kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

今日18日の 「しんぶん赤旗」

2024-06-18 10:32:04 | kaeruの「しんぶん赤旗」


「しんぶん赤旗」 都内版と神奈川県版

2024-06-17 15:31:50 | kaeruの「しんぶん赤旗」

今日はがん検診で病院へ行く日、朝からバタバタしていて新聞を開かず出かけて来ました。帰った読み出した「しんぶん赤旗」は、

これ、

ところが、ネットでは、「しんぶん赤旗」の今日付けの最終版です。


今日の「kaeruのしんぶん赤旗」のトップは……。

2024-06-16 11:05:00 | kaeruの「しんぶん赤旗」

トップはこれ、

あわせてこちらも、

今日の「しんぶん赤旗」の一面です、


15日の表示に15日の紙面、当たり前のこと。

2024-06-15 10:29:07 | kaeruの「しんぶん赤旗」

どーぞ、お読みください、どの記事でも……。

 


タウンニュース逗子・葉山版に……。

2024-06-14 12:17:33 | 逗子 鎌倉 それぞれ

先週の金曜日の「タウンニュース」です、

戦後間もない1945年10月20日午後3時ごろ、逗子湾を望む飯島崎の一角にあった小坪洞窟砲台内で爆発事故が起こった。子どもばかり15人が亡くなり、火傷やけどをした子どもも31人にのぼった。

事故は長らく秘密裏にされ、初めて公になったのは1976年に外交文書が公開され、その中に記録があったとの毎日新聞による報道だった。

また、後に逗子市の教育長を務めた、故・野村昇司氏が1973年に出版した『砲台に消えた子どもたち』にも当時の様子が描かれている。

昔も今も、地元でさえ知る人が少ないこの事故を風化させてはならないと活動を続ける人たちがいる。逗子の歴史を学ぶ会(今泉良一会長)は6月22日、逗子文化プラザさざなみホールで「砲台に消えた子どもたち〜小坪の悲劇が今語りかけるもの~」と題した講演会を開催する。

対談形式で行われる講演で、登壇者は事故で兄を亡くした草柳博氏、草柳氏の娘婿で慰霊碑の移設などに尽力する丸山治章氏、中学校教員を経て居住地の小坪砲台事故の考察を行う中澤洋氏の3人。

事務局を務める山田淑江さん(87)は当時、鎌倉の由比ガ浜に住んでおり、爆発音を聞いたという。今回の講演を「多くの子どもがなぜ、終わったはずの戦争の犠牲にならなければならなかったのか、自問自答する場にしたい」と語った。

慰霊碑を移設

事故後、遺族が現場に慰霊碑を建てたが、道路建設や海岸の埋め立てにより、砲台跡は姿を消し、慰霊碑も遺族に知らされないまま、小坪逗子海岸トンネルの上に移転された。しかし、今年の10月20日(日)に行われる慰霊祭霊祭にあわせ、元の建立地近くに新たな慰霊碑として移し替えられる予定だという。

講演会は午前10時から11時45分。参加費1000円(資料・小冊子)。
定員は150人(申し込み順)。申し込みはdaybyday1937@gmail.com(天野さん) か、046-871-9674(山田さん)

このチラシのことなのです、

いま気付いたのはまことに抜けた話ですが、このチラシをここに⤴️するのははじめて、6月22日のことを「つぶやき」ますのも今日がはじめて。何かバタバタしていて肝心のことが抜けてる感じです。

このチラシを完成させるまで半月くらいかかっていました。途中で何回かここにアップしようと思い、その都度ダメ押しが入って先延ばしをしているうちに完成後が抜ける、老化現象というべきでしょう。

 

 


昨日も今日も、 です。

2024-06-14 11:45:17 | kaeruの「しんぶん赤旗」

こちらが現物の一面、

 

 

 


今日の「しんぶん赤旗」から、こんな記事が……。

2024-06-13 10:57:42 | kaeruの「しんぶん赤旗」

はじめに、これ表示は13日ですが日付は12日昨日の紙面です、

実際の紙面は、

です。

では、どの記事からでもお読み下さい。


まあまあの時刻でのお届け、「しんぶん赤旗」12日の一部記事。

2024-06-11 15:45:37 | kaeruの「しんぶん赤旗」


遅い今日の 「しんぶん赤旗」

2024-06-11 15:28:15 | kaeruの「しんぶん赤旗」

今日の「しんぶん赤旗」を葉山町の人で一番早く手に取ったのは、私です、なにしろこの町に届いた新聞を入れたビニール袋を開いたのが私ですから。なのにどうして今頃になって、〝遅い今日の〟などと言うのか。

配り終わって、午前中の会議のレジメを作らねばならず……、という時間が続いてしまった、という訳。昨夜のうちにやっておけばいいではないか、自問自答すれば、昨夜も会議でそのあと夜食を共にしながら、10時半近く解散、鎌倉駅から逗子駅に帰ってきた最終バスがあって良かった、という時刻、本当に何十年ぶりかで最終バスに乗りました。

そんなことで、これが今日の「しんぶん赤旗」の一面と諸記事です。


夏ウグイスの声や 良し

2024-06-10 11:29:58 | 健康・からだ

「ハが無い、ミミが無い……」ハは歯、ミミは耳を意味するのですが我が顔の一部のものではありません。ハは入れ歯、ミミは補聴器でそれを口や耳に入れたり外したりする毎日です。

入れ歯が見当たらないということはあまり無いのですが、ミミの方はかなり頻繁に「ミミがない、無い」と、私だけでなく妻も器の中に入っていないと「ミミはどうしたの?」と……。

その補聴器がこちら、これは二代目。

一度目は10年ほど前に両耳でつけ始めたのですが、慣れないと煩わしくなり外している時が多く、あるとき着けようとして何処にも無い。何処かのポケットから揃って出てくると思いつつ、結局失くしていたのでした。

二代目を買う時も、かかりつけの耳鼻科が窓口になっている補聴器店で、両耳で40万円ほどでした。ここに片耳しか無いのは、外出中に右耳用を落としたのです、道を横切っていた時車が見えたので走り出して渡り、その時気付けば良かったのでしょうが……。

それから2、3年経つでしょう。まことに不自由な暮らしで、何とかしなければ……、買って着ければいいのですが、お金があればの話で。耳と歯だけでなく、近く目も白内障の手術でそのあとメガネが待ってます。

先日の手術の打合せ時眼科の先生が「メガネで80万円」と、思わず脇にいた妻が「え‼︎」と、私は無言、兎に角手術だけは受けておかねば、あとの話はそれからに、という話。

そんな状況の時に これが、

耳寄りの話です。

補聴器、その代用品のような物に集音器という物があり、片耳で悩んでいた時チラシを見て買ったことがありました、NHKで云々とかいう宣伝文句もあってでした。はじめはダメではなかった感じですが、3ヶ月ほどでダメになり使わなくなったのでした。

そのダメ品は3万円ほど、これは2万+税、ネットで書かれている言葉から購入してみよう、という気になりました。金曜日昼電話で「明日土曜日に夕方使いたいが」と、土曜の昼には着。

夕方の会議は欠席で、数人の場合の効力は分かりませんでしたが、自宅での会話には充分に効果を発揮して、1日で試し合格になり購入を決めたのです。

使い続けて半月程ですが今朝耳に飛び込んで来たのが、夏ウグイスの声。

思い出したのが補聴器を両耳につけた時、春でした、ウグイスの声、

ここで一句、

会話器に 夏ウグイスや 声や良し