葉山の四季

葉山の四季をお伝えしたいと思います。

夜の深さは朝の近さ。

2016-11-30 02:09:16 | ブログ仲間

   夜の終りの午前3時は歌の文句ですが、午前2時は夜の最中でも終りに一番近い時刻と言えます。そんな時刻につぶやくのは朝の近さを感じたからだろうと思います。

   いやいや単に酔ってしまいこんな時刻まで寝入ってしまっただけだろう、と我が心の声もありますが、それはそれなりに心地好いつぶやきです。なぜなら鹿児島の夜は常に明けの気配を抱いている、ことを感じさせるからです。

   先程まで一身を包んでいた、談笑のざわめきは鹿児島市の中心地天文館通界隈の、こんな明かりのようでした

夜の明かりは人を引き付け、室内ではこんな語らいを照らしています。

   語り合い笑いあう、この喜びをより多くの人々と、次のさらにその次へも思いは膨らんでいきます。次の鹿児島での宴は2020年にしよう、それは80歳の誕生日を迎える村永さん、90歳になる津曲さんを祝う場にね、と。

   「てんがらもんラジオ」の声と映像ではお馴染みですが、あらためてその笑顔を確認すれば写真で右の中腰の笑顔の人と手前となりの笑顔がお二人です。その場は「Chidoriブログ仲間の旅」第7回目に当たるでしょう。

ならば、記念すべき第10回も鹿児島で集いたいは一致するところで、その思いがここにおさまっています。

 

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やって来ましたChidoriの里に

2016-11-28 23:15:23 | ブログ仲間

   「第3回Chidoriのブログ仲間の旅」をちょっと報告。

   鹿児島空港で久さんの出迎えを受け、ワイコマさんの車に乗せてもらい、黒酢の坂元へ向かいました。Chidoriさん組より一歩早く着きました。

   これが黒酢の壺畑です、ワイコマさんが桜島と壺畑を狙っています。

  くろず情報館で館の方から説明を受けてます。


   これがかの黒神埋没鳥居、大正3年・1914年の桜島大噴火で埋もれた黒神地区の神社鳥居、高さ3mあったものが上のこの部分を残して埋まりました。


   下は今夜の盛り上がりです。デジカメの再生画をスマホで撮り、それをアップしました。


   さてこの旅も今回が第3回目です。この盛り上がりを受けて、とりあえずは第10回まではお互い予定の中に入れよう、との合意。その10回目は是非鹿児島の地で、とのことになりました。

   でも7年先までは長すぎる、その手前でもう一度於鹿児島を入れようと、それは2020年東京オリンピックであり鹿児島国体の年です、そしてChidoriさんの誕生日のある年です。それを一つの祝いとし、「てんがらもんラジオ」最高齢パーソナリティー・津曲さんの90歳をも祝えることです。

   ということで4年後のこの地での盛り上がりを申し合わせました。合わせて来年は、mappeeさんとヒゲ爺さんの故郷の広島で、との提案にガイドの向井女史が「広島までなら私、案内できる」と申されました。プロがついての旅計画は有難いことです。

   石の上にも三年、ならぬブログのなかでの三年、この3年を基にしての次への引き続く楽しみを見通し、また明日の宴も盛り上がるでしょう。

   とりあえずは今夜はここまで、お休みなさい。

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同病相語る。

2016-11-27 21:06:46 | 健康・からだ

   中学校の同級生との旅、仕事場の退職者の集りでの一泊などなど、その都度周りが薬を飲むのを見ていました。今回の旅は薬を持って毎朝食後飲むこというkaeruにとって新しい事態を迎えた旅です。

   なるほど人生の節々の変化はこんな形で現れるのか、と自分ごとであるがゆえに面白く感じています。同病相憐れむといいますが、相憐れなくとも相語ることができ、それだけ話の巾が広がるということでしょう。

   今回の旅は現地鹿児島で参加される方が多く、賑やかな旅になりそうです、心臓には適宜な刺激になるでしょう。

   ところで平均年齢は? 計算するのが大変でしょうね。

   今夜も早めに寝ます。

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若い医者、年寄りの医者。

2016-11-26 22:05:30 | 健康・からだ

   心臓検査の結果報告書を紹介してくれた医者に届けながら話を聞いてきました。

   ことの発端はこの年寄りのお医者さんが心電図を見て、異常だと指摘したことからはじまったのでした。その時私に言う形でなく「バイパスが……」とつぶやいたのが耳に入ったのです(こういうことは聴こえるのですから不思議です)。

