kaeruのつぶやき

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森友文書改ざん疑惑追及署名

2018-03-12 10:46:50 | 『乱』と「西郷どん」

2018年3月20日

財務大臣   麻生太郎 様

会計検査院長 河戸光彦

 森友文書改ざん疑惑の徹底究明と麻生財務相の辞任等を求める申し入れ

森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会

森友学園問題を考える会

今治加計獣医学部問題を考える会

 

市民からの情報公開請求を通じて、佐川理財局長(当時)らが廃棄したと繰り返し答弁してきた森友学園への国有地売却をめぐる交渉関連記録が存在したことを裏付ける資料が次々と明るみに出ました。さらに、今般、国会に提出された森友関連文書に「書き換え」があったとの報道まであらわれ、政府・財務省はこれを否定できない状況になっています。ここに至って、政府、財務省の説明に対する国民の不信感は頂点に達しています。

 また、会計検査院が国会の要請を受けて、森友学園へ国有地を売却した経緯(特に約8億円もの値引きがされた経緯)を調査した際、財務省は期日までに検査に必要な資料を提出しなかった事実も国会審議の中で明らかになりました。こうした財務省の対応は故意または重大な過失による検査妨害と受け取られても致し方ないものであり、「会計検査院法」第31条第2項で定められた懲戒処分請求の対象になり得るものと考えられます。

 そこで、私たち3団体は貴職に対し、次のことを申し入れます。すみやかに真摯に対応されるよう強く要求します。

申し入れ

 1.麻生財務大臣宛て

  (1)国会に提出された森友関連文書に改ざんといえる「書き換え」がなかったのか、第三者が参加する公正中立な形で徹底した調査を行い、その結果をすみやかに国会に報告するとともに国民に公表すること。

  (2)「部下の報告を信頼する」と語って国民の7割以上が求めてきた疑惑の解明を放置した自らの責任を取って麻生大臣は辞任すること

 2.河戸会計検査院長宛て

    貴院の検査に真摯に応じず、検査妨害とみなされても致し方ない対応をした財務省職員(佐川宣寿氏の国会での虚偽答弁を含む)を「会計検査院法」第31条第2項に従って懲戒処分するよう麻生財務大臣に請求すること

私は上記の申し入れに賛同します。

氏    名

住   所

 

 

 

 

 

 

 

 

 

署名の第一次集約日は3月19日(月)です。署名用紙は下記へお送りください。

  〒134-0083  江⼾川中葛⻄五郵便局局留 視聴者コミュニティ 渡邉  宛て

取扱い団体 「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」 

連絡窓口(メール):morikakesimin@yahoo.co.jp (電話): 070-4326-2199 (10時~20時)

 

ネット署名は短縮URL http://bit.ly/2G7hvZR 以下はネット署名です>のところに記入し送信クリックしてください。メッセージもお願いします。


21世紀に『資本論』を読むということ。

2018-02-25 23:38:01 | 『乱』と「西郷どん」

「資本論」学友へ、ー1ー

   先日一緒に不破さんの『「資本論」探究 上』を買いに行ってから1ヶ月以上になるでしょう。その間に下巻も出て不破さんの資本論関係書の最新版を手にすることができました。これを機に再度「資本論」通読への挑戦をと思っています。

   実はあなたに渡した私の資本論学習の報告文まで(第3部第5篇第31章)で、今までの資本論輪読会が休会になってしまいました。総選挙とその後の対応に正月が重なり、メンバーの都合が揃わなくなったためです。
   後の一回で信用論が終わり第6篇の地代論に入るところだったのですが、ある意味ででは一区切りついたのかとも思います。この先をとにかく読み通すという手もありますが、それよりも不破さんの資本論本を手掛かりに、「不破資本論」に基づいて資本論を読むという道の方が良いのではと思います。


