裁判官のアタマがボケているのか、安倍政権に忖度してるのか?
いずれにしても「勝訴で不当判決」がこれです、
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190530-00128005/
裁判官のアタマがボケているのか、安倍政権に忖度してるのか?
いずれにしても「勝訴で不当判決」がこれです、
https://news.yahoo.co.jp/byline/aizawafuyuki/20190530-00128005/
畑中さんから葉山と大久保利通・家の由来を聞いてみたくなりました。
あさかさんや窪田さんはそんな話も聞けたのかな?
この本を受け取りにいってきました、
友人宅で話し込んで帰りがけに目に入ったのが、見慣れたジャンバー。「これ俺のだよね」と手にしたら彼が「そうかい、うちのではない」と。
本だけでなくジャンバーも置いてきていたのでした。本を忘れていっただろう、という連絡はもらったがジャンバーのことは気づかなかったのだろうか。お互い80歳をこしている、気づくこともマダラになっているのだろう。
とにかく手元に本が戻ったので「がん」に戻らねばと思います。
この章からで、
この章の内容は、
〝がん〟が怖い病気とされる理由のひとつに、治療後かなりの確率で、再発と転移が起こることがあげられます。がん治療では、いったんうまくいったようにみえても、目にみえない小さながん病巣が手術でとりきれずに残っていて、それが再び増殖したり、薬物療法(抗がん剤治療)や放射線治療でいったん小さくなったがんが再び大きくなったりすることがあります。これが「再発」です。
一方「転移」とは、がん細胞が血液やリンパ液に入り込み、その流れに乗って最初に発生した場所とは異なる臓器や器官へ移動し、そこで増えることをいいます。
再発や転移が起こると、がんの治療は圧倒的に難しくなります。本章では、がん治療終了後に起きる「再発」と「転移」についての最新の知見を紹介します。
目次としては、
となっています。
に収められている三浦哲郎の「私の履歴書」は、
「私は、昭和六年三月十六日、東北の三陸海岸の北はずれにある青森県八戸市の、三日町という商家が軒をつらねている町筋に生まれた」ではじまっています。
私の兄は同年の二月生まれですから早生れ同士で、尋常小学校入学とか、
「太平洋戦争がはじまったのは五年生のときの冬である」とか、
「翌々年の昭和十八年春、私は八戸国民学校(すでに数年前からそういう名称に変わっていた)を卒業して青森県立八戸中学校に入学した」とかも、
兄の入学したのは生まれた東京神田の小学校ですが、当時の日本の少年の同様な経歴をたどることができます。
以前このブログにアップした兄のことを思い出しました、これです
https://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/e/ba3562b955d042205c9e2a40bc307d0b
小池は私の旧姓です、兄は三浦哲郎死去の6年後2016年の6月に85歳で亡くなりました。三浦哲郎が「ためらわずに文学の道へ進」んだのに対して、兄は小説的なものを拒否した生涯で「つくりものを信じなくなった」のだ、と言ったことがありました。
兄の本棚には小説類としてあったのは、ただ一冊の文庫本トルストイの「クロイツェル・ソナタ」で、なぜ「クロイツェル・ソナタ」だけだったのか推測できたのは、亡くなる3年ほど前に兄の口から聞けた告白でした。
人が生きていくうえで文学を求める時がある、必要とする時がある。そんなことを「つぶやき」、三浦哲郎の「私の履歴書」の感想とします。
図書館の『流燈記』を開くと、
本の帯の部分を切り貼りしたのでしょう。
ここには「幻の作品」という表現はないのですが、こちらには
該当部分を書き記しておきます。
