昨日と同じ紙面ですが、読んで下さい。
小林多喜二没後90年 能島 龍三
小林多喜二が特高警察の拷問によって20歳の命を奪われたのは、90年前、1933年2月のことでした。その1年半前には関東軍が「満州事変」を引き起こしていましたし、日本が国際連盟を脱退したのはひと月後の3月です。 多喜二は、日本が破滅につながる戦争にのめり込む、まさにその入り口で殺されたのです。 今「新たな戦前」などと言われ、大軍拡・大増税に突き進むこの国で、改めて多喜二の作品を読み直すと、いろいろなことが見えてきます。
次の文は「満州事変」勃発の3カ月後に多喜二が書いた「級長の願い」という掌編小説の一節です。
「お父さんはねるときに、今戦争に使ってるだけのお金があれば、日本中のお父さんみたいな人たちをゆっくりたべさせることが出来るんだと云いました」
貧乏で「み国のため」の戦争募金を出せないので、今日から学校を休まざるを得なくなった級長が、 担任に宛てた手紙に書いた文章です。 父親は6カ月もの間失業しており、家族は食べ物にも困っています。 級長は、戦争が続けば国の支出が増えてみんなもっと貧しくなる、だから戦争をやめさせてほしいと担任に頼みます。戦争はおびただしい税金を使い、貧しい人々を犠牲にして遂行される。 戦争へ戦争へと急傾斜していく、あの時代の人々に向けた鋭い訴え、それは現在にも通じるのではないでしょうか。
. 銃剣向ける水兵
戦争と軍隊に関わる多喜二の小説では、私の脳裏にすぐに浮かんでくるいくつかの場面があります。
「蟹工船」のスト弾圧のシーン、これはあまりにも有名です。 人間扱いされないすさまじい労働環境に抗議して、ストライキを打った蟹工船の労働者たち。その前に帝国海軍の駆逐艦が現れます。「俺たち国民の味方だろう」と思っている労働者たちに、水兵の一隊は銃剣を突き付けたのでした。軍隊は国民のためにあるのではない。あの時代にあっては、文字通り命がけの表現だったことでしょう。
「何するだ!」
「何するだ! 稲 ‼︎ 稲 ‼︎」
これは「不在地主」の中の帝国陸軍の演習を見物していた小作農たちの叫びです。敵方の奇襲を受けた一隊が、慌てて実りかけている田の中へ逃げ込んで、大切な稲を踏みにじっている。それを見て手を振りながら走ってくる農民たちの悲鳴です。指揮を執る士官は冷談ですが、兵隊たちは気の毒そうにしている。 主人公は、その兵隊たちの中にも「小作人の倅達がいるんだろう」と考えます。
軍隊は国民を守る組織ではないという本質、しかしその構成員である兵隊は国民から徴集されている、 そんな矛盾を多喜二はこの場面で鮮やかに描出しています。現代、大震災時の救援に当たり、被災者に感謝された自衛隊員は、米軍と共にたたかう時にも国民を守る存在でいられるのか。 そんな事も考えさせられます。
人々の心の交流
もう一つ、「地区の人々」という小説の中に、赤子を背負った貧相な「出面取りの女」(日雇い労働者)が、街娼をしている美都に千人針を頼む場面があります。
美都が「私でもいゝの?...…..」 と聞く。
「あーア、何云うだんべ!心一つです。 誰だって勿体なくいたゞくいきますだよ!」
出征する 「おどオ」のために必死で千人針を集める「女」はそう返事します。美都はこの「女」の身の上に深い同情を寄せるのです。 最底辺で生きる人々の心の通い合いが、残酷な徴兵の実態を背景に印象深く描かれています。
貧困、格差、性の搾取、そして戦争と多喜二が命がけで闘い、書いた問題は過去のものではありません。 歴史に学ぶという意味でも、多喜二の文学は今、豊かな生命力を発揮することでしょう。
(のじま・りゅうぞう 作家・日本民主主義文学会会長)
✳︎小林多喜二没後30年文学のつどい 2月11日午後1時半、東京・全労連会館。講演能島龍三「多喜二は文学で戦争にどう向きあったか」、作品朗読井上百合子(映画「わが青春つきるとも」主演俳優)。作家のトークなど。 参加費1000円(オンラインとも)。03 (5940) 6335 (日本民主主義文学: 会)。 オンライン申し込み = info@minsyubungaku.org