歳時記を開くと 三月やグローブがいい音をして / 今坂鉚二
があり、連ドラ「ごちそうさん」のふ久の兄と先輩(諸岡)とふ久の話を思
い出しました。 ふ久が諸岡の子を生みたいと「押しかけ女房」となる姿に、
春三月の気そのものを見る思いがします。
諸岡の投げこむ球がふ久の兄泰介のミットを鳴らすのか、ミットが球に
音を与えるのか、二人のキャッチボールを見ていた彼女は命の伝達者
としての女性の声を身体全体から発していたに違いありません。
三月の陽は確かなり今夜の星 / 清蛙
歳時記を開くと 三月やグローブがいい音をして / 今坂鉚二
があり、連ドラ「ごちそうさん」のふ久の兄と先輩(諸岡)とふ久の話を思
い出しました。 ふ久が諸岡の子を生みたいと「押しかけ女房」となる姿に、
春三月の気そのものを見る思いがします。
諸岡の投げこむ球がふ久の兄泰介のミットを鳴らすのか、ミットが球に
音を与えるのか、二人のキャッチボールを見ていた彼女は命の伝達者
としての女性の声を身体全体から発していたに違いありません。
三月の陽は確かなり今夜の星 / 清蛙
熊 「隠居さんにちょっと聞きてぇことがあるんですがね」
隠居 「飲み過ぎた時、二日酔いを一日で済ませる方法かね」
熊 「いやー、そんな時は鉢巻してでもゲロ吐いてでもでかけますがね。
そうじゃねえ、もっと高級な話で、このまえこのブログで古池に蛙が飛び
込んだてぇいう話がでていましたね」
隠居 「あー、芭蕉の俳句かい、意外なことを聞くんだね、熱でもあるんかい」
熊 「いやね、あれから気になってしょうがねぇです」
隠居 「なにが」
熊 「飛び込んだ蛙はどうなったんでしょうかね、隠居さん知ってますか」
隠居 「え!?」
熊 「あんときの話だと、芭蕉という人は蛙を見ていなっかたということで、
それじゃ芭蕉に聞いても分からない話で、隠居に聞けばわかるんじゃな
いかと八公が言うんで聞きに来たんですがね」
隠居 「八ちゃんにも聞いたのかい」
熊 「八は、今忙しいから後にしてくれ、って。こういう話は暇な人間じゃなけ
れば考えね、この辺で一番暇なのは隠居だ、隠居に聞けっていう訳で」
隠居 「そりゃな、人間に余裕があるから暇そうに見えるだけで、これでなか
なか考えこともあって見かけほど暇じゃない」
熊 「八が言ってました、隠居は多分見かけほど暇じゃない、と言うだろう
それは人間の器が大きいんで、もともと人間の器には限界というものが
ない、隠居は人間としても器が無限だ、もう一杯のように見えるが幾らで
も入れられることのできる人だ、ってなことを言えば隠居は喜んで話相手
になるよ、そんなことを言ってました、がどうです、話相手になります」
隠居 「なんだい、手の内見せちゃいけないよ。まぁ八ちゃんも悪気があって
言ってる事じゃないから、話相手になろうじゃないか」
熊 「はぁはぁー、乗ってきたな」
隠居 「なんだと」
熊 「いえね、八がね、こんな話に乗ってくるのは、単なる暇な人間じゃない、
馬鹿なほど暇な奴だと、隠居、あんたは馬鹿だね」
隠居 「面とむかって馬鹿かと聞かれて、そうですと答えるほど人間が出来
ている積りはないが、この野郎と怒るほど人間が不出来でもない、その
ことは不問にしよう」
熊 「布団ですかい、布団にくるんじゃおうというわけで」
隠居 「そのことも不問にしょう、それで何だい、蛙が飛びこんだ後、どうなっ
たか」
熊 「そーなんですよ、飛び込みましたよね、だから水の音でしょう、見てい
なくても分かる、問題はその後です」
隠居 「それでいいんじゃないかい、後は静かな雰囲気を感じとっていれば
いい」
熊 「隠居は自分で俳句かなんかひねっているから、それでいい、とか言って
いられるけれで、芸のないわしらは頭をひねってしまうんで、頭ひねってみて
これはこのあともう一句あったんじゃねえかと思ったんですがね」
