平井照敏編『俳枕 西日本』の『熊本」から所々の引き写しです。
【 阿蘇山の西。熊本平野が島原湾にむけて広がるその中央部にある都市で、白川・坪井川に沿う。夏に夕方、無風状態になり、きわめてむし暑くなるのが特色で、肥後の夕凪という。熊本平野はあたたかいところがだが、内陸性気候で寒暖の差が著しい。加藤清正が関ヶ原の役ののち領主になり、熊本城を築いた。名城として知られる。清正は「清正公せいしょうこうさん」と呼ばれて親しまれている。~ 熊本城は、熊本市の中央、茶臼山にあり、もと菊池氏の隈本城があったちころ、加藤清正の築城は慶長十二年。熊本城とあらたまり、のち寛永九年、細川忠利が入城、細川氏の居城となって、幕末までつづく。明治十年、西南戦争の激戦地となり、建物の大半が焼け、宇土櫓だけがのこった。今日、天守閣が再建されているが、三名城の一つに数えられたものである。とくに武者返しという、石垣の反りが有名である。銀杏城ともいう。】
例句より
武者返し冬青空は雲飛ばす 中村汀女
草枯れて城石垣は反りたしか 浜田みどり
夜桜や城へますぐに御幸坂 高千穂律子
『地名俳句歳時記』例句
葉桜の木洩れ日ゆるる熊本城 有働裕子
銀杏散りつくし熊本城は黒おどし 藤浦妙子