手抜きは予てからの習いであって今更との思いもありますが、そこは芭蕉翁の辿った道を曲がりなりにもたずねている身であれば怠け心に鞭打つことも必要かとも思ったりしているところです。
とは言え、芭蕉翁とは称しながらもこの仙台の地を歩いた頃は歳46、亡くなったのがそれから6年後51歳。若い、とは今だから言えるでしょう。当時幾つぐらいになると翁と呼ばれたものか、偶々開いた『芭蕉紀行文集』に、
天和二年1682の芭蕉が知人宛の手紙に谷木因(たにぼくいん)を翁と称しています。その時木因は芭蕉より2つ下の36歳、となると年齢は余り関係なかったということでしょうか。芭蕉と木因についてはここに、大垣市ホームページ ここから下の写真を借りました。
芭蕉 木因