   今回、旅行のことを聞きましたら、向こうのお医者さん(検査担当医)が大丈夫というならいいでしょう、というのです、でも十分気をつけてとのこと。余り飲むな、あるいは余り歩くな、またはよく眠れ、なのか分かりません(「ハイ分かりました」とは言いましたが)。

   向こうのお医者さんというのかなり若い人で、「半年1年後のことは別にして今は大丈夫」との太鼓判ですからこの線でいけばいいのです。多分同じ結果でもお年寄りの医者は判断が慎重になるのかな? 

  何よりも患者が年寄りでも若い気分で判断しているのだから、それで良いということになるでしょう。

   とはいえ安眠は最高の薬ということです、寝ましょう。

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「てんがらもん」244回 続 歴史を知る者の強み。

2016-11-25 22:30:04 | 「てんがらもんラジオ」

   昨日「てんがらもんラジオ」の藤崎さんが話の途中で歌われました。例によって耳のせいで聴き取れないところがあり、残念に思っていましたらリスナー仲間ののびたさんのブログに紹介されていました。

   のびたさんのブログは、ここです。

http://blog.goo.ne.jp/new-nobita/d/20161125

藤崎さんの話では大正年間に鹿児島で歌われていたそうです。

   アメリカ独立戦争で大きな役割を果たし、初代大統領になったジョージ・ワシントンを讃えたものです。のびたさんと同じようなうたごえのブログに三番まで紹介されていましたので、ここにあげておきます。

1番の歌詞、藤崎さんが美声で聞かせてくれた部分に「十三州の」とありますが、下の説明に「13植民地」というのがこの地域を指しているのです。

 

   大正年間、大正デモクラシーといわれた時期でもありますが、イギリス本国の重圧に抗して独立戦争に立ちあがったアメリカの人々、その代表であった ジョージ・ワシントンへの賛辞です。その歌が街中で歌われていた大正年間の鹿児島、大いなる心意気を感じます。

   それを21世紀の当地で歌い継いでいる藤崎さんには、余興としての歌とは思われません。県議会議員という政治家としての気概の表れとして伝わってきます、歴史を知るものの強みのひとつとして受けとめる由縁です。

   県の職員さんが本を出版された話も面白く聞きました。内容は大阪の商人から薩摩藩が借財を負い、そのかかわりで1828年から1838年の間に6回行き来した旅日記を鳥瞰図も入れ紹介したものなのです。県職員としてどのような部署におられたのか、県財政に関わる部署ではとも思い、これも単に個人的な趣味に関することをまとめたものとは思えないのです。ここにも歴史を知る者の強みの一面を見る様な気がします。

   2018年のNHK大河ドラマは明治維新150周年とも関連し西郷隆盛を描く「西郷どん」です。その当地での反響への関心も持って3日後には鹿児島に居るわけです。私の関心のひとつは西郷隆盛が丸ごと描かれるかということと、大久保利通がどう描かれるかにもあります。

   加山雄三さんの話ではありませんが、葉山町の町会議員さんに大久保利通の血を受けた女性議員が頑張っています。そんなこともありますし、地元での大久保利通の人気なども直に知りたいと思います。歴史豊かな地で大いに学べるのも天から与えられた好機・てんがらもんです、大いに生かして学んで来ようと思います。

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「てんがらもん」244回 歴史を知る者の強み。

2016-11-24 22:41:59 | 「てんがらもんラジオ」

今日の「てんがらもんラジオ」は、

http://www.ustream.tv/recorded/92891780   です。


藤崎さんが前回ゲストとして出られたのは5月26日の第218回でした。その時のタイトルを「歴史少年の夢」としました。それが、

http://blog.goo.ne.jp/kaeru-23/s/藤崎   です。


藤崎さんにインタビューした前迫さんが、話の糸口にされたのがNHKの「ファミリーヒストリー」でしたが、そのなかで加山雄三さんの「ファミリーヒストリー」は、湘南のイメージが強い「若大将」の先祖が鹿児島出身、母小桜葉子は岩倉具視の血を受けていることなどが語られました。NHKでの放送内容の概要が読めますので、クリックしてみて下さい。

http://tvtopic.goo.ne.jp/program/nhk/23759/1000661/加山雄三


「人に歴史あり」は当然ですが日常には見えません。いや見えているそのものが「歴史の果実」なのですが、そこから「歴史」を見抜くのはなかなかできるものではありません。

加山雄三さんが自分の祖先を知って驚くのですから、普通の人が系図的に知ることは特別に意識的に臨まなければ難しいでしょう。しかし、ー度それを知れば自分の位置が見えてくるに違いありません。

