昨日紹介の俳誌を拾い読みをしていたら、今日も「その2」として「つぶやき」たくなりました、がその前に、
昨日の五句を送信した後で推敲して訂正してもらった一句、
潮風や秋の豊かさ東歌 を 潮風に万葉歌は秋豊か に
実は句会で点を貰えなかった二句のうちの一句なのです。
このところ『万葉集』を開く機会があり、東歌に目を通していたら「鎌倉」の地名が詠み込まれていたのです。そのことが頭にあって「東歌」を詠み込んでみたのですが、やはり「万葉集」として詠み込んだ方が良いですね。
では「滑稽」の方です。
まず俳句側から、
次は川柳、
各々二ページ分の「論考」です、ここで目につくのが これ
.
同じ歌ですが、右は「俳句」から左が「川柳」です。
論者の俳句・井上泰至氏、川柳・渡辺美輪氏が申し合わせしたわけではないでしょうから、この私でも知っている有名なこの俳諧連歌は、この種の論の出発点として五七五の世界では共有されているのでしょう。
となると「俳句も川柳も、滑稽ということ」を考えていくうえで頭に入れておく必要がある歌だと思いますので、この部分の文字移しをしておきます。
論考〜俳句と笑い 「俳」の精神
井上泰至(「上智句会」「若葉」)
「笑い」はその人のセンスや品格と切っても切れない。俳句もまた同じである。顰蹙を買いそうな猥談も、語る人次第で、破顔一笑の交流が生まれる。どのように上品な言葉を並べ立てたところで、「心」が本音のところで離れていては、会話は苦痛以外の何物でもなくなる。
俳句の源流は、饗宴の「座」という環境に求められる。目的とするところは、「おもてなし」を通して、心を繋ぐことにある。そこには酒食も伴うが、つまるところ目指しているのは、「笑い」による共感だ。「俳」とは滑稽のことなりというのは、実に正当な命名である。
しかし、「笑い」ほど趣味の成熟を照らし出すものはない。下品な言葉を使うだけなら、児戯に等しい。俳諧も、発生の局面においてまたそういう要素はあった。
霞の衣裾は濡れけり
佐保姫の春立ちながら尿をして
今日書き残された中で、初期の俳諧を典型的に示す『犬筑波集』の一連である。春「霞」を、シースルーの絹の衣に「見立て」るのは和歌以来の常套。貴族文化の「和歌」の上品な素材を詠んでおいて、「濡れ」ていたのは、春の女神佐保姫が立春に立ち小便をしたからという落差が笑いを呼ぶ。 だから俳諧は、座興として長く書き残されることがなかった。ただし、これは単純な「雅」の破壊ではない。むしろ「雅」の美に憧れ、和歌的連歌を食傷するほど詠んだ末の「座興」なのである。
論考〜川柳と笑い 川柳における滑稽・ユーモア
渡辺美輪(「現代川柳」編集長)
川柳と俳句の起源は、共に俳諧連歌にある。古代から和歌や歌道を「敷島の道」と優雅にいい、これに対して連歌はやや泥臭い・田舎じみたものとして「筑波の道」といいならわしてきた。
霞の衣裾は濡れけり
佐保姫の春立ちながら尿(しと)をして
(『新撰犬筑波集』)
俳諧の「俳」は、室町時代には「そしる・非難する」の意味をする「誹」の字を当てており、「誹諧」とは「おどけて悪口をいう」こととされている。「俳句」の「俳」もまた同じく、おどけ、たわむれ、滑稽、諧謔などを意味する。
川柳は前句付として生まれた。前句付は、前句の内容を受けて発想の転換をはかり、ピリッと辛口の批判をし、あるいは読者をおもしろがらせ、あるいはあっと言わせることを旨とした。やがて前句がなくとも付句のみで句意のわかりやすいものが独立していく。古川柳の三要素といわれる「穿ち・軽み・笑ひ」は、「俳諧」そのもの。川柳は「俳諧」の申し子だったのである。
女の誉る女すくなし (『誹風武玉川』)
武蔵坊とかく支度に手間がとれ (『誹風柳多留』)
母親はもったいないがだましよい (同)
投句料(花代)を集めて点者(選者)に好作品を選ばせて刷り物にし、高得点句には賞金を出す前句付興行は、江戸の町の知識人の楽しみであった。明治時代に入り、投句先は新聞社や雑誌社となる。
川柳も俳句も本文は、五七五の十七文字ですが論するとなるとこれでなかなか奥行きも深そうです、面白さとは奥深さでもあるようです。