「資本論」学友へ、ー1ー
先日一緒に不破さんの『「資本論」探究 上』を買いに行ってから1ヶ月以上になるでしょう。その間に下巻も出て不破さんの資本論関係書の最新版を手にすることができました。これを機に再度「資本論」通読への挑戦をと思っています。
実はあなたに渡した私の資本論学習の報告文まで(第3部第5篇第31章)で、今までの資本論輪読会が休会になってしまいました。総選挙とその後の対応に正月が重なり、メンバーの都合が揃わなくなったためです。
後の一回で信用論が終わり第6篇の地代論に入るところだったのですが、ある意味ででは一区切りついたのかとも思います。この先をとにかく読み通すという手もありますが、それよりも不破さんの資本論本を手掛かりに、「不破資本論」に基づいて資本論を読むという道の方が良いのではと思います。
例えば、不破さんが2005年の雑誌「前衛」2月号に、
という話を書いています。これは二つの「資本論学習会」での話をまとめたものですから大変分かりやすく、これから高い頂に挑戦する者にとって有難い道しるべです。
そこに、(第三部)第5篇(信用論)について、
【 第五篇は、大きく分けて、利子生み資本についての理論的研究を中心にし前半部分(第二一章〜第二四章)と、信用制度とその運動を主題にした後半部分(第二五章〜第三五章、それに第三六章の歴史部分がくわわる)とからなっていますが、とくに後半部分は難解で読者がもっとも悩まされる部分です。
しかし、編集したエンゲルスが、全体を脈絡あるものにするのはうまくゆかなかった、と率直に言っているのですから、この篇については、中身が簡単に読みとれなくても、それは必ずしも読者のせいではないわけで、安心して取り組んで下さい。】
【信用論を難しくしていることには、もう一つ理由があります。第五篇の後半の信用論の部分は読んでゆくと、ほとんど全章がイギリスの議会の委員会の議事録からなりたっている章がいくつもあることに気づかれるでしょう。(注)
(注)「第二六章 貨幣資本の蓄積。それが利子率におよぼす影響」、「第三三章 信用制度下の流通手段」、「第三四章 〝通貨主義〟と一八四四年のイギリスの銀行立法」、「第三五章 貴金属と為替相場」の四章がそれです。】
【 マルクスは、信用論の部分を執筆中の一八六五年夏、インフルエンザにかかりました。その時、病気と仕事の状況をエンゲルスに説明した手紙が残っています(一八六五年八月一九日付)。そのなかでマルクスは、『資本論』のような頭を使う本格的な仕事はできないから、いろいろほかのことをやっているんだ、と言い、その一つとして、銀行制度に関する議会報告書をもう一度調べてみた、と報告していました。イギリスの議会で銀行家とか大商人とかが、勝手放題な混乱した議論をしている。これらのでたらめな議論を根こそぎやっつけることが必要だが、この材料は、「もっとあとの本」のために使うつもりだというのです。第三部草稿のなかにまじりこんでいた議事録の抜き書きは、登場人物からいっても、議事録のページを追って書き抜きしたその形式からいっても、この手紙でいう「もっとあとの本」の材料に当たります。
エンゲルスはその手紙を受け取った当人だったのですが、編集のときにはその事情を思い出さなかったのでしょう。これも『資本論』の草稿だと思いこみ、この議事録を整理しなおして、自分のシナリオで『資本論』向けの一連の章をつくりあげてしまったのでした。(ここで不破さんは注をもうけてますが略します)この推論によれば、問題の一連の章は飛ばして読んだ方が、マルクスの理論展開の筋道が追いやすくなると思います(笑い)。】
こういう部分を読むと『資本論』読了を自己目的化して、ただ読み終わることを追求するような構えは、労多くして効少なしの思いがします。
この部分はエンゲルスの「資本論編集の問題点」としてわかりやすいのですが、理論展開のうえで問題があるという指摘は、マルクスが意図した資本論構想の全貌を掴んでの上でなければ理解できないことでしょう。そのためにはマルクスの残した資本論の準備草稿の全体を読み解かねばなりません。