隠居 「そういえばこういう句があるな、 古池や芭蕉飛びこむ水の音
仙和尚という江戸時代の坊さんが詠んだものだが」
熊 「芭蕉さんが飛びこみなっすたか」
隠居 「熊さんが詠むとすれば、 古池や熊が飛びこむ水の音 かな」
熊 「そうじゃねえです、 古池や蛙飛び出す水の音 」
(注:昨日まで「ベルリン会談」を「~会議」と表記しましたが、「会談」に訂正しました。)
昨日の「つぶやき」の最後に不破さんの言葉として 「世界の現代史を書きかえている
ような思いがしますね」 を記しておきましたが、「ベルリン会談」の評価はその一例です。
これは不破さんの連載「スターリン秘史 巨悪の成立と展開」の今回の分・第14章の
「ベルリン会談の深層」の目次です。
最初の部分に「ベルリン会談の研究にあたって」とあります。その書き出し部分に、
≪この会談についてはたいへん奇妙な状況があります。第二次世界大戦の成り立
ちをきめる上で、きわめて重要な、ある意味では歴史の進路にかかわる意味をもっ
た会談であったにもかかわらず、間違った解釈が定説となって、本格的な研究がお
こなわれないままで来ているように見えるのです。≫
とあります。その間違った解釈とは、
≪“この会談で、ヒトラーはソ連に三国同盟への加盟を呼びかけたが、モロトフが首
を縦に振らず、しかもとげとげしい対応をしたので、ソ連にはその気なしと判断し、ヒ
トラーは対ソ戦に踏み切った”≫、というものでした。
しかし、不破さんによれば、
≪これは、ヒトラーがこの会談にかけた思惑も、それに対するスターリンの対応も、ど
ちらをも見誤ったもので、こうした解釈では、40年11月のベルリン会談から41年6月
のドイツの対ソ戦開始にいたる独ソ関係の推移がまったく理解できません。≫
と述べています。
この問題に対する 「解答」 は目次の最後 「ベルリン会談をめぐる誤った評価がなぜ
広まったか」 に書かれています。
ここに対独戦争の対する二人の勝利者が登場します。一人は言うまでもなくスターリ
ンで、もう一人は当時のイギリス首相チャーチルです。このチャーチルがスターリンの
「汚点隠しのごまかし」を手伝うことになってしまいます。
スターリンの「汚点」とは何か。
≪スターリンにとっては、ベルリン会談でのドイツ側の提案を受諾したことは、スターリン
が侵略国家同盟に参加する道を選んだという点でも、さらにヒトラーにまんまと騙された
という点でも、独ソ戦開始後、ソ連が反ファシズム連合の一翼をになうようになって以後
は、自分の歴史にたえがたい汚点を残した歴史になっていました。≫
さて、その「汚点」をどう消すか、不破さんはこう指摘します。
≪そこで、スターリンは、イギリスの首相チャーチルが1942年8月にモスクワを訪問して、
最初の英ソ首脳会談が開かれた時、その会談を、ベルリン会談についての自己弁明とい
うか、ソ連の立場の正当化をおこなう場として選んだのです。≫
スターリンはチャーチルに対して1940年11月の会談のことを話します。
モロトフ(ソ連外相)は空襲警報が鳴ると、リッベントロップ(独外相)の案内で、何階も
階段をおりて深い避難所に行きます。独外相とソ連外相との会話。
独 「我々が(世界を)山分けして悪くはないでしょう」
ソ 「英国はなんというでしょう」
独 「英国はもうおしまいです」
ソ 「そうなれば、どうしてわれわれはこの避難所にいるのですか。今落ちている爆弾
はどこの国のものですか」
≪スターリンは、この地下シェルターでのエピソードを示すことで、スターリンとソ連が、
ドイツ側の提案をまともに相手にせず、冷笑的態度で臨んだことの象徴的な出来事に
しようとしたのです。≫
スターリンによるこの部分の紹介はチャーチルにたいへん印象深く残ったようで、自
