kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

伊集院さん、日置さん、そして椎原さん。

2017-08-31 22:21:26 | 「てんがらもんラジオ」

「てんがらもんラジオ」284回を視聴してもらうと、

こちら → http://www.ustream.tv/recorded/107434716

伊集院と日置という町とか市の名前を向井さんが紹介してます。そしてブログのタイトルの名前も関係するのだろうと感じてもらえるでしょう。

さて、名前の話の前にこの写真を、 

鎧姿は映画の一場面ではありません。写真のなかに「薩摩國伊集院町  縣社徳重神社關ケ原役祭典(社務所発行)」とあり、下に「徳重神社参拝」とあります。この一枚は、

国立図書館(当時は帝国図書館)に昭和十四年六月六日に納本されたと印されている『伊集院町志』の一頁です。この『町志』の奥付には、

昭和十四年五月印刷とありますのでこの写真の光景は前年十三年・1938年の旧暦九月十四日の拝殿前の景でしょう。なぜ旧暦の九月十四日かなどは向井さんの話を聴いてください。

タイトルの名前のことですが、伊集院さんは1960年代東京の新橋地域で私がサークル活動をしていた頃、同じ事務所ビルの小さな印刷所の社長さんでした。最初イシュウインさんと呼んでイジュウインです、と言われたのでした。今でもイジュウインさんと口にすると当時の五十歳代の背の高い男盛りの姿が浮かんできます。

それから三十年くらい後、日置さんは逗子の方で短期間でしたが一緒に高齢者福祉事業に携わりました。彼も背の高いダンディな方で精悍な薩摩隼人を思わせるものでした。

椎原さんは私たち夫婦の仲人役で、結婚に至るには難しいこともあって当人双方の家族の仲立ちをしてもらいました。その恩人が鹿児島の椎原名だと知ったのは、お母さんが亡くなり葬儀を東京で執り行ったからでした。

こうして自分の人生のなかの人との触れ合いと、その人の背景にある風土とも言うべきものを考えると人生を旅に例えることが頷けます。


フェイスブックへ、どーぞ。

2017-08-29 21:27:55 | 葉山そして人

お祭りの交通係で路上にいる時は、写真を撮れませんので休憩時には何枚か撮りました。今回はじめて動画をフェイスブックに投稿。ぜひブログでも紹介したいのですが、FBの動画をブログに載せられるか分かりません。

動画は子どものひょっとこ踊り、11年先の行合祭には祭を支える若い力になっているであろう姿です。出来ることならご覧頂きたいとフェイスブックへのお誘いです。

Googleの検索で「fb 天野 清司」と入れますと、

で、

三人の天野清司は同一人物です、この三番目が、kaeruです。

そこに、出てくるのが、

この画面をクリックすると、お囃子入りで4分間。


11年先の祭へ、向かう心。

2017-08-28 23:33:42 | 葉山そして人

    一昨日の宵祭昨日の本祭で祭は終わりですが、今日は後片付け、予定では12時30分終了、が11時前には終え解散。

   昨夜の直会でも若い人の参加が目立ったと思いましたが、片付けにも若手の顔が見え仕事のスピードも上がったのでしょう。祭が土曜日曜で休日をフルに使いなお月曜にもでてくるには気配りも大変だったでしょう。

   普段地域の若手と話す機会がないので、祭は絶好の機会で2日続く夜の直会は飲み交わすが言葉交わす場でもあり、先輩センパイなどと普段聞き慣れない言葉にいい気になって最後まで、座り込んでいました。

   そして、11年後に向けて頼もしい地域の力を感じるのです。

   氏子会世話人と町内会の役員に配られたものですが「森山神社の歴史」に、2028年の行合祭に「子ども神輿を担いでいる子どもたちが中心となって、森山社を盛り上げてくれることでしょう。」とあります。私が話し飲み交わした若手はその子どもたちの親の世代です。

   ただ祭で会って飲み話したではなく、準備もふくめて数日、特に祭の二日間は交通安全というかなり緊張とチームワークが必要な共同作業を共にしてきた繋がりがありました。

   さて、11年後は91歳です、昨日も多分90歳をいくらかこえていると思われるご婦人が杖と手摺を頼りに石段を上がって来られ、上がりきって「やって来ました」と言葉に出していました。息子さん夫婦と一緒でしたが、自分の足でというお思いがこの言葉になったのでしょう。

   91歳の自分を考え、このご婦人の姿と言葉を目標にしたいと、それこそ神頼みをするのです。


日本一小さな村の自立に注目したい。

2017-08-26 22:10:28 | 時代の現場

今回の9月定例会より、舟橋村議会では議会改革の一環として、議会インターネット中継を実施する事になりました。
そこで、中継映像や録画映像の閲覧方法について、以下に説明します。

