詰め込んで外に置いておいたのですが、袋に付いている水滴は外側ではなく内側です。袋の内外の温度差が露になって内側に付いていたのです。袋の中は蒸れているのでしょう、草は温かさを持っています虫が住むわけです。

さてそういう「自然」をどう解説しているか。

《 冬になり霜が降り始めても、なお青さを残して枯れ残っている草の総称だが、常緑の草も含めてよい。本来は枯れた草も含めての冬草のはずだが、俳句では枯れた草は「枯草」「名の草枯る」といった別の季語として扱い、「冬草」「冬の草」の場合は枯れ色のなかに残る健気な青さに興趣を感じ取るという方向になっている。冬青草という呼び方があるのも、同じ美意識によるもの。~》

この「健気な青さ」に、寒気に対しの温かさを感じられよう。

  生きる弾力冬草を踏めばあり    阪本謙二

  冬草にふかくも入るる腕かな     きちせあや

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冬の虫

2015-12-25 20:29:35 | kaeruの五七五

 夏とは違って冬の草刈りは虫たちを驚かさなくてすみます。

それでも命長らえたものがいるものです。

多分草のなかにいたのでしょうが、虫にとっては環境激変です。短くされた草むらは風通しが良くなり寿命も短くなるでしょう。

 下のバッタ、保護色で見分けがつきにくいでしょうが、真中にいます。上のものとは違います。背中の白い模様と枯れた草の白さが一体になっています。これはこちらが動くとひと跳びして見えなくなりました。コンクリートにいるバッタは指で触れても動きませんでした。

彩の少なくなった草むらですが、てんとう虫でしょうか、赤いものが動きました。

 

季語で「冬の虫」とは「秋にしきりに鳴いていた昆虫で、冬季になっても生き残っているもののこと。~枯れはじめた草むらや田畑のあたりでかぼそく鳴いている様子をいう」とありますので、これらは作句の対象にならないのでしょう。

でもそれはかわいそうです、そこで一句

     午後の陽は冬のバッタの目に光る    kaeru

     二匹いて二匹で逃げる冬の虫          kaeru

 

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「てんがらもん」197回 刻々を共に生きる。

2015-12-24 21:50:50 | 「てんがらもんラジオ」

今回の番組   「てんがらもん」197回 野口ツルミさん

今日町内会の年末行事のことで番組視聴中に、外出せざるを得ませんでした。その時、はるか離れた鹿児島からですが、その瞬間その瞬間に語りかけてくる88歳の、そして52歳の時にはガンにより余命2ヶ月といわれたこの老婦人の映像の前を離れがたく思いました。もちろん午後には同じ映像を視聴出来ます、しかしそれは何時間前の姿であり言葉です。

戦後70年が語られた今年の最後の番組でした。そこでゲストの野口ツルミさんの人生の一端を知ったということが、同じ時代を生きている者として、同じ時間と空間を共有していたいという気持ちにつながっていたようです。野口さんが終戦を迎えたのは三菱航空機の工場で爆弾装置の部品づくりに携わっていた時、学徒動員で鹿児島を離れた名古屋です。名古屋へ向かう時、親とはこれが最後の別れかという話もでた19歳の昭和20年の1月だったといいます。帰って来た鹿児島も空襲で全滅、そんな話が10歳ほど若い私の人生にも繋がります。

その後ツルミさんの人生は大きなカーブを描きます、姉さんの突然死からその夫の後妻として嫁ぎ、姉の子供二人の母親となります。牛の餌の草刈りなどがありその頃から朝の3時半起きという現在の生活スタイルは作られたそうです。その夫とも死別そのあとの結婚も20歳近い年上の人で、母親として11人を育ててこられたとのことです。いつも身の回りに子供の成長、命に関わってこられたのです。

そいう人生経験の上に立って日常続けらている朝4時からの心の修行活動は大変深い意味があるように思います。朝の空気で心を洗う、洗われた心はまっこと素直になる、そんな人生と毎日のなかから生まれたのがこの言葉です。

 

ラジオだけではわからなかったことですが、そして上床さんも感心していたことですが、おばあちゃんの知恵袋がはじまると小さいノートを取りだし書き出しました。心の浄化、自分を見つめ人の役立つことをやる、などなど日常の心得もこうして記録された蓄積のうえにあるのです。季間レギラーというような形でとの話も出ました、そうなればこの番組の魅力がまた増えると思います。

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『資本論』の「機械と大工業」メモ。

2015-12-23 19:56:20 | kaeruの『資本論』

今日の講読会の終わった後ですが『資本論』の参考にと開いた本です。

この最初に、《 『資本論』第1巻初版が刊行された1867年に、島津藩がイギリスから紡績機械と製織機械一式を輸入し、イギリス人技師から技術指導を受けて、わが国最初の洋式綿糸紡績工場、鹿児島紡績所が創設された。明治維新前年のことであった。》とあります。

今日の講読の対象になった第13章「機械と大工業」で、《マルクスは、手で糸を紡ぐ紡車(ぼうしゃ)という道具から、人間の力に頼らず機械で糸を紡ぐ自動ミュール精紡機へ発展した過程をたんねんにたどっている。機械から工場制度がうまれ、個々の機械の自動化から、さらにすすんで工場全体の自動化を実現することによって機械制大工場が成立する過程を……具体的に描いている。》

この過程が産業革命で、マルクスとエンゲルスは産業革命が終わる時期にイギリスで暮らしています。《 マルクスは苦手な機械を研究するために、労働者向けの夜学にかよっている。さらに、1851年のロンドン産業博覧会と1862年の第2回ロンドン産業博覧会に足を運んで、工業の到達した最新の成果を研究している。》

こうしているみると『資本論』のこの部分を読むことで、島津藩が灯した日本の本格的な機械制工場についての理解に結びつけることができそうです。

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勤労と勉学に励む日々。

2015-12-22 21:41:47 | 葉山そして人

なんだか二宮金次郎の像にある言葉のようですが、昨日から明日にかけてのkaeru像です。はじめは勤労の証、

昨日と今日の勤労の成果です。90歳のご婦人が気にされていた住まいの周りの身の丈ほどの草ぼうぼう的なことは消えました。夏でしたらこの倍にはなっていたでしょう、それに一つの一つは多分私でも持ち上がらない重さになっていたかも知れません。明日朝、近くの集荷所に出してひとまず完了です。

さて、勉学の成果は、

明日の資本論講読会での報告は私の担当。第1部第4篇第13章の第4節から第7節、70ページ分です。勤労と重なり準備できるかと怪しんだのですが、緊張感もあって資本論にふさわしい読み込みも出来たかと思います。

昨日今日明日の三日間ですが、そうないことでもありますので二宮尊徳的表現をもって今日のタイトルとしました。 

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