流動性知能などという聞きなれない言葉を14歳の藤井聡太少年が使いこなしていたことに驚いていたのですが、流動性知能の対になるのが結晶性知能などだそうです。その二つの知能についてはこちらで、
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さて、将棋界は20歳に焦点が当たっているばかりではありません。
↓ のニュースは結晶性知能に繋がるものです。
流動性知能などという聞きなれない言葉を14歳の藤井聡太少年が使いこなしていたことに驚いていたのですが、流動性知能の対になるのが結晶性知能などだそうです。その二つの知能についてはこちらで、
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さて、将棋界は20歳に焦点が当たっているばかりではありません。
↓ のニュースは結晶性知能に繋がるものです。
昨日の「つぶやき」が「記憶と精神」でしたからこのタイトルは「昨日+語彙」なんですが、もっと以前に繋がっています。
2017年11月22日の「つぶやき」で藤井聡太棋士の語彙を紹介し、若い頭脳に組み込まれている語彙の豊かさに驚いたものです。
さて今回も驚きの続きになります。藤井棋士が六冠になった今年の3月のことです、ここに「流動性知能」とあります。
この聞きなれない言葉を藤井少年と呼ばれる年頃の14歳の口から、
こんな風に、
全体はこのインタビューで、
14歳の時点で自己評価の基準に「流動性知能」をおき、18歳から25歳で実力がピークになるとみていたのです。語彙は自分の体験の記憶と結びつき精神に組み込まれるものと、学ぶという形の間接体験として語彙となり精神を構成するものがあるのでしょう。
名人戦の第4局が20日21日に組まれています。叫びも身体のどの部分の飛躍もないが頭脳の格闘技として、主戦場は相対する頭脳のなかで語彙を駆使してのものでしょう。
盤上の駒の動きに反映する脳内の語彙同士の格闘を映し出すモニターがあれば、と思います。
今日の「つぶやき」のタイトルは「何年ぶりかで切符を買った」にしようと思っていましたが、上のようになったのは探し物があったからです。
探し物の話の前提としては、失くした物について語らなければなりません。
失くした物は、
これ、定期入れです。
今日は午後5時から鎌倉での会議予定に合わせ、1時頃には机に向い俳句を自選して五月分の五句をメール送信しました。実は三月と四月の各五句も自選はしていたのですが、メールのアドレスが古い時期のもので受信者が見ていなかったので気付かず、私の方もうっかりしていたのでした。
三ヶ月分を少し添削し直して送信したので、時間の余裕がなくなるなと思いつつ、出掛ける姿(腰にウエストポーチを巻いて)でこちらの部屋あちらの部屋と行き来して会議に必要なノートや雑誌類を広げたり手にしたりしていた時、手に定期入れを持っていた記憶があるのです。
定期入れに何枚か名刺があり、その名刺の裏にメモがしてあってそれを見る必要があるような気がしたのでした。実際はその必要もなく2冊ほど本と雑誌を持ち出して部屋を出ていたのです。
ウエストポーチの中に定期入れが無い、と気づいたのは2階から階段を下りながら、ポーチの膨らみが小さい、と……。机の上にでも置いて来たかと戻ってみて、無い、周りにも隣の部屋にも、無い、のです。出掛けなければなりません、財布のなかの小銭を確認してバス停へ、バス料金を現金で払ったのも何年ぶり、逗子駅で切符を買ったのも、ということで今日予定したタイトルになったのでした。
私の外出中妻が散々部屋になかを探してくれていて、帰って来た私に「あの部屋には無い」と……。大体私が失くしものをすると、見つけてくれるのはほぼ妻です、よくぞ私の行動癖を知っているものだと思います。その人が探し抜いてない、という結論を出した以上自分の部屋を私が探す必要はないのです。頭を整理しようと横になったら眠ってしまい、起きてみてから隣の部屋での行動を振り返って、思い出したのが手に持った記憶です。もちろん昼間も隣部屋もあちこち探してはいます。
あれだけ周りを見て無いのは、見える所には無い、落ちて物陰にということだろう、と見たのがこれ、
足元ではありますが、点灯してない昼間ではわからなかったでしょう。
実はこんなことをつぶやくのは、会議後食事を共にしたとき、私以外は3人とも70代、探し物の日常だという話でかなり時間をくったからで、その時は自分のことは黙っていました。自分も確か70代には健忘症が現れ出したとは思いつつ……。
そこで「探す」ということに理屈を付けようと、wikiです。
今日は遅くなりましたのでタイトル通り、
横須賀の「日本共産党演説会」に行って来ました、の写真を。
どの人が誰は2人だけ、向かって左端「近藤昇一」と「くぼたみき」の葉山町町議選の候補者です。
もうひと言、この資料に「統一地方選挙」と書かれています、あれ?
