先週の金曜日の「タウンニュース」です、
戦後間もない1945年10月20日午後3時ごろ、逗子湾を望む飯島崎の一角にあった小坪洞窟砲台内で爆発事故が起こった。子どもばかり15人が亡くなり、火傷やけどをした子どもも31人にのぼった。
事故は長らく秘密裏にされ、初めて公になったのは1976年に外交文書が公開され、その中に記録があったとの毎日新聞による報道だった。
また、後に逗子市の教育長を務めた、故・野村昇司氏が1973年に出版した『砲台に消えた子どもたち』にも当時の様子が描かれている。
昔も今も、地元でさえ知る人が少ないこの事故を風化させてはならないと活動を続ける人たちがいる。逗子の歴史を学ぶ会(今泉良一会長)は6月22日、逗子文化プラザさざなみホールで「砲台に消えた子どもたち〜小坪の悲劇が今語りかけるもの~」と題した講演会を開催する。
対談形式で行われる講演で、登壇者は事故で兄を亡くした草柳博氏、草柳氏の娘婿で慰霊碑の移設などに尽力する丸山治章氏、中学校教員を経て居住地の小坪砲台事故の考察を行う中澤洋氏の3人。
事務局を務める山田淑江さん(87)は当時、鎌倉の由比ガ浜に住んでおり、爆発音を聞いたという。今回の講演を「多くの子どもがなぜ、終わったはずの戦争の犠牲にならなければならなかったのか、自問自答する場にしたい」と語った。
慰霊碑を移設
事故後、遺族が現場に慰霊碑を建てたが、道路建設や海岸の埋め立てにより、砲台跡は姿を消し、慰霊碑も遺族に知らされないまま、小坪逗子海岸トンネルの上に移転された。しかし、今年の10月20日(日)に行われる慰霊祭霊祭にあわせ、元の建立地近くに新たな慰霊碑として移し替えられる予定だという。
講演会は午前10時から11時45分。参加費1000円(資料・小冊子)。
定員は150人(申し込み順)。申し込みはdaybyday1937@gmail.com(天野さん) か、046-871-9674(山田さん)
このチラシのことなのです、
いま気付いたのはまことに抜けた話ですが、このチラシをここに⤴️するのははじめて、6月22日のことを「つぶやき」ますのも今日がはじめて。何かバタバタしていて肝心のことが抜けてる感じです。
このチラシを完成させるまで半月くらいかかっていました。途中で何回かここにアップしようと思い、その都度ダメ押しが入って先延ばしをしているうちに完成後が抜ける、老化現象というべきでしょう。