kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「てんがらもん164回」平均年齢69歳のマグマ。

2015-04-30 22:39:44 | 「てんがらもんラジオ」

    ゲストの三角清子さんの話への期待は前日の村永さんのブログで紹介されていた電話でのやり取りからありました。実際に視聴して期待を100とすると実感は200から300になりました。是非視聴してみて下さい、元気をもらえること請け合います。

    ここをクリックしてみて下さい。

http://www.ustream.tv/recorded/61706703

    さてその元気の素はどこから来るのか、なにやらお国の桜島の噴煙にも似て地中ならぬ体にも心にも奥深いエネルギーを蓄えておられることと思いました。それにまた、レギラーの前迫さんの迫力が加わり私は普段はボリュームを最大限にして聞いているのですが、今回は少し小さくしました。

   その三角さんは映画プロデューサーとして児童文学の映画化に取りかかります。すでに1996年に鹿児島を舞台にした映画「微笑みを抱きしめて」のプロデューサーをつとめています。そして地元に映画づくりの人材を育てようと劇団をつくりました。こうして少女時代に大好きだった映画への思いは着実に形になって実ってきています。

    ここにも子供の頃の思いの深さが形になって地域に文化の華を咲かせている姿があります。畠野さんの話にありました「前意識」に通ずるかもしれませんがある種の精神的なマグマがこの人の元気さであり、前迫さんも同様に、もちろん村永さん上床さんなど「てんがらもん美女軍団」は同時に「マグマ軍団」でもあると思ったのです。

    椋文学のことは前々回に畠野さんが話されています。三角さんをゲストに紹介されたのも畠野さんだそうです。児童文学を映画にしたいという思いは椋鳩十文学賞作品を映画にすることになったのです。

    映画については耳より目からでこのポスターをご覧下さい、村永さんのブログからお借りしました。

   また、地元紙に紹介されている記事も合わせてご覧下さい。鹿児島から全国へ発信する姿がここにもあります。しっかりと受け止めたいと思います。

   


命あまさず 4 葉山のこと。

2015-04-29 19:32:34 | kaeruの五七五

 『命あまさず』を読み進めています。すると葉山の地名が出てきました。「八月二十九日(1940年)、秋幸は山本健吉夫婦、石橋達吉、西東三鬼たちと一緒に葉山の北舟子の家に遊びに行き、その晩西東三鬼の家に泊まったのだった。その次の日、秋幸は東京に戻り、その晩の明け方、つまり三十一日早朝、三鬼は警察に逮捕された。」

    このままだと西東三鬼の家が葉山にあったかのように思われますが、同時まだ三鬼は葉山に住んではいませんでした。そのへんのことを三鬼自身の書いたもので紹介しておきます。

    「昭和十五年八月二十九日、石田波郷は、山本健吉夫妻や私などを誘って、葉山森戸海岸に泳ぎにいった。……その夜、波郷は大森の私の家に泊った。……三十日朝、少し金を作ってくるといって彼はぶらりと東京へ出て行った。そして幸福にも我家へ泊まりには来なかった。…もし三十日夜、波郷が私と枕を並べて寝ていたら、三十一日朝五時半、ドヤドヤと乱入して来た四人の特高に、一応はしょっぴかれたにちがいない。」(三鬼『俳禺伝』)

   三鬼の逮捕に関して秋幸の言葉として書いていることに戻ります。

  「…秋幸は無季俳句の主張にも意義を認めていたのだった。しかし去年のはじめ、“京大派”の俳人たちを警察は逮捕した。俳句を改革しようとしたことが当局の禁忌に触れたのらしいと秋幸は聞いて憤った。余計なことをしてくれる、と思った。権力が芸術に干渉するのは許せないという気分だった。しかし、同じ昨年の夏の終り、秋幸も一日違いで西東三鬼と一緒に逮捕されるところだったのである。」このあと「八月二十九日、」の部分につながるのです。