例えば、不破さんが2005年の雑誌「前衛」2月号に、

という話を書いています。これは二つの「資本論学習会」での話をまとめたものですから大変分かりやすく、これから高い頂に挑戦する者にとって有難い道しるべです。

そこに、(第三部)第5篇(信用論)について、

【 第五篇は、大きく分けて、利子生み資本についての理論的研究を中心にし前半部分(第二一章〜第二四章)と、信用制度とその運動を主題にした後半部分(第二五章〜第三五章、それに第三六章の歴史部分がくわわる)とからなっていますが、とくに後半部分は難解で読者がもっとも悩まされる部分です。
しかし、編集したエンゲルスが、全体を脈絡あるものにするのはうまくゆかなかった、と率直に言っているのですから、この篇については、中身が簡単に読みとれなくても、それは必ずしも読者のせいではないわけで、安心して取り組んで下さい。】

【信用論を難しくしていることには、もう一つ理由があります。第五篇の後半の信用論の部分は読んでゆくと、ほとんど全章がイギリスの議会の委員会の議事録からなりたっている章がいくつもあることに気づかれるでしょう。(注)
(注)「第二六章 貨幣資本の蓄積。それが利子率におよぼす影響」、「第三三章 信用制度下の流通手段」、「第三四章 〝通貨主義〟と一八四四年のイギリスの銀行立法」、「第三五章 貴金属と為替相場」の四章がそれです。】

【 マルクスは、信用論の部分を執筆中の一八六五年夏、インフルエンザにかかりました。その時、病気と仕事の状況をエンゲルスに説明した手紙が残っています(一八六五年八月一九日付)。そのなかでマルクスは、『資本論』のような頭を使う本格的な仕事はできないから、いろいろほかのことをやっているんだ、と言い、その一つとして、銀行制度に関する議会報告書をもう一度調べてみた、と報告していました。イギリスの議会で銀行家とか大商人とかが、勝手放題な混乱した議論をしている。これらのでたらめな議論を根こそぎやっつけることが必要だが、この材料は、「もっとあとの本」のために使うつもりだというのです。第三部草稿のなかにまじりこんでいた議事録の抜き書きは、登場人物からいっても、議事録のページを追って書き抜きしたその形式からいっても、この手紙でいう「もっとあとの本」の材料に当たります。
   エンゲルスはその手紙を受け取った当人だったのですが、編集のときにはその事情を思い出さなかったのでしょう。これも『資本論』の草稿だと思いこみ、この議事録を整理しなおして、自分のシナリオで『資本論』向けの一連の章をつくりあげてしまったのでした。(ここで不破さんは注をもうけてますが略します)この推論によれば、問題の一連の章は飛ばして読んだ方が、マルクスの理論展開の筋道が追いやすくなると思います(笑い)。】

こういう部分を読むと『資本論』読了を自己目的化して、ただ読み終わることを追求するような構えは、労多くして効少なしの思いがします。

   この部分はエンゲルスの「資本論編集の問題点」としてわかりやすいのですが、理論展開のうえで問題があるという指摘は、マルクスが意図した資本論構想の全貌を掴んでの上でなければ理解できないことでしょう。そのためにはマルクスの残した資本論の準備草稿の全体を読み解かねばなりません。


その草稿についての不破さんの話です。

【 マルクスが残した草稿は、直接『資本論』草稿として書いたものだけでなく、『資本論』の準備段階で書いた草稿がいろいろありました。なかでも、二つの草稿が大事です。一つは、一八五七年から五八年にかけて八冊のノート(序説一冊、本論七冊)にびっしり書きこんだ『五七〜五八年草稿』、もう一つは、一八六一年〜六三年にかけて三十一冊のノートに書いた『六一〜六三年草稿』です。マルクスは、こういう準備草稿を書きながら、『資本論』の内容や構想を練り上げていったわけですから、そこには、『資本論』の組み立てや論点を読み解くヒントになるような材料がたくさん書き込まれています。
   エンゲルスはこういう草稿があることは知っていて、ある程度は目を通したようですが、『資本論』そのものの第二部、第三部の草稿を読み取るのがたいへんで、準備草稿の内容まで本格的に読み込むゆとりはありませんでした。そこから来る編集上の弱点が、いくつかの面で、現行の『資本論』に残されていることは、否定できないところです。】

