「てんがらもんラジオ」284回を視聴してもらうと、
こちら → http://www.ustream.tv/recorded/107434716
伊集院と日置という町とか市の名前を向井さんが紹介してます。そしてブログのタイトルの名前も関係するのだろうと感じてもらえるでしょう。
さて、名前の話の前にこの写真を、
鎧姿は映画の一場面ではありません。写真のなかに「薩摩國伊集院町 縣社徳重神社關ケ原役祭典(社務所発行)」とあり、下に「徳重神社参拝」とあります。この一枚は、
国立図書館(当時は帝国図書館)に昭和十四年六月六日に納本されたと印されている『伊集院町志』の一頁です。この『町志』の奥付には、
昭和十四年五月印刷とありますのでこの写真の光景は前年十三年・1938年の旧暦九月十四日の拝殿前の景でしょう。なぜ旧暦の九月十四日かなどは向井さんの話を聴いてください。
タイトルの名前のことですが、伊集院さんは1960年代東京の新橋地域で私がサークル活動をしていた頃、同じ事務所ビルの小さな印刷所の社長さんでした。最初イシュウインさんと呼んでイジュウインです、と言われたのでした。今でもイジュウインさんと口にすると当時の五十歳代の背の高い男盛りの姿が浮かんできます。
それから三十年くらい後、日置さんは逗子の方で短期間でしたが一緒に高齢者福祉事業に携わりました。彼も背の高いダンディな方で精悍な薩摩隼人を思わせるものでした。
椎原さんは私たち夫婦の仲人役で、結婚に至るには難しいこともあって当人双方の家族の仲立ちをしてもらいました。その恩人が鹿児島の椎原名だと知ったのは、お母さんが亡くなり葬儀を東京で執り行ったからでした。
こうして自分の人生のなかの人との触れ合いと、その人の背景にある風土とも言うべきものを考えると人生を旅に例えることが頷けます。