kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

100歳でもブログガーで……。

2023-01-31 20:38:29 | 100歳へ上手な生き方

今日の午前中は山本さんとの別れ=葬儀に……(「つぶやき」は後日に)、

そして午後は、この人にお会いして来ました、

つい最近91歳になられた仲築間さん、話の内容はこれも後日に……、85歳のブロガー・kaeru-23として先輩ブロガーの意気込みを吸収して来ました。

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元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ【「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog】

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もう一つ、

憲法とメディア オフィシャルサイト

SNS の普及に目を見張る数字があります。 

『選挙活動の手引き』です、日本共産党発行の2023年版から……。

ページから下の鉛筆書きは9200万人という数字に驚いて算数したら日本人全人口の73%を越えるのです、葉山町では2万3千人がLINEで繋がる、バスに乗ってとなりの人と前の席の2人のうち3人はLINEで繋がっている!

そういう時代に高齢者になるのですから、仲築間さんやこの「100歳人気ブロガー」を目指そうと85歳は思います。

100歳で人気ブロガーになり映画出演も。ダグニー・カールソンの「人生訓」とは : BIG ISSUE ONLINE

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 ダグニー・カールソンは1912年生まれ。タイタニックが沈んだ年だ。スウェーデンのクリシャンスタード市にて、金物屋のビクトール・エリクソンと妻のシグリッド・エリクソン...

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「しんぶん赤旗」 小林多喜二 読んで下さい。

2023-01-29 20:09:22 | kaeruの近現代史

 

昨日と同じ紙面ですが、読んで下さい。

小林多喜二没後90年    能島 龍三

 小林多喜二が特高警察の拷問によって20歳の命を奪われたのは、90年前、1933年2月のことでした。その1年半前には関東軍が「満州事変」を引き起こしていましたし、日本が国際連盟を脱退したのはひと月後の3月です。 多喜二は、日本が破滅につながる戦争にのめり込む、まさにその入り口で殺されたのです。 今「新たな戦前」などと言われ、大軍拡・大増税に突き進むこの国で、改めて多喜二の作品を読み直すと、いろいろなことが見えてきます。

 次の文は「満州事変」勃発の3カ月後に多喜二が書いた「級長の願い」という掌編小説の一節です。

 「お父さんはねるときに、今戦争に使ってるだけのお金があれば、日本中のお父さんみたいな人たちをゆっくりたべさせることが出来るんだと云いました」

 貧乏で「み国のため」の戦争募金を出せないので、今日から学校を休まざるを得なくなった級長が、 担任に宛てた手紙に書いた文章です。 父親は6カ月もの間失業しており、家族は食べ物にも困っています。 級長は、戦争が続けば国の支出が増えてみんなもっと貧しくなる、だから戦争をやめさせてほしいと担任に頼みます。戦争はおびただしい税金を使い、貧しい人々を犠牲にして遂行される。 戦争へ戦争へと急傾斜していく、あの時代の人々に向けた鋭い訴え、それは現在にも通じるのではないでしょうか。

. 銃剣向ける水兵

戦争と軍隊に関わる多喜二の小説では、私の脳裏にすぐに浮かんでくるいくつかの場面があります。

 「蟹工船」のスト弾圧のシーン、これはあまりにも有名です。 人間扱いされないすさまじい労働環境に抗議して、ストライキを打った蟹工船の労働者たち。その前に帝国海軍の駆逐艦が現れます。「俺たち国民の味方だろう」と思っている労働者たちに、水兵の一隊は銃剣を突き付けたのでした。軍隊は国民のためにあるのではない。あの時代にあっては、文字通り命がけの表現だったことでしょう。

「何するだ!」

「何するだ! 稲 ‼︎  稲 ‼︎」

これは「不在地主」の中の帝国陸軍の演習を見物していた小作農たちの叫びです。敵方の奇襲を受けた一隊が、慌てて実りかけている田の中へ逃げ込んで、大切な稲を踏みにじっている。それを見て手を振りながら走ってくる農民たちの悲鳴です。指揮を執る士官は冷談ですが、兵隊たちは気の毒そうにしている。 主人公は、その兵隊たちの中にも「小作人の倅達がいるんだろう」と考えます。