「いっせい地方選挙」ではない。
遡ってみたら、2015年の地方選挙は「いっせい」となっていました、
が、2019年には「統一」でした。
勝負事といってもギャンブル話ではなく将棋のこと、藤井聡太五冠が名人戦に挑戦することです。
12日に羽生九段の挑戦を退け王将を初防衛した藤井五冠は、すでに8日「名人戦」挑戦を決めています。
その王将戦を紹介するこの「Yahoo!ニュース」のなかで、藤井五冠について、こんな風に評しています。
実は 「相手の桂馬と角の動きはプロでも見落としやすい」 と、 ある棋士が解説で語っていたことがある。 桂馬は唯一、駒を飛び越えて移動できるので、 動きを見落としやすい。さらに、角の斜めの動きというのも、 人間の視覚にとって弱いのではないか。
想像でしかないが、 藤井聡太という男の 「五感」 には、 人類のこうした根源的に弱いとされるような部分は全くないのかもしれない。
羽生九段に対しては、
正月明けに始まった 「世紀の七番勝負」。 ぜひ第7局まで見たかったが、 2カ月余で戦いは終わった。 羽生はこの間も、 今季からB級1組での名人戦順位戦の終盤戦を戦っていたが、 最終成績は6勝6敗で1期でA級に戻ることはできなかった。 だが、 久しぶりのタイトル戦で存在感を十二分に見せたように、 まだまだ光り輝き続ける羽生には、 今後、100期はもちろんのこと、 63歳で名人戦に挑戦した怪物 大山康晴十五世名人 (1923~1992) を目指す戦いを期待したい。
さて名人戦の日程は、
この期間(3月23日県知事選告示〜4月23日町村長議員選投票日)、いっせい地方選挙という勝負事があります
これは去年の3月10日の「つぶやき」ですとgooから送られてきたのです。
先程こちらを見ていたばかりでしたので、この一年! という思いが強くしました。
将棋の数あるタイトルのなかで「名人」は格が違うと思います。
「タイトル戦の序列は契約金の額による」ようで竜王戦が1位、名人戦が2位とのことですが……、
何よりお金が大事という人間界では、金将を王将の上に置きたいのでしょう。その点カエル界では価値観が違うので、あくまでも名人が一位です。
そう言えば、去年の3月10日から「つぶやき」を長期に渡って休みました、藤井少年の天才ぶりに目を眩ませられたのです。
彼の天才ぶりは将棋に限らないのです、勝負に明け暮れる将棋界に入っているのでそこが目立つだけで、将棋の才は天才能の一部でしょう。
義兄の葬儀を終わって帰宅したら、かなり疲れていたようで横になって寝こんでしまい夜食寸前に目が覚めました。
義兄は7人兄弟姉妹の2番目で享年86歳、7人のなかで最初の葬儀だということで参列者は兄弟姉妹とその連れ合いがほとんどでした。というのも60歳代から後半の日常は入院しているか、病院通いか自宅治療だったようです。自然と近隣との付き合いも元の職場関係とも縁遠くなって、訃報を伝える先もごく限られていたのでしょう。
年があけた頃妻が「兄さんの調子がいいようですから、会いに行きましょう」と言われ、暖かくなったらと話あっていたのでしたが……。
今日は義兄からみたら姻族の甥に当たる我が家の長男も同行しました。義兄の3人の子供は結婚したのが次男だけで、長男長女が未婚のまま。お互い高齢期に向かうなかで生活に活気をもたらすのは、子供の頃の記憶を共有している仲である従兄弟同士の交流もそのひとつかと思います。それがまた心身の健康にも繋がるでしょう。
残された義姉は、子供3人ながら孫が一人、人口減の日本社会の断面にも見えてきます。50歳代の甥姪と言葉を交わしながら、彼等の親世代で超高齢期最中の爺婆世代の私たちが、高齢期超高齢期に向かう彼等の生活に彩りを添えさせられる役割を果たせないか、季節の春を迎えるなかで人生四季の最終期にどう彩り豊かにするか知恵を出すのも我が身の若さを保つ手立てでしょう、と葬儀場を背に鎌倉街道を歩きつつ考えてきました。
「今日も今日とて…」と書き出してみましたが、このあと「親方さんに…」と続けて口に出て来る人がいるのだろうか? それで美空ひばりの歌声と歌詞を載せておきます。
今日のタイトルが口から出たのは二つの訳があります。まずは、今日一日を殆ど寝て過ごしたこと、風邪気味が進行したとかどっか体を打ったとかいう訳ではなく伏せの気分にとらわれたのです。
もう一つはこれ、一昨日「つぶやき」ましたタネ本が出て来たので……
この本の「はじめに」を読み出しつつこれは凄いことだ! と
ここです、はじめの2行……、
.
ここに「40年以上という時間」と書かれています。この本は「46億年史」です。40年以上を仮に46年とします、一人の人生のなかで46年間「生命と地球の歴史」を研究する日々を重ねれば何ができるか。46億年間の生物と(その舞台である)地球の歴史を素人に伝えることが出来るのです。
これが当たり前のことなのです、どの科学分野でもそれに類する事例に満ちていて余りにも当然のことだから誰もビックリしないのです。が 一年間につき一億年分の「生き物とその母体の地球の歴史」を知ってきた訳で人間って凄い!と思わざるを得ません。
だから本の目次を見て、
最後のページに、
.
そのような論理的思考の延長で、世界中から戦争をなくす新しい時代に向かうための人類社会の未来を考えました。
科学的思考の発展と普及の日々が「世界中から戦争をなくす時代」に向かう日々である、という指摘です。
去年の三月の中ほどで「つぶやき」お休みに入り、7月末に再開ということになっていました。
当時藤井聡太将棋士にこだわって、分からないながらも将棋戦を追ってみたり、聡太論をのぞいたりしていたのですが、関心は同じ年齢の伊藤匠将棋士とどちらが将棋士としての質が高いかというような比較論で、どちらだ強いかとは別の見方です。が、質の高さは勝負の結果としては勝ちに繋がるでしょうから強さの比較でもありました。
結局私の手に負えるような問題ではなく、結論じみたことにはならないなー、と思いながらも矢張り「聡太だろーな」というのが感覚的結論でした。そんなこともありましたので、今夜はこちらです。
こうやって1勝1敗が3回続いて最後の勝負の前に、私はどちらの勝ちを望むのか?
こんな本を見ると、
そして年齢という量が質の高さを伴うことの可能性を見せてくれることを期待すると……、その時の自分を見つめてみたい。