kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

映画「ゆずの葉ゆれて」、ダブル受賞。

2016-12-28 21:29:00 | 鹿児島・薩摩

まずはこの映画、見落としているのが今年の悔やまれるひとつです。今回ロシア・ソチ国際映画祭での「主演女優賞」と「ロシア連邦映画監督協会会長賞」のダブル受賞で再上映されたら是非、と思っています。

以下、またまたフェイスブックからの情報ですが一覧しておきます。


鹿児島県南九州市穎娃町牧之内雪丸

2016-12-06 20:29:47 | 鹿児島・薩摩
 
鬼のようなる真田……。

   花の様なる秀頼様を、鬼のやうなる真田がつれて、退きものいたよ加護島ヘ  手元にある『真田幸村』(小林計一郎著  新人物往来社 昭和54年発行)にこんなことが書かれてい......
 

   NHK大河ドラマ「真田丸」のはじまる前、こんなことをつぶやいたいたのでした。

   さて実際に鹿児島の地を訪ねてみると、あるんですお墓が……。

  この案内板の左側一番下、kaeruの帽子の影のところです。案内図にも「伝・真田幸村の墓」とあります。

その雪丸という場所は、

ここの鹿児島県内での位置は、

それでは大坂との関係は、

幸村は秀頼を擁して神戸に出、そこで薩摩藩の船に乗り薩摩へ向かったのです、こう見るとあり得ますね、この話。

下の部分は1年前の「つぶやき」ですが、

《話として大変面白いです。源義経が生きのびて大陸に渡りギンギスカンになったという話に類することでしょう。鹿児島の地名も出てきてもっともらしいのが更に面白くしてます。「てんがらもんラジオ」で向井さんから話を聞けるといいのですが。》

向井さんの薀蓄を傾けた話としていつか聞かせてもらいたいものです。

Wikipediaにある幸村・信繁の墓はこれだけありますのでそこに

鹿児島県南九州市穎娃町を加えたら……、ダメですかね。


「第八章 鹿児島の砲撃」という頁。

2016-12-05 23:12:27 | 鹿児島・薩摩

   岩波文庫『アーネスト・サトウ  一外交官の見た明治維新  上』に「第八章  鹿児島の砲撃」があります。1683年8月の薩英戦争の経緯をイギリス側から書かれたものです。

  薩英戦争については、https://ja.m.wikipedia.org/wiki/薩英戦争  を見て下さい。

  この文庫本を鎌倉の小町通りの古本屋で入手したのは5年程前でした。

  なぜそんな事に触れるかというと、その時この2冊セットを岩波文庫の『オールコック  大君の都』の3冊セットと一緒に買ったら、そこの親父さんがやはり岩波文庫の『ハリス  日本滞在記』3冊セットと『ペルリ提督  日本遠征記』4冊セットを店の奥から持ち出してきて「こういうのもありますが」と言います。

  当時探していたのは『大君の都』で、それだけでよかったのですがつい一緒にあった『一外交官の見た明治維新』まで買ってしまったのです、すると目の前の『滞在記』も『遠征記』も欲しくなりましたが、持ち金足りず『遠征記』を残してきました。

   2年ほど前その近くに行きましたので、少々のお金もありましたから本屋に寄ってみようと……、この辺にあったはずだが無いのです、何やらかを売っている店になってしまっていました。

  私にとって商店街がつまらなくなって行く指標は先ず古本屋がなくなること、さらに町の本屋さんといわれる書店がなくなることです。そんな意味で鎌倉小町通りもだんだんつまらない街になりそうで、喫茶店「門」も無くなったし、ついぼやきたくなりました。         

   つぶやきの目的は明治維新150周年に向けて、鹿児島の土を踏んだ目で、これらの文庫に触れながら浮かんできたことです。横道にそれたら「目的」の内容が頭から消えています。

   多分アーネスト・サトウの次の言葉「私は、薩摩人がやがては日本中ではるかに他をしのぐであろうと思ったのである」(第15章)、この言葉に関し鹿児島の土を踏んだ体験を深めたかったのでしょう。そのことは追い追いの「つぶやき」にします。


余韻というか引きずって、というか……。

2016-12-04 22:18:02 | 鹿児島・薩摩

こころの夢紀行・鹿児島編 1  このブログは12月1日の「てんがらもんラジオ」のゲストに出られた鈴音さんのブログです、旅の第1日目の28日分ですね。 

   旅の仲間たちはそれぞれ旅の整理をしつつ日常生活に入っておられる様子です。ワイコマさんも自宅に向かっての旅路でしょう。

   さて昨日空港で本を3冊求めたと書きましたが、3冊中これは西郷南洲顕彰館でしたかそこで買ったもので、表紙の「西郷と大久保、親友からなぜ激突へーー」が目に入り読む気になりました。

 

 「滅びゆく」というショッキングな名前も目についたのですが、これも表紙に書かれた「地域の人々が自ら未来を切り拓く」という言葉にひかれました。

 

  昨年、馬籠妻籠の宿をはじめ木曽路の旅を共にした仲間に話したことですが、同じ仲間との旅ですが全くと言っていいほど旅全体の印象が違うのです。それは当然といえば当然で、木曽路には桜島はありません、第一海が無い、西郷隆盛もこの地に直接かかわってはいません。ですから単純に違って当たり前なのです。

  にもかかわらず、その違いに拘り鹿児島の旅を引きずって買った本を今はあれ、直ぐに替えてこれ、と頁をめくって拾い読みをしてます。

  西郷と大久保、これも鹿児島に行ってみて視野に迫ってきた不思議のひとつで、2018年大河ドラマ「西郷どん」への期待として西郷隆盛を丸ごと描いて欲しい、同時に大久保利通の役割を理解したいと述べましたが、旅を通じて一層思いは強くなりました。

   そんなことで、この引きずり現象も鹿児島・薩摩から受けたエネルギーの後遺症でしょう。血にし肉にするなどと気の利いた言葉を書いた手前、そこしづつでも本からブログからインターネット情報から得るものを得て血になるか肉になるかはさておき、まずは目と心に取り入れていく事にします。