kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「洒蛙洒蛙」 考、というほどではありませんが。

2012-07-31 19:10:28 | どこまで続くかこのブログ

洒とは注ぐの意、蛙(あ)は蛙(かえる)。

 「蛙に小便でいけしゃあしゃあ」 とは、あつかましく平気でいる

さまをいう、まさに洒蛙洒蛙だ。

【この3行からはじめる本文こそ、30日の分。「俄か庭師のこと」は31日の

分】……そんなことはどうでもいいが。

 

まず、google検索 「洒蛙」 で、福沢諭吉全集に 「意気揚々顔色洒蛙々々

として恥ぢざる者あり」 等あるを知り、中里介山の 『大菩薩峠』 には 「いけ

図々しい男」 が 「洒蛙洒蛙として二階へ~」 と使われていることを知った。

手元にある「漢和辞典」 には 「洒蛙洒蛙」 は熟語として出てこないが、『新

潮日本語漢字辞典』には出ている。 「日本語としての漢字」 を知るための辞

典としての特長がうなづける。

ところが、「しゃあしゃあ」を「洒蛙洒蛙」 と書いたり、「めでたい」を「芽(目)出

度い」 と書くなどを 「(このような)あて字はいかにもでたらめに漢字をあてた

~」 ものとして  「いずれもかなで書くべき」 という論がある。

しかし、kaeruとしては、洒蛙洒蛙は気に入った、いかにも蛙が小便の出口を

見あげて平然としている景だし、芽出度いの芽・目もいい。この辺の感覚は

 「畢竟人間も自然の一部であることを忘れてはいない」 感覚だ。 

 

 


俄か庭師のこと

2012-07-30 19:50:36 | 葉山そして人

洒とは注ぐの意、蛙(あ)は蛙(かえる)。

 「蛙に小便でいけしゃあしゃあ」 とは、あつかましく平気でいる

さまをいう、まさに洒蛙洒蛙だ。

 

上の3行は昨日の分、このあと続けようとしたら夕食になり、食べたら眠く

なり 「親が死んでも食休み」 の例えもあることだしと、横になった時はひ

と寝入りしたら続きをと思ってはいたが、目が覚めたのは今朝5時、仕事

にむけて既定通りの動きをしなければならない、ブログに心を残しながら

の出勤だった。

よく寝れたのには理由があって、午前中から4時ごろまで知人の庭の草

取りに精を出していた。90歳になろうとするその人の思い入れのある庭

で、奥さんはここを離れてマンション住まいにと希望したが、ここを 「終の

棲家」 に決めてきたのは、庭の存在が大きい。

そんな庭の雑草が気になるが、自分たちで取り除くことはできない、この

数年誰かの手を借りてきた。今年は 「あなたにやってもらえませんか」 と

いうことになった。 kaeru家の庭はいっさい内の奥さんまかせ、内の奥さ

んと一緒でしたら引き受けます、もちろんいいですよ、ということで80歳代

夫婦の生活を70歳代夫婦がサポートすることができた。

 

その仕事帰り、バスから降りて道路に立った時のムッとくる暑さ、芝生の上

で受けていた日差しとの違い、いかに家にとって庭の存在が大きいのかを

教えてくれた。 自然のなかで営まれる生活それを家庭という。

生涯を農業問題に取り組んできた知人こそ 「人間は畢竟、自然の一部で

あること忘れないでいた人」 だった。

 

「洒蛙洒蛙」考は次の日に。

 

 

 

 


『つぶやき歳時記』 四 洒蛙洒蛙と……

2012-07-29 13:23:06 | どこまで続くかこのブログ

 『つぶやき歳時記』に蛙がでてくる、蛙という漢字が。

 「中には、こんなものに花をいけて、よく洒蛙洒蛙と人様から教授料

がとれると、天を仰ぎたくなるものもある」 と。

 洒蛙洒蛙はふつう 「しゃあしゃあ」 と書く、広辞苑などにも漢字は書

かれていない。 映像作家であった書き手の魅力のひとつであろう。

 

 こんなものとは、『いけばな花材大事典』(主婦と生活社発行)という本

のなかに載せられている花器のこと。 高橋さんの嘆き 「一点たりとも

ああ見事な花器だというものがない」 と。 華道などという世界にまったく

縁のないkaeruにとって、高橋さんの嘆きはそんなものですかね、とい

う程度などだが、嘆きの前提になっている高橋さんの華道論?は分か

る気がする。

 それは 「私は~、世の中に華道というものくらいいい加減なものも少な

いと思っている」 「華道は一種の魔界」 「魔界に世襲で君臨する人が多

いから、人間が傲慢不遜になって来る」。

 文章の所々を切り張りして「華道論」などというのは迷惑なことだと思う

が教授料という金力を懐に入れるシステムとしての権力=身内、という

構造は、原発利益共同体に通じる。その規模の違い、その社会的影響の

違いはこの共同体が国家機構を充分に組み込んで国民の生活の隅々に

支配の手を浸透させてきたことにある。

 電力集団への批判の目は、高橋さんの華道の世界への批判の根底に

なっている次の言葉に通じる。

 「人間様も、いくら偉そうにしたところが、畢竟自然の一部にすぎないこと

を忘れているのである」

 