   西東三鬼が葉山町に移り住むようになったのは昭和三十一年(1956)でこの地が終焉の地となりました。昭和三十七年(1962)「ガンの転移急速をきわめ、終日就床すること多く、四月一日午後〇時五十五分、長逝。」と西東三鬼略年譜の最後に記されています。


命あまさず 3 「あえかなる薔薇」

2015-04-28 20:23:04 | kaeruの五七五

 辻井喬 『命あまさず』 を読んでいて気付かされたのが記憶力の低下です。確かにはじめて開いた本ではない、書き出しの部分は記憶にありました。だいたい数ページでやめていたと思っていました。

    ところが途中で書き込みがあったのです。

    あえかなる薔薇撰りをれば春の雷

波郷の句です。

   小説のなか秋幸こと波郷が年上かと思われる出版編集者の女性との接近の予感のなかで誕生祝の薔薇を撰んでいる場面。その余白にこの句が書かれ、句の載せられている本の頁が書かれていました。

  まるでそんな記憶なしにそれを見て、いささかギョとしました。それで最後まで頁をめくって見ましたが書き込みがあるのはそれだけです。ここまで読んできて、場面からこの句を思いだし本をめくって該当句を記したのです。

    本は 『現代俳句文学全集  石田波郷集』 で「銀座千疋屋にて」の詞が添えられて、 この句のあとに、

  雷すぎしことばしづかに薔薇を撰る   

も載っていました。

   この小説にいつも新鮮な思いで臨めるのでその都度新しく読んでいる気持ちになる、と考えてしまうのもひとつの考えでしょうが、これは記憶力の減退の証明でしょう。

   明日は資本論の勉強会です、頭蓋骨のなかの老脳味噌に漬け込まなければならないので、少しかき混ぜる作業に時間をとります。

    薔薇を撰ぶ場面の紹介は明日に。

  kaeruなら何色を撰ぶだろう、赤は決まった人、白は恋情に無縁な人となると「接近の予感」という場合では黄色にすると思いますが、波郷は何色を選んだのでしょうか。

 

 

 

    



広報なく後悔あり。

2015-04-27 21:54:45 | 葉山そして人

 このタイトルの広報とは町会議員のHPを意味します。

下の名前は今となっては旧と但し書きがつく葉山町町議会議員名です。(敬称略)

そして、議員紹介頁に記載されているHPアドレスです。これで見て一目で分かる

のが今回の選挙で当選した人全員がHPを持っていたことで、反対に落選者に共通

しているのがHP記載が無いことでした。

1、近藤 http://hayama.jcpweb.jp/

2、窪田 http://hayama.jcpweb.jp/

3、畑中 http://www.hatanaka-yukiko.net/

4、荒井

5、笠原 http://www.shunchan.jp

      http://shunchan06.exblog.jp/

6、中村 

7、守屋

8、田中

9、土佐 http://tosayoko.jp/

10、鈴木 http://suzukimichiko.jp

11、待寺 http://hayamachidera.jp/

12、長塚 

13、横山 http://www.yokoyamasumiko.jp/

14、金崎 http://members2.jcom.home.ne.jp/kanazakihi/  

 

 これが偶然とは思えません。それは今回当選した新人4人とも選挙広報に

HPへの案内を記載しています。これからの議員活動のなかでどうインター

ネットを活かしていくか、単なる手法の問題だけでなく政治に対する姿勢の

問題として問われてくると思います。

 何よりも日常的に発信し続けること、そして双方向の意見交換の場として機

能させる工夫でしょう。 


kaeruが寝てても歴史は動く。

2015-04-27 18:55:04 | せいじの政治カフェ

 昨夜落ち着きなく、つぶやきもそこそこにそわそわと待っていたのが、これです。

 昨日の葉山町町会議員選挙の結果です。 結果内容はビラの紙面通りです。

 得票表の部分を拡大しておきます。

 この表には少し説明が必要です。4年前と比べてですが、近藤議員は前回新人(くぼたみき候補)を抱えての闘いであり、前半戦での共産党苦戦の影響もあり落選しました。9ヵ月後の町長選挙と同時に行われた町議補欠選挙で返り咲きを果たしました。今回は前回より273票増(前回559)の前進でした。