【物語は、東北の「山の窪地の、低い崖下で見付けた円い鏡のような泉」で幕を開ける。湿った岸辺に四つん這いになって水を飲もうとした主人公の由良耕三は、その水が軀に毒ではないか、本当に飲んで大丈夫だろうかと疑念を抱く。水を疑うことは、自分の命の、あるいは生きるものすべてのいちばん奥深い部分を疑うに等しい。三浦哲郎が本書『流燈記』を雑誌「ちくま」に連載していたのは、1983年一月号から1985年一月号にかけてで、刊行されることなく眠っていた幻の作品だが、2011年末のいまこうした記述を目にすると、耕三が感じている不安の環が、彼自身の加齢や歯槽膿漏や都会暮らしによる心身の疲れだけでなく、もっと大きな危機と接しているような目眩を覚える。】
2011年末に堀江氏が覚えた目眩を、『流燈記』の読後を通じそれから数年後の現在の状況のなかで感じ取ることができます。さらに「大きな危機」は生活と社会と政治のなかでその影を大きくしているように見えます。
堀江氏が『流燈記』解説で耕三の「さあいこう。遅くなるよ」の言葉は『流燈記』を過去に封じ込めず、大きく外に開かせている、と評しています。現在の「大きな危機」に向かう者にかけられた声としても聞こえてきます。
『流燈記』を読んで三浦哲郎が私の兄と同年齢だと知りました。6歳上の兄の少年期のことはまったく知りませんでした。
司さんの扉絵から各章のはじめを綴ってみます。
p005 序章/泉の水を飲もうとして、由良耕三は、ふと躊躇った。まさか、この水、軀に毒ではあるまいな。
山の窪地の、低い崖下で見付けた円い鏡のような泉である。それがただの水溜まりでないことは、水面に落ちた病葉が残らず岸の一角に吸い寄せられているのを見ればわかる。湧き出た水が、そこからすこしずつ溢れているのだ。溢れた水は、青草を濡らしながら崖裾をめぐって、窪地の外へ流れ出ている。
【この章の終わり近くには、戦争が終わって40年くらい経った時点の東北の山の中でトーチカ跡を見る主人公の思いが書かれています。(まさか今時、こんなものにお目にかかることになるとは思わなかったな)】
p024 一章/満里亜という女の目は、どうして暗いところでもあんなに明るんで見えるのだろう。
生まれ育った村を出て、矢ノ浦で暮らすようになった耕三が初めて他人に抱いた疑問というそれであった。
たとえば防空壕のなかにいても、耕三には満里亜の目だけがうっすらと明るんで見える。町内の人たちが古材を持ち寄って米問屋の裏庭に作った防空壕だから、もともと照明の設備などなくて、入口の扉を閉めてしまうと真っ暗になるが、その闇に目が馴れてくると、満里亜がどこにいるかが耕三にはわかる。離れていても、両目がすこし黄色っぽく明るんで見えるから、ああ、満里亜はあそこにいるのだとわかる。
p037 二章/満里亜という名の奇矯な女学生の正体は、それから半時間もしないうちに、あの猫のように黄金色のほのかな光を宿している目の謎を除いて、 大体わかった。
母親より先に学校から帰ってきた安吉によると、満里亜は、おなじ町内にある桔梗屋という下駄屋の孫娘で、毎年、夏と冬には独りで桔梗屋にきて休暇を過ごすのがならわしだから、ずっと以前から顔馴染みなのだということであった。
p54 三章/実際、夏の休暇に入ると、その第一日目の昼前に、表二階の住人たちは未練げもなく纏めた荷物を手に提げてさっさと帰省していった。
下宿を出るとき、普段は無口で無愛想な桑田が、上り框に腰を下ろして編上靴の紐を結びながら、送って一緒に階下へ降りた耕三に珍しく声をかけた。
「なあ、由良よ。貴様、休み中にいちど浜へ遊びにこいや。」
予科練志望の桑田は、誰に教わったのか、もうすっかり海軍軍人の言葉遣いになっていた。「俺たちの村は隣同士だからな、俺んとこでもいいし、北上んとこでもいいから、いちど遊びにこいや。魚も貝も腹一杯食わしてやる。貴様は泳げるか?」
p77 四章/新学期がはじまって間もなく、ちょっとしたことがきっかけになって耕三にひとり親しい友達ができた。港のむこうの漁師町から汽車通学をしている、真柄千松という名の級友である。