そして現在の私たちが『資本論草稿集』を入手できる状況にあることを紹介して、
【 現在では、私たちは、『資本論』の研究のさいに、エンゲルスも十分に読み込む条件のなかったこれらの準備草稿を読むことができるのです。これらの準備草稿を研究すれば、『資本論』にかかわるマルクスの考えのなかで、エンゲルスが分かっていなかったであろう点も、私たちが理解できるという場合もありうるわけで、その意味では、私たちは、第二部、第三部を編集したエンゲルスよりも、もっと有利な条件で『資本論』を読むことができる、と言ってもよいでしょう。】

【 そこに〝二一世紀ならでは〟の読み方の一側面があります。】
と『資本論』本論に入る前に触れています。


不動の精神と飛ぶ駒。

2018-02-19 20:46:50 | 『乱』と「西郷どん」

昨日に続き藤井六段の話から、「しんぶん赤旗」です。

きょうの潮流

 相手を追い込む圧倒的な力。コンピューターに近い指し手。あの若さで信じられないほどの完成度―。トップ棋士が口をそろえて称賛する中学生棋士の藤井聡太さんがまたも歴史をぬりかえました▼こんどは全棋士参加のトーナメントで頂点に。羽生善治永世7冠や佐藤天彦名人らのトッププロを相次いで破り、棋戦初優勝を最年少記録で飾りました。五段に昇段したばかりの段位も六段へ。早くも一流棋士の仲間入りを果たしています▼昨年、プロデビューから29連勝した後、不調な時期があったといいます。トップ棋士との対局が続くなかで、結果を気にするあまり自分の将棋が信じられなくなったと。「負けたくないという気持ちが前に出すぎてしまった」▼負けることへの恐れ。だれもが陥る試練を乗り越えられたのは、自分が信じた最善の一手を指そうと心に誓ってから。それは幼い頃から詰将棋に没頭し、ひたむきに将棋と向き合ってきた自分を取り戻すことにつながりました▼棋士には勝負師、研究者、芸術家の三つの顔があるといわれます。藤井さんの師匠、杉本昌隆七段は「形勢不利の場面を一気にひっくり返す勝負手。それを放つことができるのが彼の将棋の一番の魅力でもある」▼さまざまな葛藤のなかで人間同士がくりひろげる盤上のたたかい。「まだまだ自分に足りないものは多い。一歩一歩上を目指していきたい」。みずからの限界に挑みながら、新たな地平を切り開いていく。進化し続ける15歳の姿がそこにあります。

 

さてこれは「新かながわ」という新聞の連載(2013年4月28日・5月5日号)、

 
このなかに、
 
 
 
これを読んでいたら当然のように、
 

歌:村田英雄

作詞:西條八十

作曲:船村徹

吹けば飛ぶよな 将棋の駒に
賭けた命を 笑わば笑え
うまれ浪花の 八百八橋
月も知ってる 俺らの意気地


52歳の息子に、「特定健診のすすめ」

2018-02-16 21:37:25 | 『乱』と「西郷どん」

「生活習慣病を予防するためには」と書き込みのあるこの画面は村永さんのブログの一部でブログはこちらです、

http://blog.goo.ne.jp/tengaramonn/e/fc81a5b31dd8a

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   昨日の「てんがらもんラジオ」児島淳子さんの話は前半は聴こえず、後半だけでしたが多分この画面の部分は話の前半の一部なのでしょう。
   ここに書かれている「一無:禁煙のすすめ」を見て以前の児島さんの話と私の長男の喫煙のことを思い出しました。
   その時、彼に禁煙させるのは父親である私の役割だと書いたので「説教」しなければと思いつつ、気がついたら彼が手にしているのが電子タバコといわれるものに変わっていました。私の以心伝心というより妻子と周辺の声に押されたのでしょう。電子タバコというのは未練がましいが、一応この件は決着がついたと言えます。

