80歳代のひとり暮らしの人が、何らかの方法でほぼ毎日「発信」出来ていたら、その人の消息を「発信」を通じて知ることができます。同時にその人も「発信」で社会とつながり、それは受信でより深くなります。
「いのち」の「い」が「息吹き」の「い」であるならば、「発信」は社会的な「息づかい」でもあります。
80歳代のひとり暮らしの人が、何らかの方法でほぼ毎日「発信」出来ていたら、その人の消息を「発信」を通じて知ることができます。同時にその人も「発信」で社会とつながり、それは受信でより深くなります。
「いのち」の「い」が「息吹き」の「い」であるならば、「発信」は社会的な「息づかい」でもあります。
「てんがらもんラジオ」331回は放送局の移転に当り、仮設スタジオからの放送でした。次回からは老人ホーム「七福神」内で収録され新放送局から発信される、そのために収録日と放送日がずれます。
今日はその「七福神」から若い早田さんと平田さんが、地元のひょっとこ踊り鹿児島きばろ会の小田さん共々ゲストで出られました。
特に「七福神」の早田さんは3回目で、2015年4月の「七福神」開設前の3月に初登場でした。番組参加の感想を聞かれ、「温かいラジオだな、と思った」の言葉が印象に残っています。
2回目は半年の現場での体験を踏まえたその年の10月でした。この間の経験の感想をひとことで言うと、「感謝、感動、格好いい」だそうでした。これは福祉の仕事を評して言われる3K「きつい、給与が安い、汚い」に対した言葉であることは言うもでもありません。
早田さんは1回目にも「地域に開かれた施設、地域と共にある介護施設のあり方を求め進めることを強調していました。それを半年実践してみて」「七福神」としての3Kを自信をもって述べたのです。
早田さんが今日述べたことはその自信を支えるさらに基本的な考えでした。「介護士の前にひとりの人間として、思いやり寄り添う心が自然と相手に接する姿勢をつくる」と。そして後輩の平田さんについて、新人としての素直さ経験のないことで、かえって自分が気づかされることがある、新鮮な意見を聞きながら仕事を進めることができる、と。
この番組には副施設長の關香織さんも出られたことがあります、その「七福神」内で次の週からは「てんがらもんラジオ」が収録される、大いに期待され発展があるのでは、と思えてきます。
南日本新聞が伊敷団地を中心に「縮む団地」として記事にしたのは、2016年の1月からはじまったシリーズ「かごしま 老いの明日」でした。平均年齢70余歳の地元のご婦人連が送り出す「てんがらもんラジオ」と地域に開かれた福祉施設を目指し若い力が誠実に発揮される「七福神」のコンビネーションが新しい魅力を生み出すことになるでしょう、期待してます。
あらためて団地のなかの「七福神」の位置を目におさめておきましょう。(赤線で囲んだ部分はいまでは旧「FMぎんが」)。
「両忘」について。
白川『字通』に、 岩波文庫『荘子 第一冊 内篇』に、
堯は良いが桀は悪いなどということにとらわれず、両方を忘れてしまいもっと大きい道に立って一体になりなさい。
というような意味でしょう。
「忘却とは忘れ去ることなり。 忘れえずして忘却を誓う心の悲しさよ」
菊田一夫の「君の名は」です、この言葉忘れ得ず、です。
絆は常用漢字表には入っていません、人名用漢字です。
『人名字解』です、
ここに「馬のちふ」とありますが「執+糸」の文字が変換されません、字の形としてはそんなに難しくありません。気になるのがこのなかに「幸」が組み込まれていることです。
「幸」と「きずな」の関係は?
『常用字解』によると「幸」は、
【手枷(てかせ)の形。古い字形からいえば、両手にはめる刑罰の道具である手枷の形である。これを両手にはめた形は執(とらえる)、報復刑として手による犯罪に枷をはめることを報(むくいる)という。報は両手に手枷をはめられて跪(ひざまず)く人を又(ゆう・手の形)で後ろから抑える形である。
幸はおそらく倖(こう・さいわい)の意味であろう。手枷だけの刑罰ですむのは、僥倖(ぎょうこう・思いがけない幸せ)であり、重い刑罰をも免れるというので幸というのであろう。それで幸(さいわい)の意味がある。】
不幸中の幸い、というような場合の「幸」なのでしょう。
この漢字としての「幸」が、私たちの祖先の手でこの国の言葉に移されて「山の幸、海の幸」のように「獲物」を意味する言葉につながっていくのでしょう。