その草稿についての不破さんの話です。
【 マルクスが残した草稿は、直接『資本論』草稿として書いたものだけでなく、『資本論』の準備段階で書いた草稿がいろいろありました。なかでも、二つの草稿が大事です。一つは、一八五七年から五八年にかけて八冊のノート(序説一冊、本論七冊)にびっしり書きこんだ『五七〜五八年草稿』、もう一つは、一八六一年〜六三年にかけて三十一冊のノートに書いた『六一〜六三年草稿』です。マルクスは、こういう準備草稿を書きながら、『資本論』の内容や構想を練り上げていったわけですから、そこには、『資本論』の組み立てや論点を読み解くヒントになるような材料がたくさん書き込まれています。
エンゲルスはこういう草稿があることは知っていて、ある程度は目を通したようですが、『資本論』そのものの第二部、第三部の草稿を読み取るのがたいへんで、準備草稿の内容まで本格的に読み込むゆとりはありませんでした。そこから来る編集上の弱点が、いくつかの面で、現行の『資本論』に残されていることは、否定できないところです。】
そして現在の私たちが『資本論草稿集』を入手できる状況にあることを紹介して、
【 現在では、私たちは、『資本論』の研究のさいに、エンゲルスも十分に読み込む条件のなかったこれらの準備草稿を読むことができるのです。これらの準備草稿を研究すれば、『資本論』にかかわるマルクスの考えのなかで、エンゲルスが分かっていなかったであろう点も、私たちが理解できるという場合もありうるわけで、その意味では、私たちは、第二部、第三部を編集したエンゲルスよりも、もっと有利な条件で『資本論』を読むことができる、と言ってもよいでしょう。】
【 そこに〝二一世紀ならでは〟の読み方の一側面があります。】
と『資本論』本論に入る前に触れています。
昨日の「てんがらもんラジオ」でロックバンド「怒髪天」のドラム坂詰克彦さんの声が……、この方面にはまるで無知の私には坂詰克彦も怒髪天もみんな初耳でした。昨日心に残っていたのですが、余りにも知らぬ世界ですので今日はイヤホンを離さず「怒髪天」、ロックというものを聴きました。
坂詰さんの歌「待っているのよ」はこちらで聴き、
http://youtu.be/MvZ6Q6gdKrk
聴きながら義父が元気だった頃、大晦日の紅白を聴かずに演歌番組を見ていたことを思い出しました。紅白は何んかガチャガチャうるさいだけだ、と評して。
今日ロックの響きに浸っていると、義父の気持ちも分かるけどこれは耳で聴くというより体が受け付けるのだ、と思えました。少し勉強しようと広げた辞典によると【 ロックは1930年代後半、アメリカ南部の黒人たちの間に広がったリズム・アンド・ブルース(略 R & B)という音楽が広まった】のが元だそうです。
「怒髪天」についてのネットタネでは、「ロックのリズムで浪花節を歌う」と称され JAPANESE R & E(リズム &演歌)とも言われていました。
確かに「待っているのよ」の第一の印象は演歌です、演歌歌詞をロックのリズムで歌う、の見本のようなものでしょう。ロックのリズムは錆つきそうな気持に快くサビ落としの感じで皮膚から響いてきます。
あと何曲か聴きましたが、これ(ひともしごろ)は歌詞が気持に通じます。http://youtu.be/nkcF374pktY
坂詰さんのブログに、「てんがらもんラジオ」のことが……。
http://blog.livedoor.jp/dht/archives/cat_6549.html
今日の「てんがらもんラジオ」は伊敷歴史研究会の会長池田さんのオリンピックの話からはじまりました。オリンピックといえば当然冬季オリンピックですが、鹿児島と冬季オリンピックは中々結びつかない話です。その通りで、話は夏季オリンピックのことです、オリンピックで二連覇した伊敷出身の選手を知っていますか? と池田さんが問いかけます、戦前のことだそうです。
番組はこちらで、 http://www.ustream.tv/recorded/113125499
