kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

マルクスの字、不破さんの字。

2016-10-31 22:13:50 | せいじの政治カフェ

   マルクスの文字は悪筆で、エンゲルス以外には誰も読めなかったそうです。マルクスが貧困時代ある会社に就職しようとしましたが悪筆のため断られたこともあります。

   ですからエンゲルスが『資本論』の第3部を刊行し終えたあと『剰余価値学説史』を編集するために、目を悪くしていたエンゲルスは自分にかわってマルクスの手稿を解読できる者を養成しなければなりませんでした。


   ここにマルクスの悪筆の話を持ち出したのは不破さんの山の本を読んでいて、何回も自分が悪筆であるという言い訳が出てくるからです。

例えば、

1990年9月の妙高山の記では、

《 宿を発つときに、女主人にたのまれて、色紙にサインペンの悪筆をふるった〜。「早朝、香嶽楼を出て、ガスと雨のなかを、妙高に登る」》

1992年8月荒川三山・赤石岳に向かう初日三伏峠の山小屋で、翌朝の場面で、

《 娘たちと近くのお花畑を散策。小屋に帰って、見た花の名を図鑑で探していると、小屋の人から色紙を頼まれた。子どものころ、学校でいちばん嫌いな課目が「習字」で、この課目が中学二年をもってなくなったとき、天にも昇るうれしさだった私だから、いつも色紙はできるだけお断りすることにしている。しかし、山の上で、お世話になる小屋の方から頼まれたのでは、そうも言っておられず、やむをえず引き受けた。

「荒川から赤石ヘ   花と眺望の山旅を   期待して」

その色紙に書いた一文である。》

1996年8月南アルプス3000メートル級最後の聖岳へ、下栗の里で、

《 郷土色豊かな、心のこもった夕食は食べきれないほど。そのあと、宿主の村会議長・野牧さんから、自分と弟姉妹三人に色紙を頼まれる。私の字は「ジを書く」のではなく「ハジを掻く」ようなものと、いつも言い訳をしながら、「国民こそ主公の日本を」と書いた。》

もう一つ、1997年、南アルプスにひかれて十年目にあたる年、と書き出しています。甲斐駒ケ岳と仙丈ヶ岳をまわって、

《 翌日は八月十三日の朝、大平山荘を発つ。出がけに若主人から色紙を頼まれ、悪筆で「自然と人間を  なによりも  大切にする  日本を」と書く〜》

こう書いてきますと不破さんの字って読めなかったのか、マルクスのように……、と誤解されると困るのです、それはまったく反対です。

   

多分こんなに読み易い字は少ないでしょう。

字を「うまく書く」という習字教育の根深い影響で悪筆だ、というコンプレックスを抱いてきてしまった、という感じです。


昨日の続き……の続きです。

2016-10-30 21:06:46 | せいじの政治カフェ

   昨日は不破哲三さんの子ども向け講義〝山登りのすすめ〟連続五日間所要時間5分弱の第1話第2話でした。今夜は第3話からはじめますが、その前に登山靴の話を……。

   それはね、第1話で「登山靴を買ってちょうど今年で11年になるんです…、」って不破さんが話してるでしょ、それでね、この本『私の南アルプス』のここを紹介したくなったのです。

 

   運動靴から登山靴へという「労働手段の発展」の話です。それに「高い山への意欲がいつの間にか蓄積されてきて、それがその気にさせた」というように、無意識の蓄積が意識化されるという人間心理の弁証法の話でもあります。

   横道無駄口は止して、講義の実況へと移ります。


第3話  題「やまをのぼる」  テーマ「ひとはしぜんとのかかわりのなかでいきている」

   「めざすのは頂上ですけれども、その途中がとってもいいんですね。花もあれば緑もいっぱい。歩いているだけでいろんな動物に出会えるし、そこらへんにある岩や石もなかなかかっこういいんですよね。

   そして山を歩いていると、ほんとうに自然のすごさ、大きさ、そのなかで人間がいきているということを実感しますよね。

   なかなか都会で暮らしていると感じないものですけれど、やっぱり人間は自然のなかで生まれて、自然とのかかわりのなかで生きている、この実感が大切だと思います。じゃ、また明日」

