今日の「てんがらもんラジオ」は伊敷歴史研究会の田中さんの話で、勝海舟に関するものでした。
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私が「勝海舟二題」としたのは、勝海舟と聞いて思い出したことが二つあったからです。一つは小説・『父子鷹』(おやこたか)、子母澤寛(しもざわかん)という人の作品です。少し前の時代の人で、亡くなったのが50年前ですから最近の人は知らないでしょうか。
勝海舟の父親の話から書き出していますが、この小説が記憶にあるのは読んだからではなく、読まなかったからです。たまたま手にして読み出してあまりに面白いので読み続けてしまいそうになり、これはマズイ、とやめた記憶があります。その時何か集中してやっておかねばならないことがあったのですが、それを先送りしそうになったからです。
いまウィキペディアでみると
勝海舟(麟太郎)の父で型破りな無頼漢として知られた勝小吉を中心として、江戸時代後期の旗本や市井の人々の生活を描く。この小説の中で小吉は、酒・女は苦手で博打もやらないが、庶民に人気があり、喧嘩剣法が強く、正義感が強く貧しい「江戸っ子が惚れぼれするお侍」として描かれている。
とあります。最初の数頁からこの小吉の小気味良さが書かれていたのでしょう。これを機に読んでみようと思います。
さて次はこの写真、
勝海舟といえば西郷隆盛、二人の名前が並べばこれでしょう、「江戸城無血開城」です。慶応四年三月十五日(1868年4月7日)には新政府軍による江戸総攻撃が予定されていました。その前々日と前日の2日に渡る西郷隆盛と勝海舟による会見によって、総攻撃は中止されたのです、その「会見之地」の跡がここです。
このビルの裏側にJR山手線の田町駅があり、この周辺は私の青春時代がいっぱい詰まっている所です。ですから田中さんの話に出ました、ここ愛宕山、この山と石段も記憶の地です。
この山から勝海舟と西郷隆盛は江戸の街を見渡し、江戸を焦土にしてはならないと語りあったというのです。
総攻撃を避けた二つ目の理由は、内戦によって外国勢力による介入を招くことになるおそれがあり、さらに勝海舟には徳川家を潰すわけにはいかないとの思いがありました。
こう書くと、明日の朝鮮半島の一地点に思いが移ります、板門店(はんもんてん)で行われる「南北首脳会談」です。この会談では「朝鮮半島の非核化」「朝鮮半島の平和定着」「南北関係に発展」が話し合われるようです。その根本には人々の生活と国土を焦土にしてはならない、という政治家の責任があります。