この記事を見てください、10年前の北京五輪の時の記事ですが、その80年前今から言うと90年前の偉業を紹介しています。日本人がはじめてオリンピックの競泳平泳200mで金メダルを獲得したのでした、このオリンピックでは陸上で織田選手が三段跳びで金メダルを得ています、私は織田選手の名前は記憶にあります。
さらに鶴田選手は次の1932年ロスアンゼルス五輪で金メダルを得て連覇の記録をつくったのです。水泳では1936年に女子平泳200mで前畑選手が金メダル、この時の放送は戦後も何回か聴き耳に残っています。
この鶴田義行選手が今日の伊敷の歴史の主人公です。
鹿児島の伊敷村で生まれたのは明治36年(1903)です。子供の頃から泳ぎが大好きで学校で先生に引率されて行った先で、一人で泳ぎ先生を困らせたと池田さんの話でした。鶴田さんのことを紹介しているブログに、こんな話がありました。鶴田少年が甲突川を泳ぎ下り、桜島まで行きターンしてきたと言うと、他の少年がそれは無理だろうと言う、桜島大根を見せ背負って来た、と。
鶴田さんは奥さんの実家の愛媛県松山で暮すのですが、偉業を生地でも顕彰したいと生まれた場所作られたのが銅像と記念碑です。
なお、2000年には切手にもなっています。
最初に触れられているように、鹿児島では冬季オリンピックの選手が生まれることは難しいことです。以前、お手玉の山本先生の子供の成長とスポーツの発展に関係しての話で、自然のなかでこそその成長と発展は育まれる、と。
鶴田少年が鶴田選手となり、オリンピック二連覇という偉業を生み出した背景に甲突川や錦江湾、桜島が見えてきます。、
今日は多喜二忌、FBにこういう投稿が、
残酷な写真とは? と検索、
この中の、これでしょう
小林多喜二の最期の姿を築地警察署内で見た岩郷という人が伝えていることでは、(手塚英孝著『小林多喜二』新日本出版社刊)
【 私たちが見たものは『人の身体』ではなかった。膝頭から上は、内股といわず大腿といわず、一分のすき間もなく一面に青黒く塗りつぶしたように変色しているではないか。どういうわけか、寒い時であるのに股引も猿又もはいていない。さらに調べると、尻から下腹にかけてこの陰惨な青黒色におおわれているではないか。】
昨日に続き藤井六段の話から、「しんぶん赤旗」です。
相手を追い込む圧倒的な力。コンピューターに近い指し手。あの若さで信じられないほどの完成度―。トップ棋士が口をそろえて称賛する中学生棋士の藤井聡太さんがまたも歴史をぬりかえました▼こんどは全棋士参加のトーナメントで頂点に。羽生善治永世7冠や佐藤天彦名人らのトッププロを相次いで破り、棋戦初優勝を最年少記録で飾りました。五段に昇段したばかりの段位も六段へ。早くも一流棋士の仲間入りを果たしています▼昨年、プロデビューから29連勝した後、不調な時期があったといいます。トップ棋士との対局が続くなかで、結果を気にするあまり自分の将棋が信じられなくなったと。「負けたくないという気持ちが前に出すぎてしまった」▼負けることへの恐れ。だれもが陥る試練を乗り越えられたのは、自分が信じた最善の一手を指そうと心に誓ってから。それは幼い頃から詰将棋に没頭し、ひたむきに将棋と向き合ってきた自分を取り戻すことにつながりました▼棋士には勝負師、研究者、芸術家の三つの顔があるといわれます。藤井さんの師匠、杉本昌隆七段は「形勢不利の場面を一気にひっくり返す勝負手。それを放つことができるのが彼の将棋の一番の魅力でもある」▼さまざまな葛藤のなかで人間同士がくりひろげる盤上のたたかい。「まだまだ自分に足りないものは多い。一歩一歩上を目指していきたい」。みずからの限界に挑みながら、新たな地平を切り開いていく。進化し続ける15歳の姿がそこにあります。
さてこれは「新かながわ」という新聞の連載(2013年4月28日・5月5日号)、
歌:村田英雄
作詞:西條八十
作曲:船村徹
吹けば飛ぶよな 将棋の駒に
賭けた命を 笑わば笑え
うまれ浪花の 八百八橋
月も知ってる 俺らの意気地
マルクス生誕200年記念で映画「マルクスとエンゲルス」が、