kaeruのつぶやき

日々のつぶやきにお付き合い下さい

俳枕 熊本城。

2016-04-30 21:49:48 | kaeruの五七五

   平井照敏編『俳枕  西日本』の『熊本」から所々の引き写しです。

【 阿蘇山の西。熊本平野が島原湾にむけて広がるその中央部にある都市で、白川・坪井川に沿う。夏に夕方、無風状態になり、きわめてむし暑くなるのが特色で、肥後の夕凪という。熊本平野はあたたかいところがだが、内陸性気候で寒暖の差が著しい。加藤清正が関ヶ原の役ののち領主になり、熊本城を築いた。名城として知られる。清正は「清正公せいしょうこうさん」と呼ばれて親しまれている。~ 熊本城は、熊本市の中央、茶臼山にあり、もと菊池氏の隈本城があったちころ、加藤清正の築城は慶長十二年。熊本城とあらたまり、のち寛永九年、細川忠利が入城、細川氏の居城となって、幕末までつづく。明治十年、西南戦争の激戦地となり、建物の大半が焼け、宇土櫓だけがのこった。今日、天守閣が再建されているが、三名城の一つに数えられたものである。とくに武者返しという、石垣の反りが有名である。銀杏城ともいう。】

例句より

    武者返し冬青空は雲飛ばす       中村汀女

    草枯れて城石垣は反りたしか     浜田みどり

    夜桜や城へますぐに御幸坂        高千穂律子

『地名俳句歳時記』例句

    葉桜の木洩れ日ゆるる熊本城     有働裕子

    銀杏散りつくし熊本城は黒おどし    藤浦妙子


「てんがらもん」214回 地震と花。

2016-04-29 22:33:40 | 「てんがらもんラジオ」

  先週は地震との関係で桜島の「噴火により埋没した鳥居」のことが印象に残りました。今回はガイドの向井さんがどういう話をされるのか耳を傾け、そして今夜聴き直してみて最後の一言が印象に残りました。

   それは話の大部分を占めた熊本城のことではなく、阿蘇にある大野美術館のことです。それを紹介する前に矢張り熱弁をふるった熊本城のことに触れたいと思います。番組での向井さんの熱弁と身振り手振りを見て下さい。   「てんがらもん」214回  向井明美さん   

   熊本城の何について向井さんが熱を込めて話されたかは番組で確かめてもらうとして、私の耳に残ったのは「おかげさまで」の一言です。それは熊本城の石垣が、特に創建当時の清正石垣と言われる場所がどうなっているのだろと、一昨日は1日かけてテレビやインターネットを見続けたそうです。そして崩れていなかったことが確認できたのです。その話をしながら「おかげさまで」が出てきました。

   始めなんでもないこととして聴いていたのです、普通の挨拶として。でもなぜ自然に「おかげさま」が出たのだろう。こんなイメージが浮かびました。母親が震災のなかで子供に会ったとき、その子を抱きしめ怪我が無かったか、痛むところはないか、身体中を見探り殆ど無傷だったと分かった時、周りの誰かれ構わず「おかげさまで」と言うでしょう。向井さんの中には鹿児島をはじめ九州各地が「我が子」の如きものとして染み込んでいるのだと感じました。

   そういう向井さんですから、大野美術館の大野勝彦さんが罹災した美術館の庭でチーリップが咲いているのを見て、救われる思いがしたことを被災地の人に伝えたく最後の一言にしたと思います。大野さんが両手を失って「花が咲いているのが見えるようになった」とのことを紹介したのは、身近に咲いている花に目を向けて下さい、ということだと思うのです。

  前回の大村さんの「自然の脅威と自然への敬意」と合わせ「自然は人間への打撃を与えるが同時に人間を癒し励ましてくれる」のです。


明日にします。

2016-04-28 20:53:24 | 「てんがらもんラジオ」

   アイパッドの動きが凄く遅くなり、相談したらお店に来て下さい、とのことです。今日の「てんがらもんラジオ」での向井さんの話を今日中にと思い終の方を聴き直していたのですが、今日中は無理の様です。