  くぼたみき議員は難しい2期目をみごとかち取ることができました。これがいかに難しかったかは、前回当選した5人の新人のうち2期目を得たのはくぼたさんだけでした。

   今回も前回同様新人の立候補が多く、4人の新人がすべて当選しました。全国的な傾向としては立候補者が定数内で無投票当選になるとか、はみ出し一二名とか聞くなかで葉山町では定数削減のなか最近は多数激戦が続いています。とはいえ投票率はかなり低迷が続いているのですから町民の町政への関心関わりを広げていくことはこれからの課題です。

 振り返ってみると「kaeruのつぶやき」なるブログをはじめたのは4年前とその9カ月後の町議会議員補欠選挙の結果を受けての思いがありました。日常的に「つぶやき」つづけることの必要さを感じたからです。それがどれほど実のったか? 全く覚束ないものだと思います。今回を機にひと工夫ふた工夫してみなければと思っています。

 選挙結果を話すなかで老人が避けられたのだ!との声もありました。確かにそういうことも言えますが、それならば高齢者が関わっていける仕組みをつくりだしていくことが必要でしょう。この間のブログ体験で「身体は動かぬが口は丈夫」という特徴を政治に反映させる工夫のひとつになるのではないかと思います。 今日のタイトルは寝ていて世の中に関わる方法を思いつつ記しました。

 日本共産党葉山町議員団のHPを紹介したおきます。

    ここをクリックしてみて下さい。 http://hayama.jcpweb.jp/


命あまさず 2

2015-04-25 19:31:21 | kaeruの五七五

   『命あまさず』を全部読み終えたわけではないのですが、勘違いに気づきましたので一言ではない、ひと呟きします。

    昨日挙げた例句、

    春疾風屍は敢えて出でゆくも

は、

    綿蟲やそこは屍の出でゆく門

だったようです。

   『現代俳句文学全集  石田波郷集』(角川書店  昭和三十二年発行)は作品の内容で1月から十二月に分けておさめられています。その四月に、春疾風を上五とする句がありました。その前後の句が句集『惜命』からのものでしたが、当然それは四月の内容をもったものばかりで他の季節のものは他にあったのです。

    十一月のなかに「惜命五句自解」があり、綿蟲を上五とする句は他の四句とともに解説されています。

    秋の暮尿瓶*(しびん)泉のこえ*をなす

    病む六人一寒燈を消すとき来

    冬日低し吾と子の間妻急がん

    梅も一枝(いっし)死者の仰臥の正しさよ

 *読みは同じですが文字は違います。スマホで入力していますので該当するものがありません。えもweにあたる文字が出てきません。


   この四句とともに綿蟲やの句の解説があるのです。パソコンが使えるとたぶん尿瓶も元の漢字で表記てきるでしょうし、えもweのひらがなが書けるでしょう。詠み手の記した通り表記すべきだと思います。

   以下は明日に続けられればいいのですが。

 


命あまさず 1

2015-04-24 21:59:51 | kaeruの五七五

  この本は表紙にありますように俳人石田波郷を小説としてえがいたものです。ただこのなかには一句も俳句が出てきません。

   書かれた詩人であり小説家の辻井喬は「あとがき」でこう書いています。

    「~、作品のなかに俳句を使わないようにすることに留意した。小説というジャンルの独立性を明確にしておきたかったからである。

   俳句の領域を犯さず、俳句に従属もせず俳人の生涯に題材を取った小説を書くことは思ったよりはむずかしい作業であった。俳句というのは非常に強い、アウラを発する詩型だと感じた。~」

    

