kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

正岡子規のこと。

2017-04-30 21:33:09 | kaeruの「しんぶん赤旗」

今日は三年ぶりに庭の松の緑つみをしたので、それをつぶやきたいと思っていたのです。それには一枚の写真を是非ともアップしたかったのですがそれがかなわず、それなら記事の方もやめにしたのです。

すると何をつぶやくか、今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」にしました。

【 大型連休が始まりました。ふるさとで過ごす人や海外に出かける人たち。行楽地はにぎわい、さまざまな行事も目白押しです。旅情にひたるのも、見聞を広めるのも、また良しでしょう

▼「好奇心といふことは強く遠く遊びて未(いま)だ知らざるの山水を見るは未だ知らざるの書物を読むが如(ごと)く面白く思ひしかば…」。明治の時代、わずか35年に満たない人生を送った正岡子規は「水戸紀行」にそう記しました

▼生来体が弱かった子規ですが、旅好きで各地の実景を俳句に取り入れています。景色や事物をありのままに写し取る「写生」は、彼による俳句革新の一つです。門人の佐藤紅緑にも家に引きこもって俳句ができるはずがないとアドバイスしています

▼権威や世俗にとらわれない自由な発想は親友の漱石をはじめ、多くを引き付けました。いつまでも若々しく度量が広い、自分には厳正で他の非を忍容する。紅緑は人間子規の魅力を大いに(復本一郎著『正岡子規 人生のことば』)

▼生誕150年の今年は各地で記念行事が準備されています。いま神奈川近代文学館でも特別展が開かれ、貴重な資料とともに足跡を振り返っています。新しい文学の創造をめざした数々の業績が現代にどうつながっているかと

▼「世界を大観し、心胸を闊(ひろ)くし、不屈不撓(ふとう)の精神を以てどこまでも押着(おうちゃく)に世渡りすること」。貧家に生まれ、虚弱にして不自由な暮らしを余儀なくされながら、最後まで生きることを楽しもうとした子規。今の世をどう写生しただろうか。】

正岡子規に『病牀六尺』という明治三十五年(1905)五月五日より九月十七日まで書き続けた随筆集があります、死の2日前までの記録です。

その六月十八日にこんなことが書かれています。

【 明治維新の改革を成就したるものは二十歳前後の田舎の青年であつて幕府の老人ではなかった。(略) 何事によらず革命または改良といふ事は必ず新たに世の中に出て来た青年の仕事であつて、従来世の中に立つて居つた所の老人が中途で説を翻したために革命または改良が行はれたといふ事は殆どその例がない。

子規が云う老人とは「従来世の中の中心に立つて居つた」者という意味でしょう。「都会という権力」を包囲していた田舎の老人も青年とともに革命の当事者として参画するのが21世紀型革命と言うべきでしょう。

老人よ、大志を抱け!

この大志とは問題意識という意味です。


Zの次は……。

2017-04-29 21:20:16 | どこまで続くかこのブログ

アルファベットがaからはじまりzで終わることは今では幼稚園児でも知っているでしょう、ならばzの次は? 同じような質問で「あいうえお」の五十音表は「あ」からはじまり「ん」で終わっています、「ん」の次は?「いろは」も「い」から「ん」の48字ですが、これも「ん」のあとは?

こんなことを思いついたのは、この本を手にしたからです。

この表紙カバーに「XYZA」とZAがつながっている行がひとつだけあったのですが、それを赤い丸で囲んであるので分かったことでした。もしそれがなければ気付く人は多くはなかったと思います。

元俳優で名探偵ドルリー・レーンやこの物語に登場する若き才媛探偵ベーシェンスの観察眼はこの一行を指摘することなのでしょう。そのためには事柄の法則とそれを破る事実を見抜けるかどうか、にあるようです。

その様な眼力を養う日常のあり方があるのではないか、と考えさせられたのもこの文庫からでした。以前同じクイーンの『Xの悲劇』についてつぶやいた時、『Zの悲劇』は持っていないといったのですが、ありました。

