今日の「しんぶん赤旗」の一面の記事に、宮本たけしさんが、
「これが固まれば、安倍首相はほぼアウトです」と……。
全文はこちらです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-31/2017033101_02_1.html
今日の「しんぶん赤旗」の一面の記事に、宮本たけしさんが、
「これが固まれば、安倍首相はほぼアウトです」と……。
全文はこちらです。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik16/2017-03-31/2017033101_02_1.html
私が配るのは明後日ですので、その前に「森友学園疑惑」関連の記事紹介です、FB友の
岡本かずえさんのブログからです。
岡本さんのブログには東京新聞の記事も紹介されています。
日本共産党の「調査力」の真実……、
読みにくいですね、ここで読んで下さい。
http://www.jcp-kyoto.jp/activity_and_policy/activity_and_policy-1866/
宮本さん、小池さん、大門さんなどの論戦を視聴して、本当にそうだ!と思います。
25日の「つぶやき」後、画面上にしばしば「ストレージの空き領域がありません」と出て、「ストレージは “設定” で管理できます」と出てきていましたので、“設定” で「管理」とやらをやってみました。
“設定” 画面であれこれ指を動かしていましたら、いくつものアプリが並びアップデートを、というわけです。一斉にアップデートを、するといくつものアプリが「待機中」になってしまいこの二日間フェイスブックをはじめ使用休止状態になって、やっと先ほど解除。しかし「ストレージの……」は相変わらず出てきます。根本的な解決にはなっていないのでしょう。明日は店に行って対応を相談せねばと思ってます。
ところでもうひとつの「沈黙」。
この「口先人間」といわれている橋下氏の口先ならぬ指先の動きが止まっています。
この通り23日からの「沈黙」です。
「森友解散」などが話に出てくる政治情勢です、沈黙の示す発言も注意が必要です。
昨日の国会予算員会の中継録画を見ているうちに『Nの悲劇』というタイトルを思いつきました。
クイーンの『Xの悲劇』にちなむのですが、文庫本を引っ張り出して、めくりながらなぜ X なのか分からずじまいで未読のままだったことを思い出しました。ですから X からはじまってYとZの各々の『悲劇』も、これらは本でさえ私の手元には無いのです。
さてタイトルのNは日本のNで、悲劇とは
https:/https://youtu.be/Eh-Vr-mCmxc を見ての感想です。
この政府側答弁を視聴して「これは日本の悲劇」だ、と思った私に同感されるかはわかりませんが、現在の日本国の政治的最高責任者の国会における言動を視聴して下さい。
もうひとつのNはNHKのNです、それはこちらです。
高い視聴率を得たこの中継も当初は、中継されないのではといわれネット上では電話等で中継を要請しようと多く呼びかけられ、多くの要請行動があった様です。それだけにNHKの現場や要請した人々の気持ちは『Nの感激』というわけです。
画像のなかの「特集」はこちらでアクセスできます。
FBのなかに「日本はどこへ向かおうとしているのか」という言葉がありました。昨日「kaeruのつぶやき」のタイトルを「この国の行方」にしたのですが同じような言葉だと思い、ここに紹介します。
特にこの映像の全体は、このFBで見られます。
司馬遼太郎に『この国のかたち』という著作があり、自分でも持っているかと探したが無いのです。読んだ覚えがないので本屋の本棚にあって、読んでみたいという思いが我が家にもあったと思い違いしていたのかもしれません。
今回の森友学園疑惑関連の記事を追って、特に今日の籠池氏の証人喚問を視聴しているうちに、浮かんできたのがタイトルの「この国の行方」でした。この「行方」という言葉には「行方不明」に通ずる不安を含んでいる場合もあり、「どうなって行くのかこの国は?」とも捉えられます。
が、明らかになってきたのは光明です。
この間手にしたのが『構造疑獄 ロッキード』という上田耕一郎著の新日本新書の一冊。今回の「疑惑」を「アッキード事件」などというのは安倍晋三夫人の名前にかけた軽口に属することだと思います。アメリカのロッキード社の名を冠とするロッキード事件が、当時の首相田中氏の金脈問題にとどまる底の浅い疑獄ではありえず、日米支配層による日本国民支配の暗部の一端が暴かれたまさに構造汚職でした。
ロッキード事件がどう暴かれていったか、1976年・41年前の新聞などをめくって経緯を検証しなければならないでしょうが、発端がアメリカ議会での公聴会にあるということからも、今回の「疑惑」とは規模も暗部の深みも桁が違うということです。
しかし、41年前と同様に現在も時の政権を揺るがしています、今回は揺るがしはじめたという段階だとしても。今回は大阪・豊中市の一市議会議員が地元の国有地売却に関しての不明朗さを正す、という行動に端を発し、それが朝日新聞の報道になったのがちょうど1ヶ月半前の2月9日でした。
私の「私製メデア」であるブログに森友が登場したのは2月17日でした。15日に行った日本共産党の宮本議員と民進党の福島議員の質疑を紹介した時でした。その日、南スーダンPKO派遣中止を求める抗議行動のライブをFBから紹介しました。
その時のある人のコメントも合わせて紹介しています。それは、
秘密保護法の時は国会前の様子が見れなかったのに今はこうやってリアルタイムで繋がれる!素晴らしいー
というのです。
そして私は「この人の感想に共感してます」というコメントをしてます。
このあたりからほぼ連日「森友学園疑獄追っかけ」がでした。
これからも「追っかけ」は大いにすすめるでしょう。その「追っかけ」の「追」は安倍政権への追及の追でもあります。またこの間FB友が200人を越え、追っかけ仲間の広がりを実感できたのも「光明」として見えました。
森友学園問題の核心はタダ同然の国有地払い下げ疑惑の解明にあります。同時にその追及の過程で明らかになってきた異様な園児教育や稲田防衛相の発言を通じて教育勅語がクローズアップされています。
本当はここに教育勅語の底本(明治23年・1890)10月30日の『官報』の写真を載せたかったのですが、またもや写真アップができませんので、
ここを➡︎ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2945456/2
教育勅語を暗記させられた最後の世代は私たちだったでしょう。終戦の年に小学校当時の国民学校2年生でした。私の記憶になかにも「朕惟フニ我カ皇祖皇宗ヲ……」あたりまで出てくるのです。学校にあがるまで幼稚園などに通った記憶はありませんが、森友学園の運営する例の塚本幼稚園児のように園児年齢から暗記させられていたら、ほとんど全文が蘇ってきたかも知れません。
三つ子の魂百までも、になっていたでしょう。
そんなことを考えていましたら、一冊の本を思い出し本棚から取り出してみました。
高村光太郎の『詩集 大いなる日に』です。これもアップできず残念ですが、昭和十七年四月の発行、「序」として
支那事變勃發以来皇軍昭南島入城に至るまでの間に書いた詩の中から三十七編を選んでここに集めた。ただ此の大いなる日に生くる身の哀情と感激とを傳へたいと思ふばかりである。 (哀情の哀は詩集では口に縦棒がある)
とあります。
私にとって高村光太郎の詩集は『智恵子抄』です、その『智恵子抄』の刊行が昭和十六年です。同じ時期に智恵子を詠む心と中国大陸を侵略する「皇軍」に感激する心が一緒になっているのです。
自民党公明党による日本政治が汚濁に満ちている姿のひとつがこの写真です、
この汚濁のなかで、次の写真を目にすると
今日のタイトルの言葉が、明日への希望とともに口にできるのは嬉しいことです。
こちらをどーぞ、時代の青春の映像です。
https://www.facebook.com/mainichimovie/videos/1806695602913509/