ある日、国語の時間に、教師が夏休みの宿題の作文について講評し、提出された五十篇ばかりのうちから特に優れたものとして二篇を選んで、みんなに朗読して聴かせたが、その二篇というのが、真柄千松と耕三の書いたものであった。耕三は、そんなことになるとは予想もしていなかったので、びっくりした。
p087 五章/その次の週の日曜日の午前、耕三は、漁師町にある真柄の家を訪ねるために、市の駅から海岸行きの気動車に乗った。真柄に、浜へ遊びにこないかと誘われたとき、すぐその気になったのは、正直いえば前々から満里亜が住んでいる港町をいちど歩いてみたいと思っていたから彼は、帰りに独りで港町に途中下車するのを楽しみにして出かけていった。
河口港の鉄橋を渡るとき、両岸にひしめいている家並のなかから酒場<いさり火>の看板を探し出そうとしたが、見つからなかった。こんなに容易に港町を訪ねる機会に恵まれるのだったら、それとなく満里亜に所番地を聞いておくのだったと耕三は後悔した。
満里亜が毎日乗り降りしている港の駅に停車すると、憲兵の腕章をつけた兵隊が一人、改札口に立ってそこを通る人々を見守っているのが、窓から見えた。それが、いつかの梶田とかいう憲兵かどうかはわからなかったが、満里亜の憂鬱が察せられ、こんなところにいないで桔梗屋にきて暮らせばいいのにと彼は思った。
p108 六章/秋も深まったある日、耕三が学校から帰ってみると、郷里の母からなにやら嵩張った小包が届いていた。嵩張っているわりには軽いので、彼はなんとなくがっかりしたが。部屋へ持って開けてみると、綿入れの半纏と干餅が出てきた。干餅は歌留多子はどの大ささのが七枚、新聞紙にくるんで、砕けないように半纏のなかに包み込んであった。それと一緒に、鉛筆書きの母の手紙も入っていた。
p150 七章/十日間の春休みを終えて、村の家から戻ってきた晩、耕三は、翁屋のおばさんから留守中に起こった意外な出来事を知らされた。
満里亜が家出をしたというのである。
「大きな声じゃいえないんだけどね」と、裏二階の部屋へきておばさんはいった。「おとといの朝、友達の家にいくといって出かけたきり、帰ってこないんだって。桔梗屋の伯母さん、夜遅くこっそり訪ねてきたわ、心当りがないかって、どう? あなたを当てにしてたようだけど。」
耕三は二重に驚かされた。
「どうして僕を?」
「男の友達はあなた一人だからって。」
さいわい、耕三の視野には人影が見当らなかった。宿の客も満里亜ひとりだったと見えて、どの窓にも人の顔らしいものはない。さっき宿の女の人が、土間でズック靴を履いている満里亜に、これで今夜からまた淋しくなるという意味のことをいっていたのを、彼は確かめるようおもいだした。
「ひとりで泊り込んでても、宿の人に怪しまれなかったみたいだね。」
p200 九章/その日、満里亜が港の母の家ではなく、町の桔梗屋へ帰ったのは確かだが、その帰宅の模様ーー満里亜がどんな顔をして家の敷居を跨ぎ、それを桔梗屋の家族がどんなふうに迎えたかは、耕三は知らない。
二人は、谷間を出たところで、あとで駅で落ち合うことにして別れた。満里亜はそのまま村を通り抜けて駅へ向い、耕三は一旦生家に戻って、残飯で握り飯を拵えて貰った。一応食堂と呼ばれる家に下宿しているからといって、いつも充分に食べさせて貰っているわけではない。育ちざかりには三度の食事も不足がちで、おやつにありつくことなどほとんどないから、下宿生は常に空腹を抱えているといっていい。だから、耕三は、生家から町へ戻るときは忘れずに握り飯を余分に持ち帰るのである。
「今日は四つでいいよ。なるべく大きく握ってよ。」