著の 『第二次世界大戦回顧録』 のなかで 「予期された通り、ソビエト政府はドイツ
案を受諾しなかった」の一行を書き残しています。
≪さすがのチャーチルも、スターリンのごまかしの煙に巻かれて、せっかくの 『大戦回
顧録』 にスターリンの自己弁護のセリフを記録してしまったのでした。 ≫
タイトルにある「ベルリン会談」とは、モスクワからソ連外相モロトフを招い
て1940年11月12日から行なわれた会談です。当時ベルリンはイギリス
空軍による空襲を受けており、最終回の会談(第4回・13日)はドイツ外相
用防空壕で行なわれました。
この「会談」の話に直接入る前にこれを読んで下さい。
≪不破 スターリンのいう「マルクス・レーニン主義」が戦後の運動のなかで、
国際的な影響力をもった、というのは、第二次世界大戦の経過とも関係があ
るのですね。ソ連が反ファシズム陣営に加わって、その勝利に貢献した、と
くに無敵とも思われてきたヒトラー・ドイツを打ち破った主役がソ連だったこと
は、誰でも知っている事実でした。そのことが、レーニンのあとをついで世界
で最初の社会主義国家ソ連の指導者となった人物だということと重なり合っ
て、スターリンとその理論を飾り立てる “栄光” となったのでした。私たちも、
戦後、党に入った時には、その事実を前にしてすごい指導者だと思いました
からね。≫
これは雑誌「前衛2月号(2014年)」の座談会「『古典教室』第3巻を語る」
での不破さんの発言です。この部分に続くのが、今回の「深層」に当る部分
です。
≪ ところが、これは「スターリン秘史」でこれから連載する部分の予告編に
なるのですが、第二次世界大戦の最初の段階では、スターリンはヒトラーの
同盟者として行動し、ヨーロッパの領土分割合戦の仲間入りをしています。
スターリンの思惑では、その次の段階では、ドイツ、イタリア、日本の三国
軍事同盟に加盟して、大英帝国崩壊後の世界再分割の仲間入りをするは
ずでした。しかし、この話は、ソ連を騙し討ちするためにヒトラーの謀略でし
たから、41年6月、スターリンはヒトラーの不意打ち攻撃をうけ、思惑が外
れた形で反ファシズム陣営の一翼を担う形になりました。その勝利が “栄
光” となって、大戦後にスターリンの政治的、理論的 “権威” を高めたので
すから、歴史はなかなか皮肉なものです。≫
ここで言われている 「ソ連を騙し討ちにするためにヒトラーの謀略」 を如実
に示しているのが会談の目的を記したドイツ外相リッベントロップの書簡です。
「私は、次のように述べたい。総統(ヒトラー)の意見によれば、四カ国ーーソ
連、イタリア、日本、ドイツ――の歴史的使命は、遠大な視野に立った政策を
採用し、世界的規模で自分たちの権益の境界を定めることによって、自国民
の将来の発展を正しい水路に導くことにある。」
これはイギリスがドイツ軍によって壊滅したあと「破産した大英帝国の巨大
な遺産」の分配による「世界再分割」という大構想を前提にしています。それは
領土 ・ 勢力圏の拡大への果てしない欲望という、覇権主義者スターリンの弱
点を見事に射当てたものとは不破さんの指摘です。
というのはすでにこの年の7月に、ヒトラーは対ソ戦争をごく限られた軍首脳
とのあいだで戦略路線として決めています(1940/7/31)。ですから、「ベルリ
ン会談」という表のスターリン抱き込み作戦によって、対ソ戦争の準備にかかっ
ている軍の作戦立案者たちを混乱させないために、ヒトラーの署名入りの「指
令」がモロトフ到着の日・12日に出されています。
「ロシアの当面の態度を明らかにさせるという目的のもとに政治的討議が開
始されている。これらの討議の結果の如何にかかわりなく、すでに口頭で命令
済みの東方作戦にたいする一切の諸準備は継続されるであろう」