ダンボール箱の文庫本を出版社別に並べてみましたら、あったのです、『Yの悲劇』や『レーン氏最後の事件』はありませんでしたが。日常品でも書物でも雑然としていては意識的な「発見」はありません。発見がないと意識的な変化を忘れてしまい、日常が漫然とした時間の流れになってしまうようです。

日々を意識的なものにするには、かなりの意識的な努力を追求しなければ妄想に類することになるだろうと、我が部屋の「雑然」を眺めながら反省しているところです。


資本論と葉桜。

2017-04-28 23:01:13 | kaeruの『資本論』

一昨日は資本論講読会で、第3部の第2回目でした。前回私が報告したのですが、参加者から補足したいという意見が終わりにでました。第4章について私の報告では余りに省略しすぎているという指摘です。

「第4章  利潤率にたいする回転の影響」というのが章名です。13頁ほどある章ですが私の報告では、

年利潤率(p′)

=剰余価値率(m)×可変資本の年回転数(n)×資本の価値構成(v/C)

という数式を一行書いただけでしたから。

これでは誰がみても何も報告されていないと思うのが当然で、確かに3章まででダウンしたのでした。それでは宜しくお願いします、と報告責任を放棄して一昨日になりまして、S氏の報告を聞きました。

ところがこれが分からないのです、報告者が本に書かれている論旨とそれを表している数式が食い違っているというのです。

私が第4章を一読して「これは分からん」と結論したのは数式の多さでした。単純な分数計算ですから丁寧に追いかければ分からぬわけがないのでしょうが、頭の構造がそういう作業を拒否するのです。その点S氏は大手商社で海外取引などをこなしてきた頭ですから、ノートにキチンと数式を書いてきたうえでの話です。

もし資本論のなかでの論旨と論旨証明の数式が食い違っているとなると「世紀の発見」になるでしょう。同席の二人からは同意もなければが誤解だとの指摘もありませんでした。多分何がどう食い違っているのかが分からない、という状態だったのでしょう。

報告者の指摘が第4章内での論旨問題か、第3部に入ってからのことか、第1部第2部までを含んでの疑問か、要は「疑問が疑問」なのです。そこで先ほど殊勝にも『資本論』の該当頁を開き頭を捻りはじめたのですが、ダメです。頭に浮かんできたのが、

   葉桜や剰余価値率利潤率     kaeru

葉桜の句に、

葉桜となりてしだるる暗さかな           五月女知子

シャンソンにいい暗さ葉桜はざくら      菊池京子

などがあり木下闇につながる「暗」が感じとれます。

(『ザ・十万人歳時記  夏』より)

『資本論』を読み進める頭のなかに葉桜が重なってくるのです。

またの挑戦機会を待ちましょう。

  葉桜の根に置かれゐる資本論      kaeru


80歳からの冒険。

2017-04-27 23:53:30 | 「てんがらもんラジオ」

ゲスト山本清洋さんは今回で5回目の出演になると思います。2014年6月に2回続けてのお手玉の話で、私のお手玉に対する認識が「たかがお手玉」から「なるほどお手玉」に大きく変わったのでした。2014年7月の時のタイトルは「高齢者と子どもを結ぶもの」、昨年10月については「遊びこそ子供の成長」とつけてあります。

今回も「トム・ソーヤ」を話されましたが、この間の山本さんの話の原点は「トム・ソーヤの冒険」にあり、そのことは今回を視聴されれば納得してもらえるでしょう。

 http://www.ustream.tv/recorded/102697545


私の本棚に「トム・ソーヤ」はありませんでしたが、『ハックルベリー・フィンの冒険』がありました。岩波文庫のカバーの絵の筏に座っているハックは何歳くらいなのでしょうか。浮浪児ハックの冒険のはじまりを考えながら、仮にハック8歳とし自分に引きつけてみます。

このところは間近な80歳にこだわり、思いの起点がそこに向かうのですが、そのひとつとして8歳の私の「冒険のはじまり」は72年前、終戦の年です。日本人全部が行き先不明の「大冒険」に臨んだ時、小学校2年生でその大冒険に参加したのでした。それは新しい日本への入口で、特に日本人男子として決められていた戦争に行って死ぬという「定め」から解放されたのです。