第4話  題 「やまのちょうじょうにはなにがあるの?」  テーマ「ちょうじょうにはもののみかたをかえてくれるなにかがある」

  「街にいるとまわりしか見えないでしょ。しかし山の頂上にたどり着くとほんとうに新しい世界が見えてくるんですね。

  遠くの山がおりかさなって見える。海が見えるときもある。平野や街も見える。ほんとうに日本を見てるなあって感じがするもんです。空も山の頂上から見るとうーんと大きくて広いんですよね。

  世界を大きな広い目で見るってことはほんとうに大切なことなんです。それでものの見方がかわってくるってこともあるんですよね。みなさん、山に登って少しものの見方をかえてみたらどうでしょう。じゃ、また明日」

第5話  題「やまをおりるゆうき」  テーマ「やまをおりるゆうきですあたらしいやまにのぼるゆうき」

  「頂上は楽しいんですけれども、いつまでもいるわけにはいかないんですよね。あたらしい山に登るためにも思いきっておりる必要があります。

  そしてまた次の山登りの計画をたてましょう。新しい山でもいいし、同じ山になんども登るのも新しい発見があって楽しいものですよ。

  みなさんもぜひ山に登って、人生に役立ついろんなことを感じたり学んだりしてください。じゃあ、今度は山でお会いしましょう、そのときは〝こんにちは〟ってあいさつしましょうね。

  みなさん、山に登りましょう。では、さようなら」


昨夜の続きで……。

2016-10-29 23:02:59 | kaeruの『資本論』

  昨日は南アルプスの話をしました、いえ、南アルプスの本をダシにしただけでしたので今日はこの本で、山登りの話をします。

と書き出して紹介したい話を探したらこの本ではなく、昨日の「南アルプス」の方でした、やはり本がダシになってしまいました。

『私の南アルプス』の66ページから70ページにかけて出ている話です。

   不破哲三さんがテレビの子ども番組に出て、山登りの話をしたのです。1994年のことで、1話を1分弱で5話連続ということでした。それをここでそのまま紹介しようと思います。

第1話   題「なぜやまにのぼるの」   テーマ「やまはじぶんのはっけん」

「おはようございます。今週は山登りのお話をします。

   私、登山靴を買ってちょうど今年で11年になるんですけど、なぜ登るのかと聞かれて考えちゃうんですね。

   いろいろ楽しみがあるけれども、やっぱりいちばんは、苦労して登り着いて、やりきったということ、〝やったな〟という気持ちになる、これがいちばんうれしいですね。自分でもこれだけの力があったな、ということがわかる。自分を発見するといいましょうか。それがなによりの楽しみです。

   山にはたくさん楽しみがありますけれども、それはまた明日からお話ししましょう。じゃ、また明日ね」


第2話   題「やまのぼりにうまいへたはない」  テーマ「やまもじんせいもいっぽいっぽのつみかさねがだいじ」

  「たいていのスポーツにはうまいへたかあります。サッカーが上手だとか走るのが速いとか。でも山登りは、歩く気さえあればだれでもやれるんです。

   もちろん登りがきついくてつらいときもあります。しかし、そこをがんばるのが山登りなんですね。ゆっくりでもいいんです。一歩一歩がんばって、それが積み重なって高い山にも登れるようになります。

  これは山だけじゃないんですね。人生に向かってもよく似たことがあります。どこでもどんな問題でも、一歩一歩の積み重ねをやっぱり大事にしていきたいですね。じゃ、また明日ね」


  「 第3、4、5話は、長くなりますので、じゃ、また明日ね」(これはkaeruです)。

 


南アルプスと「資本論」

2016-10-28 19:23:10 | kaeruの『資本論』

南アルプスと「資本論」をむすびつけたのはこの人です、

   いや不破さんが結びつけたわけではなくkaeruが本棚から出して資本論=不破さん=南アルプス、という式を考えたのです。一昨日「資本論」を読むことと山登りを結びつけてつぶやいたこともあり、思いつきとしてはそう無理はないでしょう。

  それに雑誌「経済」の今宮さんの話の続きとの繋がりも合うのです。

   今宮さんは、マルクスが株に投資して損をしたので、その体験からの結論としてこの次のように指摘している、として、

《 信用制度の発展につれて……大きな集中された貨幣諸市場がつくりだされるが、それは同時にこれらの証券の取引の中心地でもある。銀行業者たちはこれらの取引業者連中に公衆の貨幣資本を大量に用立てるのであり、こうして賭博師一味が増大する。》《銀行および信用は……恐慌とぺてんとのもっとも有力な推進力となる》

を引用しています。

ここの部分は『資本論』では第3巻の第32と36章に出てくるのです、現在第2巻の第14章を終えた(ことにしている)段階ですから、この先はまだまだ、山登りでいえば何合目あたりか?