それでは「ベルリン会談」そのものについて、その「深層」について紹介しなけ
ればなりませんが、長くなりすぎますので明日の分にしたいと思います。だた書
かれている不破さん自身の言葉(前述の座談会での)を紹介したおきます。
≪いま『前衛』で「スターリン秘史ーー巨悪の成立と展開」という連載を書いてい
ますが、ここで追求しているのは、理論の陰にあるスターリンの現実の政策と行
動、とくに国際舞台での政策と行動です。書いている私自身が、そのあまりのひ
どさに、1回ごとに戦慄を覚えます。世界の現代史を書きかえているような思い
がしますね。≫
この「連載」には世界史の「深層」が書かれているのです。
2014-02-20 に紹介しました 『日本共産党の深層』 が手に入りました。
「2月15日 初版第1刷」と奥付にありますので、初版本の最後の一冊という
感じで本屋の棚にありました。
あわせて買った雑誌「前衛3月号」の不破さんの連載「スターリン秘史⑭」
は「ベルリン会議の深層」と題していました。偶然ですが「ふたつの深層」が
ここに揃いました。
まず、『日本共産党の深層』 から。
この本をAmazonで検索すると幾つかのレビューが載っていて面白い、そのひとつ
はこんな書き出し。
「私は横浜在住の生活の党党員です。2012年秋から国会前ファミリーエリアに毎週
きてくれる吉良よし子さんを知り、いつしか友達となりました。気がついたら吉良さんは
共産党員、なんと参院選に出馬すると知り、個人的に全力で応援。」
この人(澤田石 順)の書かれたものを全文読んでいただくと、この本の魅力がよく分
かるのです。そして澤田石さんの言葉 「日本国の今後のあり方を考えるために100万
人(せめて10万人)に読んで欲しいと願います」 ということに同感します。
「深層」という意味では「赤旗日曜版」の山本豊彦氏の「事件記者」ぶりは印象に残りま
す。「平成十八年十二月十日の日曜版にスクープ報道」された「政商といわれた水谷建設
元会長から石原慎太郎東京都知事(当時)親子(三男・宏高衆議院員)への500万円ヤミ
献金問題」。これを耳打ちしてくれたのは10年以上ゼネコン問題を追ってきた山本記者の
人脈のひとりだという。
山本記者は福岡県出身で以前から付き合いのあった古賀誠元自民党幹事長のインタビュ
-記事「九十六条改憲に大反対」を平成二五年六月二日号に載せた。この記事がきっかけと
なり、マスコミ各社も安倍首相と対立する自民党議員のことを取り上げるようになったという。
そして、七月七日の「日曜版」トップに「自民党がゼネコン業界に政治資金四億七千百万円
の“請求書”を出していた」の記事が出、原発建設費をめぐり「原発建設費十三兆円 ゼネコン
大もうけの裏側」(平23年9月18日)、「ゼネコン独占 危険手当もピンハネ 除染利権」(平
25年2月17日)などが寄せられた情報をもとに記事になっていきます。これは彼の長年の取
材を通じて培ってきた人脈と日本共産党と「しんぶん赤旗」への信頼、「ありのままをきちんと
書いてくれる」という安心感だという。
「つぶやき」の終わりに、この本の「はじめに」の部分
≪結党九一年、日本共産党は、治安警察法下の大正11年7月、東京・渋谷で非合法政党とし
て産声をあげた。国内最古参の政党として、戦前 ・戦後から、時の権力に抗して主権在民と
反戦の旗を掲げてきた歴史を持つ日本共産党の現在、「反原発、ブラック企業告発、九条堅持」
の砦として活気に満ちている。≫
次は「本文の最終」の部分
≪その状況が進めば進むほど、共産党が政権に近くなる。共産党から総理大臣が出るには、時
間がかかると思うが、ここ20年から30年の間に閣僚を出すことも夢ではないという。≫
どうもいけねぇ、眠れね。
惚れたかい、夢に見るよじゃ惚れよが薄い、本当に惚れたら眠れないて言うじゃないか。