 軍隊は国民を守る組織ではないという本質、しかしその構成員である兵隊は国民から徴集されている、 そんな矛盾を多喜二はこの場面で鮮やかに描出しています。現代、大震災時の救援に当たり、被災者に感謝された自衛隊員は、米軍と共にたたかう時にも国民を守る存在でいられるのか。 そんな事も考えさせられます。

 人々の心の交流

 もう一つ、「地区の人々」という小説の中に、赤子を背負った貧相な「出面取りの女」(日雇い労働者)が、街娼をしている美都に千人針を頼む場面があります。

美都が「私でもいゝの?...…..」 と聞く。

「あーア、何云うだんべ!心一つです。 誰だって勿体なくいたゞくいきますだよ!」

出征する 「おどオ」のために必死で千人針を集める「女」はそう返事します。美都はこの「女」の身の上に深い同情を寄せるのです。 最底辺で生きる人々の心の通い合いが、残酷な徴兵の実態を背景に印象深く描かれています。

 貧困、格差、性の搾取、そして戦争と多喜二が命がけで闘い、書いた問題は過去のものではありません。 歴史に学ぶという意味でも、多喜二の文学は今、豊かな生命力を発揮することでしょう。

(のじま・りゅうぞう 作家・日本民主主義文学会会長)

✳︎小林多喜二没後30年文学のつどい   2月11日午後1時半、東京・全労連会館。講演能島龍三「多喜二は文学で戦争にどう向きあったか」、作品朗読井上百合子(映画「わが青春つきるとも」主演俳優)。作家のトークなど。 参加費1000円(オンラインとも)。03 (5940) 6335 (日本民主主義文学: 会)。 オンライン申し込み = info@minsyubungaku.org


「2月20日 多喜二忌」 に向けて

2023-01-28 21:34:27 | kaeruの近現代史

昨日の「つぶやき」に私・三葉子の三句を載せましたが、同時に「同盟文芸」に弟の荘八も三句応募しています。実は私がある程度推敲しているのでここに紹介してもいいと勝手に判断しました。

というのは、三句とも多喜二忌を詠んだものです。

荘八句
 「戦前」に✖️記す筆や多喜二の忌
  多喜二の忌心に刻す文字血痕 
  我が手にも「白青白旗」多喜二の忌

 

白青白旗 - Wikipedia

 

昨日の「しんぶん赤旗」ですが、

小林多喜二は、90年前の1933年2月20日に虐殺されています。この日を前に『小林多喜二の手紙』を開いて目を通しています。

表紙の2人はもちろん「田口タキ」と「小林多喜二」で、書かれている文字は『小林多喜二の手紙』の「手紙」(置き手紙)の一枚で文庫本に紹介されている最後159通目で1933年1月と想定されています。


おーい俳句

2023-01-27 20:38:41 | kaeruの五七五

「おーいお茶」と「俳句」がくっ付いて、400億本!

伊藤園「お~いお茶」が400億本売れた裏に俳句あり、ラベルに載せる真の狙い

伊藤園「お~いお茶」が400億本売れた裏に俳句あり、ラベルに載せる真の狙い

伊藤園が1989年に発売した「お~いお茶」は、2022年8月に累計販売本数が400億本を突破した。競争が激化する緑茶市場の中で、「お~いお茶」は今も首位をキープしている。ロ...