p222 十章/夏休みの前日、北上たち四年生の一隊は夜行列車で川崎の軍需工場へ旅立っていった。耕三は翁屋のおばさんと一緒に駅まで見送りにいったが、壮行会は昼のうちに学校で済ませていたので、見送りは生徒よりも家族の人たちの方が多かった。四年生たちは戦闘帽の上から日の丸の鉢巻を締めて車窓にひしめき合い、それをホームから見上げる人々は目をうるませて、なかには打ち振るつもりのハンカチで顔を覆う婦人たちもいた。その光景は出征兵士の見送りとなんら変るところがなかった。
北上が窓から片手を差し伸べるので、耕三とおばさんとはかわるがわるそれを握った、こうして車窓から男同士で手を握り合うのは初めてで、耕三は、これでもう北上とは会えないのだという気がした。胸に熱いものが込み上げてきた。
「あとはしっかり頼んだぞ。」
と北上がいった。耕三は、
「先輩も軀に気をつけて……。」
としかいえなかった。北上は顔を力ませて笑った。
「軀なんかどうなったっていいんだ。それより貴様、海兵へいくつもりなら一日も勉強を怠るな。」
「はい……でも、間に合うでしょうか。」
「……どういう意味だ。」
満里亜は、無言で右手を胸の前に持っていった。首の白さが、すこしずつ胸の方へひろがるので、ゆっくりシャツのボタンを外しているのだとわかった。
「あんたとはもう会えないかもしれないから……。」と、満里亜はなおも素肌の白さを押しひろげながら、すこし嗄れた声でいった。「あたしを好きなようにして。あんたにしてあげられるのは、それしかないから。」
耕三は、息を詰めて満里亜の仄白い胸と向い合っていた。胸の鼓動の高まりで、軀が風に吹かれる若木のように揺れそうだった。「遠慮しないで。」と囁くように満里亜はいった。「でないと、空の上で後悔するわ。」
耕三は、やっとの思いで両手をズボンのポケットにねじ込んだ。それから膝に力を入れて、鉄のように重たくなった下駄を地面から持ち上げた。「さあ、いこう。遅くなるよ。」
歩き出すと、なんともいえない淋しさが胸を満たしてきた。なにが淋しいのか、わからなかった。わからぬままに、耕三は、助けてくれぇ、と叫びたい衝動に駆られた。
どんどん歩いて、林を抜けると、無数の星が音を立てて降ってきた。
昨日に続き三浦哲郎の本の装幀についてです。
本はこれ、
装幀を担当された司修さんの言葉です、
装幀に寄せて 司修
『流燈記』のゲラ刷りを読んでいると、初めてやって来た場所なのに、よく知っていて、懐かしい思いに浸る現象に包まれて、ぼくは、向うからやって来る少女は、「光る目をしているのだ」と思いました。
読み進むほどに、懐かしい思いは深くなって行き、「ちくま」に連載されているころに読んでいたからだろうと、ぼくは興奮を抑えました。
夜だったので、仕事場の窓の外の森を 眺めても木々は見えないのに、森の奥からの風がだんだん近づいて、木の葉を震わせ、誰かがやって来たかのように思わせられました。風は、同じ間隔と速度を保って梢を鳴らしていました。雑草の茂みからのコオロギやマツムシの鳴き声は、いつもより静かでした。
『流燈記』を読み終わったのは明け方でした。読んでいる間中、ぼくは三浦哲郎さんの、笹の葉の擦れるような響きを持つ話し声や、遠くを見つめる眼差しを感じていました。
ぼくは朝酒をやって、混血の少女のドローイングを、眠くなるまで続けていました。しかしいくらやっても眠れず、人々が昼飯を食べるころダウンしました。
暗くなってからまた『流燈記』を読み始めました。再び懐かしい思いに包まれながら、「この本の装幀は、もういない三浦哲郎さんが、喜んでくれるものにしたい」、という思いが目まぐるしく頭の中を駆けているうちに、なぜか、『井伏鱒二自選全集』の装幀が浮かんで来ました。その他、井伏鱒二さんの単行本の装幀が気になって離れませんでした。
そうしているうちに、ぼくはとんでもない決断をしました。
『流燈記』を手にした、あの世の、井伏鱒二さんが喜ぶものにしようと。
すると、ぼくは書道全集を持ち出してめくり、「流」「燈」「記」という文字を集め始めたのです。文字のみの本をイメージしていたのでしょう。そこへ森の小道に茂る野の萩を描き、墓前に手向けるよう置いたのです。