  村永さんのブログから視聴して下さい。

こちらです、http://blog.goo.ne.jp/chidori-t

  向井さんのガイド魂とでもいうべき厚い思いが伝わってきます。


急ぐな蝉よ。

2016-04-27 22:01:04 | kaeruの五七五

   暗くなっていますのでご婦人の掌の物が空蝉だと見えないかもしれませんが、今年はじめての空蝉です。

近くの「町民いこいの家」の網戸にくっ付いていました。

「もう蝉が!」と驚いていると、

「去年のものが残っていたんでは」という人もいて、

「そんなことは……」はないという人、

  そうでしょう、

   雨風も当たるだろう網戸に一年以上しがみついてはいられないでしょう。

   蝉の声などまだまだ先のことと思います。すると抜け出て行った中身はどうしているのか? 地上に出てからは短い命、鳴くこともなく土に戻ってしまうのか。

   Wikipediaでみると「体長23-33mmほどで、オスの腹部が長い。マツ林にすむ。成虫は和名通り4月中旬頃から入梅の頃までに発生する」ハルゼミという種類なのかもしれません。マツ林はありませんが、松の木が一本あります。その近くにもぐっていて昨夜中に地上に出てきて網戸にあがり明け方抜け出して飛びったのでしょう。

ハルゼミ《ゆっくりと「ジーッ・ジーッ…」と鳴く。》とあります。 

    空蝉のいづれも力抜かずゐる    阿部みどり 


昔「大本営発表」、今「公式発表」。

2016-04-26 22:25:41 | せいじの政治カフェ

   熊本地震の余震はおさまりそうもありません。こういう時期こそ報道機関の役割が重要で、被災者ばかりでなく全ての人の関心事です。

   そんななかでこういうことが起きています。

   私が聞きたいのは「公式」発表ではなく本当のことです。公式発表が本当のことを伝えていれば「公式=真実」という公式が成り立つのですが、それが成り立たないのが、これです。

   真実を追求する記者魂の充分な発揮によって、巨大な自然現象とそれを乗り越えようとする人々の姿が明らかにされ、政治がどこに重点を置くべきが見えてくるのです。そういう記者の取材を萎縮させて報道を「公式」に絞ることで国民がいかに大きな犠牲を強いられたか、それが大本営発表の結果ではなかったでしょうか。

  wikipedia による「大本営発表」は、wiki/大本営発表  です。


熊本現地のブログ。

2016-04-25 23:32:33 | どこまで続くかこのブログ

    先ほどブログの「リアルタイム解析」に「私の友達、chidoriさん」という文字に出会いました、これです。

   chidoriさんのブログでお名前を知っていましたが、ブログをやっておられたのでした、早速拝見し足跡を残してきました。

素子さんが知人のコメントに返信したコメントからです。

私は無事です。
家がメチャクチャですけど。
県庁に避難して、県庁で夜を明かしました。
近くにいた方が透析が必要だったのですが、水と電気がないため、熊本市内の病院の受け入れがありませんでした。水俣まで行くみたいです。
水と電気がないので、大変です。

   現地の状況を知って、まず心を寄せられればと思います。

   そういう思いでこちらのブログをご覧下さい。

   私の友達、chidoriさん     ソプラノ素子の日記

   厳しい状況に置かれていることでしょう。コメントが負担になってしまうかとも思いますが、無理なく続けることを第一にしてもらいましょう。


川柳という足跡。

2016-04-25 21:35:00 | kaeruの五七五

「てんがらもん」が縁で川柳にも縁が出来ました。「てんがらもんラジオ」第二木曜日に川柳の手ほどきをしてくださる石神紅雀さんの「川柳会」です、と言っても会員になったわけではなく会誌購読の詩友です。