ダイヤモンド・オンライン

 :

400億本、もちろん俳句だけではありません、が……、俳句をやっている者としては大変嬉しい話で、励まされます。

そこでこれを、

作品は既にアップしていますが綺麗な写真で、

さて今年の出だしは、

この三句のなかから一句が採られると思いますが、採られない場合もあります。「不屈」二月号が届きましたら報告します。 


手紙で 『資本論』 読み合わせ(1)

2023-01-26 13:28:46 | kaeruの『資本論』

友人Yさんとの「手紙で『資本論』読み合わせ」をはじめたことを昨日「つぶやき」ました。今日はそれへの返信で、手紙の下書き的なものを載せておきます。

 

Yさんへ、

「資本論」第一信読みました。相変わらずの読書力に敬意を表します。不破さんの『「資本論」全三部を読む』は各種の『資本論』への案内書のなかでは分かり易さは群を抜いていると思います。それにしてもあの大部な「『資本論』全三部」の理解の前提には、それを大きく大きく上回る『資本論』を全三部(12分冊)を読むことがあります、2002年の「代々木『資本論』ゼミナール」は一年間でそれをやってしまうことでした。とてもではないが私には不可能な難事業です。

確かにその数年前から始めて2017年秋まで読んできた『資本論』の通読中、『資本論』全冊と不破さんの『全三部を読む』の全冊も手元に置いていました。それなりに目を通して自分の説明分担のヶ所の該当部分は読み説明に役立てました。4人で進めた勉強会でしたから、大雑把に言って『4分の1資本論』でした。それでも最後のページを読み終えた時の達成感は今でも抜けていません。

達成感と共に『資本論』を「第一章」から逐次読み進めてきたことの効果というようなものを実感したのです。『資本論』を「はじめはむずかしい」という「始め」を、1960年代の宮川実先生の「資本論講座(第一部)」から、直近は不破さんの『全三部読む』まで何回も頭を絞った経緯が「良かった」という思いがありました。

それは「第三部」に入って諸現象を読み取る対象にした時、この現象の奥にあの「商品」や「価値形態」とか「貨幣やら資本」などが潜んでいることを見抜く目があったと感じたからです。「はじめ」を何回か読むことを通じて我が脳内に「顕微鏡や化学試薬」ではない「抽象力」が幾らかでも養われたのかという感慨がありました。

Yさんが手紙で自然科学と比較して「社会科学の分野では取組みがおくれている」と言われた「遅れ」とは、抽象力の会得に遅れがあるとか、その方面への意識的な努力に立ち遅れがあるということと思います。併せて重要なことは社会科学の独自の社会的位置です。『資本論 第1部』の「序言」でマルクスが経済学について述べている以下の言葉は、社会科学全体に通じることと考えます。

経済学の領域では、自由な科学的研究は、他のすべての領域におけるのと同じ敵に出会うだけではない。経済学が取り扱う素材の固有の性質が、自由な科学的研究に対して、人間の胸中のもっとも激しくもっとも狭小で最も厭うべき情念を、私的利害というフリアエを、戦場に呼び寄せる。(『資本論 第一部』第一分冊p14)

ここの部分を石川康宏先生の指摘を参考にしながら、解説的に記しておきます。

経済学は自然科学と違って、社会にある内部の対立や利害を明らかにしていく学問です。例えば労働者が資本家によって搾取されています、その内実は剰余価値の生産です、ということを明らかにすると……。

そんなことは資本主義の社会ではあり得ないのだ、労働者と資本家は相互に独立した契約関係であって対等な関係なのだ、と私的な利害が学問的に主張されます。

この後者の主張が一般的な世論としても浸透しているなかで、前者の論理を広げていくためには意識的な努力を重ねて行かねばなりません。その実践的取組みの根拠が、Yさんが強調している「運動の流れのなかで、すべての現実が有している肯定的理解は、変化=経過的側面=その否定を内包している」という認識です。運動の流れに身をおいてこそ、肯定的理解のなかからその変化に「否定的側面」を見出すことが可能であり、実践を通じての変化の促進が「否定」から「没落」への必然性に身をおいているという実感になるのです。

さらに書き加えられている「弁証法の批判的で革命的な本質がある」ということに同意するものです。その記述に日常生活で応えていく、その日常を意識におきながら「『資本論』のある日常」を心がけようと思います。

では、第二信をお待ちしてます。


手紙で 『資本論』 、 始めてみよう。

2023-01-25 23:52:46 | kaeruの『資本論』

1月16日に「『資本論』はじめます、YTと手紙風で……」と「つぶやき」友人へ手紙で「読み進める」こと書き送りました。友人Yから第一信が届き早速「13日から」不破さんの『「資本論」全三部を読む』の第一巻を読みだした、との内容です。それも今回で2回読了し今回で3回目との事です。