『つぶやき歳時記』 三

2012-07-28 21:45:38 | 非詩的なつぶやき

『つぶやき歳時記』の本文より、『風の盆恋歌』 のほうに気が向いてしまう。

「つぶやき」より「恋歌」の方が力が入る。 「kaeruの恋歌」 とか 「kaeruのラブソング」

とかに代えてみようか? しかし、連れあって50年になろうとしている「内の奥さん」を

脇にして、毎日恋だ、愛だ、不倫だ、純愛だと書かなければならないとするとかなりエ

レルギーを費やさなければならない。

その意味では「つぶやき」というのはかなり便利なタイトルで、愛だ恋だばかりでなく

「原発は人類共通の敵ではないか」 とか 「腰の痛みがなかなか取れぬ」 などなど。

人類史的課題から日々の身体事(心配事)まで、なにをつぶやいてもいい。

 

もともと蛙が鳴くのは恋歌としてなのだから、つぶやきなどという水準の音量ではすまない、

「kaeruの大合唱」 ということになる。ということで、22日に茶千さんから 「素晴らしいタイト

ルですね」 とほめられたが、私が考えたものではないのは残念だが、その便利さは素晴らしい。

 


花金ではなく花日へ

2012-07-27 22:05:23 | 非詩的なつぶやき

今夜は、官邸前・国会前の抗議行動はない、 29日の 「国会大包囲」 に全力

をあげるため。 29日は日比谷公園での集会後、4時にデモ出発、東京電力

本社前や新橋駅前を通り、日比谷公園にもどり、国会へと向かう。

 

16日は 「さよなら原発10万人集会」 だった。予定をはるかにこえて17万人

の集会となった。呼びかけ人のひとり瀬戸内寂聴さんの声が今でも耳に残る。

闘う90歳!その声の若さ!説教と読経に鍛えられた喉とはいえ。

その寂聴さんも、3・11をほとんど寝たきり状態のなかで経験し、こうしている

わけにはいかぬ!という思いが自分を立ちあがらせたという。

人の日常を支えている思想というようなものの力のありようを教えてくれる。

 

 

 


『つぶやき歳時記』 二

2012-07-26 20:39:38 | 詩的なつぶやき

『風の盆恋歌』 を読んだものと思っていたが、どこを読んだのだろう。

読みなおしてみて(文庫本の半分くらい)、都築とえり子のパリでの

出会いなどまったく記憶にない。

酔芙蓉の花の話は憶えがあるが、やはり踊りのなかのえり子の姿を

追う都築の目線が心に残っていた。揺れる踊りの輪のなかへ動かぬ

思いを目線に集める。そんな光景が少年の頃の盆踊りとそのなかの

ただ一人の人を見つめていた心景と重なる。

そんなときも、その人の手のひらや指先の動きを追っていた。

  ひらひらとてのひらばかり風の盆     井口 荘子

   しまひまで手先ゆるめず風の盆     渡辺真奈美

  かざす手のひらひら白し風の盆     小倉 英男

 

 

 

 


『つぶやき歳時記』 一

2012-07-25 14:31:15 | 詩的なつぶやき

昼食を共にした坊さんと俳句の話をしてきた。

だからというわけで、 『くいもの歳時記』 とでもいう本をと本棚の前

に立ったら、「くいもの」ではなく「つぶやき」が目に入った。 

書いたのは高橋治さん。この人の 『風の盆恋歌』 は印象深く読んだ。

だから、その後だろう本屋の棚に「高橋治」+「歳時記」+「つぶやき」

=高橋治著『つぶやき歳時記』として目に入り、1100円の金と引き

替えに本屋の棚から我が家の棚に置きどころを移したのは。

移した後手にしたのが今日がはじめて、ではないにしても、読みはじ

めたのは今日から、だから 「つぶやき歳時記」二、が(我ながら)楽し

みだ。 

 

 

 

 

 

 

 


七日目も休まず(休めず)。

2012-07-24 21:09:35 | どこまで続くかこのブログ

神様も仕事を六日続けたら一日休みにしたそうだし、三日坊主も

二括りしたし、今日はブログ休日と床に入っていたら才女さんから

メール。

「蝉は七日の寿命といいます。短命の象徴の蝉でさえ七日は鳴い

ているのです。蛙が六日で一休みなど自然の理に反します。これ

からでもパソコンに向かいなさい」、と。

 

賢妹愚兄の関係、従うことにして、その報告をもって今日の務め

を果たすことに致しました。

 

 


つぶやき って凄い

2012-07-23 18:53:28 | 非詩的なつぶやき

kaeru ってなに? の次は つぶやき ってなに?

になるのが順番ですが、そんな順番に関係なく

「ツイッター(つぶやき)って凄い」と思う。

 

読んでいる本のなかの一文。

「自分に嘘をつかずに、できることをしていくだけで、僕ら

は前に進むことができる。組織の一員として積極的に声を

あげることのできない人も、ツイッターでそっとリツイートして

背中を押す、それだけで、社会は変えられるのだ。」

 

金曜日夜、首相官邸・国会前に集まってくる人びとは

つぶやき・ささやきを 「声」 にしに来る、音ではなくて。


kaeru ってなに?

2012-07-22 12:40:32 | 非詩的なつぶやき

ブログ五日目にして気づいたこと。

kaeru って、蛙。 

と思い込んでいたが、「返る・還る・帰る・反る」 なのか

「代える・変える・替える・換える」 か

あるいは 「買える」 なのかも? と考えはじめた。

このブログを作成したのは美しき才女、

一方書き込みをするのは蛙面で愚者、

才女は愚者の顔を見て、 「蛙のつぶやき」 とするのは

直接的すぎるとローマ字にしたのだろうが、

あわせて 「日々をふり返り」 反省のつぶやきを

そして 「自分を変え、社会を変える」 に役立つことを

つぶやけ、と期待したのかも知れない。

では、「買える」 は?