①舟橋村のページに入ります。
 http://www.vill.funahashi.toyama.jp/

②舟橋村議会のリンクにアクセス。
 http://www.vill.funahashi.toyama.jp/gyosei_new/gikai.html

③インターネット議会配信と記述されてる部分をクリック。
 http://www.funahashi-village.stream.jfit.co.jp/

この③のページで、ライブ配信と録画放送がご覧になれます。

wikiで読む船橋村

全文は、wikipedia.船橋村  です。


祭り一景

2017-08-26 21:30:35 | 葉山そして人

今日夕方にはひと雨あるか、との声も朝方には聞こえてましたが、宵祭りの終了まで、雨無しでした、感謝‼️

今日明日の役割分担は、交通担当でしたので神輿山車などの国道県道を行く時の安全でした。神輿の場合は大変、練り歩きの前進なので道路の中央線をはみ出す勢い、それを押しこめる手助けもしながらの数時間でした。

結局iPadにおさまっていたのは、これ一枚でした。


切れぎれ『資本論』

2017-08-25 21:01:31 | kaeruの『資本論』

まずは「切れぎれ」ではない資本論、

おなじみの「しんぶん赤旗」にあった「資本論」に関するもので、短いけれど本物です。

ではこちらは、

一見、いや何回見ても「資本論」に縁がないようですが、これから縁ができるかも……という図なのです。この集まりは「民悠会」の暑気払いで昨日の昼間の川崎市内某所、こちらも

場所は替わりましたが市内某所のカラオケ会館の一室、暑気払いのメンバーに誘われ行き着いた先です。「民悠会」については同じ釜の飯食った仲間の親睦会とでもいえます。

それが「資本論」と繋がるのは暑気払いの席上、ある人がこれから三年間の予定で「資本論」を読み通してみる、と思いを披露されたのです。かねがね隙あらば「資本論通読会」をこの仲間に持ち込みたいと思っていましたので、手掛かりが出来たと感じたのでした。

それをカラオケの部屋で主張しようと思いましたがやめました、然るべき機会が来るでしょう。

さて、今日は地元の「資本論講読会」、前回報告当番でしたので今回は聞き役、ということは何も準備せずの「資本論第3部 第22章23章」でした。でも前回第21章を報告していたので繋がりがあり、論議はなかなか面白く自分の目で通読してみようと思い、不破さんの《『資本論』全三部を読む》の該当頁を開くと23章について

この章は、第五篇の前半部分では、いちばん大事な章です。

とありました。

そして、

利子生み資本が問題になるというのことは、資本家という階級のあり方という角度から見ると、資本家たちが、貨幣を貸し出す貨幣資本家たちと、その貨幣を借りて産業や商業を営む産業資本家たちおよび商業資本家たちとに分化するということです。ここでは、資本家たちの分化および分化した資本家たちのあいだの関係が、研究されます。

とつながっていきます。

今日の論議でも出されましたが、マルクス時代と比較すると圧倒的な金融資本の巨大化が成し遂げられている現在資本主義を正確に理解するには、ここが大事だ‼︎ ということでしょう。

ならば、自分の目で読み頭で考えておかなければ、あとが大変でしょう。全3部3772頁あって全部大事だ、なんていうことはないのです。信頼できる人が水先案内人として「ここが大事」というところは自分のものにしておく努力が、それこそ大事なのです。

ということで「切れぎれ資本論」でも大事なところを継ぎ合わせれば「資本論大事集」が作れて、自分の身の丈に合った「資本論頭」になるのでしょう。


ラバウル小唄、長崎の鐘、さとうきび畑……

2017-08-23 21:39:07 | 葉山そして人

   のぞみ会が今年で30年周年になることは、このブログで以前つぶやき済みですが、この30年にしてはじめて8月に例会を持ちました。先月の例会での話、いつものように歌を楽しんでいるうち、懐メロのなかに軍歌が入ってきました。 軍歌を歌うことから戦争をめぐる話になり、来月は休み返上で集まりましょう、ということになり今日のタイトルになったのです。

1枚目は、

 お椀のなかは水団(すいとん)です、70余年前の日本人の食卓に普通にあった食べ物といえばこれでしょう、銀シャリのお握りはコンニチ的です。

そして、♪ラバウル小唄♪ から ♬長崎の鐘♬ この間にいくつかの曲が入りました。

歌を歌いながら聴きながら、ラバウルとは何処か、と

この赤い印、途中小さい🏴が北朝鮮が狙うといったグアムです。

ラバウルの位置を知って思い出したのが、不破哲三さんの書かれた本のこの図です。

 

 午後は「葉山倶楽部」の富永さんのリードでいくつかの沖縄の歌を、

終りは、♬ さとうきび畑 ♬でした。

どーぞ、  http://youtu.be/tyB9z2C98tM

 

歌の途中で、72年前の8月15日をどうむかえたかを順番に話したのですが、二人の婦人が涙が先になってしまいました。14人の集まりで60歳代が2人、そのあとの12人の平均年齢は80歳をこえるでしょう。