kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

「挑戦」の先。

2016-01-31 22:12:28 | 信州、なかでも上田。

見終わって数分経って何が印象として残っているか、人それぞれ違うでしょう。第4回目の「挑戦」という題名からいえば信長との対面の場、それが本命でしょうが、私がこうして寝転びながらタブレットに指を動かしつつ浮かぶのは真田の郷の光景です。

信濃の国 真田といわれた時代の、その頃はこうだったのだろうと思わせられる山と野の広がりです。現在の実際の映像から建物など人工物を取り除き、周りの山や野の光景に同化させて映像化するのでしょうか。

昌幸と信繁が信長の呼び出しに応じて諏訪へ向かう、生きて戻れるかの領主の列が里道を通る、小さな山間の道です。

「一生懸命」は「一所懸命」が転じた言葉だそうですが、自分の領地保全とさらなる拡大に生命をかける、封建時代の領主の立場であり覚悟です。この覚悟を軸にしてドラマは展開します。

昌幸の信長に賭けた「策略」と「挑戦」は効をそうし真田と上田は安堵されますが上野国の沼田・岩櫃領は織田重臣滝川一益のものとされてしまいます。これが天正十年四月のことです、しかし翌々月本能寺の変が起き信長の死、そして昌幸は……、とその先へ向かいます。


「あまちゃん」からはじまった。

2016-01-30 16:46:16 | どこまで続くかこのブログ

先日の26日、訪問数=IPが197になっていました、過去最高に近ずいてきたな、と思っています。最高は207で、都議会議員選挙の開票日でした。因みに閲覧数=PVの最高は999、あと1で1000になる!と思ったものです。それはいつだったか? 遡ってみればわかるでしょうが記憶にありません。

PVの方は昨日が846になっています、900近くまでは一二度なりました。あと数値としてはランキング=順位があります。そこで思い出したのが「あまちゃん」です。

3年前ひきつけられて観た朝ドラでした。先ほど「あまちゃん」で検索したらいまだに「あまちゃん交流のページ」で思いが交流されていました。その余韻の長いこと!

kaeruも余韻の尻尾を握って引き出したのが、これです。

【 この「kaeruのつぶやき」で、最近訪問数に3ケタがつづくようになったのも

「あまちゃん」効果の表れで、「このブログの人気記事」10位中「あまちゃん」が

8つを占めています(9/29)。 この転機になったのは?と戻ってみましたら、

この薔薇がありました。

天野家の女性にささげる謝辞。 

2013-05-06 | あまちゃん

Kaeruのつぶやき   ブログの開設から 291 日 5月5日のアクセス数  閲覧数:204PV    訪問者数:85IP

順位: 18,548位 / 1,867,280ブログ中 (前日比  )

この日の「つぶやき」を読んでいただければと思いますが、はじめてランキング入り

した日(5/5)でした。 実はこの日午前中から内の神さんと横須賀の菖蒲園に出か

けまして、「菖蒲はまだだねー」などと言いながら飯を食ったり、園内を登ったり下

がったりして、帰りヴェルニー公園に出てきて薔薇園に立ち寄ったわけです。

 「天の川」 という名札をみて、パチリ。これを「つぶやき」に載せればランク入りか?という予感があったのでした。

というわけで、「あまちゃん」効果 kaeru 版です。】

当時は3万位までが表示されていて(現在は10万位)一度ランキングに顔を出したいものだ、と考えていました。それが実現できたので「やったね」という感じです。

ところで、当時のgooブログは約187万7千、現在は237万8千。2年8ヶ月で50万1千増となり1日522づゝ増えてきたわけです。もちろんgooだけではありませんから、どれほどの人がブログを開くことに参加してくるか、大変なものでしょう。「発信欲」とでもいうこの意欲の量は国民的エネルギーとでも言えるのではないでしょうか。

「あまちゃん」のように、余韻のある「つぶやき」へと努力しましょう。「つぶやき」というごく控えめな発言ですが、やはり聞いてもらうことでつぶやき甲斐があるというものです。