 その会誌「つばさ」の3、4月号です、

   この3月号の裏表紙に、会員の方が自分の生きてきた証として川柳を残していきたいと言われています。

それを読んである人間の足跡の写真を思い出しました。

   写真説明にあるように「350万年以上前の」ヒトです。本(『生命40億年全史』)にはこう書かれています。

【 大地に残されたもので、人間が存在していたことを裏づけるいちばんの証拠は、足跡かもしれない。】

   350万年前も21世紀の現代も「◯◯なる者が存在していた証」とは形あるものなのでしょう。川柳も俳句も自分らしい息づかいを形にして足跡代わりにこの世に残しておきたいものです。

       生きている証が届く五七五   kaeru 


熊本地震被災地 銭湯情報訂正。

2016-04-25 19:42:48 | どこまで続くかこのブログ

21日の拡散要請の『お風呂』に関する情報に次の訂正(赤部分)が入りました。よろしく対応をお願いします。「お風呂に入りたい!」に応えたいものです。

営業する銭湯一覧

銭湯名 住所 電話番号 営業時間 定休日


菊の湯 熊本市中央区新町4-7-46 096-354-5976 15時~21時 土曜日

世安湯 熊本市中央区世安町448 096-325-8348 15時~21時 火・金曜日

「世安湯」は煙突倒壊、「龍の湯」は断水でいずれも営業出来ないそうです。

龍の湯 熊本市中央区琴平本町5-54 096-366-9231 15時~22時 1・5・11・15・21・25日
大福湯 熊本市中央区坪井2-5-28 096-343-7868 13時~23時 火曜日

たかの湯 熊本市東区栄町1-46 096-369-9512 14時~23時 月曜日
冨乃湯 熊本市南区川尻4丁目10−20 096-357-9221 16時~18時 月曜日
あしはらの湯 熊本市北区植木町田底2031-1 096-274-7212 9時~22時 第3水曜日
松の湯 熊本市北区植木町田底311 096-274-6115 8時~21時30分 なし
仙望湯 宇土市赤瀬町777-6 0964-27-1880 10時~21時 なし
城乃井温泉 菊池市隈府1375 0968-25-1188 6時~23時 なし
サンパレス松坂 山鹿市山鹿1104 0968-43-3083 11時~22時30分 第2・4水曜日
玉名ファミリー温泉 玉名市立願寺428 0968-74-3888 16時~21時 不定休*事前にお電話を
潮湯センター海老屋 玉名郡長洲町長洲3308 0968-78-0666 9時~20時 第2・4火曜日

 * その他のところについては、確認の上利用されるよう合わせてお願いします。


「表裏比興」ー拾い読み4ー

2016-04-24 22:12:47 | 「真田丸」

信繁 in 大坂 ー拾い読み1ー (4月11日)でこう書きました。

【 秀吉はこれを大いに怒り、昌幸を「表裏比興之者ひょうりひきょうのもの」と指弾して、八月三日、昌幸の庇護者上杉景勝に対し家康に命じて成敗すると報じた。そして真田領に在陣する上杉軍に昌幸の支援をさせぬようにと言い渡したのである。】

   これも平山さんの『真田信繁』に書かれていることですが、今日の「真田丸」の「表裏」はここの部分を意味していました。11日に引用した平山さんの本には「八月三日、家康に命じて真田昌幸を成敗せよ」と命じたと書かれそのあと次のように続いていました。

【  八月六日、秀吉は家康に真田昌幸成敗を命じ、1、真田領には上杉援軍が在番している城が二、三ヶ所あるのでそこには手を出さないこと、2、上杉領と徳川領の境目は、秀吉が上使を派遣して決めること、3、小笠原貞慶と木曽義昌領にも手出しをせぬこと、4、真田成敗のため出陣するので、家康の上洛が多少遅れても構わないこと、とした。大筋は合ってますが、史実とドラマの違いも楽しめます。

  なお、Wikipediaの「真田昌幸」に昌幸の人物像紹介に次の説明がありましたので貼っておきます。