『ビブリア古書堂の事件手帖』 第一話は漱石の『それから』にまつわる話。
それが、なぜ木瓜の花か?
漱石の句
木瓜咲くや漱石拙を守るべく
が岩波文庫の『それから』の「解説」で紹介されています。 そして、
こんな注は、同文庫『漱石俳句集』にあるものです。
「世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜に
なる。余も木瓜になりたい」(『草枕』)
節ではなくて拙であるところが漱石なのです。
『ビブリア古書堂の事件手帖』 第一話は漱石の『それから』にまつわる話。
それが、なぜ木瓜の花か?
漱石の句
木瓜咲くや漱石拙を守るべく
が岩波文庫の『それから』の「解説」で紹介されています。 そして、
こんな注は、同文庫『漱石俳句集』にあるものです。
「世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生れ変るときっと木瓜に
なる。余も木瓜になりたい」(『草枕』)
節ではなくて拙であるところが漱石なのです。
所用があって衣笠駅まで出かけ、帰りに何時も寄る古本屋に寄っていこう
としたが、無いのです。確かこの辺と思いながら行って戻って、無い、 閉店
していたのです。 そういえば、この大通りに面したかなり間口の広い本屋
(新刊本)も無くなってかなりになる、いま駅界隈では小さな新刊本の店が
一軒あるだけになっています。
古本屋も書店も消えていく商店街が多いのではないでしょうか。本好きな
者にとってはさびしいかぎりですが、書籍の流通をめぐっては大型店とか
net販売とか様変りしていることの地域での表れでしょう。
駅周辺ばかりでなく、すこし離れた所も見てみようと20分ほど歩いて、「本」
という看板に出会いました。ガラス戸を開けて入ると誰もいません、すると奥の
戸が開かれて男の人が出てきました。 普段は客もほとんでいないせいでしょう、
店番はいないのか? という感じ。山道にある茶屋で、「頼みまーす」と声をかけ
ると 「はーい」 といって出てくる感じ。
そんなことで、ついその店で買ったのが 『ビブリア古書堂の事件手帖』 です。
ゲンパツハンタイ
コドモヲマモレ
オオイヲトメロ、イマスグトメロ
イカタハヤメロ
カミノセキヤメロ
サッサットハイロ
サイショリヤメロ
イノチヲマモレ
フクシマカエセ
ゲンパツイラナイ
今夜何カ月ぶりかで、官邸前抗議行動に参加してきました。
「カタカタ」は、その時つぶやいた!もので、 順不同です。
一年前の今夜2012年3月29日(木)18時、ここ首相官邸前に約300人
が集って「原発反対、再稼働反対」の抗議行動が始められ、今の金曜日行
動につながっています。 当時私はまったくそのような行動があることを知
らずにいました。
その行動に参加し始めた頃からこの「つぶやき」もはじまったのでした。
2012-07-18 はその時の「つぶやき」です、クリックしてみて下さい。
左の「現在地」は3月28日(今日)の時点での 右は2月4日の到達地です。
「現在地」です。
今日の「通信」では【現在地 新庄。 次の目的地 最上川。 次の目的地までの距離 28.7km
次の目的地までの歩数 最上川まであと41,775歩で達成です】と表示されています。
ところが、左の地図の上にこう書かれているのです。
【昨日の歩数0歩 最上川まであと28.7km 41,775歩】