耳が遠くなった分指をおおいに使いましょう。


地名俳句 真田。

2016-01-29 20:01:42 | kaeruの五七五

NHK大河ドラマ「真田丸」が好調のようです。前回の「花燃ゆ」が酷すぎたということもあるのでしょうが、関係者もほっとしているでしょう。

「花燃ゆ」一回二回見たと思いますが、続けて見ようという気持ちになりませんでした。演じている俳優のことは知りませんので、やはり筋書きに興味を引く所がなかったのでしょう。

その点、やはり真田幸村の名に引かれる部分が今回にはあります。

ドラマのことは日曜日以降にして、今夜は真田の地名俳句を、

平成十七年発行の本ですから、上田市と合併する前の「小県(ちいさがた)郡真田町」として説明があります。

「小県郡真田町。千曲川支流の神川(かんがわ)上・中流域を占める町。戦国時代に活躍した上田城主真田氏の出身地。真田氏ゆかりの信綱寺(しんこうじ)や長谷寺(ちょうこくじ)・真田屋敷跡などがある。」

真田村         桑解きて風まだ粗き真田村     中橋文子

真田屋敷      半夏生真田屋敷に咲き馴染む     河又一爽

                  真田井戸這ひ上がりゐる青蛙     金国久子

googleマップで真田を見てみました。

上田にいた時もその後も真田屋敷(真田氏歴史館=地図の右側上の赤印)に行ったことがありません。行く機会をつくりたいと思います。

今は空から見ましょう。

では歴史館の前に、

 

 



「てんがらもん」201回 公開放送。

2016-01-28 23:58:43 | 「てんがらもんラジオ」

前回が200回で今日はそれを記念しての公開放送でした。それは同時に「てんがらもんラジオ」放送開始4周年を来月11日に向かえ、それを祝う集いの前ぶれでもありました。

番組はここで、http://www.ustream.tv/recorded/82081259

村永さんのブログでも http://blog.goo.ne.jp/chidori-t よく分かります。

今日の番組についてはこの写真が語り尽しています。

番組の最後に参加された方々がカメラに向かっているところです。

さて、今日のゲストに名前が出ていません。番組を知らせる画面にフルートを演奏をされたこともあって池田博幸さん他と入っています。でも私がゲストは?と考えるとここに写っている60人程の方々の一人一人のお名前が書かれるべきだと思います。

そこには村永さんはじめ8人のレギュラーも放送局責任者の中崎局長も書かれると思います。ただその場合のゲストとはお客様という意味ではありません。テレビやラジオのゲストとはその番組の特徴を際立たせ視聴者にアッピールする人だと理解し、そういう理解に立ってのことです。

視聴者の一人として、この笑顔は私に向けられていると思いつつ、ここから「てんがらもんラジオ」という番組の特徴をつかんで欲しい、と語りかけていると感じるのです。

まずは8人のレギュラーの平均年齢78歳は、丁度その歳の私への激励でもあります。70代80代の年齢に達した者がどういう役割を社会のなかで果たすべきかを教えてくれます。

局長挨拶のなかで中崎さんが「てんがらもんラジオ」は「FMぎんが」の宝物です、と言っていました。伊敷団地に「FMぎんが」があり、「てんがらもんラジオ」がある、それがインターネットを通じて全国から世界に視聴者を広げている、それが鹿児島市のひとつの団地へ関心を集めることにつながる。そういう事実を示してくれてます。

丁度、池田さんのフルート演奏の時、中崎さんが集音マイクを掲げていましたが、その姿が集音し、発信し、注目を集める放送というものを象徴していたように思えました。

200回4周年を集約し、発信し、さらに「てんがらもんラジオ」へ注目を集める「これが地域番組だ!」と示してくれた番組でした。


「資本論」の間違い?