私より6歳違う亡き兄は、それまで信じ込まされてきた「巨大な嘘」に直面し、それ以来一切の「作り話」を拒否したと言っていました。そのせいか兄の本棚には小説類がありませんでした、ただ一冊を除いて。それはトルストイの『クロイツェル・ソナタ』でしたが、兄の恋愛と結婚の時期に読まざるを得なかったのでしょう。人生の最大の「冒険」に直面して、さすがに「作りごと」言いかえれば想像力に頼らざるを得なかったと推測します。

少年トムやハックの魅力はその自由さにあり、羽ばたく想像力にあります。想像はけっして妄想ではありません、現実を切り拓く確実な力として人生を導きます。同時に少年少女等の抱く想像は将来に規定され拘束されます。80歳という時点に立っての想像はそこからも解放され、誠に自由に羽ばたくことができます。

さて、80歳の想像力をどう発揮させ何を実らせるのか、なかなか楽しい事です。想像力の一翼にブログ、フェイスブックなどが力を添えてくれるのは間違いありません。また山本さんの子供の成長についての見識は大きな刺激になります、高齢者が常に子供の実情に心を寄せることは自分の想像力を燃焼させます。


「自前の福祉」を手探りしつつ。

2017-04-26 23:22:09 | 葉山そして人

葉山「のぞみ会」、この新聞記事は15年前のものです。

「のぞみ会」は今年の9月に30周年を迎えます、30周年を前にして今日「会」の開びゃく以来はじめての総会をもちました。30年ほど前、三人の50歳代の主婦が立ち上げて手づくりの組織という感じで続けてきました、が三人とも80歳代になり、一人はご主人共々施設に。

そこで以前から課題でした、役員体制の強化ということでの総会でした。それまでの代表役だった80歳代の二人が副代表に、新しい代表は70歳代、60歳代の新人会員が事務局に入りました。私も若手のお手伝としてもう一人のご婦人共々事務局に、会のホームページをつくろうという話になりました。

会のモットーである「自前の福祉」、日常ではどういうつながりをつくっていけばいいのか手さぐりの開始です、それ自体が「自前の福祉」活動になるのでしょう。


死なない準備。

2017-04-25 21:11:42 | 100歳へ上手な生き方

自分の本棚はこれまで、自分がどんなことに関心を持ったかを知らせてくれます。昨日今日と本棚を整理して引っ張りだしたのが、

と、これです。

両方とも「死ぬ気がしない」という話ですから、関心を持ったのも当然でしょう。

宇野千代さんの本は文庫本としては1999年6月発行ですが、元は平成七年(1995)十二月に単行本で出されています。金子さんのは2014年10月ですから二年少し前、この俳人の俳句も好きですし、その発言も気に入っていますのでこの本以外にも何冊か棚にはあります。

宇野千代の作品は読んだことがありません、文庫本のカバーに「愛欲の世界を描いて比類のない地位を確立」とありますから、「死なないような気がする」気力の根源も理解でき、是非読まねばと思うのです。ただ本人はこれを書いた半年後に亡くなってしまったのです、満99歳の半年前です。それだけにあるべき「気力の方向」を示してたものと思い読みだしてみようと思います。

金子さんは現在も朝日新聞「朝日俳壇」選者をつとめている1919年生、97歳。テレビで見かける国会前などでの「アベ政治を許さない」は金子さんの筆になるものです。

 

満80歳を目の前にしてこの魅力ある作家と俳人の筆になった言葉を拾い読みしてみようと思います。


春耕 ー 土でつながる人と人。

2017-04-24 21:49:36 | 葉山そして人

【 テレビがなくなると風の音や鳥のさえずりが聞こえてくる。寂しさよりも新しい世界が立ち上がってくることに気付けた。福島の原発事故をきっかけに節電に徹した人の感想です