これはおかしい!昨日の朝の赤旗配達だけでも4000歩は優に歩いているのですから。
実績が反映されていない!と怒ってみても仕方がありませんので、あの
五月雨をあつめて早し最上川
まで、ときどき振り返りながらも前を見つつ歩くこと、これが旅という人生の姿でしょう。
仕事のことでも四月から、かなり難しい状況になりそうです。 しかし、決まっていないという
ことは自由になったということで、どの方向にも歩きだせるということ、前を向いていれば。
湘南にいては豪雪地・信州柏原がいまどんな状況なのか分かりませんが、
一茶の句
是がまあついの栖(すみか)か雪五尺
が肯ける日が幾日もあったろうと思います。
この句の前書きには「柏原を死所と定めて」とあります。生れ在所に戻って
きた一茶には当然この地が終焉の地であったわけです。
こんなことをつぶやき出したのは、仕事先の近くに共同墓地があり、その中
央に無縁墓が建てられています。それは幾つもの墓石がコンクリートの塔に
埋め込められているのです。元禄とか享保など江戸時代の年号が読みとれ
るので、その時代から亡くなった無縁者のための共同墓地としてあったのか
思います。
「終焉の地」の焉は「ここに」にという意味だそうで「こころ此処にあらざれば、
見えども見えず」は「心不在焉、視而不見」と書きますが、その「焉」です。終
焉の地での「縁」について考えさせられています。
山中一光氏の 『昭和史の知的人』 を三分の一ほど読み終わりました。
期待した以上に興味ある内容で、一読したあと再読をしたいと思いながら
この内容を中心にしてKさんから話を聞きたいものだと思っています。
知識人と知的人との違いは、知識人=マン・ノブ・ナレッジ(既存の知識を
もっている人)で、知的人=インテレクチュアルは未知のXに知的に働きかけ
る人である、と山中氏は区別され論をすすめています。
「日本におけるインテリゲンツィアの形成」は幕末の1860年代、開国によっ
て直接近代ヨーロッパの現実に触れ、それをお手本とし持ち込み自ら実践す
ることで日本の近代をきずいてきた人々を一番手としています。1860年から
維新までの8年間に約400人が欧米の社会に直接接したと述べています。
これらの人々は昭和初頭に80歳前後になっている、といいます。 その一団
の最後にあたる西園寺公望は昭和年代の手前1925年で76歳、昭和の初頭
には一番手がつくりあげた近代日本を受け継ぐ二番手が問題になってくるの
です。
「本」は二番手、三番手……と語り、この「つぶやき」でも過日書いた野呂栄
太郎を「20世紀の七番手最初の世代」として登場させ 「ほとんで初めて、日
本の近代化そのものが、総合的、科学的に研究された」と位置付けています。
いずれにしても、かなり理論的で日本をめぐる諸国の情勢も踏まえ、知的人
がどう対応すべきであったか、それに成功したか失敗したかを論じているこの
内容を97歳(7月で98)の頭脳が咀嚼し、自分の生涯と照応させながら認識
を深め得る知的作業に感銘を受けています。
アガサ・クリスティの名探偵ポアロの脳細胞は灰色、Kさんの額の裏側に息づ
いている脳細胞は桜色かと想像しています。
昨夜は夕食後の眠気に負け寝床にGO-して、そのマンマでした。
以前にもそんなことがありましたが、眠気と食い気と色気の御三気のなか
で最強力はこの気でしょう、ただ夢の中でも気になっていたのは、マイフォン
の行方?
