子供の頃から馴染んでいた橋がこんな姿になっています、
こちらはその電車が上田駅を発車し別所温泉駅までの28分間余、三年ほど前の映像とのことです。
上田駅を出るとすぐ上田橋を渡ります、行く手に広がる光景は「信州の鎌倉」と呼ばれている塩田平です。我が父母と兄の墓もこの地にあります。
子供の頃から馴染んでいた橋がこんな姿になっています、
こちらはその電車が上田駅を発車し別所温泉駅までの28分間余、三年ほど前の映像とのことです。
上田駅を出るとすぐ上田橋を渡ります、行く手に広がる光景は「信州の鎌倉」と呼ばれている塩田平です。我が父母と兄の墓もこの地にあります。
言葉は明日にして
=これは台風一過の我が家からの窓から(13日朝)
こちらは今朝(14日)の同じ窓から、
今朝「しんぶん赤旗」の配達当番で、昨日の分も合わせて2日分を、
届けた町役場の夜間通用出入口の扉のガラスが割れて、細く掃き寄せられて扉には板状の物が張ってありました。
我が家には12日朝から息子が来てくれて、家の周りの片付けと窓ガラスにテープを貼ったり、段ボールを貼ったりしてくれました。貼りながら「これはガラスが割れるのを防ぐのではない、割れた時散らばって飛ばないようにしてる」と。
ですから昨夜はガラス割れもあるか!との思いでした。
この台風の大きさを目にすると、直撃される可能性もあって「ガラス割れ」も想定内でした。
台風通過ーと思った時はホッとしました。
しかし、この光景は本当に想定外でした。ネット情報で千曲川が大変なことになっているらしい、というので上田の義姉に電話したら別所線の鉄橋が落ちた、というのです、義姉も一時避難したとのことでした。
河川の堤防決壊や氾濫は、千曲川ー私の故郷・上田だけではなく、義父母の故郷・宮城県丸森町も大変な状況になっていました。
今日の「しんぶん赤旗」にも、
自分の故郷・長野県上田市と我が家の故郷である宮城県丸森町が同時に水害にあうとは思いもよりませんでした。
今回の台風が「史上最大規模の」とも言われていましたが、これからも同程度あるいはこれ以上の規模のものが襲ってくることはあり得るでしょう。
このブログのタイトルに「野分」を入れたのは、昨日中に投句しなければならないことと重なって、詠むのに「苦心」していたからです。どのような規模の台風であっても「台風」が「野分」という季語で読まれた時代、天空を覆いくる積乱雲の巨大な塊を目にすることなどあり得なかった時代。そういう時代の「台風・野分」観と映像で台風を見れる時代の台風への認識は自ずから異なります。
こう「つぶやき」つつ、一冊の本が目に浮かんできました、
〝 古池の「わび」より 海の「感動」へ〟(文字の下の線はkaeru)
金子兜太さんが切り拓いてきた俳句世界の意義を、ネット・画像時代に学ばねばならないとあらためて気づきました。
3時間ほど前、机に向かっていたらガタガタと来ました。いよいよ台風が直撃か、と思い窓際の本などをまとめて部屋の奥に移し一階に降りたら「いま地震だったでしょう」と。テレビに「千葉 震度4」と映されていました。
そして2時間、窓を雨風が打って来ています、本格的に直撃です。
まだ家がガタガタするほどではありませんが、22時ごろまでは油断できません。そんななかこんな「声」が、
大きくします、昨日の「声」です、
ヨドバシ従業員です。明日の台風で既に計画運休が伝えられる中、通常営業の宣告を受けました。帰る手段がないにも関わらず、です。 どうかしてます。経営者や店長は社員の生活や命を大切に考えず、ただただ利益の事だけを考えています。
これに対して、直接ヨドバシカメラに抗議するなど多くの反響がありました、この人も
そして、
「ヨドバシ従業員」さんから、
さて、ここからは『資本論』
このブログでも「つぶやき」ました 新版『資本論』刊行記念講演会での志位さんの「あいさつ」のなかから、
「〝 大洪水よ、わが亡きあとに来たれ!〟これがすべての資本家およびすべての資本家国民のスローガンである。それゆえ、資本は、社会によって強制されるのでなければ、労働者の健康と寿命にたいし、なんらの顧慮も払わない」(新書版②464ページ)
資本は、最大の利潤をくみ上げるためには、労働者の健康や寿命に何らの顧慮も払うことなく、労働時間の間的な延長を追求する。しかし、そうなれば、労働者階級全体が精神的にも肉体的にも衰退し、社会全体が成り立たなくなるーー「大洪水」がやってくる。その「大洪水」を止めるには、社会による「強制」によって、労働時間を規制するしかない。社会のまともな発展のためにも資本への民主的規制から避けて通れなくなる。マルクスは、このことを痛烈な言葉で語ったのであります。
多分いまの時間帯、私の住んでいる辺りを台風は通過中でしょう。窓際がガタガタします、息子が来て昼間窓にテープを貼ってくれましたので気持ちが少し軽くなってます。
テレビは各地の洪水・河川の氾濫を伝えています。自然のもたらす大洪水を防ぐために人知を尽くす、その人知を社会の「大洪水」を防ぐために「声」を挙げ「声」を寄せあうことが力になると「ヨドバシ従業員」さんの事例は示していると思います。
今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」です、