2016-01-27 22:06:18 | kaeruの『資本論』

今日の「資本論講読会」で「資本論」は間違っているのではないかという話が出ました。それは第9章「剰余価値率と剰余価値量」のなかで、剰余価値総額にかかわる三つの法則の第2法則の部分です。

そのごく一部の数行ですが、Oさんがいうのは「逆に、使用される労働力の量または可変資本の量がふえても、そのふえ方が剰余価値率の低下に比例していなければ、生産される剰余価値の量は減少する」という部分です。この「減少」するは「増加」ではないか、というのです。

ここでkaeruが何か説明しようというのではありません、分かりませんから。この章は私たちの講読会ではかなり以前に済ませてきたところで、Oさんは当時は参加していませんでした。

私のその章の出ている本を持っていなかったので、Oさんの本を見せてもらいました。今夜の話はここなのですが、その本にビッシリと線が引かれています。そういえばOさんは講読会最中頻りにノートをとっています。一行1字をおろそかにしない、という姿勢です。

この疑問もそういうなかから浮かんできたのか、と受けとめました。不破さんの「資本論代々木ゼミ」ではこの部分は「ほとんど自明の法則ですから、あまり説明は要しない」と書かれている部分です。とはいえ、Oさん姿勢をみならって一行1字にこだわった読み方をしてみなければと思っています。

同時にそいういう読み方が時に、穴に落ち込む場合のあることも注意しなければとも思います。細部にこだわり自分の理解に枠をはめてしまい誤解をしてしまう場合です。全体と部分と両にらみが必要なのですが、それが難しいのです。


天正壬午の乱。

2016-01-26 18:40:41 | 信州、なかでも上田。

昨日紹介しましたNHKラジオテキスト『真田三代の挑戦』を書かれた平山優さんは「真田丸」の時代考証を担当している方です。

wikiによると「東京都新宿区に生まれる。両親が武田家滅亡の地である田野(山梨県甲州市大和町)の出身であり,幼少期から武田家の歴史に関心を持っていた」そうです。

この関心が長じて、歴史学を修め今回のドラマの背景になる「天正壬午の乱」についてはじめて総説を展開されたそうです、1998年のことです。

「天正壬午の乱」とはこのテキストによれば、武田氏の滅亡、さらに本能寺の変後勃発する武田氏の旧領をめぐる上杉・北条・徳川三氏の戦いのことです。ドラマは武田氏滅亡のあと、織田信長に従属した真田昌幸の動向と、そのあとこの三氏の戦いのなかを昌幸親子がどう生き残るかを見せてくれます、目が離せない展開になると思います。

複雑な勢力関係のなかで小領主が一族の盛衰をかけ大きく発展していく姿を描きだすにはしっかりした時代考証が前提になるでしょう。その時代考証を正確にする努力は知的関心に止まらず、その地域への愛着・思い入れも関わってくると思います。

kaeruのドラマへの関心が上田への愛着の現れとも思いつつ、ラジオを聴きました。そして、Googleマップからこんな写真を載せておきます。

同じ地形図ですが、上は新府城跡、下は岩櫃城跡の位置を示しています。

真田は上の図の左上に上田と見えますが、その右上の「144」そのあたりになります。


なぜに真田だけがモテるのか。

2016-01-25 21:06:55 | 信州、なかでも上田。

 

昨日のワイコマさんのコメントに、信州にいくつもの城があり多くの大名豪族がいたが、「この真田家だけは全国的に知れ渡って」と書かれています。

確かにそうです、一昨年ワイコマさんに松本城を案内してもらいました。国宝だというこの城は上田城などと違う立派さはわかりましたが、「ここには誰がいたの?」などと聞いたおぼえがあります。誰々だと教えてもらったのですが忘れています。

ワイコマさんが続いて書かれているように、今回のドラマは「その謎を解き明かす」面白さがテーマでもあるでしょう。その意味でこのテキストは楽しめます。

第三回の再放送が明日午前10からです。「武田氏滅亡と天正壬午の乱」となっています。テレビのドラマとあいまって理解を深めることになります。


「真田丸」と自治体。

2016-01-24 22:05:33 | 「真田丸」

夜8時、9時とNHKテレビを観ました。

大河ドラマ「真田丸」とNHKスペシャル「新・映像の世界  冷戦 ・極秘映像は語る」です。

「真田丸」は「船出」「決断」ときて今夜の「策略」で来週は「挑戦」。

このタイトルから、戦国時代という一時代に乗り出した「真田一族」という船団がどのようにして荒波を乗りきっていくか、頭首の決断がありそれを実行するうえでの策略ーそれが今夜の見どころでー、そのうえに立っての挑戦です。