   そこで次は児島さんの話からタイトルのようなことになります。特定健診とは「日本人の死亡原因の6割を占める生活習慣病の予防のために、40歳から74歳までの方を対象にメタボリックシンドロームに着目した健診を行います」(厚労省)。更に健診の結果生活習慣を見直す指導が制度化されています。

   息子の腹の出具合は私を上まっており異常とは言わないが、意識して自己管理に入る時期だと思われます。児島さんの話は、またまた父親の役割を指摘しているようで、有り難く聞けました。

   更に3月1日からの「子ども予防接種週間」のことも私にとっては初耳で、この表を見ていかに子供の健康が多様な制度のなかで護られているのか、自分の理解不足を痛感したところです。

    この表だけでも14種の予防接種がスケジュール化されています。児島さんの話された「ロタウイルス」は生後2カ月からの接種ですが、1人3万円かかるとのこと、鹿児島市では来年度に1万二千円の補助することを予算化したそうです。

   子宝という言葉は多分言われ出した時代には親にとってとか家にとっての宝という意味合いが強かったでしょう。いま少子化が問題視される時代、子供は社会の宝であり、国の行方を決めるものだとは共通の認識です。ならば「宝物」に相応しい制度、予算を充実させなければと思い、今回も刺激を受ける番組でした。


『乱(らん)』・ブリュネのこのあと。

2018-01-23 20:53:51 | 『乱』と「西郷どん」

   『乱(らん)』をブリュネを中心に読んできたのですが、この先続けるためには本そのものを読みすすめていかないと、つぶやきが途切れてしまいそうです。

  一応これまでとこれからの『乱』の構成を章で紹介します、

「第1章 異人切り」は1月1日の「つぶやき」で「井土ケ谷事件」として紹介したところです。章でいうと「第16章 パリ万国博覧会」までがつぶやき終えたということになります。

   このあといよいよ「第17章 王政復古」となり維新の大転換へと舞台が移ります。この章に関しては薩摩屋敷への砲撃を企てていた証としてブリュネの「薩邸砲撃の方略」を紹介しましたが、主題は「王政復古」そのものにあるわけです。そこをある程度詳しく知っていかないとブリュネの行動の意味も曖昧になるでしょう。

  それに「西郷どん」への目配りもしていきたいのでこの章あたりからブリュネの動きだけでなく、幕府側倒幕側の動きも追ってみたいと思います。『乱(らん)』ではこの後、

「第45章 三上超順の最期」で未完のまま終えています。

   大河ドラマ「西郷どん」では藩主が斉興から斉彬へと変わる時期で、王政復古までかなり時間があります。綱淵謙錠の筆で『乱(らん)』に姿を見せる西郷隆盛も追いながら「つぶやき」をすすめたいと思います。

  そのため読みを整理しますので、このブログへの記載を少し休みます。


ブリュネのスケッチ=足跡

2018-01-22 20:22:44 | 『乱』と「西郷どん」

  『乱(らん)』には何枚もブリュネのスケッチの写真が紹介されています。既に慶喜の姿他二枚もこのブログでも紹介しました。ブリュネのスケッチの紹介は即彼の日本における足跡の紹介になるのですが、それをやっていると大変です。

あと一枚で代表してスケッチによるブリュネの足跡は終わり、

同じ写真がネットにありました。

ネットのものには一行くらいの説明ですが、本では1頁書かれています。

【 〈(まず写真の日付)1867年7月6日(和暦・慶応三年六月五日)、江戸の未開人の最初の驚き〉というわけだが、そこに描かれているのは軍隊の大行進とそれに驚く古風な武士の姿である。