「資本論」全3巻で98章あります、第2巻第14章までで39章分です、一応四合目まで登ったと言えるでしょう。そういう地点で第3巻の第32とか36章あたりの説明を読むと、そのあたりまで読み進めたいと思います。

   一昨日のマルクスの手紙では相場で400ポンド儲けたとのこと、その金額の意味するのは、この表が教えてくれます。

   これは今宮さんの書かれたものに紹介されているのですが、次の説明が付けられています。《 当時イギリスの中流家庭の生活は年間200ポンドあれば十分とみられていた……》《 64年から65年にかけてエンゲルスの援助がなかったのは、64年5月9日、1846年いらいふたりの親友ヴィルヘルム・ヴォルフが死去し、その遺産がおおくマルクスに贈られたからだと思われる。》

   このようなことを知ると「資本論」がマルクスが書斎や大英図書館に座って書物に埋もれて書いていただけでなく、当時の経済活動の生きた現実のなかで書き続けていたものだと知れます。それだけにを今の四合目から書かれた第3巻のその辺り・八合目辺りまで目線を送ることができます。

   その辺まで行けがどんな光景が見られるかを期待しつつ登る登山者の気持ちに通ずるのではないでしょうか。


「てんがらもん」140回 遊びこそ子供の成長。

2016-10-27 18:32:16 | 「てんがらもんラジオ」

Googleで「山本清洋」を検索しましたら、こういう画面にであいました。

 

   山本清洋著の本のこともありますが、下の「てんがらもんラジオ」です、ここで分かりますように一昨年三回ゲストとして出られました。ここには6月19日と7月17日の二回分が出されていますが、19日の前の週にも出ておられます。12日の番組は http://www.ustream.tv/recorded/48677703 で。 今日の番組は  http://www.ustream.tv/recorded/92483735 で。

   今日は番組の前半しか視聴できませんでしたので、その限りでの感想になりますが、一昨年の7月17日の番組と重なり考えさせられました。その番組への感想に、こう書いています。

   サッカー王国ブラジルの子供たちの草サッカーの世界に、大人の思惑・計算が入り込みサッカーは楽しむ物という肥沃のサッカー大地を、競技するものという勝者優先の痩せた土地にしてしまったということでしょう。

   今日のお話しの中心もここにあったと思います。

   江戸時代、薩摩藩の入来に、子供の遊びに大人は入るべからず、という決りがあったそうです。大人はどうすれば勝てるか、強くなれるかを知っています。大人が子供の遊びに入るとそのやり方を持ち込むことになります。子供は楽しいから遊ぶ、遊びに加わる小さい者から大きい者までがどうしたらもっと楽しくなれるかをみんなで工夫する。そこに大人の知恵を持ち込んではいけない、という教えです。

  子供が遊ぶということは子供の成長そのものであり、子供独自の成長の要だという理解が欠かせないということです。2020年の日本におけるオリンピック開催に向け、子供の目も大人の目もスポーツに向けられる時です、この時期に子供にとっての遊びの意義を正しく理解する大切さが伝わってくる番組でした。                                    


「資本論」、とにかく読む。

2016-10-26 23:49:54 | kaeruの『資本論』

   今日の「資本論講読会」は第2巻2篇「第12章 労働期間」から「第14章 通流時間」までの45頁分、報告者のYさんが内容をA4三枚にまとめてきて説明されました。

   一応昨夜、付け焼刃的に目を通していましたが、一読して分かるような代物ではありません。でもここの部分は本当は分からなければいけない所なのです。この三つの章は「資本の生産過程と流通過程のそれぞれを、時間的な面から、そして資本の回転への影響という主題で検討」しているからです。すでに、第1篇の「第5章  通流時間」で同じ問題を資本の循環という角度から研究しているのです、それをここでは資本の回転論の一環として研究したものだからです。