真田の山も案内されましたが、上田市と出ていました。最近までここは長野県小県郡真田町というひとつの自治体でした。2006年3月に上田市と合併したそうです。真田昌幸の「決断」の様を見つ「策略」を通じて、一族の長としてその衰勢をかける姿が印象に残るとともに、自立した一集団の「長(おさ)」の有り様に思いがいきます。

小県郡真田町が合併という時、その当時の町民と「長」等にどういう戦略があったのか、それに基く「決断」だったのか。「真田丸」のもうひとつの舞台の和歌山県の九度山町を見ましたら和歌山県伊都郡九度山町とあります。今回の大河ドラマによってこの町(人口4千強)が注目を集めるでしょう。

信濃の一地方の国衆(独立領主)にすぎなかった真田家が戦国大名になり上がっていく物語ですが、当時の「一族」の盛衰は基本的には領地の大小だったでしょう。それは支配地の石高に表されます。

上田城築城ー天正12年(1584年)、真田昌幸は上州沼田領も合わせ六万五千石、大阪夏の陣の後ーー弟・信繁の死のあとーー、二代目の真田信之は沼田領も合わせ九万五千石でそののち松代へ移されますが十万石となります。

歴史の結果でみての思いですが、昌幸の「戦略」と信之と信繁の歴史上の役割分担がそこまで繋がっているのかと思うこともでき興味が湧きます。


「てんがらもん」200回 温故創新。

2016-01-22 23:25:54 | 「てんがらもんラジオ」

200回目という節目を迎えてのゲストは仲間夕希子さん。

番組は   「てんがらもんラジオ」200回  ゲスト 仲間夕希子さん 。

村永さんのブログでの紹介によると村永さんがこの放送局の放送に出たのは、2011年10月、当時「FM銀河」の前身「FMさつま」ではゲストを毎回二人づつだったそうで、その時一緒に出演した人が仲間夕希子さんです。そのことは村永さんの次のブログに紹介されています。

http://www.ustream.tv/recorded/81758723

仲間さんは岡山県の出身だそうです、岡山県と聞くと鹿児島と結びついて「寅さん」映画の第37作「男はつらいよ  幸福の青い鳥」を思い出します。監督の山田洋次はこの時のマドンナを志穂美悦子に決めて、この人の性格に合った台本作りのため志穂美と二三回食事を共にしました。その結果「岡山県出身なのに顔立ち、気丈さ、情の深さは九州そのもの」だと感じ、舞台を九州に設定し筑豊の炭鉱の町にシナリオづくりにむかいました。

女性の顔立ちをはじめ性格とか情の深さ浅さを知る世界とは断絶した井の中の蛙に過ぎない私には比較をしてでのことではありませんが、この山田監督の九州女性観には深く同意します。それは「FM銀河」視聴を通じての実感だからです。今回の仲間さんもまさに九州女性、なかんずく鹿児島の女性だからの話です。

劇団とか何々一座という世界を全く知らなかったが、ある劇団の芝居の虜になって見に行き続けていると劇団の人から踊りに誘われ、それが契機になって舞台に上がり踊るようになります。そして鹿児島にも踊る楽しさを広げようと「やまぶき会」を立ち上げました、23年前のことだそうです。これからの夢は演劇をやりたい、踊りの舞台の置物と思われていた地蔵さんが供えられた饅頭を食べたり、突然動き出し踊りに加わったり、観客を大いに沸かせた話を熱く語ります。

熱く語る、といえば村永さんも200回、4年間を語りました。内容は番組で聞き取っていただきたいと思います。総じて言えばタイトルにしました「温故知新」を借りての「温故創新」です。過ぎた回のなかに前進・発展の力があります、新しいものを生みだす知恵と力が見つかります。平均年齢70歳の鹿児島婦人の知恵袋のなかにあるのは、地元へ厚い思いであり様々な困難を明らかにしつつ、前進の方向を探り共有しようというあつい思いです。

5周年と250回へ、道が開かれて行くのが見えます。仲間さんが踊る楽しさを鹿児島にも、と「やまぶき会」を立ち上げた精神から学び「てんがらもん」の持つ魅力を我が町にも、感じさせられた番組でした。