kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

枯葉6枚落ちてハロウィンの夜。

2012-10-31 19:06:11 | 中間詩的つぶやき

 いたずらGoogleの悪戯ぶりをご覧ください。

 https://www.google.co.jp/

 まず、右側の枯れ木から枯葉が一枚落ちたら、骸骨の足の下の

カボチャをクリック。 4枚目で左端のカボチャへカーソルを……

各ドアをたたく! 骸骨を踊らせ、鴉を鳴かせてみよう。

そして、ゴミ箱から黒猫を跳び出させ、6段跳びで オ・ワ・リ。

 

 今夜は夢でカボチャを被って誰かにイタズラを!


志位委員長の話を聞いてみよう。

2012-10-30 18:54:25 | 非詩的なつぶやき

 政治に疲れた人も、立ちあがっている人も、日本共産党の志位委員長の

声を聞いてみて下さい、ラジオです。

http://blog.jorf.co.jp/smart/2012/10/20121024-091d.html  

121024_smart1

  数年前写真の左端の角谷浩一氏に講演をお願いしたとき、打合せの席

上でこんな話を聞きました。

 氏は政治ジャーナリストとして自民党の国会議員ともよく話をするのですが、

ある議員が 「テレビの水戸黄門が人気を保っているかぎり自民党など保守

政治はゆるがない、葵の御紋という権力によって自分たちの困難が解決さ

れることに拍手をおくる気持ちは保守政治万歳につながっています」というよ

うな話をしたそうです。

 その「水戸黄門」が40余年の超長期放映に幕を閉じたのが昨年12月で

すが、その視聴率が2桁台から40年目で初めて1桁(関東地区)を記録し

たのが2008年10月。 その翌年夏の総選挙で自公政権は退場し「保守政

治」は揺らぎはじめました。その揺らぎのなかから生まれた民主党政権は国

民の期待を裏切り、いまや自民党野田派ともいわれる野田民主党政権。

 

 格さんの手で掲げられる紋所ではなく、自分の手に握られている一票こそ

自らの苦難を自ら解決する力です。

 kaeruの気持ちをこのHPで読みとって下さい。

 http://www.jcp.or.jp/


机上の空白

2012-10-29 19:41:38 | 詩的なつぶやき

 庭の桜の枝のかさなりを通して晴れあがった空を見ていたら、机の上の

本やノートや紙きれの重なりが気になってきました。

 夏の木々の枝や幹を覆う葉の茂りのように、わが机上は空ならぬ机の

面(つら)が見えません。秋空のように机の面を見ようと整理をはじめまし

た。 その労に報いようとされたのか(誰が?)、探していた80円切手の

シールの使い残しが出てきました。 神奈川県の最低賃金は時給で今月

から849円ですから丁度そのくらいの「稼ぎ」になりました。

 

 整理された机上で 『虚子一日一句』 を開きましたら

   十月三十日に

      朝寒の書齋の机上誰が触れし   (昭和二十五年)

 があり、星野立子さんの一文を読んでニンマリです。

 「父の机の上はいつの間にか書物や手紙などでいっぱいになってしまって、

ものを書く場所は一尺四方も残らなくなる。机の下にも何か置かれる。きれい

好きの母がそれを嫌がる。父は片づけることを厳禁する。」

 

 我が家は夫婦棲み分けで、一階は妻二階が私と境界争いがないようにして

いますので、平和共存です。私が物を無くしたり置き忘れたと騒ぐ時は越境し

て探してくれついでに片づけます、私は厳禁はしません。


百歳まで生きるということ、続の続の続。

2012-10-28 22:35:21 | どこまで続くかこのブログ

 百歳まで生きたいもう一つの理由。

 最初の理由を昨日つぶやきましたが、かなり手前勝手な理由でよく分から

ないと思います。ある意味では自分の感覚の世界の話でなかなか共感され

ないでしょう。

 二つ目の理由は、これは簡単で要するに長生きしたいということ。

 この世は長生きするに値する世です。あの世もかなり逝くに値する所かと

思いますが先に逝った人は歳をとらず、待ちくたびれることもなく居るのでし

ようから急ぐことはないのです。

 