   その第5章を報告したのが私でした。その辺は読んでいてピンとこなければならないのですが、上の指摘は不破哲三さんの《『資本論』全三部を読む》に書かれていたことで、先ほど目を通してそうだったのかと思い至ったところでした。

   多分「資本論」は「分からない、難しい」とつぶやいたりぼやいたりしながらも読む、そして時々そうだったのか、と思うことも読み方のひとつでしょう。要は読まなければそれで終わりですから、山に登るのと同じです、そういえばマルクスもこういうふうに言ってます。

《 学問にとって平坦な大道はありません。そして、学問の険しい小道をよじ登る労苦を恐れない人々だけが、その輝く頂上にたどりつく幸運にめぐまれるのです。》

  書いた本人がそう言っているのですから間違いありません。この本は平坦な大道ではなく、険しい小道だということを肝に銘じなさい、そしてその努力は充分にむくいられます、たどり着けばそこは輝く頂上ですから、と。

  問題はいつたどり着くか、いやたどり着けるか、です。それだけに一応の頂上=全巻通読に向けてひたすら登ることが第一。同時に、こういう山は今登っているところがその都度そのつどひとつの頂上だとも思います。周りの山々を見下ろしながらの山道ですから、それだけに頂上だけに目を向けていては鳥瞰できない、眼下だけでなく足元の石にも目を配りながら歩くことが頂上へたどりつくコツでしょう。

そこで、マルクスのこの手紙、

 

 「親愛なる叔父上」 ではじまっているところは見えませんが投機して儲けたことが書かれています。

  これについて雑誌「経済」の5月号で今宮謙ニさん(中央大学名誉教授)が「ここで注目するのはマルクスが株式取引などを資本家たち(つまり敵)の市場とみていたこと、もう一つはまたやるつもりですと書いている点である。その後マルクスが投機取引をした証拠はどこにもない。〜 おそらくやったとしても失敗して損失したのではなかろうか。マルクスが銀行などを賭博とぺてんの推進者などと記したのは投機取引をしたと報告した翌年の1865年夏以降であり、その失敗の体験からこのような結論を得たのではなかろうか。」

   それは、として『資本論 第3巻』の第32章から二ヶ所引用しています。その部分と今宮さんが語る「『資本論』の魅力」について明日触れたいと思います。


どういう時代をどう生きていくのか。

2016-10-25 22:04:24 | せいじの政治カフェ

   昨日のタイトルは「どういう時代を生きてきたか」でした、昨日は過去形それに対して本日は未来形です。

  そう変えたのは、渡辺さんと不破さんの対談のなかで不破さんが渡辺さんにこんなことを言っているからです。

資本主義そのものが、資本主義者自身が問題にするくらい危機的な段階にありますから、21世紀はどういう展開になるか、楽しみですね。私より渡辺さんのほうが、21世紀のおもしろい時代をより長く観察できるはずですから。(笑い)》(187頁)

   渡辺さんは1947年生まれ、不破さんが日本共産党に入党した年でした。これが入党した頃の不破さんです、十七歳の誕生日を迎える前に入ったとあります、不破さんは1930年生まれということです。


 21世紀という話が出てきましたのでこれも、

20年前の日本共産党党大会です。表紙に「21世紀  政権への展望を語る」とありますようにこの大会で、

《わが党は、日本共産党と無党派との共同の発展に努力しつつ、21世紀の早い時期に、政治革新の目標で一致する政党、団体、個人との連合で、民主連合政府を実現することをめざして奮闘するものである。》

と決議しています。

   世紀単位で考えると、前世紀の重要な歴史的出来事としてロシア十月社会主義革命は特筆すべきことでしょう。来年・2017年がその100周年に当たります、私の知人で来年「社会主義を問うーーロシア十月社会主義革命100周年に当たって」という趣旨の講演会を企画している人がいます。私と同年配ですので言わんとすることがよく分かります。

次は対談のなかでの渡辺さんの発言ですが、

《 大きくは資本主義の社会の時代から社会主義、共産主義へという現代史の流れをつくっていくだろう、という歴史観が、進歩的な人々の間では暗黙の「常識」となっていましたが、そうした歴史の流れに多くの疑問が出たと思います。人間解放の道、社会主義、共産主義への道は「社会主義」を名乗る国の延長線上では切り拓かれないのではないかという疑問です。