今回藤崎さん話を視聴して、歴史を知る者の強みということを感じました。それは鹿児島県庁のある職員さんが一冊の本を出版されたことにも表れています。

今夜は私用で神田界隈まで出かけかまして、用事の済んだあと自分の青春の跡地を辿ってみました。それは懐かしさというより藤崎さんが持つ歴史を知る者の強みを自分でも掴んでみたいという思いがあってのことでした。

もう少し整理して「つぶやき」にしたいので明日に回します。

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なるほど心臓、やっぱり心臓

2016-11-23 22:44:25 | 健康・からだ

   昨日のワイコマさんがコメントで人間の心臓は80年間に42億回くらい伸縮するといわれて、我が身の心臓の動きを映像で見たあとでしたのでその1回1回をリアルに感じました。

   生まれてから死ぬまで、というより心臓の伸縮している期間を生きている期間というのでしょう。ここが止まれば死ぬ、ここが止まったことを死んだというのです。ですから物事の中心部を心臓部という、そこをやられれば全体の機能がストップしてしまうわけです。

   先日は胃カメラで自分の胃を見、今回は筋肉の塊である自分の心臓を見て、更に影絵のようでしたが動脈の動くのを見ました。この貴重なものが、こうして横になってタブレットに対して指を動かしている時も全身に血液を送っているわけです。そんな当たり前のことが貴重なこととして感じられる様になったのが今回の検査入院の効果でしょう。

   なるほど心臓、やっぱり心臓、と思いながら病院から駅に向け裏通りの飲食街を抜けてきました、昼間ですから心臓に負担がなかったのですが、こういうのを見ると、心臓の活性化のためには少々の刺激も必要と思いつつ、

 

途中の神社で身を清めてきました、今日は二の酉でした。

  

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人間ですから、長生きしたいね。

2016-11-22 19:01:38 | 健康・からだ

   検査室内で最初の医師の言葉が「心筋梗塞や狭心症の心配はありません」だったことが何よりの言葉だったと受けとめました。そのあと別室で妻とともに心臓の血管が動く有り様を見ながら、「それは今は、ということですから、半年先一年先は分かりません。(画面の心臓の動脈の出口を指しながら)血管が膨れている部分と狭くなっているでしょう、年齢によるもので病気ではありません、血圧が高めです。食事が大事です。」この食事のことでは妻が我が意を得たり、という顔でした。

   塩分の薄い食事に文句を言えなくなります、不味いものを食って長生きするより旨いものを食べる方をとる、人生が短くなっても……、などと言った覚えもありますが、こうなると元気で長生きしなければ、食事制限も受け入れよう、イヤそれよりも塩分少な目の旨い食事を作って貰えれば、イヤ自分で工夫したら等など浮かんできます。

   そう言えば先日60歳少し前の知人が、孫も出来たし自分としては子供を一人前にしたら人生の目的達成だと思っているので長生きしたいとは思わない、と私にとっては意外な話なのです。子供を一人前にしたあとの夫婦の人生が人間としての人生ではないのだろうか。だいたい動物の生涯は子育ての終わりとともに終わる。しかし、人間が他の動物と違うのは子育て後の時間がかなり長い、それは動物とは違って社会をつくり上げているからで社会の働きによっていわゆる老後がまもられている、それを活用することこそ人間としての生き方だ、と話したのですが、わかったかな?