そうかも知れねぇ。
そりゃお安くないね。
いやね、遅くなって飲んだコー匕ーが濃すぎた。
(出し物解説カタログ) (終演後挨拶する人形遣いの方々)
今日「相模人形芝居大会」という催しがあり、kaeru夫人から誘いをうけ、お
供してきました。何かの案内をみて神さんが申し込んだら抽選にはいり参加
証が届いていたのです。
てっきり神さんの好みで申し込んだものと思っていたら、そうではなく私が取
り寄せておいたチラシによって申し込んだとのこと、憶えのないことなのですが、
考えてみると翌檜さんのブログで子ども歌舞伎や地元の歌舞伎などを拝見して
いるうち、我が近くでこういう伝統的は催しを観る機会があったなら、という気持
ちになっていたのでしょう。
厚木市の林座・長谷座と小田原市の下中座、平塚市の前鳥座、南足柄市の
足柄座の五つの座がこの伝統芸能を継承し「相模人形芝居連合会」を組織し
ています。もちろん初めて観た人形浄瑠璃の実演でしたが、TVで垣間見たの
とは大違いで、なかなか引き込まれました。
出し物について解説する能力がありませんが、カタログのなかに次の企画が
入っていました、しばらく続けて観てみようと思います、そのうち何か解説じみた
ことをつぶやけるかもしれません。帰りロビーで人形が披露されていました。
先週の土曜日早朝、積雪の中を歩きました。膝を埋めて踏み込んだの
は、吹き溜まりの中、さすがそういう場所は至るところというわけではあり
ません、それでも貴重な経験でした。
そんな経験したあとのこの本の「面白さ」は至るところにあり今はじっくりと
読み直しをしたいというのが感想です。
降雪の高さ、まずこの数字=「雪の高さ十八丈ありしといへり」
1丈=10尺=約3m。となると「雪の高さ54mあったと言った」
となるわけです。このあとの続き、
≪此話雪国の人すら信じがたくおもへども、つらつら思量(おもいはかる)に、
十月(旧暦)の初雪より(天保五年・1834年)十二月二十五日(同)までおよそ
その日数八十日の間に五尺(1尺=約30cm)づつの雪ならば、廿四丈にいた
るべし。
(その間除雪したり人の住んでいる所では雪は減る)我国の深山幽谷雪の深
事はかりしるべからず。天保五年は我国近年の大雪なりしゆゑ、右の話し誣(し)
ふべからず(おおげさではない)。≫
この高さは人が住んでいるところで、≪雪の下る毎に用意したる所の雪を尺
をもって量(はか)りしに≫というわけですから、「誣ふべからず」なのです。
ですから、加賀の国から来た飛脚が高田にきて、「この下に高田あり」という高
札をみた話もうなずけるわけです。
この本の「面白さ」は雪の量だけではもちろんありません。
雪に谷に落ちた村人が熊に助けられた話、雪のなか川に落ちて亡くなった女
性の幽霊の頼みによって髪の毛をすってやり、その髪の毛を橋のたもとに埋め
て毛塚をつくり供養した話、狐をとらえるに雪中に穴を掘り底に餌を置く、穴の周
りにも餌を播きおけば狐はつられて穴の餌を食いに頭を入れ食う、食い終わって
出ようとしても穴が小さくつくってあるため出られず、
≪雪は深夜にしたがひてますますこほり、かれがちからには穴はやぶる事もならず、
~これを見て水をくみきたりてあなに入るゝ、狐は尾を振はして水にくるしむ。人は
辺りにありてかれ将に死せんとする時かならず屁をひるを避る。狐尾をうごかさゞる
を見て溺れ死たるを知り、尾をとり大根を抜くがごとく狐を得る。≫
ざっと見ただけでもこんな話が拾い読み出来るのですから、これは宝島の宝石箱
というべきでしょう。
夕食後ひと寝入りしてしまいました。
その眠りのなかで、実はこのブログの中身をほぼ書き終えていました。
タイトルは眠り込む前に頭に浮かんでいたことは確かで、それは一冊の本
からきています。 『本屋図鑑』、この本です。
.