一昨日、Kさんと本のことを「つぶやき」を書き終わって、iphonが無いこ
とに気付き、かなり探しましたが見つかりません。 Kさん宅で使った覚えが
あり、 帰りのバスの中でも見ていたような気もして、これは途中で落したか、
と不安になりました。
あるいは何時ものことですが、家のなかのどこかにフト置いたままになって
いるかもしれません。もしかしたらK宅に忘れてきたか、そんなことを気にした
所為でしょう。iphonが草むらに落ちていて拾いあげた夢を見たのでした。
昨日、店に行って話したら、電源が切れてなければ何処にあるか大体は分
かります、とのこと。 なるほどGPSが機能すれが、位置が分かるはずです。
早速、調べてもらうと地域はKさん宅の近所の町名。これで、自宅内ではない
こと、K宅での置き忘れか夢が正夢でK宅からの帰りその近くで落として道路
わきにでもあるか
K宅に電話したくてもその電話がないのだし、電話番号もそれがないと分か
らない、かなりのiphon依存状態です。
今日、Kさん宅に伺うましたら、机の下の見えないところにありました。
GPS機能のおかげでした、電源もゼロに近い状態でしたが、ゼロになってい
たらまだ不安のままだったかも知れません。
Kさんから電話で「読ませたい本があるから、いらっしゃい」とは、一週間
ほど前。Kさんについては、以前ここで「つぶやいた」こともあるが、この7月
で98歳になる御婦人。
今日伺うと、『昭和史の知的人』という本、山中光一という著者の名前はあ
まり聞いたことがない。なぜこれを私に読ませたいのか、Kさんの分かりにく
い話を聞きながらページをめくって分かったのは、この聞きなれない著者が
山中郁子さんの夫であるということでした。
山中郁子さんについて本では「1974年から1992年までの時期に、日本共
産党の参議院議員として働いた妻郁子が、共産党員としてあゆんだ昭和時
代を通じて(云々)」とあります。 また、著者の叔父に当る人が慶応大学など
で野坂参三と一緒に学んだことなどもあり、日本共産党と直接的な関係があ
る著者であることから「あなた、読んでみたら」ということになったのでしょう。
Kさんは本を片付け重いものをもって階段を上り下りし腰を痛めていて、痛
みを気にしながらの話でしたが、熱が入り「私の昭和史」的な内容に発展。
こちらも熱が入り「記録されないことは記憶されない」という知ったばかりの言
葉を強調し、それに加えて自製の「記憶されないことは反省しない、反省しな
いところに前進はない」などと先輩を前に「熱弁」を奮ってしまいました。
「記録されない云々」は岩波新書の最近本『震災日録 記憶を記録する』に
紹介されている民俗学者の宮本常一さんの言葉です。Kさんとの話を話だけ
でなく、記録にし共通の記憶にしていくことが、「改憲」の企みを前に重要なこ
とです、次にはその具体化を相談しようと思います。
見はじめたTVが「89歳のラブレター」というのに気がひかれ、夕食の後
片付けもせず見終わりました。大坂の古本屋のおっさんの話、3年前に亡
くなった女房への想いとお客さんへのメッセージに手書きの絵を添えたポ
スターを定休日の店に張る、それが人気を呼んでいるという話です。
大坂の商店街の古本屋のおっさんで「89歳のラブレター」なら、わが町
の老夫人の「99歳の恋うた」をご紹介したくなりました。
秋山ちえ子さんはその老夫人・岩田道子先生(と秋山さんは本の「あとが
き」に書かれています)から一連の恋うたの出版を依頼されていました。 託
された四百首の短歌は夫人が白寿の祝いに自分史として参加者に渡そう
と思ったものでした。
しかし、夫人が「召天された(のが)九十九歳が翌々年という時であった」
ために「自分史」という形になりませんでしたが、秋山さんの手により『九十
九歳の恋うたー小さな町の物語』 として他の小品とともに一冊の本となり
ました。
「愛する人の病重しの報に雪のスイスまで駆けつけた老夫人、その艶やか
な心をうたいあげた表題作」は、大坂のおっさんの女房恋しさに共通する決
して衰えぬ人の恋心が、湘南の熱気を深く秘めて語られています。
仕事先で初音を耳にしました。 三階建ての二階、窓側は増築部分の建築
中。 どこで鳴いているのか、まるで天井裏から聞こえてくるようでした。
建物の裏手にでも梅の木があるのでしょうか。 暖かいをこえて暑いという気
候に鶯も一気に声が高くなったのでしょうか。 この鳥の鳴くときは木に止まって
いる時なのか、飛びながら鳴くのか、それとも両方ともなのでしょうか。
「梅に鶯」というのですから木にとまって鳴くのは確かでしょう。 ならば、「鶯
の谷渡り」とは鳴きながら谷をこえていく様をいうのかな?
春告鳥と名がついているのですが、今日のような陽気では「老鶯(ろうおう)」
(夏の季語=夏になっても鳴き続ける鶯のこと)になったのか、と戸惑って高鳴
きしたのかもしれません。
聖母像海を背にして初音きく 清蛙