   話なさなかったこと。

    人間は長生きと併せて他の動物と違うのは、胎児が母胎にいる期間が短いことなのです。社会的早産ということで、哺乳類の新生児は出産と同時に歩ける、人間の新生児ではとてもありえないことです。それは社会というネットワークがあることが前提だからです。論理として飛躍しますが、新生児が産まれてくることが少なくなる社会は人間社会としての衰退です。同じように高齢者夫婦が共に生きるのが社会的な原因で妨げられるような社会も同様に衰退に向かっているのです。

   そんなことを心臓の心配から一応解放されたベットの上で考えました。

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同行二人

2016-11-21 20:28:54 | どこまで続くかこのブログ

「同行」をどう読みましたでしょうか。

このタイトルとしては「どうこう」なのですが「どうぎょう」と読むと、

 

と読み、という意味になります。

    こんなタイトルにしたのは検査入院のために家を妻を同行して、道に立った時両隣が一昨年に二軒ともご主人を亡くしていたことです、双方とも80歳代前半でした。これまで思ってもいませんでしたが、両方とも何度か夫婦で病院に向かったことがあったのだろうということです。

   病院に来てみればやはり高齢者の二人連れが目につきます。我が身に置き換えて見るせいか、あの人もこの人も奥さんに連れ添われて、という感じです。

   このところ同年輩や少し若い人と話をしていて、息子さんや娘さんが未婚のまま40代50代になっていることの多さです。少し前は私の頭にも婚期が過ぎたとか結婚しても生活が出来ない、などの思いが出てきて未婚者の増加もやむを得ないのか、との思いもあったのですが、しかし待てよです。

    その社会の行く末にかかわる問題ということは別に考えることとしても、その息子さん娘さんの高齢期になった姿を思うに、例えば病院の受付や廊下で会う男女の老いの独り姿に重なります。

    石垣島の娘からメールが入り「ゆっくり色々と考える時間か持てるでしょう」との助言もありましたが、考えていたらゆっくりできなくなりそうです。それに病室のベットの上でスマホでの書き込みは不自由です、言葉足らず中途半端ですが、ここまでとします。

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季語「賀状書く」

2016-11-20 22:07:43 | kaeruの五七五
 
喪中葉書。
 賀状の売出も近ずいてきました。一昨日二枚昨日一枚と喪中葉書も届きはじめます。知人のOさんからは弟さんが亡くなったのでと、75歳とありました。Oさんは確か私と同じ歳だったと思います......
  昨日「喪中はがき」に触れてつぶやいきましたら1年前も同じようなことをつぶやいていました。そこで今年は賀状を書くことがないので、俳句で「賀状書く」ことにします。季語としての「賀状書く」にはこんな解説がされています。

《 十二月の忙しい日々のなかで、少しづつ時間をつくって賀状を書く。印刷にしろ、絵や版画にしろ、相手を思い、記憶を辿りながら丁寧に賀状を書くのは、元日に届く賀状を読む喜びを知る民族の血のゆえか。単に賀状といえば、新年の季語となる》『角川     俳句大歳時記 冬』

この解説を書き写しながら、別の歳時記*ですがこんな句がありました。

*第三書館刊『ザ・俳句  十万人歳時記  冬』

   パソコンのインクも補充賀状書く        青木千賀子

この句でも「書く」と詠むのでしょうか。

パソコンのインクも補充賀状刷る      でも通じますが俳句とすればやはり「書く」と記すんでしょう、「賀状書く」という一対で季語になっているのですから。俳句が実景を詠むものでなく季語を詠む、ことの証でしょう。

    賀状書く蛸足配線かたはらに     松浦なつ子

蛸足の一本はパソコンに繋がっているように見えてきます。

畳の上に這いまわる配線、これでは

    踏み場なき程にならべて賀状書き     安藤志津子

とはならないのです、

墨の乾くまで何枚も賀状が並べられている畳の景です。

これもそんな景です

   賀状書きならべていよよ古畳     浦野芳南(河出文庫『新歳時記 冬』

 

こんな句、

    賀状書き減りし数だけ物思ふ    川原勉(『ザ・俳句  十万人歳時記  冬』

そういえば97歳で亡くなった義父の名簿帳はほとんどが消し線が引かれていました。それでも亡くなった年にも賀状を書いていました。

   わが身でいえば80歳近くになって賀状が増える、出す数も貰う数も、これは有難いことで生きていく幅が広がっていることだろうと思います。来年の今頃もはじめて出す人貰う人を頭に描けるようになりたいものです。

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