kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「fmぎんが」つれづれ……。

2016-06-30 22:41:27 | 「てんがらもんラジオ」

  午前中急な用事で「てんがらもんラジオ」が視聴できず、もしやと思ってインターネット接続を試みましたが、

 やはりダメでした、それにしてもこの「⁇⁇⁇⁇」が気になりますね。放映中でも⁇⁇だったみたいです、

 

ゲストの吉川さん、上床さんと前迫さんを足して2で割った? 感じです。火曜日に視聴するのが楽しみです。

タイトルにありますように「てんがらもんラジオ」の親元の「fmぎんが」 を徒然なるままに検索してみました。

 

ここが入り口でしょう。

このなかをくっグッてみると面白いですよ。

「FMぎんが」までの行き方、でもね、鹿児島空港からとか、鹿児島中央駅からというのも欲しいです、九州自動車道の場合も含めてでしょうか。

「九州ふっかう割」の案内も……すると、

という気分になってしまうかもしれません。


ブログからブログへさらにブログへ。

2016-06-29 22:14:42 | どこまで続くかこのブログ

 『まんが・わたしたちの平和憲法』を通じてこのブログを知りました。

全部はhttp://isao3264.exblog.jp/25963214/  のクリックで。


  ブログ名「今日から明日へあさってへ」が時間的な拡散ですので、今日の「つぶやき」のタイトルをブログ界の空間的拡散にしてみました。「潮流」で書かれているように「いまそれがネットなどで話題に」のひとつですが、大いに拡散され生活と憲法という基本的な理解へ繋がることに!と期待します。

   この「あとがき」は『まんが・わたしたちの平和憲法』のものですが、このなかに「このたび、神奈川婦人平和委員会の手により、『まんが・わたしたちの平和憲法』発刊の運びとなりました。」とあります。

   沖縄県に次ぎアメリカ軍基地が多い神奈川県であればこその婦人部の活動だったのでしょう。先日わが家に来た妻の小学校時代の同級生等に「学会婦人部」への「期待」を語り掛けたのですが、このマンガづくりに携わった人たちの思いは消えることはないでしょう。

  このこともあわせ、http://seoullife.blog.jp/archives/62149212.html 

を再度紹介します、現在67のコメントが寄せられていますが、多くのコメントに真摯な思いが綴られています。全てのコメントをもふくめて、このブログの掲示に敬意を表します。情報の力、言論の力を示してくれてます。

全コメントを含めて再読したくなります。


『まんが・わたしたちの平和憲法』

2016-06-29 14:07:20 | せいじの政治カフェ

  参議院選公示日の午後御婦人二人が妻に会いたいと、ちょうど旅行に出たあとでしたので私が応対しました。公明党の候補者の話でしたので戦争法の話から「子供や孫が鉄砲を持って外国で殺す殺されるようになってもいいんですか」と言うと、「そうさせないように公明党が頑張ったのです」と言います。

  玄関口での話ですので「お母さん達の願いのためにも創価学会婦人部はがんばってもらわねば、安倍首相と並んでいるようでは駄目です」と話をしたら帰って行きました。

   そんなこともあり、今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」を全文載せます。

【 高校卒業記念のヨット旅行に出かけ漂流した青年2人。1年後に帰ってくると、日本は戦争のさなかに。驚いた息子たちは母親に説明を求めます▼国会審議や3分の2以上の賛成、国民投票。改憲に必要な手続きが次々と承認されたことを知る息子。なぜ世界一の平和憲法を変えてしまったのか。そう迫られた母は、憲法が変わっても生活は変わらない、憲法改正の意味もわからないまま投票してしまったと謝ります▼28年前、創価学会婦人平和委員会の手によって発刊された『まんが・わたしたちの平和憲法』。国民が改憲に同意してしまったことで招く悲劇を描いています。いまそれがネットなどで話題に▼たとえ、防衛費がGNP1%枠を突破しても、首相が靖国に参拝しても、秘密法や有事立法が国会を通っても、自分たちの生活には関係がないと思っていたのに、まさか…。戦争になってから悔やんでも遅いという警告が現実につながると▼創価学会を母体とする公明党はいま、安倍自民党と一体となって戦争する国づくりに突き進んでいます。「平和の党」の看板はとっくに色あせ、「福祉の党」も消費税の導入から増税まで一貫して協力してきた実態をみれば明らかです▼戦争法を廃止するために市民とともに手を携えた野党共闘を、口を極めて非難する公明党。その姿は学会員からも「おかしい」「おごっている」と批判されています。平和や福祉向上を求める国民の切なる声を、こんな偽りの政党に妨げられるわけにはいきません。】

このなかの『まんが・わたしたちの平和憲法』はこちらで、 

http://seoul-life.blog.jp/archives/62149212.html

 