人工知能(AI)の時代に必要なのは、人間らしさを確かめ合うこと。囲碁のプロ棋士がAIとの向き合い方を説いています▼囲碁の一手一手は言葉のようなもの。打つ石には、その人の経験や感情、想像といったあらゆるものが乗っている。どうしてそこに打ったかの「どうして」の中にこそ、人間ならでは価値が見えるのではないか(王銘琬『棋士とAI』)▼AI時代の申し子といわれる19歳の芝野虎丸さんが、史上初の10代名人になりました。2年前、本紙主催の新人王を獲得した際に「七大タイトルは挑戦すること自体大変ですが、目標」と話していましたが、最年少記録をぬりかえる快挙で成し遂げました▼幼稚園のときに父親が買ってきたゲームで囲碁を覚え、ネットで腕を磨いたといいます。たけだけしい名前とは裏腹におとなしく穏やか。細身で声は小さく、対局中の所作は静かで石を置くときもそろりと。しかし、その碁は鋭く、決断力も抜群。並み居るプロ棋士も目を見張る手筋からの攻めは、まさに虎のごとし▼「彼は碁を打つために生まれてきた。いつも碁と一緒にいる」。趙治勲名誉名人が評するように寝ているときと食べているとき以外は碁を勉強していると答えています▼確固たる自分の考えをもち、そこにAIの感覚を取り入れていく。同世代には強いライバルがひしめき合います。「自分なんかが名人でいいのかな」と謙虚な若者が、これから碁を通してどんな人間らしい作品をつくっていくのか。楽しみです。
(9日「しんぶん赤旗」記事)
「美空ひばり」 の新曲発表!には驚きました、A I の持っている可能性の大きさの一端を実感しました。その可能性のなかに大きな危険性は秘められていることを示しているのがこの「視点」です。
「美空ひばり」の新曲「あれから」です、
美空ひばりは私より幾日か早く生まれた同年齢、30年前に亡くなっているのですから、「あれから」と言われると「それだけ歳をとりました」と思います。その人の新曲をひばりの歌として聴けたのですからーーAIが身近なものに感じました。
それだけにAIとかICT革命とか日頃気になりながらも頭を向けていないことを「反省」してこの本です、
反省ならサルでも出来るのでヒト並みの努力はしなければ、それには「マルクス経済学」について基本的な知識は持っていなければと思うのです。
となるとやはり『資本論』になります、だとすればこれまた
やはりこの本でしょう、
20日に行われた講演会で不破さんは『資本論』の草稿等を執筆順に並べてました。
不破氏はまず、『資本論』とその草稿全体を執筆順に並べて紹介しました。
(1)『1857年~58年草稿』 『資本論』の最初の草稿で、7冊のノートから成りたっています。
(2)『経済学批判』(1859年刊行) 経済学研究の最初の部分、商品と貨幣の部分をまとめたもので、草稿ではなく出版されたものです。
(3)『1861年~63年草稿』 23冊の膨大なノートです。
(4)『資本論』第1部初稿(1863年~64年夏) 題名を『資本論』と変えてまず書いた草稿です。
(5)第3部第1編~第3編(1864年夏~12月) 第2部「流通過程」を飛ばしたのは、執筆するにはまだ研究不足と思ったからと思われます。
不破氏は「私はここまでの草稿を『資本論』の“前期草稿”と見ています。なぜかというと、この次にマルクスは大発見をするのです」と述べました。
それは、マルクスが1865年に第2部第1草稿を書く中で「恐慌の運動論」を発見したことでした。
前期の草稿と後期の草稿と何が一番違うのか。それは、「恐慌の運動論」の発見により、資本主義社会がなぜ没落して社会主義社会に変わるのかという資本主義の没落論が大きく変わったことです。
“前期草稿”では、マルクスは、リカードから引き継いだ「利潤率の低下の法則」を革命に結びつけて、利潤率が下がるから恐慌が起きる、そして恐慌が起きるから革命が起きるという「恐慌=革命」論に立っていました。
ところが、新しい恐慌論は、恐慌は利潤率の低下から起きるのではなく、資本の再生産過程に商人が介入することが恐慌を引き起こすことになるというものでした。
マルクスはこの大発見の直後に改めて第3部の残りの草稿を新しい構想で書き始めました。それから第1部を完成させ、次に第2部草稿を書いている途中で死を迎えました。未完成に終わった第2部、第3部は、マルクスの残された草稿をもとにエンゲルスが編集したものでした。
講演の詳細は、
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik19/2019-09-23/2019092306_01_0.html
講演会のユーチューブは、
昨日の句会では八句出して点が入ったのが二句だけと言ったのですが、欠席者かの選句のなかに二つ入っていました。
八句中四句採ってもらったわけです、その四句と選句されなかった四句からひとつ加えて「十月の五句」を選び、句会の選句集に載せることにします。
はじめの「断髪式」の句は誰も選びませんでした。出した時は「秋風や」ではなく「九月末」だったからかもしれません。「九月末」だと単なる報告句ですね。
このなかで一番多く点が入ったのは「秋灯下」で4人からでした、あとは1点づつでした。