 長生きして何をするか。まず一冊でも多く周りにある本を読みたい。周りに

あるだけでなく本屋に行けば読みたい本が無限にある。無限ですからいくら

長生きいしても読めるわけがない、どこで止めるかは神のみぞ知る、あるい

は内の神さんが決め手を握っている、全生活の管理者ですから。

 それに、先日地域の小母さん(お婆さんが多い)を中心にした組織の運営

を引き受けたので、その役割を出来るところまで楽しく担っていきたい。

 それにkaeruの名にふさわしく「世の中を変える」ということにもまだまだ力

をいれなければなりません。 特に原発ゼロ社会への取組みは今最も力を入

れていかなければならない運動でしょう。そのこともあって今日川崎で城南

信用金庫理事長の講演「わが城南は、東電の電気いらない!」を聞いてき

ました。当信金の原発に対する姿勢、信用組合金庫としての経営姿勢は

http://www.youtube.com/watch?v=CeUoVA1Cn-A で。

 

 要するに100歳まで生きてみようということは、自分の生れてくる前の世の

中にくらべていなくなった後の世の中が少しでも良くなるだろう、そのために

少しでも役に立った人生だと思いたいからです。


百歳まで生きるということ・続の続。

2012-10-27 23:08:45 | どこまで続くかこのブログ

 昨日の「説明」とはこういうことです。

 私は1937(昭和12)年6月生まれで届け出ている誕生日は、実際より

20余日遅くなっています。 出生時平均の半分の体重しかなく当時の状況

では育たないと産院も親たちも判断したようで、出生届けが遅れたのでし

た。 よく母は私に「お前は生命力が強い」と言ってくれたものです。

 そんなこともあり、自分が生きてきたということへの意識的な「こだわり」

が強くあったようです。 それは少年・青年期の特有の生きる意義への関心

と重なり自己の存在に社会とか時代とかの地面に足をつけたという実感を

求めていました。 昭和12年生まれは事実ではあるが、実感ではなかった

のです。

 

  あるとき、多分中学校の終わり頃か、年表を見ていて昭和12年は1937

年であること、その年に日本の軍隊は中国の南京という都市で大虐殺を行

なったという事実を知ったのです。 それは自分の立ち位置への視野の広が

りとなり、歴史的感覚が芽生えたともいえます。 社会というものを自分の足元

に感じること、時代を生きるということを実感として掴み始められました。 その

時の感覚は今でも自分の社会的意識の根底にあります。

 それだけに、どういう時代に日本人として生れ生命を維持してきたのか、

それがどういう意味をもっているのかの問いかけをもち続けてきたように

思います。 それが「予測年表」を見た時に100歳まで生きて「歴史的瞬間

を見たい」と思った理由です。


百歳まで生きるということ・続。

2012-10-26 22:29:35 | どこまで続くかこのブログ

 「新規投稿」をクリックすると、タイトル欄に「百歳まで生きるということ」が

そのままになっていました。 本欄は空白でしたので「続」としてこういう書き

出しではじめます。

 

 やはり、百歳までは生きようと思います、二つの理由からです。

  一つは十余年前、20世紀の終わりごろ 『21世紀の年表』(正確な書名

かどうか不明) という本を立ち読みした時です。その本は来るべき21世

紀にどのような 「事件」 がいつ頃おきるかを予測した 「年表」 でした。

たしかフランスの歴史学者の書かれたものだったと記憶しているのです

が、その後見あたらなくなって出版社も記憶していませんので確かめよ

うがありません。

 そこに2037年に日本政府が中国政府に「南京大虐殺事件100年に際し

て正式に謝罪する」という趣旨のことが書かれていたのです。この「事件」は

1937年12月日本軍が中国・南京を占領した際に大虐殺をひきおこしたと

いう「事件」であり、今日でも一部の人びとから「大虐殺はなかった」とか論争

があります。 (wiki の該当記事を参考に)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%97%E4%BA%AC%E4%

BA%8B%E4%BB%B6_(1937%E5%B9%B4)

 1937年生まれの私としては是非この目でこの耳で、そういう「歴史的瞬間」

を確かめたいのです、 それにはすこし説明が要りますが 「続の続」で。


百歳まで生きるということ。

2012-10-25 22:49:11 | 詩的なつぶやき

 昨日のつづき的俳句をお読みください。

    百までも 呆けず生きたし さるすべり       

  詠まれたのは七十六歳のご婦人です、なんの変哲もない読まれた通りの句

です、が 「障害者の息子と暮らしています。呆けずに百までもと願っています。

 私が弱ったら誰に面倒をみてもらえるかと思うと、頑張らなければと思います」

という詠み手の思いを知りますと、句意が切実な思いであり決意であることが

伝わってきます。

 息子さんの障害の程度は分かりませんが、五十歳前後の独りでは生きては

いけない一人の成人の命を支えている母親としての全生活。

 そんな暮らしのひと時に目にしたさるすべり(百日紅)の紅色、百日続くという

その色に日ごろの思いを託す、と読みとりました。 重症心身障害児者施設で

清掃という仕事に携わっている者として、句意の意味することが痛く伝わって

きます。

 