    一昨日の「つぶやき」で春嵐の例句として

        春疾風屍は敢て出でゆくも

を書いて、この句の説明を記したくなって以前読んだ俳句の観賞の本をめくって見たのですが該当するものが見つかりません。

    波郷が結核療養で入院中の作品で句集『惜命』のなかの一句であることは知っていたのですが、このところブログで「命」をつぶやいているので少し深めてみたいと思ったのです。

    この本には俳句としては出てこないことは分かっていましたが、目をとおしてみようと思い、取り出してページをめくっているうちにかなり読み込むことになりました。こういう場面がこういう俳句として詠まれたのだろうと思うページもあり、また病身の俳人である夫を支える妻の姿が「てんがらもん」のゲストの溜さんの奥さんの姿に重なるのです。

    そんなことをふくめて、全部を読み終えてから日をあらためて書いてみたいと思います。

 


「てんがらもん163回」  夫婦、命の共有者。

2015-04-23 15:56:30 | 「てんがらもんラジオ」

 「てんがらもん163回」 ← ここをクリックして下さい。

    今回のゲスト、溜夫妻を前回の放送で紹介された時「たまり」を玉利と聞き、♪もしも…♪のCDを自主製作された玉利さん夫妻が目に浮かびました。特に番組のなかで奥さんのご主人に向ける眼差しが浮かんで来たのです。言葉にすれば愛と信頼の眼差しと言うことですが、命の支え合いを通じて培われた眼差しに誠に夫婦として深く豊かな年月を感じさせてもらったのでした。

     そして今回の溜夫妻、夫の義雄さん87歳、妻の喜佐子さん83歳の場合もそんな夫婦の命のやりとりの深さと豊かさを教えてもらいました。

    溜さんの奥さんの場合は、義雄さんが20年前肺ガン続いて胃ガンを患うのですが、肺をとった身体での胃ガン、余命5ヶ月との医師から聞いた時、「主人には言わない!」と腹を括ったと言われました。

   実はこの一言で私の認識が変化したのです。

   前回の「てんがらもん」の視聴で自分の常識に変化が起きたとブログでつぶやきました。今回の変化は自分の命は妻と共有している、ということです。それまで自分の命は自分のものだから、もしガンなどで余命何ヵ月などと言うことになったら、きちんと伝えてもらう、と思っていました。その基本に変わりはありません。

    ただ溜さんの奥さんの覚悟は夫の命を預かったということでしょう。そういう立場、姿勢は自分のものと思えなければ出てこない覚悟だと思います。勿論ここでいうのはガン告知の可否のことではありません。夫婦のお互いの命はお互いが共有し合っているという事実に気付く瞬間のことです。

    偶々玉利夫妻も溜さん夫婦も大病とその介護体験を経ての話ですが、生き死に関わるような病気などを経験しなければ分からないことか、と言えばそういうことではないと思います。

    つい最近知人の夫婦、90代の夫を亡くした妻の思いを知り考える機会もあり、高齢者夫婦の姿を通じて夫婦の生死観などに考えが向かっていたのです。夫婦とはお互いの命の共有者といえるのではないでしょうか、溜さんの奥さんの一言からそう言いきっていいのだろうと思います。


続 春の嵐

2015-04-22 19:44:02 | kaeruの五七五

    一昨日のタイトルを「春の嵐」としたのはそれを季語とした俳句を紹介しようとしていたからでした。訃報が入って他の話に回ってしまいましたので今日は続として、

    にはとりは春の嵐の下くぐる       岩淵喜代子

から始めてみます。

歳時記では、春疾風(はるはやて)が季語で春嵐は傍題のひとつ、他に春荒、春はやちがあります。

    春疾風屍は敢て出でゆくも            石田波郷

    春嵐足ゆびをみなひらくマリヤ     飯島晴子

    春嵐われに未還のひと一人       平間真木子

    春嵐に帽子ころびて聖母訪ふ        平畑静搭