「巨泉さん六輔さん」から目を転じれば……。

2016-06-28 20:08:00 | どこまで続くかこのブログ

   昨日は巨泉さんの週刊誌への「遺言」、今日は永六輔さんのラジオの冠番組終了との情報、巨泉さん82歳六輔さんは83歳です。

   それぞれの部署で一時代をつくりあげてきた方、お二人とも病いに抗しながらよく身をもって発信し続けられたと心から敬意を表します。

   それにしてもこの人のエネルギーの凄さ! 確かに女性優位の高齢期ではありますが、改めてこの人の前に頭を下げます。

クリックしますと、さすが82歳のシワが目につきますが、それも大樹の年輪の如く美しく見えます。好奇心による「探求」というより「探る楽しさ」とそれを発信する楽しさ、常に身の回りにその楽しさを振りまいています。「徹子の部屋」は1972年2月2日がスタートだそうで今年で44年、あと6年弱で徹子さんの言う「区切りの50年」になります。

   徹子さんも1933年8月生れの現在82歳「区切りの50年」の2022年2月は88歳で、これはイケます。一日一日一回一回の積み重ねも自ずから目標を持つようになるものです。自然体のなかに自然が持つ指向性が生まれてくるのでしょう。それがまた己の寿命をのばしてくれるようです。

  老いては子に従え、とは旧い古い、老いては元気な超高齢御婦人の背中を見ていれば間違いないようです。


巨泉さん、もうひとつの「別離」。

2016-06-27 22:36:17 | せいじの政治カフェ

   ソフトバンクへの支払いがかなり高額になり、引落しが出来ず店頭払いしてきました。「インターネットの使いすぎです」とのことですが、飛び込んでくる情報に反応しているうちに料金の発生が重なるのでしょう。

そういう「情報」としてこんなことも、大橋巨泉さんの私たちへの「遺言」です。

「真田丸」で「別離」を見て考えてきていたのでここに現代の「別離」を知らされました。 巨泉さん、3歳年上です、「11PM」の世代の私にとってはこの人の「引退」は残念です。それでこれまたインターネット巡りをしました。

これは切ない話です。

http://light-shade.net/post-743  このなかの巨泉さんの「遺言」だけ移しておきます、後はクリックしてお読みください。

 


「別離」大いなる別離へ向かって。

2016-06-27 20:17:34 | 「真田丸」

「別離」という題から言えば鶴松の病死、利休の切腹、秀長の病死という主人公信繁にとっての別れがありました。

   NHK出版の『真田丸 前編』「略年表」によると第1回「船出」は信繁を16歳としてえがき、最後の第50回が1615年49歳です。今回の舞台になった天正十九年(1591)は25歳でした。前半の25回で信繁の10年間が描かれ同時に信繁の生涯の半生が描かれてもいました。そのなかでも第14回の「大坂」からはじまった信繁の活躍舞台は秀吉の馬廻としての日常で、この形は次回以降も続くようです。

 『真田丸 後編』による「あらすじ」の第29回「異変」でその最終部分を、【 文禄五(1596)年閏七月十三日未明。これまでにない大地震が伏見を襲った。  信繁は真田屋敷を飛び出し、秀吉のもとへと急いだ。秀吉の最期と、豊臣家の行く末を予感させる不気味な揺れだった。】と結んでいます。

  この後の21回分で《秀吉の最期、「関ヶ原の戦い」に伴い「犬伏の別れ」や「第二次上田合戦」から信繁と昌幸の「九度山蟄居」、昌幸の死、信繁九度山脱出大坂城入城、「大坂冬の陣」「大坂夏の陣」そして信繁戦死》が描かれるのでしょう。まさに波瀾万丈の時代劇絵巻が展開されます。

  それだけにこの間の信繁が見聞きする秀吉とその周辺の描き方が、かなり細かく長く描かれているなぁとの感じがします。そして脚本を担当された三谷幸喜さんのインタビューが思い出されました。

  こうあります、 天正壬午の乱が終わると、大坂城の群像劇が始まります。「人たらし」と言われ、天性の陽気キャラだった秀吉が、次第に暴君に変わっていく過程を丹念に描き、馬廻衆として秀吉のそばにいた信繁の視点で、石田三成や茶々といった秀吉周辺の人々を描写します。大坂の陣で、なぜ信繁が豊臣方についたのか、命をかけて秀頼を守ろうとしたのか。その秘密を解くヒントが、若き日の大坂時代にあると、僕は思っています。】 

   波瀾万丈のなか信繁の言動に必然性をもたらし、視聴者に歴史のなかからひとりの武将の姿を蘇らせ、そして歴史のなかへ多くの人々とともに別れさせる「大いなる別離」に向けて、ひとつ一つの「別離」が描かれていくのだと思います。


何がはじまったのか? イギリスのEU離脱。

2016-06-25 22:47:01 | せいじの政治カフェ

   かつて「停滞する欧州」などと思っていた時期がありました。第二次世界大戦後の復興期を経て、独仏両国を中心に戦争という誤りを繰り返さない国際的環境づくりへ、模索と実践が続けられていた時期だったのかと思い返しています。

   二度の世界大戦の戦火が覆ったヨーロッパ大陸では、各国の共存共栄への道はそれぞれの国民の切実な願いであったでしょう。それに応えるものとしてEU結成に至ったことは世界史的な前進だったと考えます。