多くの人びとから日常を奪った大災害の後、自分たちの生活や国の形を見直す機運が高まりました。節約に努め、生き方そのものを変えた人も。物があふれる、きらびやかな社会ではなく、つましいながらもみんなが幸せに暮らせる道とは。問いかけは今も続いています

米国で愛された絵本作家のターシャ・テューダーは「スローライフの母」と呼ばれました。ボストンの旧家に生まれながら華やかな社交界よりも田舎暮らしを選択。自然や動物に囲まれ、いとおしい人たちと寄り添いながら92年の生涯を終えました

山奥に建てた農家で草花を育て、四季を映した庭をつくりあげ、季節の移ろいの中で過ごした日常。自給自足で時間と手間をかけた手作業を基本に、質素ながら好きなことを心から楽しむ生き方に共感する人は多い

生誕100年にあたる2015年から日本でも彼女についての催しが各地で開かれています。15日から上映されている記録映画「ターシャ・テューダー 静かな水の物語」は、ときがゆっくり、ゆったり、穏やかに流れていきます

物ではなく、心の充足を何よりも大切にしてきたターシャ。周りに流されず地に足をつけた人生、日々の暮らしから発する数々の言葉は、豊かさとは、生きる喜びとは何かを、静かに語りかけてくれます。】

上の一文は昨日の「しんぶん赤旗」の「潮流」ですが、今日は半日何時ものおじさんの畑仕事の手伝を妻と一緒にしてきました。相模湾が山の脇に光ってる小さな畑の土起こをしながらこのコラムを思い起こしてました。

   春耕や翁も嫗も土の人    kaeru


「森友」への財務省による手引き。

2017-04-23 22:51:11 | せいじの政治カフェ

【号外】等の見出しはFBに投稿されてきたものです。

「しんぶん赤旗」の記事全文はこちらです、

http://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2017-04-22/2017042215_01_1.html?_tptb=032

この21日の衆議院国土交通委員会での宮本氏の追及はこちらです。

http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php?ex=VL&deli_id=47077&media_type=hb


「地球の日」です。

2017-04-22 20:02:16 | どこまで続くかこのブログ
 
大地動乱の時代。
 
  岩波新書に『大地動乱の時代 ー地震学者は警告する』があります、これです。   1994年8月に発行されています、この本は1995年2月3日の第5刷版です。第1刷がでたの......
 

「てんがらもんラジオ」のゲストさんの話の「4月9日 子宮の日」から今日が「地球の日」だと知ったのは20日のことでした。丁度一年前のブログが届きましたので見ると(上の「大地大動乱の時代」)地球に関することをつぶやいています。

一年前の「つぶやき」をもって今夜の「つぶやき」とします。


目で見る「資本論」と麻雀。

2017-04-21 23:30:23 | kaeruの『資本論』

今夜の「つぶやき」も訳のわからない様ですが、お読みいただければ有難いです。昼間、麻雀の卓を囲み夜は「資本論」の拾い読みというチャランポランな一日で、頭がおかしくなった? かも知れません。

構成メンバーとしてなんとか仕込もうとされる御婦人の期待に応えたいこともありますし、麻雀そのものもかなり魅力的でこれは憶えて損はない、と『マンガでわかる!麻雀』をお借りしてきました。「東大式」という「肩書」があるだけに「分かりやすい」のです。「バカでもチョンでもわかる」という「お薦め」があればもっとよかったでしょう。

牌を手にしながら聞く麻雀用語も、マンガのコマのなかで読むとそういうことか、となります。私の頭がマンガに向いているのがよくわかります。

そこで「資本論」を漫画では?と本棚を見ました、「マンガ 資本論」ではありませんが『理論劇画 マルクス 資本論』という本です、理論劇画という「肩書」が面白いですね。

http://ratio.sakura.ne.jp/archives/2009/04/17201832/

中身も披露したいのですが、写真がアップできないばかりか撮れませんので、後日に機会がありましたら。


『マンガでわかる!麻雀』はこちらです、こちらも機会がありましたら。

http://www.ikedashoten.co.jp/book-details.php?isbn=978-4-262-10733-2