   もう少し詳しくこの絵を眺めてみよう。

   部隊は絵の右から左手に行進中である。背景に柳らしい木が何本か並んだ土手と城郭が見えるところから、どうもこの背景は江戸城であり、しかも日比谷から桜田門のあたりを堀に沿って進んでいるところで、これから井伊邸や半蔵門、さらに麹町方面へ坂を登って行こうとしている場面のように思われる。

   先頭にはラッパ手が三人、フランス式と思われる軍服姿も凛々しく、うしろに垂れのついた軍帽を冠り、背中に斜めに鉄砲を担いで、勢いよくラッパを吹き鳴らして行進している。

次の笠を冠った騎乗の士官(日本人)が二人、筒袖・ダンブクロにレキション(羽織)姿で続いている。二人とも抜刀し、うしろの一人は振り向いて何か指図をしている。驚くのは前の士官の西洋鐙に伸びた脚に穿いているのが乗馬用の長靴(ちょうか)らしいことである。

   続いて一般砲兵に轡をとられてた駄馬が、分解された大砲の砲身に車輪をひっかけた形で搬送中であり、そのような駄馬がずうっと列をつくっているらしいのである。

   つまり、これこそブリュネの教えている砲兵部隊の行進図なのだ。ブリュネは江戸でこの部隊の到着を待ち受けていて、このスケッチをしたわけだ。

  画面の右端に大きな饅頭笠を冠り、立派な大小を帯びた、大身らしい身なりの武士が立っている。頭がすっぽりと笠の中に入っているために、いささか仰向く形で笠の下からこの砲兵部隊の行進を眺めているが、その顎を突き出した姿勢がいかにもこの近代軍隊の偉容に驚き呆れている格好で、さながら〈江戸の未開人の最初の驚き〉を象徴しているのが面白い。】


足跡を日本の国土に印すまで……。

2018-01-21 19:59:55 | 『乱』と「西郷どん」

「来日後のブリュネの足跡は明日以降にします。」と述べて昨日はつぶやき締めとしたのですが、足跡を述べる前になぜ仏蘭西人が徳川幕府の軍事顧問団になることになったのかに触れておかないとブリュネの活躍の背景が見えない、ことになります。

そこで『乱(らん)』を頁を追って書き記しておきます。

【 幕府が旧来の軍制を廃し、洋制に倣い、はじめて歩兵・騎兵・砲兵の〈三兵(さんぺい)〉を編制したのは文久二年(1862)のことで、それからもう足掛け四年にもなるのに、その実績は挙がらず、……】

そこで

【 どこか然るべき国に頼んで陸軍の教師を迎え、士官・兵卒を教導させて、一定の方式を定めたい】

と思い相談に来たのが小栗上野介と陸軍奉行の浅野美作守、相談を受けているのが栗本鋤雲、時は元治二年三月頃(1865年4月)とのこと。

   栗本鋤雲(瀬兵衛)は医者として函館に赴任していた頃、フランス公使ロッシュの通訳メルメ・カションと親しくなり彼を通じてロッシュとも仲良くなった。幕府はフランスとの仲立ちとして彼を外国奉行にしていた。

   その鋤雲が言うのには、カションが〈海軍は真に英勁く、陸軍は真に仏強きの証〉を、フランスの歴史を述べながら説いた、と。その翌日、フランス公使館を鋤雲が訪れ、陸軍教師招聘の件を述べると、意外に順調に話が進んだ、とのことです。

   ところが、幕府内部ではイギリス陸軍依存もあり、二股をかけている状況でしたが、結局慶応二年正月元旦(1866年2月15日)に幕府との協議された内容がロッシュからフランス政府に応諾の請訓が発せられ、1866年5月15日(慶応二年四月一日)付で、応諾すべきとの訓令をロッシュが受けて、14日の「つぶやき」に結びつくのでした。