 そして、同年代の者として百歳まで生きなければという心底からの 「決意」 は

何かと自問して、なかなか自答がはっきりしません。 偶然この「つぶやき」がブロ

グ開設100日目であり、これからの「つぶやき」に自答の片々を込めていこうかと

考えました。 あわせて、このご婦人の切実な思いへの共感を忘れずにいこうと思

います。


百壽も露か。

2012-10-24 19:16:34 | 詩的なつぶやき

 昨日、「百壽」の色紙に「三年前の10月24日」としましたが、二年前でした、

訂正しておきます。 そして高齢になると時間の流れが速く感じられるようにな

ると言われていることと、この感違いは関係しているのかなと思いました。

 色紙にははっきりと2010年と書いてあり、それを見ながらも三年前として

意識したのは、色紙を贈ってからの歳月の長さをかなり長く感じていた自分

のなかの時間表に合わせて読取っていたのかと考えました。

 

 面倒な話は別にして、ある俳句関係の本で

   あとやさき百壽も露のいのちかな    静雲

 という俳句を読みまして、「百壽も露か」とタイトルしました。

 この句は、詠み手が時宗の河野静雲という俳僧で、刑務所収容者の作句

の指導に当たっていた方の詠んだもの。死刑確定囚に向け詠まれたものと

本(『仏心の俳句』)の著者・村上護氏は解説しています。

 

 別の本(『異空間の俳句たち』)の死刑囚が詠んだ俳句を記します。

   一秒を

   きざむ命や

   さくら散る           夘一(27歳)

 (この本では「死刑囚いのちの三行詩」として三行に行分けしています)

 桜の花びらが枝を離れ、地に届くまでの秒間を命の単位としています。  


百二歳

2012-10-23 23:23:35 | どこまで続くかこのブログ

 M叔父が亡くなって母方の伯父叔父叔母5人すべてが他界しました。

 M叔父は明治44・1911年12月生まれですから、享年102歳ということ

になります。伯父叔母のなかではもっとも長命でした。 母方兄弟の死亡時

満年齢を長兄→末弟の順で記しますと、87、100、94、96、85、続いて

M叔父の100歳となり、かなり長命の家系かと思います。

 

 早くから東京へ出た伯父家族を別にすれば、5人は上田市内か極近くに

住んでいたこともあってかなりの期間兄弟会を楽しんで行なっていたよう

です。 なにかと助け合いが行なわれていた日常ですから、私たち従兄弟

同士の付き合いもある程度の年齢まで自然にすすめられていました。 そ

の従兄弟関係も互いが社会人になり家族をもつなかで疎遠になって、特

に上田を離れた者にはそのつながりは薄くなってきました。

 伯父叔母の葬儀の席で顔をあわせ話すなかで、こころおきなく飲み話し

談笑する場をもとう、と 「いとこ会」 が行なわれるようになって七八年、三

回ほどもたれました。

 三年前の10月24日の日付のある色紙がM叔父の祭壇に飾られてい

ましたが、いとこ会の席で叔父の 「百壽」 を祝い甥姪およびその連れ合

いが祝いの言葉を寄せ書きしたものでした。

 

  叔父は俳句をよくし、「家族から父への想い」にも「俳号を “粲葉” とし

て多くの句を詠んでいた姿は今も瞼を閉じれば浮かんできます」 と記し

たありました。 詠まれた句を甥たちの手でまとめ句集にもしたことがあ

ります。 

 

  百二歳白菊棺に満ちてあり    清蛙

             叔父さん、有難うございました、母によろしくお伝えください。


アリバイ証明 3-2

2012-10-22 21:42:19 | どこまで続くかこのブログ

 東京駅より逗子へ、その間を使い一言。ある人より田中貞雄氏の紹介あり。この人横須賀にて昭和14年に生を得る。県庁職員にして俳句詠み人なり、詳しくはGoogleにて検索すべし、小生も今検索を終りし所なり。怪しげなる文のあやは田中氏を紹介せし人の美しきによるものにして我の責にあらず。