昨日紹介しました『日本共産党の深層』を周辺の本屋さん四五軒まわり
ましたがありません。ベストセラーとなった時には本屋の店頭にはない、
ということです。重版決定ということですからいずれ近いうちに見れるで
しょう。 そこで関心を他に移しましたらこの本が目に入りました。 これは
「町の本屋さん」を中心に北は稚内から南は石垣島まで65軒を紹介した
ものです。
こういう嬉しい本を置いてるこの周辺の本屋さんは、鎌倉駅西口の「たらば
書房」です。 そのことはこの本にこう書かれていることで明らかです。
≪本の好きな人は、よく、いい本屋さんがある町で住みたいという。仕事を
終え、電車を乗り継ぎ、自宅のある駅に降りる。時間はもちろん夜である。
お腹も空いているが、その前にちょっと一軒。飲み屋さんでなく、本屋さん。
たらば書房は、鎌倉駅西口から徒歩30秒の場所に建っている。
~本好きであれば、わー、と心の中で叫びたくなるような品ぞろいである。≫
こういう宝島のような店が全国にかなりあるということを知ったことは、何や
ら春の便りを聞いた思いで、本の虫ならぬ蝶にでもなってとびまわってみたい
思いがします。
今日の「しんぶん赤旗」の「潮流」欄です。
日本共産党員でプロレタリア作家だった小林多喜二は、81年前のきょう、特高警察の野蛮な拷問に29歳の命を奪われました。戦前、彼が書いた『蟹工船』は今も若 者の心をつかんでいます▼現在、共産党の国会対策委員長を務める穀田恵二さんも影響を受けた1人です。高校生の頃、政治や経済の仕組みと土台を勉強するようにと、父親から渡された数冊の本。なかの1冊が『蟹工船』でした。若き穀田さんは、労働者の視点に身を置くことの大切さを思い知ったといいます▼最近出版された『日本共産党の深層』で知りました。丹念な取材によって作家の大下英治さんが人物に焦点をあてながら描き出した、一 味 違う党の紹介。売れ行きはよく、早くも重版が決まりました▼昨年の躍進以来、マスメディアをはじめ共産党への注目がつづいています。本紙でも報じたように長野県や高知県では党⇨の会議に多くの報道陣が集まり、地元紙に大きく取り上げられまし た。赤旗編集局にも新聞や雑誌、テレビの取材が相次いでいます▼ほかの野党が安倍自公政権になびくほど“自共対決”を鮮明に打ち出す共産党の存在が浮き立ってくる。福岡では保守系の政治団体から初めて党に講演依頼がきました▼自共のぶつかり合い。自民党は党員拡大のノルマを国会議員に課し、下回れば罰金をとるそうです。日本の未来を切り開くため、自覚的に党員を倍加し、世代の継承にも意気高くとりくむ共産党。結党91年。多喜二らが命がけで守りぬいた、党の姿です。