   ソ連の崩壊から25年がたちいろいろな検討が重ねられてきましたが、それにたいする答えは依然として出ていないといいますか、模索中だと思います。それどころか、そもそも、現代史が資本主義から社会主義、共産主義へという流れであるということらえ方自体がおかしいという議論も増えています。そういうなかで出された本書は、現代史の大きな流れを、どういう方向で見直したらいいのかということも含め、先の問いに対する答えを提起しているように思われます。》(187頁)

   この後渡辺さんは『スターリン秘史』は研究書というより問題提起の書だといい、今までの見方に対する疑問と見直しを提起したと詳細にその視角を分析しています。そのうえで本書は二つの問題を提起したと言います。

  《 一つは、スターリンとソ連国家が、1930年代から90年代に至るまでの世界政治に大きな関与と影響を与えてきただけに、その見直しをおこなった本書の作業は、既存の現代史の豊富化だけでなく、20世紀から21世紀にかけての現代史の仮説に対する見直しと再検討を要請していることです。

   もう一つは、スターリンがつくり上げた政治体制、スターリンがおこなった大国主義政治や運動スタイルは、たんに過去の運動や政治に対して甚大な影響をもたらしただけでなく、現代の世界政治と社会主義、共産主義運動に重要な問題を投げかけているということです。社会主義、共産主義をめざす運動がその胎内から覇権主義、大国主義の怪物を生み出したという問題をどう克服するかは、社会主義、共産主義をめざす運動に現在なお解決が迫られている課題です。》(191頁)

  こうして渡辺さんは、昨日「つぶやき」ました「4つの時期8つの柱」を示してこれも昨日は引用した「現代史の構図そのものの見直し」につながっていきます。

  この対談ばかりでなく『スターリン秘史』を理解するキーワードは「現代史の見直しと21世紀」にあるように思えます。対談の目次(昨日の「つぶやき」の写真)の冒頭部分に「現代史の見直しと『スターリン秘史』」とあり、最後が「現代史の見方が変わってくる」です。

   過去の見方が変わる、ということは現代社会の見方が変わり運動の仕方が変わるということです。渡辺さんより10年早く不破さんより7年遅い生まれのkaeruとしては21世紀の面白さをそれなりの期間観察できるわけです。ただ見てるよりも動いた方が面白いのは恋と同じです。ただ、運動に向かうには心のままにというより勉強して自信を、ということでしょう。

  来年はロシア十月社会主義革命100周年と同時に「資本論 第1巻」刊行150周年でもあります。明日は「資本論講読会」です、幸いというか私の報告日ではないのですが、該当部分は目を通しておきたいので、中途半端ですが今夜は閉めます。


どういう時代を生きてきたか。

2016-10-24 22:41:13 | 不破・スターリン秘史

   雑誌「前衛」に著者の不破哲三さんと一橋大名誉教授の渡辺治さんの対談「現代史とスターリン」が掲載されていました。

   このブログでも「不破・スターリン秘史」というカテゴリーをたてていましたが、振り返りましたら去年6月に雑誌「前衛」での掲載が完結したことを「つぶやき」が最後でした。

   その「つぶやき」には「1、2巻は読み終わっていますが、3巻以降の部分は雑誌掲載時にはほとんど読んでいないので心して読まねばと思っています。」と書かれているのです。                                  

   さてその心を今日取り戻し「現代史とスターリン」を一読、それでブログのタイトルがつぶやくように口に出てきたものです。一読したくらいでは頭のなかで追いつかないものがあり、まとめにはならない「つぶやき」です。

   自分史と重なり歴史として深めねばという部分は次の言葉にあります。

渡辺(『スターリン秘史』を4つの時期8つの柱で区分して)これらはいずれも先にふれたとおり、現代史の画期をなす重要な事件で、その見直しや豊富化は、それ自体で意味がありますが、同時にその見直しは、大きな現代史の流れ、すなわちロシア革命以降の資本主義と「社会主義」の対決という現代史の構図そのものの見直しにつながる問いを投げかけているのではないと思っています。

不破   そうですね。(192頁)