   それだけに、域内第二の大国イギリスの離脱について関心を寄せ理解をふかめることは、これからの世界の動きを知るうえで大事なことと受け止めます。これに関して多くの見方があるでしょうし、あって然るべきと思います。ここでは「しんぶん赤旗」の記事を紹介しておきます。

追伸

直接「しんぶん赤旗」の6月25日の該当部分でしたら読みやすいでしょう。

ここをクリックして下さい、http://www.jcp.or.jp/akahata/ 


イギリスのことが……。

2016-06-24 22:25:44 | せいじの政治カフェ

   イギリスのEU離脱のニュースをTVやインターネットで追いかけていて時間が経ってしまいました。

こんなメールが届きました。

そして東京では、

平均株価の今年に入っての最安値が更新されました。

世界の一体化が進んで一国の経済社会などの動向の影響が直ちに全世界に広がる状況が良く分かります。

参議院選挙の一人の投票も一人のイギリス人の投票と同様に世界にその影響を広げるでしょう。そういう時代に生きていることを実感できます、面白い時代です。


「てんがらもん」222回 鹿児島、郷土的マグマ。

2016-06-23 22:04:36 | 「てんがらもんラジオ」

   鹿児島三大行事保存会事務局長の隈元忍さんをゲストにと声をかけるきっかけになったのがこの新聞紙面だそうです。

   鹿児島三大行事のひとつ「曽我どんの傘焼き」についての記事ですが、「曽我どん」の曽我とは日本三大仇討あだうちのひとつ「曽我兄弟の仇討」です、その仇討がなぜ「傘焼き」なのか?

   私の子供の頃、戦争中に読まれた「曽我兄弟仇討」の絵本が身近にあって父の仇かたき工藤祐経すけつねをねらって雨の中を行く二人の姿が描かれていた記憶があります。それは蓑みのをまとい笠をかぶったものでしたので、その笠だと勘違いしてました。ですから松明たいまつ代わりに燃やしたという説明で笠ではなく傘だと分かった次第です。

「曽我兄弟の仇討」については「吾妻鏡あずまかがみ」にも出てきます。『現代語訳 吾妻鏡』の第6巻は「富士の巻狩」という巻名です。頼朝の富士の裾野での巻狩りの場が近臣の工藤祐経の殺害の場になったこの事件について、背後には政治的な隠謀があり真の狙いは頼朝の暗殺にあったという見方が紹介されています。

   薩摩藩からは遠く離れた富士の裾野での事件を藩の郷中教育の一環として取り入れ現在も「この火を消すな!」と取り組んでいることからは、三大行事のもう一つの「赤穂義民傳輪読会」とともに鹿児島の歴史の息づかいを生々しく感じさせられます。またもう一つの「妙円寺詣り」では関ヶ原における敵中突破、いわゆる「島津の退き口」が今でも受け継がれていることを知ります。誠に鹿児島の地には薩摩の時代からの歴史的郷土的マグマが胎動しているの感があります。


  新聞記事の終わりの部分に隈元さんの思いが綴られています。

【同会の隈元忍事務局長は「傘がないことには、傘焼きを続けてはいけない。若い人も引き入れながら、緊張感をもって傘焼きを続ける方法を考えたい」と力を込める。

この思いが郷土的マグマの熱量で実現されることを期待してます。


「曽我どんの傘焼き」の光景は以下で、

 https://www.facebook.com/sogakasayaki/videos/514652738736096/

 https://www.facebook.com/sogakasayaki/?fref=nf

 

最後に今日の番組を(残念ながら私のiPadでは視聴できないのですが)、

http://www.ustream.tv/recorded/88715939


「日めくり参議院選」 生命をもとにした社会へ。

2016-06-22 22:14:43 | せいじの政治カフェ

「カクサン部」で共産党候補者のカードを一人ひとり捲ってみました。その人にその人生を感じ、ひとり一人に「物語」がありました。

北海道のこの人この写真に感じるものがありました。

赤ん坊を胸に抱いた写真に、最初おや? と感じて、読みましたら

【昨年の夏、父親になりました。緊急手術で生まれた子どもの体重は658㌘。3カ月以上、NCU(新生児集中治療室)で見守るなかで、「生きていることは当たり前ではない」と息子から教わりました。】

と書かれています。

   明日は私の戸籍上の誕生日です、79年間という生存時間ですが本当はそれに22日間が加わります。79年前1500㌘で産み出された私という新生児は生き長らえることは困難だったのでしょう、多分助からないだろうという思いのなか親も産院も手を尽くす日々だったと思います。20日余間生き抜きもう大丈夫と7月に入ってから6月23日誕生として私の生命はこの社会の一員になりました。

   生きぬく力はその個体にのみ備わっています、しかしその力を力として発揮させるために技術が設備が、個体に注がれる愛情が欠かせません。どんなに生命力が旺盛でもそれを支える環境無しに成長はないのです。社会とはその環境条件のことをいい、政治とはそういう環境条件づくりへの意識的な努力と様々な障害を取り除く言動だと思います。

   その障害の最大のものが戦争です。森さんの胸の赤ちゃんの口元の「9」は、日本国憲法第9条として日本から世界に発信している「ひとつの命も戦場に送らせない」の力だと見えます。