不破さんの『「資本論」全三部を読む』は『資本論』全三部を一年間で読んだ学習会(2002年)の内容をまとめた本で全7冊です。ですからYは既に全7冊を読み終わっているでしょう。それも第1冊を2回読んでいて今回で3回目となると後の6冊も2回読み終わっていることになります。これは頼もしいというか強敵というか、何れにしても私が読み進めるにあたって有難いことです、同時に「『資本論』を読む」は我が人生最後の機会でしょうが、その良き道連れが出来たということで楽しい学びの旅になる予感です。

さて第一信に自然科学に巨大とも言うべき発展に比し、社会科学の分野での取組みが遅れていることへの危惧が言われています。ここを目にして23日に

 科学的思考の発展と普及の日々が「世界中から戦争をなくす時代」に向かう日々である と「つぶやき」ました。

この科学的思考の二大分野=自然科学と社会科学=の現代社会での相違について深く考えることが『資本論』を読む姿勢の前提になるでしょう。その点に関して、『資本論』は経済学に言及しながら的確に述べています。

経済学の領域では、自由な科学的研究は、他のすべての領域におけるのと同じ敵に出会うだけではない。経済学が取り扱う素材の固有の性質が、自由な科学的研究に対して、人間の胸中のもっとも激しくもっとも狭小で最も厭うべき情念を、私的利害というフリアエを、戦場に呼び寄せる。 (『新版  資本論1』p14)

この部分を「石川康宏『資本論第一部』講座」で聴き取って下さい。

 

この講座を開き「2:06:00」位の画像が下の画面です。

 


一人のがん患者の死

2023-01-24 23:04:05 | 「がん」を読む

 

 

「逗子葉山がん患者会」のこと - kaeruのつぶやき

葉山新聞社の山本勝哉氏が呼びかけて設立された「逗子葉山がん患者会」ですが、その山本氏の「思い」が記されているのがこの「偶感」です。昨日もこの「偶感」が話しの中心...

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ここに「3人のがん患者」と記したのは、去年の12月26日、ですからまだ1ヶ月になっていません、が、2人目が今日午後亡くなりました、山本勝哉氏、85歳。

二人が向いていた同じ方向への歩みを強めねば、と思います。クリックして山本さんの「思い」目を通して貰えればありがたいです。


今日も今日とて……♫

2023-01-23 20:25:01 | 非詩的なつぶやき

「今日も今日とて…」と書き出してみましたが、このあと「親方さんに…」と続けて口に出て来る人がいるのだろうか? それで美空ひばりの歌声と歌詞を載せておきます。

今日のタイトルが口から出たのは二つの訳があります。まずは、今日一日を殆ど寝て過ごしたこと、風邪気味が進行したとかどっか体を打ったとかいう訳ではなく伏せの気分にとらわれたのです。

もう一つはこれ、一昨日「つぶやき」ましたタネ本が出て来たので……

この本の「はじめに」を読み出しつつこれは凄いことだ! と 

ここです、はじめの2行……、

ここに「40年以上という時間」と書かれています。この本は「46億年史」です。40年以上を仮に46年とします、一人の人生のなかで46年間「生命と地球の歴史」を研究する日々を重ねれば何ができるか。46億年間の生物と(その舞台である)地球の歴史を素人に伝えることが出来るのです。

これが当たり前のことなのです、どの科学分野でもそれに類する事例に満ちていて余りにも当然のことだから誰もビックリしないのです。が 一年間につき一億年分の「生き物とその母体の地球の歴史」を知ってきた訳で人間って凄い!と思わざるを得ません。

だから本の目次を見て、

最後のページに、

そのような論理的思考の延長で、世界中から戦争をなくす新しい時代に向かうための人類社会の未来を考えました。 

科学的思考の発展と普及の日々が「世界中から戦争をなくす時代」に向かう日々である、という指摘です。