  それは歴史の見直しにとどまらず、夏の参議院選挙に端を発した「市民革命」の評価動向に深くつながっているように受け止めました。                


「大坂の陣」を左右したもの。

2016-10-23 23:09:14 | 「真田丸」

   先週第41話は「入城」今夜が「味方」来週が「軍議」そのあと7回で終了。歴史は「大坂の陣」の勝敗の結果を知っている事になっています。それにそって私たちも知ったことになってます。

   しかし、慶長十九年十月・1614年12月大坂城に集まって行った人々は歴史を作って行った人ではありますが、その結果を知るのはかなりあとでしょう。今このドラマを作っている人々も歴史の結果のなかには立っていません。それも真田信繁に身を託している人々ですから、今夜の最終場面で「この戦は勝てる」と言った幸村の言葉に本気になっている人々でしょう。

  しかし、というふうに言葉を継いではならないのです。しかし、と言いはじめれば「歴史の真実は」などとつながり「冷酷にも信繁はあと一歩のところまで家康を追い込み」みたいなことにつながってしまします。

  そこで、暫くドラマや信繁から離れてやはり平山さんの『真田信繁』の紙面をお借りします、大坂城をめぐる人、米、武器です。

「大坂城の総兵力については、諸説あって定まっていない。総人数が侍八万七百余人、雑兵十万の合計十九万余という説、十三万人という説、七万^_^三千五百人の着到を数えたという説、雑兵含めて三万余人など様々です。おおよそ十万にだったのではないでしょうか(と平山さんの言葉)。

   こういう人数ですから兵糧の確保が大変です。《大坂城の太閤遺金を鋳潰し、その金で大坂城下町はもとより大坂の集まってくる米を買い漁った。》このため米価は暴騰し、他では十八匁くらいが大坂では百三十目になったと書かれています。

  火薬の調達で外国商人が色めき立ちます。イギリス商人《イートンは、十月八日(慶長十九年九月五日)には鉛の購入を堺商人に依頼され、提示された値段が百斤=五十五匁であったため返答しなかったといい》ます。《 鉛は、遂には十二月五日(慶長十九年十一月五日)には百斤=金六両に高騰した。これは大坂に流れる物資の動きを徳川方に切り替える役割を果たしたと考えられる。

  豊臣、徳川双方の物資確保をめぐる経済戦争は、結果的に諸大名や民衆の生活を逼迫させ、死の商人たちを肥え太らせる結果となった。》というわけです。

  こうして大坂城内から目を外へ、それも人数とかお金、米、武器などなど、それに民衆の暮らしの変化まで見ていくことが「歴史の真実」をみる上では欠かせないようです。


十月の五句

2016-10-22 19:40:59 | kaeruの五七五

今月の句会へは出席出来なかったので投句五句にしました。

最初に投句のまま、十月の季語は竜田姫、曼珠沙華、一致の実です。

「  」内は主宰からのコメントです。

 

  佐保姫の装ひなおす竜田姫

     「この句の主眼は佐保姫なのか竜田姫なのか?????」

  曼珠沙華枯れて群れおり紅わずか

    「枯れて、群れ、紅わづか 事柄が少し多かったかと感じました。

        ある方からは、曼珠沙華は枯れない、との意見もありました。

         花が崩れてゆくのを枯れると表現されたのだと思いますが・・・・。

         群れおり  は 群れをり        わずか   は わづか」

 

 信濃路の友の庭なる一位の実

 「 静かな趣のあるお庭なのでしょうね。

     もう少し何かがないと、想像の広がりが生まれてこないように感じました。」     

 黒猫の乳房あらわに秋の朝 

 「これは孕み猫ではありませんね。 秋の朝のひんやりした感覚と黒猫が上向いて乳    
    房をあらわにしている姿にどこかおかしみと哀れさを感じました。」

 月影に枕移して猫招く

  「 面白い句でした。  月影に枕移して  と説明しないで、

     月影や枕はづして猫招く  の方が 作者の気持が重視されると思いました。」

 

 ということでしたので推敲した五句は、

    佐保姫の姉の姿や竜田姫

    信濃路の筆絵一枚一位の実

    月影へ枕移して猫招く

 (自分の景としては床には入って月明り気付き、枕を明りに移したことが句になったのでこのままにしておきますした、でもやはり説明的になってます。)

    黒猫の乳房あらはに秋の朝

    曼珠沙華しぼみつ群れをり紅わづか